■「あの選挙はいったい何だったのか」
酷暑の中、実施された参議院選挙から早いもので1カ月が過ぎた。日本列島は依然として酷暑が続いているが、物価高も、消費者物価指数が前年同月比で3%余り上昇する「酷高」状態にある。これに政治は全く手を打てていない。
「1人2万円給付(低所得者と子どもは4万円)」を掲げた自民党は選挙で大敗し、全国民への一律給付案は見直されるとの報道も出始めた。そして旗振り役だったはずの石破茂首相(総裁)は、近く退陣を余儀なくされる可能性が極めて高い。
一方、過半数を獲得した野党も、公約の柱にしてきた消費税減税で、「食料品をゼロに」「一律5%に」「いやいや全てをゼロに」とまとまらず、結局、給付も減税も見通しが立たないまま、自民党総裁選挙の実施によって政治的空白が生じるリスクが高まっている。
「あの選挙はいったい何だったのか……」
とは、石破首相に退陣を求めている自民党・旧安倍派の衆議院議員の弁だが、識者からも、何ら物価高対策が進まない現状に批判の声が聞かれる。
■結局、トクをしたのは財務省だけ
◇荻原博子氏(経済ジャーナリスト)
「与党の過半数割れで2万円の給付はなくなり、消費税減税の話も野党でバラバラ。つまり、選挙で最大の争点だった物価高対策が、選挙後に飛んでしまったということです。肝心の自民党は総裁選挙モードで何の経済対策も打てていません。給付も減税もしなくて済む財務省だけが大喜びですよ。物価だけじゃなく、自動車保険とかも上がっているのに、と思うと、私だって、あの選挙は何だったの?と言いたくなりますよ」
◇加藤出氏(東短リサーチ社長・チーフエコノミスト)
「物価高対策は日銀が主導して対処すべき問題。
■参院選で大敗した理由を理解していない
7月20日に投開票が行われた参議院選挙の投票率は58.51%。この数字は3年前の参議院選挙より6.46ポイントも高い。これは、すでに多くのメディアが分析しているように、現役世代をはじめ、18歳と19歳の若者たちまでもが、物価高に危機感を覚え、投票所に足を運んだためだ。
それにもかかわらず、物価高対策をおざなりにし、「ポスト石破」で動き出している自民党の国会議員は現状をどう見ているのだろうか。
◇前述の旧安倍派衆議院議員
「選挙で民意が示された以上、石破首相には責任をとってもらう必要があります。私は新体制のもとで野党の皆さんの理解も得ながら、確かに給付は難しいかもしれませんが、物価高対策やガソリン暫定税率の廃止など協議していきたいと思っています」
筆者は「現役世代は泣いています。早くお願いします」と返すしかなかったが、誰に取材をしても、「なぜ自民党は負けたのか」という分析が甘い。
■また参政党、国民民主党に惨敗するだけ
9月上旬にまとまる参院選総括委員会の報告書では、躍進した参政党や国民民主党に比べ「SNS対策が弱かった」や「政治とカネの問題が響いた」といった要因が挙げられるだろう。
しかし、根本はそこじゃない。
そこが理解できていなければ、誰が次の首相(総裁)になろうと、支持率は回復せず、どの野党と連立もしくは部分連合を組もうと足元を見られて妥協を迫られ、解散総選挙すら打てなくなるだろう。
仮に解散できたとしても、「日本人ファースト」を掲げ「そうだよね!」と思える方向に導くのが巧みな参政党と、愚直なまでに「手取りを増やす」を主張し続けている国民民主党に惨敗するだけだ。
■現役世代はもう自民党に期待していない
8月に実施されたNHKの政党支持率調査では、18歳~39歳の男女で、国民民主党が19.4%、参政党が16.1%だったのに対し、自民党はわずかに10.5%にとどまった。
働き盛りの40代で見ても、自民党14.1%、参政党12.5%、国民民主党11.7%と3政党が拮抗した。
自民党にはこの現実を直視しながら次の総裁選びを進めてもらうしかないが、実際は、派閥政治時代と同様、麻生太郎最高顧問(84)と森山裕幹事長(80)の、ともに80歳を超えた長老によって、誰が勝つか、総裁選挙後の連立政権の枠組みがどうなるかが左右されることになる。
■結局、「長老たち」がカギを握っている
◇麻生氏が主導権を握る場合
総裁候補に、高市早苗前経済安保相(64)か小林鷹之元経済安保相(50)を擁立し、国民民主党の榛葉賀津也幹事長とのパイプを活かし、国民民主党と連立を組む可能性が浮上する。
高市氏と国民民主党の玉木雄一郎代表(56)は積極財政論者で、財務省がもっとも望ましくないと考えているリーダーがこの2人である。
ただ、麻生氏は「高市氏では勝てない」と見れば、岸田文雄前首相(68)や茂木敏充前幹事長(69)、もしくは鈴木俊一総務会長(72)を担ぐかもしれない。
◇森山氏が主導権を握る場合
財政再建派の森山氏は積極財政派の高市氏とは相容れないため、林芳正官房長官(64)か小泉進次郎農水相(44)を総裁候補に推す。
森山氏は「年収の壁」問題で国民民主党の怒りをかったため、連立の相手は、小泉氏の背後にいる菅義偉元首相(76)の人脈を活かし、日本維新の会との連立を模索するとみられる。
こうした中、これまで犬猿の仲だった日本維新の会と国民民主党が、このところ「反石破」「反野田(立憲民主党の野田佳彦代表)」で足並みを揃え、「年収の壁を178万円に」や「社会保険料引き下げ」といった双方の政策を評価し始めている点には注目しておきたい。
マスメディアの多くは、「ポスト石破」について、「高市氏か小泉氏か」と報じているが、既述のとおり、舞台に上がる役者の顔ぶれはまだ定まっていない。
衆参ともに過半数割れを招いた自民党にとっては、総裁に選ばれた人物が首相指名選挙で当選するとは限らず、今回の総裁選挙は、総裁選挙で勝つ算段と同時に、勝った後、どの野党と組むかまで視野に入れた戦いになる。
■国民よりも党内の権力争いのほうが大事
仮に下馬評どおり、高市氏vs小泉氏になったとして、総裁選挙が前回同様、フルスペックであれば、保守層を参政党から取り戻したいと考えている議員や党員が推す高市氏が有利になる。
逆に、両院議員と都道府県連代表者による簡易的な投票になった場合は、小泉氏が優勢になる、と筆者は見ている。
現段階で2人に絞るのはかなり早計な話なのだが、分かりやすく言えば、麻生氏支配が強まれば、高市首相で自公国、森山氏支配が固まれば、小泉首相で自公維、という枠組みが誕生する可能性が出てくる。
筆者は政治ジャーナリストであるがゆえに、取材をもとに、永田町で囁かれている話を紹介しているが、「そこに国民の姿はあるの?」「昔の自民党のままの権力闘争じゃないの?」という思いは禁じ得ない。
1つ付記しておけば、一部でうわさされてきた自民党と立憲民主党との比較第1党と第2党による大連立はあり得ない。あくまで石破首相と野田氏の密な関係性や政策の類似性から出た話で、小選挙区調整を考えれば、自公立という組み合わせは不可能だ。
■石破首相が居座り続ける大きな代償
いずれにしても、物価高、コメ価格高騰、高止まりのガソリン価格で実入りが減っている世代にとっては、誰が首相であろうと早く対策を講じてほしいというのが一番の願いだ。
それでも、民主主義は選挙結果がすべてだ。石破政権発足直後の衆議院選挙での敗北はともかく、9カ月もの間、政権を担っての参議院選挙での敗北は、首相自身の責任でもある。
大敗後、ただちに辞意表明をしなかった石破首相の姿勢は、その理由はどうあれ「遅きに失した」と言うほかない。早期に退陣していれば、総裁選挙⇒新内閣発足までのロスが防げ、大規模な経済対策が講じられたはずである。
早急に対策が必要なのは物価高だけではない。少子化が進み、1年間に90万人以上の人口減少(香川県1県分に相当)に見舞われている問題への対応、トランプ関税で生じる各産業の痛みへの対策など、喫緊の課題は枚挙にいとまがない。
辞めるべき人はさっさと辞め、迅速に次の人を選び、特に現役世代の悲鳴に耳を傾けてもらいたいものである。
----------
清水 克彦(しみず・かつひこ)
政治・教育ジャーナリスト/びわこ成蹊スポーツ大学教授
愛媛県今治市生まれ。京都大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得満期退学。文化放送入社後、政治・外信記者。米国留学を経てキャスター、報道ワイド番組プロデューサー、大妻女子大学非常勤講師などを歴任。専門分野は現代政治、国際関係論、キャリア教育。著書は『日本有事』、『台湾有事』、『安倍政権の罠』、『ラジオ記者、走る』、『2025年大学入試大改革』ほか多数。
----------
(政治・教育ジャーナリスト/びわこ成蹊スポーツ大学教授 清水 克彦)