■ビブグルマンを獲得した新宿御苑前の名店
東京メトロ丸ノ内線・新宿御苑前駅から徒歩6分。都道430号線沿いに夫婦が営むラーメン店がある。
「RAMEN MATSUI」だ。
2023年5月オープンで完全予約制の超人気店。昨年発表の『ミシュランガイド東京2025』でビブグルマンを獲得した名店だ。「和」を意識した上品さを残しながら爆発的なダシ感を感じる一杯で、多くのラーメンファンを虜にしている。
店主の松井創さんは北海道北見市の出身。学生時代からバンド漬けの毎日。24歳で上京して音楽を続けながら飲食店で働き、その際に調理技術を学び、調理師資格も取得。その後、調理責任者を任されるまでに成長した。
■カニの端材を使ったラーメンに大反響
知人が北海道網走市で飲食店をしており、事業拡大を機に店舗立ち上げから手伝うことになる。店舗立ち上げから仕組みづくりを通して、4店舗の統括マネージャーに抜擢され、役員として4年間従事した。
ここでは、地域素材を使い、地元客だけでなく観光客の集まるお店目指そうと、第一次産業とのつながりを考え始める。そこで、東京農業大学オホーツクキャンパスに通い、地域素材を使ったものづくりを勉強し始める。

より食材にフォーカスしたことをやりたいと考えた中で、紋別市の水産加工会社の飲食部門に携わることになる。この会社が運営する炉端焼き店で、何かお店の起爆剤になるメニューが作れないかと考え、カニの端材を使ったラーメンを作った。これが新聞で取り上げられるなど大きな反響があり、手ごたえを感じた。一方で、このラーメンを広げたいビジョンはあるが、なかなか人がいなくて広げられないもどかしさを感じていた。
この頃からビジネスモデルとしてラーメンを考えるようになる。ラーメンは海外からも求められているし、美味しい商品ができればビジネスとして面白いのではと考えるようになった。自分としても0から勉強できるのはラストチャンス、既に37歳になっていた。こうして東京の有名店「柴崎亭」の門を叩く。
■銀座ホステスだった妻・歩さんとの出会い
ちょうどコロナの時期だったが、「柴崎亭」はお客さんが途絶えたことがなく、他の飲食店とは違う強さを感じた。入社半年で支店の店長を任されるようになり、毎週の限定ラーメンを考えるチャンスにも恵まれた。ここで出した鶏とシジミの醤油ラーメンに手ごたえを感じ、この限定ラーメンで独立をしようと考える。こうして2年で「柴崎亭」を卒業した。

後に妻となる歩さんとは上京してから2~3カ月の頃に出会った。歩さんは地元・富山で20歳からバーを経営していたが、リーマンショックを機に上京し、銀座の高級クラブに勤務していた。客層は会社経営者、政治家、有名なスポーツ選手や芸能人など、それはそれは煌びやかな毎日だったが、コロナ禍で突然パッタリ仕事がなくなった。毎日ソムリエ資格の勉強をして過ごしていた頃に創さんと出会った。
「彼が夢を持って前向きに頑張っている姿に惹かれ、2年お付き合いした後に入籍しました。
私自身はこれまでの人生でやりたいことは全てやってきたし、この先はこの人の夢を叶えるために力を貸せたら良いなと思ったんです。一人では難しいことも、同じ熱量で取り組む人がもう一人いれば何とかなるんじゃないかと思ったんですね」(歩さん)
■「1000円の壁」は最初から取っ払い、あえて駅から遠い物件に
創さんがいよいよ独立となり、当初は北海道で物件を探していたが、コロナ禍もあって一向に希望するような物件が出てこず、東京都内の物件も探し始めるも足踏み状態になった。
この間、焦る気持ちを抑えながら毎日自宅で試作をした。創さん一人で初めた味づくりだったが、ソムリエ資格も取得している歩さんのテイスティングの正確さを知っていたので、調整の方向性などに迷った時は歩さんの意見も尊重するようになった。こうして1年以上かけた物件探しの末、現在の新宿御苑前の物件に出合う。
「駅から遠い物件を探していました。何かのついでに来てもらうのではなく、目的来店してほしいという思いがあったからです。
しっかりとした値段をつけ、初めから『1000円の壁』は取っ払おうと思っていました」(創さん)
こうして2023年5月、「RAMEN MATSUI」はオープンした。集客に苦労するかなと思っていたが、SNSの口コミや日本テレビ「news every.」の特集など通じて話題を作ることができた。
■仕込みに追われ、夫婦喧嘩の絶えない日々…
「RAMEN MATSUI」という店名は、誰が見ても一目でラーメン店とわかるため、さらにローマ字で「RAMEN」とすることで修行店などの系譜を感じさせないようにするためだった。メニューは醤油のみからスタートし、だんだんと増やしていった。気温が高くなり客足が減った時にも、冷やしラーメンを提供したことで思いがけないほどの反響があり、大人気メニューとなった。
しかし、創さんと歩さんはオープン後から喧嘩が絶えなかった。
「実際お店を始めてみると、想像した何倍も大変でした。朝8時過ぎから仕込みをして、営業後も夜まで仕込みが終わらないこともしばしばあり、帰ってお風呂に入って気絶するように寝たらまた朝が来て、仕込み、営業、仕込み……定休日も買い出しと仕込みで終わっていました。
たくさん仕込んでたくさんお客様が来てくれているのに、開店から半年過ぎて融資の返済が始まると、毎月の支払いを済ませた後の口座の残高はほぼゼロ、疲労と余裕のなさで喧嘩の絶えない日々でしたね」(歩さん)
「私が主人公、妻が手伝いという考え方ではうまくいかないんですよね。当たり前ですが、妻は便利な助手ではないんです。
われわれは『夫婦』なんだということに立ち返り、チームとして話し合いながらお店づくりを進めていこうということにしました」(創さん)
■妻の舌を信頼し、夫婦の強みを生かした店づくりへ
こうして恐々だったが値上げをして、週に2日の定休日を作って1日は休息に充てることにした。
もともとホステスだった歩さんは物怖じしない性格。
まさにお店の精神的支柱だ。歩さんの店づくりや接客を信頼し、お互いの強みを活かすことで相乗効果が生まれる。味についても歩さんの意見をしっかり聞くようにし、メディアには必ず2人で出るようにした。
2024年春には『ミシュランガイド東京』の調査員がお店を訪れた。その後『ミシュランガイド東京2025』で見事ビブグルマンを獲得する。
「ミシュランに載ることはひとつの大きな目標でした。これはラーメンを生業(なりわい)にしようと思った時からの夢でした。何者でもない2人が世間に認めてもらい、夢を掴むことができました。親にも良い報告ができましたね」(創さん)
■ラーメンを通じた地方創生に携わりたい
ラーメンを食べる側は上質を追求したラーメン店に対して、よく「ここはミシュランを意識した店だ」などと言うが、ミシュランはそう簡単に狙って獲れるものではない。掲載されているお店は、都内でもほんの一握りだけである。明確に目標にしてそれを叶えるというのはすごいことである。
ミシュランを獲得してから、海外のお客さんも増え、行列がどんどん長くなっていった。
常連客もなかなか来られなくなり、2時間待ちの日も出てきた頃、予約制を取り入れることに決めた。現在はお客さんが500円を支払って食事をする枠をあらかじめ確保する完全予約制だ。
「2人でやれるところまでやりたいねと話しています。いつかは全国各地の地域素材はもちろん、未利用魚や食品加工の際の端材などを活用したご当地ラーメンのプロデュース事業など、ラーメンを通じて地方創生に寄与したいと考えています」(創さん)
紆余曲折あった創さんの人生で、大きな道となったラーメン。歩さんとともに二人三脚でこれからもお店を続けていく。

----------

井手隊長(いでたいちょう)

ラーメンライター、ミュージシャン

全国47都道府県のラーメンを食べ歩くラーメンライター。東洋経済オンライン、AERA dot.など連載のほか、テレビ番組出演・監修、コンテスト審査員、イベントMCなどで活躍中。自身のインターネット番組、ブログ、Twitter、Facebookなどでも定期的にラーメン情報を発信。ミュージシャンとして、サザンオールスターズのトリビュートバンド「井手隊長バンド」や、昭和歌謡・オールディーズユニット「フカイデカフェ」でも活動。

----------

(ラーメンライター、ミュージシャン 井手隊長)
編集部おすすめ