中国人観光客が日本を訪れる目的は何か。静岡大学の楊海英教授は「中国人は、旅行中に外国の文化を学ぼうという謙虚な姿勢があまりない。
奈良の大仏や京都の神社仏閣が人気なのは、失われた古代中国の文化を見たいからだ」という――。
※本稿は、楊海英『中国共産党 歴史を書き換える技術』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を再編集したものです。
■「観光」とは外国の文化を学ぶことだが…
「定住者」としての中国人富裕層による影響が指摘される一方で、短期滞在の「観光客」として訪れる中国人についても、改めて考察しておく必要がある。
まずはじめに、「観光」という言葉について触れておくと、日本人は、この漢字熟語が中国語でもそのまま使われていると考えがちだが、実際には中国では「旅游(リューヨウ)」という言葉が使われる。直訳すると、「旅して遊ぶ」といった意味合いとなり、つまりはレジャー目的での旅を指す言葉として解釈されている。
興味深いことに、「観光」という言葉自体は、実は日本で生まれた和製漢語である。日本は明治時代、西洋の概念や制度を取り入れる中で、それらを翻訳するために新たな言葉を数多く創出した。たとえば、「社会」「経済」「哲学」「概念」「個人」など、現代の日本で当たり前に使われている多くの言葉は、当時の日本で生まれたものだ。
ちなみに、現在の中国の正式国名「中華人民共和国」に含まれる「人民」と「共和国」という語も、いずれも和製漢語である。中国はこの言葉を日本から、いわば“逆輸入”した形となる。
「観光」という言葉の概念を辿ると、その起源は孔子の編纂と伝わる歴史書『春秋』にまで遡る。明治期の日本の言語学者たちは、英語の「ツーリズム」に相当する訳語を求める中で、その淵源を紀元前の中国に見出したのだろう。
いずれにせよ、孔子が述べた「観光」の本義は、「他国の光を見る」、すなわち外国の優れた文化や制度を観察し、それを自国の発展に役立てるという意味であった。
■中国人観光客の目的は「旅して遊ぶ」
一方、日本において娯楽的な旅行の概念が広まったのは、江戸時代にさかのぼる。それまでの旅は、武士による参勤交代や宗教的な巡礼といった公的な性格が強かったが、江戸時代の安定した社会情勢や経済発展などを背景に、娯楽的な旅行が市井に広まっていく。この時期に登場した「物見遊山」や「道中」、「名所巡り」といった言葉は、その旅の文化を表現するものとなった。
こうして徳川幕府の時代に広まった観光旅行の文化は、次第に日本独自のツーリズム文化として定着したとされている。言うまでもなく、お伊勢参りなどに代表される日本の「観光」には、文化に対する敬意や学びの姿勢が根底にあることが前提となっている。
中国における「旅游」の概念は、あくまで「旅して遊ぶ」ことのみを目的としており、「他国の文化を学ぶ」といった謙虚な姿勢とは異なる。
中国人旅行者が日本人の期待する「観光」のあり方に必ずしも沿うわけではなく、さらに言えば、日本人の持つ概念を、彼らが同様に理解していると考えること自体が誤りなのである。この認識の相違こそが、中国人観光客と世界中の観光地との間に文化的摩擦を生じさせる要因となっている。
■奈良・京都は「失われた中国文化」という認識
私たちが知っておくべきは、中国人が「旅游=旅して遊ぶ」という行動様式を取る背景に、特異な心理的動機があるということだ。たとえば、日本の観光地では奈良や京都、そして大阪や東京などが高い人気を誇る。
中でも、奈良と京都は中国人旅行者に特別な評価を受けているが、彼らはそこに「日本とは何か」を求めているわけではない。
中国人にとって、奈良や京都は「失われた中国の文化」が色濃く残る場所であり、その心理的な回帰を旅の目的としているのである。
事実、中国の旅行会社のパンフレットやウェブサイトでは、「京都には失われた古代中国の文化が息づいている」「古き良き中国を見に行こう」といったキャッチコピーが頻繁に登場する。
■日本独自の文化を学ぼうとはしていない
彼らが日本を訪れるのは、「かつて自らが失った光」を異国の地で再び目にするためであり、そこに「他国から学ぶ」という謙虚な姿勢はほとんど見られない。
奈良の大仏や東大寺を目の当たりにして感動し、京都の神社仏閣に懐かしさを覚える中国人観光客の心理の根底には、中国古典『漢書』に記された「礼失而求諸野(礼失われてこれを野に求む)」という思想がある。
この言葉は、礼儀や作法が失われた際、それを辺境で回復すべきだという意味を持ち、中国文化が常に中心にあるという認識を反映している。つまり、古代文化の痕跡はもはや「中心」にはなく、「周縁」に残されているという考え方である。
失われた文化を探し求める対象として、モンゴル高原や中央アジアではなく、日本や朝鮮半島が選ばれるのはそのためだ。中国文化を継承する優れた例として見るだけでなく、礼儀正しさや道徳的な振る舞いも「中国文化を受け継ぐ者として当然の姿」と解釈される。
結局、中国人観光客が求めているのは、「日本独自の文化」ではなく、「中国文化の一部が息づいている日本」の姿である。そのため、出雲大社や伊勢神宮を訪れる発想は浮かばず、八百万の神を信仰の中心とする日本人の精神性にも関心を示すことはほとんどない。
こうして考えてみると、中国人が日本の本質を理解することは、もはや期待すべきものではないと私は考えている。
■日本旅行は「ダークツーリズム」の一環
中国人観光客の行動は、観光学の枠組みで分類するならば、一種の「ダークツーリズム(Dark Tourism)」に近い性質を持つと私は考える。

ダークツーリズムとは、戦争、災害、迫害といった人類の負の歴史を辿る観光形態であり、ポーランドのアウシュヴィッツや、広島の原爆ドームなどがその代表例とされている。
しかし、中国人観光客における独自の「ダークツーリズム」は、訪問先の歴史的文脈に基づいて形成されているわけではない。むしろ彼らは、自国の価値観を基準に他国の文化を一方的に「闇」と見なし、その前提のもとに訪れる傾向が強い。
■日本の闇を糾弾するために靖国神社へ
靖国神社は、その典型例である。彼らは、神道の精神や戦没者を慰霊するという歴史的背景には目を向けず、初めから靖国を「日本の侵略の象徴」「悪の施設」と断定し、糾弾の対象として訪れる。結果として、靖国参拝は「日本の闇を暴き、糾弾する」ための行為へと変質してしまう。
日本人にとって精神文化の象徴のひとつである靖国神社も、中国人観光客の視線では、最初から「負の遺産」として再構成されている。こうした先入観に基づく観光行動は、いわば「政治的ダークツーリズム」と呼ぶべきものであり、その背後には文化理解ではなく、糾弾と支配の論理が潜んでいる。
日本政府は「観光立国」を掲げ、「クールジャパン」政策を通じてアニメやマンガ、和食、伝統建築といった日本固有の文化を世界に発信し、それらを目的とした訪日を促進している。
しかし現実には、中国人観光客の多くは日本文化への純粋な関心ではなく、自国の栄光を日本に投影するかたちで満足を得ようとする。その延長線上に、靖国神社を「日本の闇」と見なし糾弾の対象とする姿勢があるのだ。
■着物を着ただけで非難され、拘束される
もちろん、すべての中国人観光客がそのような意識を抱いているわけではない。
なかにはアニメや着物に憧れ、日本文化を純粋に楽しもうとする若者も少なくない。
だが、そうした態度は中国国内ではしばしば否定的に受け取られ、社会的非難や排除の対象とされる。実際、着物姿の写真をSNSに投稿した若者が「侵略者の服を着た」と批判され、治安当局に拘束される例すら報告されている。
このような現実を踏まえると、たとえ個人が異文化に好意を抱いていたとしても、それが公然と許容されにくい社会的・政治的圧力が存在していることは明らかである。したがって、現代の中国人観光客の行動を理解するには、単なる個人の趣味や興味ではなく、その背後にある国家的価値観と社会的規範を見据える必要があるということだ。

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楊 海英(よう・かいえい)

静岡大学教授/文化人類学者

1964年、南モンゴル(中国・内モンゴル自治区)出身。北京第二外国語学院大学日本語学科卒業。1989年に来日。国立民族学博物館、総合研究大学院大学で文学博士。2000年に帰化し、2006年から現職。司馬遼太郎賞や正論新風賞などを受賞。著書に『逆転の大中国史』『独裁の中国現代史』など。


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(静岡大学教授/文化人類学者 楊 海英)
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