※本稿は、堀田秀吾『燃えられない症候群』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。
■心に火がつかない「燃えられない症候群」
本書のタイトルは「燃えられない症候群」です。
「そんなことば、聞いたことないぞ?」と違和感を覚えた方もいるかもしれません。
それもそのはず。これは私の“造語”だからです。
とはいえ、ただのことば遊びではありません。この名前には、「どうしても伝えたかった思い」が込められているのです。
燃えられない症候群とは、
「本当は何かに夢中になりたい。自分なりに懸命に動いてもいる。それなのに、なぜか心に火がつかない」
そんな状態を指します。
よく似たことばに「燃え尽き症候群」がありますが、両者は全く違います。
燃え尽き症候群は、一度は強く燃え上がり、すべてを出し切った末に、力尽きてしまう状態。燃えられない症候群は、そもそも火をつけることに苦戦している状態です。
燃えたい気持ちはあるのに、なぜか心に火がつかない。燃え尽きたわけじゃないのに、なぜか燃えられない――そんなもどかしさを抱えているのです。
■高度経済成長期はバリバリ働いていたのに…
そして、燃えられない症候群にあたる人たちは、決して1つのタイプだけではありません。
たとえば、
● 毎日努力しているのに、燃えている実感が湧かない人
● 少ない労力で結果を出すことを優先し、燃えることを遠ざけてしまった人
● 昔は何かに夢中になれたのに、今はその感覚を取り戻せずに困っている人
● リスクを避けて生きてきたため、過去に燃えた経験がない人
● コロナ禍や社会変化で、燃えるきっかけを失ってしまった人
● まわりと比べて「どうせ自分なんて」とあきらめてしまう人
● 「やらなければ」では動けるが「やりたい」が見つからない人
もちろん、燃えられないタイプはこの7つだけではありません。そして理由も人それぞれ。複数の理由が重なっている場合もあるでしょう。
第二次世界大戦の終戦以降、日本では敗戦から立ち直るために、みんながバリバリ働いていました。特に、1950年代後半から1970年代前半にかけての高度経済成長期は、日本中が「がんばって働くこと」にまっしぐらでした。
朝から晩まで働き、休日も返上して会社のために尽くす。そんな姿が当たり前のように広がっていた時代です。
ここで1つの疑問が生まれます。
なぜ、誰もがそこまでがんばることができたのでしょうか?
■「仲間外れはイヤ」という動物的本能
その頃だって、「がんばりたくない」と思う人は、たくさんいたはずです。
もちろん「豊かになりたい」「生活を良くしたい」という個々人の願いもあったとは思います。でも、それだけでがむしゃらにがんばり続けられるものでしょうか?
そこにはもう1つ、大きな力が働いていました。
「規範的影響」という原理です。
規範的影響とは、社会心理学者モートン・ドイッチとハロルド・ジェラードが考え出した概念で、「好かれたい」「仲間外れにされたくない」という気持ちから、周囲に合わせてしまう心理のことです。
人間は生存に有利に働くよう、集団で生きるように進化してきた動物です。そのため、人とつながることに快感を覚えたり、「周囲に受け入れられたい」と自然に思ったりする本能があります。
また、仲間外れにされることを恐れる感情も持っています。私たちの祖先にとって、集団の一員でいることは食糧確保や身の安全に直結していました。そのため、こうした本能的な感情が進化の過程で発達したのです。
■がんばっていない人は「悪」とする空気
日本が大きな経済成長を遂げていた当時は、一生懸命働くことが社会全体の「空気」となり、それが「暗黙の了解」として浸透していました。
誰かから直接命令されたわけではないものの、社会の“雰囲気”そのものが、人々を同じ方向へと自然に導いていたのです。
「みんなががんばっている」──それは、単なる個人の意思ではなく、規範的影響による、社会全体が生み出した大きな流れでした。
また、もともと日本は楽をするより苦労をすることが尊いとされる文化だったことも影響していそうです。
日本では、挨拶をするときに、欧米のように「自分はハッピーだ」「楽しんでいる」と伝えることは妬みの対象になることがあります。
「体のどこそこが痛い」「家族が大変だ」「仕事が忙しい」など、「自分は大変なんだ」と言わないと角が立つ、世界的に見ると不思議な文化圏なのです。
つまり、苦労していない人、がんばっていない人は「悪」とされがちなのです。
■いまの日本は燃えずとも生きていける
さらに、かつての日本では、いわゆる「ご近所付き合い」を含む濃いコミュニティが形成されて、小さな相互監視社会がそこかしこにありました。
「お隣の○○さんは必死に働いているのに、お前は怠けてばかり……」などと家族から尻を叩かれ、いやいやがんばっていた人も多かったはずです。
昔は情熱を持って打ち込むことが「正解」とされる空気の中で、燃えること自体が一種の「社会的義務」のように機能していたのです。
一方、現代の日本は「豊かな国」です。ある程度貧しい家庭であっても、20代、30代で亡くなる人は大幅に減っています。
さまざまな物事が便利に、安全になり、わざわざ燃えずとも生きていける。
だから脳は、現状維持バイアスも相まって、みなさんを「燃えない方向」に引っ張っていくわけです。
ですから、燃えられないのは当たり前です。
■有事に「備える」選択を優先せざるを得ない
さらに、現代は燃えづらくなる要素がまだ控えています。
それが「不安」です。
現代の日本では生存の危機はありませんが、代わりに漠然とした不安に包まれています。
コロナ禍で社会の土台が揺らぎ、戦争やエネルギー問題、自然災害のリスクも身近になりました。
かつて当たり前だった終身雇用制度も崩れ、将来の働き方や老後の生活に不安を抱く人も少なくありません。
さらに、物価は上がり続ける一方で、賃金はなかなか伸びず、生活苦に悩む人も増えています。
こうした「すぐに死ぬわけではないが、将来が読めない」状況が、現代人特有のストレスを生んでいます。
そんな不安が蔓延すると、多くの人が「燃える」よりも、有事に「備える」選択を無意識にしてしまうのです。
しつこいようですが、燃えられないことを恥じる必要はありません。
燃えていない人の多くは、「何もしていない」わけではない。
これは決して怠惰ではなく、不確実な時代を生き抜くための自然な防御反応です。この仕組みを理解することが、「燃える」への第一歩となります。
■大量の情報にさらされている現代人
さらにいえば、現状を維持する変化のなさは、安心の理由にもなります。
わかっていることを繰り返し行うことで、私たちの脳はその行動を自動化し、エネルギー消費を最小限に抑えようとします。
たとえば、毎晩歯磨きをしてから就寝することが習慣化されている人は、その一連の動作をほとんど無意識に行えるようになります。
この仕組みにも、脳の進化が関わっています。
旧石器時代において貴重だったエネルギーの節約は、現代の私たちにも生命維持に必要な本能として残っているのです。
人間を燃えにくくする、現代社会の構造的な要因がもう1つあります。
それが、「情報過多時代」の到来です。
アメリカの建築家リチャード・ワーマンは、著書『Information Anxiety』(Doubleday刊)で、ニューヨーク・タイムズの1日分の情報量は、17世紀の平均的なイギリス人が一生で得るものより多いと述べています。
また、アメリカの社会心理学者スタンレー・ミルグラムは、人間は大量の情報にさらされると、「過剰負荷環境」に陥りやすくなると指摘しました。
■「とりあえずやってみる」が奪われてしまう
その状況を回避しようとする行動や考え方を「退避症候群」と名づけ、以下の4つの特徴を挙げています。
①情報を短時間で処理する
②他者との接触を必要最低限にする
③重要度の低い情報は無視する
④責任を人に負わせ逃避する
この①~④の行動は、「燃える」との相性が良くありません。
あまりに多くのニュース、意見、選択肢が押し寄せると、人は考えたり行動したりすること自体をあきらめ、ただ現状に留まろうとする傾向が強まります。
情報量が多い時代は、構造的に人間が燃えにくくなってしまう。だから、「とりあえずやってみよう」という気楽な気持ちすらも奪われるのです。
実際、この4つのどれかを日頃からやってしまっている方もいるのではないでしょうか。
現代人は日常的に多くの選択を迫られ、「決断疲れ」に陥りやすいといわれています。
ワーマンの著書は1989年刊行、ミルグラムは1933年生まれ、1984年没の人物です。現代ではスマートフォンやSNSの普及により、情報量はさらに爆発的に増えています。そうなるより前の時代から、多すぎる情報量のデメリットが問題視されていたわけです。
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堀田 秀吾(ほった・しゅうご)
明治大学法学部教授、言語学博士
1999年、シカゴ大学言語学部博士課程修了(Ph.D. in Linguistics、言語学博士)。2000年、立命館大学法学部助教授。2005年、ヨーク大学オズグッドホール・ロースクール修士課程修了、2008年同博士課程単位取得退学。2008年、明治大学法学部准教授。2010年、明治大学法学部教授。司法分野におけるコミュニケーションに関して、社会言語学、心理言語学、脳科学などのさまざまな学術分野の知見を融合した多角的な研究を国内外で展開している。また、研究以外の活動も積極的に行っており、企業の顧問や芸能事務所の監修、ワイドショーのレギュラー・コメンテーターなども務める。著書に『特定の人としかうまく付き合えないのは、結局、あなたの心が冷めているからだ』(クロスメディア・パブリッシング/共著)、『科学的に元気になる方法集めました』(文響社)、『最先端研究で導きだされた「考えすぎない」人の考え方』(サンクチュアリ出版)、『図解ストレス解消大全』(SBクリエイティブ)など多数。
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(明治大学法学部教授、言語学博士 堀田 秀吾)