前稿では、教育現場で普通の子どもが発達障害と疑われ、そう診断されてしまう「発達障害ブーム」について、背景に「教員の余裕のなさ」があることを述べました。
今回は、親子間の緊張によって子供に「発達障害らしき行動」が出てしまい、母親が発達障害を疑ってしまった事例を紹介します。
事例は事実を基にはしていますが、一部加工・修正しています。
■「毎日、保育園から連絡が来て疲れる」という訴え
筆者のカウンセリングオフィスにある若い母親が来談しました。申し込み欄には「子どものことで」とだけ記入されています。彼女の名は加山瑠美さん(仮名・29歳)、5歳になる息子・健太くんがいます。
彼女は健太くんが発達障害なのではないかと疑っています。
あいさつを済ますと、加山さんは切羽詰まった口調で話し出しました。
「子どものことで。息子は5歳で保育園の年長です。毎日毎日、園から息子が『お友達のおもちゃを取り上げた』『喧嘩した』とかの連絡が来て、ほとほと困ってしまって。園からは発達障害かもしれないと言われて、保健所の健診でも『ちょっと落ち着きはないかもしれない』と指摘されました。だけど、そこの保健師さんに『お母さんが落ち着けば息子さんも落ち着くかもしれない』と言われ、ここを紹介されました」
■着替えを嫌がり毎日が「戦争」
私は加山さんから健太くんの生育歴や具体的な母子のコミュニケーション内容を聞き取りました。終盤になって、私が質問します。
「ところで、健太くんのイヤイヤ期はどうでしたか? だいたい2~3歳ころに訪れる第一反抗期というやつなのですが」
彼女は間髪入れずに答えます。
「ひどかったです。何もかもに『イヤ!』で。登園するときにパジャマから着替えるのですが、私が選んだ服だと着たくないと言って、毎朝大喧嘩でした。でも、洗濯物とか用意している服の関係とかで、子どもが着ていく服は私の中で決まっているので、無理矢理に着せていきましたけど」
そうして無理に着させると「戦争になる」と彼女は言います。
「健太くんが好きな服は、着て行けないのですか?」
「えぇ、基本的には、私が準備したものを着せていました」
■イヤイヤ期と自閉スペクトラム症の違い
一通り健太くんの様子を聞き取った結果、彼には発達障害がないかもしれないと筆者は感じました。
なぜイヤイヤ期について尋ねたかというと、発達障害の一つである自閉スペクトラム症(ASD)による「こだわり」と区別するためです。
自閉スペクトラム症による「こだわり」はイヤイヤ期の反発とは違い、もっと異質で「常同・反復」的です。専門的には、ただ同じことを繰り返すというほどの意味で、周囲からは何を目的にしているのかわかりません。お母さんから言われたことばかりをするのではなくて、もっと自由にやってみたいというこころの動きは、あまり感じられないのが特徴的です。
どうやら健太くんは、加山さんの「~すべき」に対して「イヤ!」と反抗しているようです。こうしたこころの動きは、より大きなこころの自由を獲得するための反抗期と一致し、自閉スペクトラム症とは区別することができます。
■自律性が育たず、イヤイヤ期が長続きしてしまった
親御さんが子どもの発達障害を疑ってしまう山場は二つあると筆者は感じています。一つがここで示した①イヤイヤ期(第一反抗期)で、もう一つが②思春期(第二反抗期)です。
読者の方は「もう5歳なのに、なぜイヤイヤ期について聞くのか」と疑問に思われたかもしれません。
イヤイヤ期・思春期は、それぞれ心理発達には不可欠なものです。こころの成長には、ある特定の「発達課題」をクリアしないと、次の心理発達段階に進んだときに前段階での問題が蔓延化して現れると考えられています(E・H・エリクソン『心理社会的発達理論』)。
詳細な説明は省きますが、この有名な理論に則ると、現在の健太くんの年齢に相当する幼児期後期(3~6歳ごろ)に何かしらの困り事が社会的場面で起きているということは、その前段階であるイヤイヤ期に相当する幼児期前期(1歳半~3歳ごろ)の発達課題がうまく解決なされなかった可能性があるという説明です。
幼児期前期の発達課題は「自律性」です。何でも自分でやってみて、自信をつけていく時期です。親が先回りして何でもやってしまわないのが大切だとされていますが、話からもわかるように、加山さんは健太くんに多くの制限を課してしまい、「ダメ! ダメ!」の連続だったようです。そうして自律性がうまく育たなかったという問題が、健太くんの現在に影響を与えているのでしょう。
したがって、5歳になってもイヤイヤ期が拗れながらも続いているというのは、十分に起こり得るのです。――もちろん、子どもによってその出方や内情はさまざまですので、細かな個別検討が必要です。
■健太くんは窮屈に感じていたのかも
私はこうした見解を伝えました。そして、
「ちょっと、先回りして手を出し過ぎてしまったので、健太くんは窮屈だったのでしょうね。それで反発が強く出たのだと思います。まぁ、加山さんご自身が育児を真面目に一生懸命やってきた証拠なので、どちらが悪いというわけではないのですが」
「健太を見ていると、自由でいいなと思ってしまいます。その自由さが、とても許せなくなるんです。『お前はいいな!』と、嫌な気持ちが湧いてきてしまって、その自由を取り上げたくなってしまいます」
「加山さんご自身、幼いころから我慢してきたのでしょうね」
「……」
■「反抗期のなかった親」の落とし穴
初回の相談は、こうして終わりました。
次の相談で、私は加山さん自身の幼少期について尋ねました。家には自由がなかった、親に反発するなんて考えたこともなかった、小さいころに全裸で戸外に締め出されたことがあった――など、彼女は記憶に残る当時の様子を語ってくれました。
彼女には「イヤイヤ期も思春期もなかった」かもしれません。だから、息子の反抗を理解できないで拒絶してしまい、かつ抑え込もうとしてしまう。健太くんは幼少期の加山さんと違って、母親である加山さんに反抗できます。それは彼女を恐れることなく自己主張している証拠でもあります。
逆に言うと、加山さんは親を恐れ、自己主張を封じ、反抗期を我慢してきたはずです。親に頼れず、親を気にして、何でも自分で対処してきたので、いつも急いで生きてきたのでしょう。だから、健太くんのことを待ってやれず、そして、いとも簡単に反抗してくるのも許せなかったのかもしれません。
こうしたことを慎重に伝えます。それらがわかってくると、彼女は健太くんが「イヤ!」と言うのが嬉しく思えるようになってきたと報告しました。初回の相談から、半年ほどが経った頃です。
■イヤイヤ期の意味は「自分のタイミングでやらせて!」
「健太は、着たい服を着て登園するのが嬉しいようです。ここ最近は『寝ない! 寝たくない!』と言います。以前なら、無理矢理寝かそうとして、そこで喧嘩して、結局寝るのが遅くなるという悪循環でした。だけど、放っておくと勝手に寝るのだとわかりました」
「そうですね。ちゃんと寝なきゃいけないことも、服を着ていかなければならないのも、わかっているんですよね。だけどある程度寝るタイミングは自分で決めたいし、着ていく服も部分的には自分で決めたい。
加山さんは、そうして息子のイヤイヤ期に付き合えるようになりました。第一反抗期はやや蔓延化しましたが、その後、健太くんが小学校に入学しても以前のような問題は起こさなくなったと言います。
子供にとってのイヤイヤ期の意味は「自分のタイミングでしたい!」です。結局は親の言うことを聞かなければならないことを子はわかっています。
反抗期は不思議なもので、親の「決まり事」が多ければ多いほど、子はそれを壊そうとします。だからこそ、親は反抗されると苦しいのですが、それは親の人生観が壊されようとしているからなのです。それがより如実に表れるのが、思春期です。これに関しては、また改めて述べていくことにしましょう。
■発達障害が子供を理解するための「符号」に使われている
話を戻します。
発達障害のように見えてしまう子どもの言動がイヤイヤ期を成就できなかったからだとすれば、理屈としてはそれが成就できれば次第に問題は薄らいでくるはずです。このケースでは、加山さんは心理的には幼少期から孤立していたので、どこか気持ちが急いていて、親の目につかないように自分を抑えて生きていくことに必死だったはずです。
筆者の経験では、親自身がこころの成長期に極端なほど強い我慢をしなければならなかった場合に、子の第一・第二反抗期の問題が浮上することがあると感じています。親自身がわがままを言って親に頼ったり気を引いたりする体験が乏しかったので、子がするそれを理解できないのです。この理解できない言動を理解するための符号として、現代では発達障害があてはめられているのかもしれません。
加山さんが自分のことを理解して、健太くんがすることを待てるようになり、したいことをさせてやる範囲を広げていったのと並行して、健太くんが落ち着いていったことを考えると、やはり母子の緊張が子どもの言動に影響を与えていたのでしょう。
■発達障害ブームの功罪
筆者個人としては、「発達障害ブーム」には功罪があると思っています。
「功」の部分ですが、普及・啓発によって、いままで何の支援も得られなかった方々に手が差し伸べられるようになったのは事実です。これによって療育につながったり、学校で支援を受けられるようになったりしたのは、よいことです。
「罪」に関しては、あまりにも安易に発達障害の指摘・診断が乱発されてしまったことです。これまでにも節目節目で、境界性パーソナリティ障害や双極性障害2型などが注目されたように、精神科診断の傾向には時期による注目度の差が見られることがあります。
実はいまのところ、発達障害の方々が「増えた」という疫学的な証拠は存在していません(『精神科医が語る発達障害のすべて』ニュートンプレスを参考)。発達障害そのものが増えたのではなく「発達障害ではないか」という解釈に頼りたくなる人々が増えた可能性があります。
子どもは大人と比較すると、親子関係や学校環境などのストレスを素直に受けやすく、それによる反応が発達障害に見誤られてしまうこともしばしばあることを知っておいてほしいと思います。
実際に、精神科でも小児期に下す診断にはかなり慎重な姿勢が求められています。なぜかというと、ストレスによる反応が発達障害のように見えてしまうことがあるからです。虐待によるこころの傷である愛着障害がその代表例です。
その発達障害は、本当に発達障害なのか。――ここで述べたような視点を用いると、また異なる側面も見えてくるかもしれません。
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植原 亮太(うえはら・りょうた)
公認心理師、精神保健福祉士
1986年生まれ。汐見カウンセリングオフィス(東京都練馬区)所長。大内病院(東京都足立区・精神科)に入職し、うつ病や依存症などの治療に携わった後、教育委員会や福祉事務所などで公的事業に従事。現在は東京都スクールカウンセラーも務めている。専門領域は児童虐待や家族問題など。著書に第18回・開高健ノンフィクション賞の最終候補作になった『ルポ 虐待サバイバー』(集英社新書)がある。
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(公認心理師、精神保健福祉士 植原 亮太)