■伊東市長の学歴詐称はもはや「疑惑」ではない
田久保市長は、東洋大学を卒業していない。市長みずから「除籍」と認めているし、東洋大学も、そのように発表しているからである。
田久保氏は、8月13日の伊東市議会の百条委員会で、「除籍である、つまり卒業していないという事実を知ったのは(2025年)6月28日」と答弁している(テレしずニュース「百条委に田久保市長が出頭も何ひとつとして解明ならず 除籍を知ったのは6月28日の一点張り 証言を拒否する場面も散見 事実上の“ゼロ回答”『真実を語っているとは思えない』」2025年8月13日18時16分配信)。
また、東洋大学は、8月6日に「本学に係る報道について」との声明を出し、次のように述べている。
近時、本学をめぐる度々の報道に接していますが、本学では個人情報の適切な管理及びプライバシー保護を念頭に、法令及び学則その他の学内規則に従って、厳正に対応しています。
本学学則では、卒業した者に、卒業証書を交付することとしており、卒業していない者に対して卒業証書を発行することはありません。
本人も大学も「卒業していない」と確認している以上、もはや、学歴詐称「疑惑」ではない。単なる「学歴詐称」である。すると、田久保市長は、すぐに辞職しなければならないのか。実は、そう単純ではない。
■「学歴詐称」問題は意外と長引きがち
産経新聞がまとめている通り、「政治の世界では過去にも多くの学歴詐称疑惑が取りざたされてきた」(「ペパーダイン大、サッチー…政治における学歴詐称疑惑 虚偽事項公表なら公選法違反罪も」産経新聞2025年7月2日14時41分配信)。
たとえば、民社党(当時)から参院選に出馬、当選した新間正次氏は、在宅起訴後、有罪判決が確定し、その身分を失うまで2年を要している。ほかにも、起訴猶予処分になったり、不起訴処分になったり、と、学歴を偽っていたとしても、職を追われたケースは多くはない。
警察や検察が捜査したとしても、逮捕や起訴すら一般的ではない。有罪となり失職まで行くとしても、かなりの時間を要するだろう。田久保氏が、そこまで高をくくっているかどうかは、わからない。
仮に、伊東市議会が市長の不信任案を可決したとしよう。すると、ジャーナリストの小林一哉氏が「プレジデントオンライン」で推測したように、出直し選挙になる。そして、兵庫県知事選と同じように、「オールドメディアが田久保氏を厳しく責め立てるほど、SNSを通じたボランティアが集まる構図が伊東市長選でも繰り返されるだろう」(小林一哉「学歴詐称疑惑の伊東市長は『第二の斎藤元彦』になる…出直し市長選で田久保氏の『返り咲き』が否定できないワケ」2025年7月15日8時配信)。
学歴詐称「疑惑」でなくなったのに、田久保市長が痛痒を感じていないように見える背景は、ここにある。開き直って居座る市長は困ったものだ、そう済ますというか、済ますほかないというか、それ以上でもそれ以下でもなさそうに見える。
それなのに、なぜ私たちは、ここまでこのニュースに耳目を奪われるのだろうか。
■コント「19.2秒だけ卒業証書を見せる市長」
私は、先月、プレジデントオンラインで、この件における「学歴」がポイントだと書いた(「なぜ人口6万人の伊東市長の『学歴詐称』が“祭り”になっているのか…東洋大学関係者だから気付いた根本原因」2025年7月11日6時配信)。
このニュースが学歴詐称にとどまらず、さまざまなネタを提供してくれているのは確かである。卒業証書の「チラ見せ」はコントのように面白く、すでにコントにもなっているほどである(スケッチブック「19.2秒だけ卒業証書を見せる市長【コント】」2025年8月17日配信)。
あるいは、百条委員会で、四宮和彦委員(伊東市議会議員)から、仮に田久保市長に正当性があるのなら、と仮定した上で、「東洋大学が悪いに決まっている」、「東洋大学は悪の組織と言っていいくらい」と発言した。これに対して、市長が市議会に対して東洋大への謝罪を求めたのである。
この「悪の組織」発言と、それについての謝罪要求については、もうコントを通り越して脱力するほかないのだが、それでも、伊東市議会議長が、東洋大に謝罪文を送付するように、常に「ネタ」を提供してくれている。
メディアにとっては、「夏枯れ」とも呼ばれる8月のニュースが少なくなる時期に、絶え間なく話題を供給してくれているから、ここまで報じられ続ける。それだけなのだろうか。
■人口6万人の伊東市に注目が集まるワケ
伊東市は、東京に近い観光地として知られている。田久保氏が訴えてきた「図書館建設計画の中止や、メガソーラー計画の白紙撤回」は、争点ではあるものの、地域住民の生死にかかわるほどとは言いがたいのではないか。
伊東市は、人口減少と高齢化の2つが同時に進む典型的な地方都市である。2005年の7万2441人をピークに人口は減り続け、2025年7月末現在では6万3798人(うち外国人1155人)にまで、10年間で約8000人のマイナスである。
図書館やメガソーラーといった、賛否が別れがちなテーマよりも、人の数が少なくなり、高齢者の割合が増えるなかで、どのように行政の舵を取るのか。そのほうが、伊東市民の関心事であるはずだし、また、そうあるべきだと言えよう。
だからこそ、伊東市の話題は、そこに住んでもおらず、かかわりのない大多数の人たちの関心を惹きつけるのではないか。
どこにでもありそうな都市で、しかし、どこにもいなさそうな、強情と言えば良いのか、変わっていると言うべきか、一筋縄ではいかない市長がいる。学歴がどうであろうと、すぐには刑事事件になりそうもなく、かといって、人々の生き死にに直結するほどの大問題とは言いにくい。
■ベストセラー『絶対「謝らない人」』
外野からすれば、適度に面白がれるし、適度に深刻な顔をして憂うる話題だから、発覚から1カ月半が過ぎてもなお、いや、過ぎて、ますます盛り上がっているのではないか。
おりしも書店では、心理学者の榎本博明氏による『絶対「謝らない人」』(詩想社新書)という本が売れている。心理学にとどまらず、日本文化に照らして、「謝らない人」を解き明かしている。
田久保氏は、どうか。なるほど、伊東市長として、学歴でウソをつきながらも、その点については謝罪していない。7月31日の記者会見の冒頭で、次のように発言している。
市民のみなさま、そして、関係者のみなさま、私の経歴の一部につきまして、たくさんのご不安やご心配をおかけいたしましたこと、ご迷惑をおかけいたしましたこと、失望を招いてしまいましたこと、それから、大きな混乱を招いてしまったことにつきまして、あらためまして、この場をお借りして、深く心からお詫びを申し上げたいと思います。本当に申し訳ございませんでした。(「【報告会】伊東市 田久保市長」田久保まき ちゃんねる☆)
■田久保市長は一応、謝ってはいるが…
あくまで、「ご不安やご心配」「ご迷惑」「失望」「大きな混乱」について「お詫び」をしているに過ぎない。「卒業した」としながら実際は除籍だった点については、何も言っていない。とはいえ、一応、頭を下げてはいるし、陳謝はしている。
この態度こそ、榎本氏が名付けた「謝らない謝罪」、すなわち「一見謝罪しているようでありながら、じつは謝っていない、偽りの謝罪」(同書63ページ)にほかならない。ここに、私たちがこのニュースに目を奪われ続けている理由がある。
もし、田久保氏が、完全に「絶対『謝らない人』」であったなら、世論は、もっとヒートアップしていただろう。「なぜ辞めない」とか「責任をとれ」といった声でメディアが満たされていたに違いない。
けれども、彼女は、形の上(だけ)では、謝っている。この落差にこそ、私たちが怒りや戸惑いを覚えているのである。暖簾に腕押しであり、何を言っても手応えがなく、明後日の方向に答えを出す。
記者や市議会議員と、田久保氏とのやりとりを見ていて、私は、AIを思い出す。昨今では、多くのウェブサイトにAIによるチャット(ボット)が導入されており、簡単な質疑応答をしてくれる。あのAIは、果たして、どこまで私(たち)の質問に答えてくれているだろうか。
■「じゃない」感がクセになっている
たとえば、伊東市議会の百条委員会で、東洋大学の卒業証書のコピーを示されながら、自分のものと同じかどうか問われ、田久保市長は「問題ない」と答弁している。その後、追加の質問を経て、ようやく「同じと思って問題ないのではないか」と応じている。
質問に対してストレートに答えてはいないものの、答えていないとか、間違った返答をしているわけではない。それなのに、何か違和感を覚えさせる。開き直りとも違うし、サイコパスと呼ばれるほどの、根っからの嘘つきではないように映る。この、「じゃない」感は、私(たち)が日常で使っているAIとのやりとりで抱く感覚に通じるのではないか。
ただAIは、それも優秀なAIであれば、瞬時に的確な返事をしてくれる。時には、想定を超えた優れた返しもある。
対する田久保市長は、どこまでも、自分本位である。AIが、プロンプト(指示)をする人間を快適にさせるよう尽く(そうと)しているのに比べると、はるかに出来が悪い。むろん、田久保氏が人間だからであり、私たちは、その、良くも悪くも人間らしいところに惹かれているのである。
出来損ないのAIに対したときのような徒労感を、田久保市長に見ているのであり、さらには、そのむなしさが、変に癖になっているのかもしれない。
いや、というよりも、このように強弁でもしなければ納得できないくらい、田久保市長は、不気味で解釈し尽くせない存在なのである。
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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)