■「風邪は治ったのに咳だけ続く」を放置してはいけない
2025年8月現在、新型コロナウイルスの感染が再び増加しています。第32週(8月4~10日)の新規感染者数は2万3126人、第10週(3月3~9日)以来、初めて2万人を超えた第31週をさらに上回りました。
もともとコロナは夏と冬に流行しやすいのですが、ハリーポッターの箒のような通名「ニンバス」とも言われる新たな変異株「NB.1.8.1」の拡大が懸念されています。同時に、百日咳の報告数も異例の多さで推移しており、今年上半期だけで3万件を超える感染が確認されました。コロナと百日咳、いずれも咳を主症状とする感染症であり、注意と対策が求められています。
こうした感染症流行の中で、多くの人が経験するのが「発熱やのどの痛みといった風邪症状は治ったのに、咳だけが止まらない」という状況で、私の診察室にも毎日たくさんの患者が訪れます。
最初は軽い咳から始まりますが、2週間経っても続き、4週間が過ぎると心配になるでしょうし、8週間経っても、まだ咳き込んで困るという方もいらっしゃいます。大切な会議中に咳が出て、同僚から迷惑そうな視線を向けられ、夜中に咳で目が覚めて家族の睡眠まで妨げてしまう。このような状況は決して珍しいことではありません。
■慢性咳嗽という病気の理解
医師は8週間以上続く咳を「慢性咳嗽(がいそう)」と呼びます。そのうち明確な原因が特定できない場合を「原因不明の慢性咳嗽」、原因がわかっていても治療に反応しない場合を「難治性の慢性咳嗽」と区別しています。
しかし重要なのは、実際には診断や治療が不十分であることが多く、厳密に検査・治療すれば咳が改善する人が大半だということです。「原因不明」「難治性」という診断を受けても、決して諦める必要はありません。
日本での研究によると、人口の約10%が咳症状を経験し、そのうち約4分の1が慢性咳嗽に至ります。女性に多く見られる傾向があり、咳の反射が男性より敏感であることが一因と考えられています。実は慢性咳嗽患者の6割以上が医療機関を受診していないという報告もあり、「そのうち治るだろう」と考えて我慢したり放置したりする方も少なくないのが現状です。
慢性咳嗽の影響は、実は肺だけの問題ではありません。咳による胸や喉の痛み、睡眠障害などが、生活の質に大きな影響を与えます。仕事への集中力が低下し、睡眠不足により患者さん本人だけでなく家族も慢性疲労に陥り、家族関係が悪化してしまう例もあります。電車やレストランでは咳をするたびに周囲の視線が気になってしまうでしょうし、特に女性では、咳による腹圧で尿漏れが起こる腹圧性尿失禁も問題となります。
■見過ごされやすい本当の原因
慢性咳嗽の原因として最も多いのが、副鼻腔炎やアレルギー性鼻炎による後鼻漏症候群です。鼻水が喉に流れ落ちることで起こる咳で、朝起きた時に痰がからむ咳が特徴的です。鼻づまりや、においがわからない症状を伴うことが多く、上を向いたり仰向けに寝たりすると悪化します。
咳喘息も日本人に非常に多い原因です。典型的な喘息のような「ゼーゼー、ヒューヒュー」という音はありませんが、咳だけが続きます。季節の変わり目、冷たい空気、運動、ストレスで悪化し、夜間から早朝にかけて症状が強くなるのが特徴です。家族にアレルギー疾患がある人や、子供の頃に喘息があった人は特に注意が必要です。最新の専門ガイドラインでは、喘息性咳嗽という分類に含められています。
さらに、最も見過ごされやすいのが胃食道逆流症による咳です。胃酸の逆流による咳は、胸やけなどの症状がなくても存在することがあります。食後、前屈み、夜間に悪化するのが特徴で、逆流性食道炎の薬だけでは不十分なことが多く、食事指導や生活習慣の見直しが非常に重要となります。
注意が必要なのは、咳の原因が複数同時にあるケースがよく見られることです。例えば、軽度の喘息と胃食道逆流が同時に存在し、どちらも咳の原因となっている場合があります。また、最初の原因は治癒したが、咳反射が過敏になってしまい、咳だけが残ることもあります。また、長引く咳の場合、肺がんなどの悪性疾患が隠れていることもあるので、特に喫煙歴のある方、血痰や体重減少を伴う方、8週間経っても咳が治らない場合は、医療機関をぜひ受診して頂ければと思います。
■よくある誤解と咳過敏症候群
「夜間は咳が少ないから精神的なものではないか」という誤解も見られますが、これは多くの咳に共通する特徴です。実際には、横になることで症状が軽減する咳も多く、これは重力の影響や自律神経の変化によるものです。
近年注目されているのが「咳過敏症候群」という概念です。これは、咳をコントロールする神経が異常に敏感になってしまった状態で、警報装置が故障して、ちょっと刺激を感知しただけすぐ鳴り響くような状況です。新型コロナなどの感染症が治った後も、神経系が警戒態勢のままになってしまうのです。
そうなると、「電話で話すと咳が出る」「笑うと咳込む」「冷房の効いた部屋に入ると咳が止まらない」「深呼吸しただけで咳が出る」といった症状が出てきます。最もつらいのは「咳をしたい衝動」で、蚊に刺され、かゆい部分を掻きたくなるのと同じように、どうしても咳をしないと我慢できない感覚に襲われますが、咳をしても一時的にしか楽にならず、すぐに衝動が戻ってきます。
咳が原因でうつや不安を生じることもあります。身体的な原因による咳が長期間続くことで、二次的に心理的な問題が生じるのです。このため、心理的な要因だけに注目するのではなく、身体的な原因の注意深い診察や検査が重要となります。
■咳症状に対する診断と治療
咳が長引く時は「そのうち治るだろう」と考えず、8週間以上続いたら必ず医療機関を受診してください。市販の咳止め薬では根本的な解決にならないことが多く、かえって診断を遅らせることもあります。
医師に相談する際には、咳の特徴や起こる時間帯、きっかけとなる行動(会話・食事・運動など)を詳しく伝えることが診断の手がかりとなります。現在服用中のすべての薬(市販薬、サプリメント含む)、アレルギーの有無、家族歴なども重要な情報です。
受診前の準備として、やっている方はほとんどおられませんが、もし可能であれば咳日記をつける手もあります。いつから始まったか、どんな時に悪化するか、どんな音の咳か、痰の有無や色、随伴する症状、服用中の薬、アレルギーの有無などを詳細に記録しておくと医師とのやりとりがスムーズです。スマートフォンで症状がひどい時の咳の音を録音しておくことまでやっておくと、医師にとって貴重な情報源となります。
慢性咳嗽の診断には、まず原因をきちんと探すことが最優先です。医療機関で胸部X線・CT検査、肺機能検査、血液検査、痰の検査などを通じて原因となる疾患を特定します。専門的な気管支誘発試験や呼気NO測定により、潜在的な喘息を見つけられることもあります。
しかし、一般的な検査で原因がわからない場合もあります。このような時は紹介状を書いてもらい、呼吸器内科の専門外来を受診することもよいでしょう。大学病院や基幹病院では、より詳細な検査や治療法を受けられる可能性があります。
上記に挙げた咳の症状に関する治療については、考えられる原因に応じて薬を選ぶことになります。
● 後鼻漏による咳:まず鼻と副鼻腔の炎症を鎮めることが治療の第一歩
● アレルギー性鼻炎が背景にある場合:抗ヒスタミン薬や点鼻ステロイドが処方されることが多く、鼻水の産生を抑え、粘膜の腫れを改善。
● 副鼻腔炎が疑われるとき:必要に応じて抗菌薬の投与や副鼻腔洗浄が行われることもあります。鼻水が喉に落ちてこないようにすることで、咳の刺激そのものが減少し、次第に咳も落ち着いていきます。時に、鼻の奥の構造や粘膜の状態を確認するため、耳鼻科での内視鏡検査が治療方針を左右する鍵になります。
● 咳喘息の場合:気道の過敏性を抑えることが目標。ここで主役となるのが、吸入ステロイド薬(ICS)です。肺に直接薬が届くことで、炎症を和らげ、咳の発作を予防する効果が期待されます。症状が強い場合には、気管支を広げるβ2刺激薬を併用することもあります。
治療は数週間単位で続けることが基本で、効果が出始めるまで時間がかかることもしばしばです。したがって、途中でやめず、医師の指導のもとで継続することが大切です。
一方、胃食道逆流症による咳の治療は、薬以外の要素も重要です。
● 胃食道逆流症による咳の治療:単に胃酸を抑えるだけでは不十分なことが多く、生活習慣の見直しが欠かせません。確かに、プロトンポンプ阻害薬(PPI)などの薬で胃酸の分泌を抑えることは基本ですが、それ以上に重要なのが、「逆流を起こさない身体の状態をつくる」ことです。
具体的には、食後すぐに横にならない、寝る前3時間は何も食べない、脂っこいものやカフェインを控える、太り過ぎに気をつけ体重を適正に保つなどの行動が、治療効果を大きく左右します。前かがみになる姿勢や、ベルトの締めすぎも逆流を悪化させる原因になりうるため、日常のちょっとした癖を見直すことが、咳の改善への鍵になるのです。
こうしたそれぞれの治療がうまく機能しても、咳だけがしつこく残るケースがあります。そのときには、咳そのものに対する感受性、いわゆる咳反射の過敏さを調整する治療が必要になります。音声療法(スピーチセラピー)や神経調整薬(ガバペンチン、アミトリプチリンなど)といったアプローチも検討される場合もありますが、いずれにしても、原因をひとつひとつ丁寧に洗い出し、組み合わせて治療していく姿勢が、慢性咳の克服には欠かせません。
■日常生活でできる咳対策
薬物治療と並行して、日常生活の工夫でも咳を軽減することができます。
最も基本的で重要なのが環境の改善です。
● 室内の湿度を50~60%に保つことで、乾燥による気道刺激を防げます。加湿器を使用し、空気清浄機でダニ、ハウスダスト、花粉を除去しましょう。特に寝室の環境は重要で、寝具をこまめに洗濯し、ダニ対策製品を使用することをお勧めします。なお、スギ花粉やダニに対し、検査でアレルギーが確定された場合は、数年の時間がかかりますが舌下免疫療法もお勧めの治療法です。アレルギー体質を改善することで、咳にも効果が期待できます。
● 胃食道逆流症による咳がある場合は、食事内容と食べ方が治療の鍵となります。就寝3時間前までに食事を済ませ、一度に大量に食べず、少量ずつ回数を分けて摂取することが重要です。脂っこいもの、香辛料、柑橘類、トマト、チョコレート、コーヒー、アルコールは逆流を悪化させる可能性があるため控えめにし、バナナやメロンなどのアルカリ性食品は胃酸を中和する効果があるので取り入れてもよいでしょう。夜間の咳がひどい場合は、上半身をやや起こして寝ることや、左側を下にして寝ることで改善することがあります。
● のどのケアとしては、こまめな水分補給で乾燥を防ぎ、意外なところでは、はちみつを活用することも効果的です。はちみつは天然の咳止め効果があり、お湯に溶かして飲んだり、そのまま舐めたりすることで、のどの炎症を和らげます。過度な期待はできませんが、医学論文でも通常ケアより症状を改善し、一般的な咳止めと同じくらいの効果があったと報告されています。ただし、1歳未満の乳児には与えてはいけませんし、摂り過ぎはカロリー過多にもなるので要注意です。
● 正しい呼吸法を身につけることで、咳の頻度を減らすこともできます。鼻呼吸を心がけ、4秒かけて鼻から息を吸い、4秒息を止め、8秒かけて口から息を吐く腹式呼吸を1日数回行うことで、気道の過敏性をある程度和らげることができます。
●家族のサポートも治療成功の重要な要素です。慢性咳嗽は決して「気のせい」や「神経質」によるものではなく、病気であることを理解し、患者を責めたり「気にしすぎ」と言ったりせず、共感的な態度で接することが大切です。医療機関への付き添い、薬の管理の手助け、環境整備への協力、ストレス軽減のための家事分担などが具体的なサポート方法となります。
慢性咳嗽はなかなか困った病気ですが、理解を深めればコントロールが可能で、多くの場合大幅に改善できる病気でもあります。患者さん一人ひとりが異なる病状を持ち、最適な治療法も個人によって違います。あきらめずに医師と協力し、自分に合った治療法を見つけることが最も重要だと言えるでしょう。
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谷本 哲也(たにもと・てつや)
内科医
鳥取県米子市出身。1997年九州大学医学部卒業。医療法人社団鉄医会理事長・ナビタスクリニック川崎院長。日本内科学会認定内科専門医・日本血液学会認定血液専門医・指導医。2012年より医学論文などの勉強会を開催中、その成果を医学専門誌『ランセット』『NEJM(ニューイングランド医学誌)』や『JAMA(米国医師会雑誌)』等で発表している。
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(内科医 谷本 哲也)