■「新生児訪問」のための講座
先日、東京都のある自治体から「新生児訪問」をする保健師・助産師向け講座を依頼され、お話ししてきました。新生児訪問とは、赤ちゃんが生後1~4カ月までのあいだに、市区町村の保健師や委託された助産師が母子の自宅を訪ねるというもの。正式には「乳児家庭全戸訪問事業(こんにちは赤ちゃん事業)」といい、その目的は次の通りです。
「生後4か月までの乳児のいるすべての家庭を訪問し、様々な不安や悩みを聞き、子育て支援に関する情報提供等を行うとともに、親子の心身の状況や養育環境等の把握や助言を行い、支援が必要な家庭に対しては適切なサービス提供につなげる。このようにして、乳児のいる家庭と地域社会をつなぐ最初の機会とすることにより、乳児家庭の孤立化を防ぎ、乳児の健全な育成環境の確保を図るものである。」
ほとんどの家庭は1回のみの訪問ですが、中には再訪問や見守りが必要なケース、支援や医療に繋げることが求められるケースもあります。新生児訪問は、産後すぐの母子の心身の健康を守るために非常に大切なものなのです。
ところが、私は以前から診察室で、保護者になったばかりのお母さんやお父さんたちから「新生児訪問でこんなことを言われたのですが、本当でしょうか」「新生児訪問で厳しく叱責されて悲しくなりました」などと相談されることがよくあります。
■正解がないからこそ難しい育児
そもそも「子どもをどう育てたらいいか」というのは、時代や文化に大きく左右されるだけでなく、家庭ごとの価値観にもよっても違うもの。当然、保護者には子どもの健康を保ち、発達を促し、安全に育てることが求められています。が、昔から「育児に正解はない」といわれるように、一概にどうするのが正しいと断言することはできません。みんなが同じ育児法をすればいいというものでもないでしょう。
だからこそ多くの保護者はどうするべきか迷って、自分の親にどのようにしていたかを聞いたりします。
また、昔ならきょうだいが多かったり、近所に子どもがたくさんいたりして子守を頼まれることがあり、赤ちゃんに触れる機会がありました。ところが、現在は少子化の時代です。先日、2024年の出生数が70万人を下まわったという話がニュースになったほど。合成特殊出生率は、1947年に統計を取り始めてから最も低い1.15でした。特に東京は低くて0.96です。こんな状況ですから、今は初めて抱っこする赤ちゃんが自分の子ということもよくあり、新米保護者が不安や疑問を抱くのは当然といえます。
■育児を教えてくれる機関はない
それなのに育児法を教えてくれる機関はありません。小児科は育児相談に応える施設も多いですが、本来は乳幼児から中学生くらいの子どもの成長発達をみたり、病気を治したりするところです。産科は、妊娠から出産が無事に終わるまでを診るところ。両親学級や沐浴指導、調乳指導を行っている産科は多いですが、小児科での育児相談と同じく、自主的に行っているに過ぎません。
医療機関は、厚生労働省が規定した医療行為を行った場合のみ診療報酬をもらいますが、育児法を教えたり、育児不安を解消した場合は支払われません。
ですから、幅広く育児指導を行う保健師・助産師の役割は重大です。それなのに間違ったことを伝えたり、逆にプレッシャーを与えたりしては大問題でしょう。では、実際に新生児訪問で不適切な対応をされたときはどうしたらいいでしょうか。よく聞く3つのケースごとに対応をまとめてみました。
■①真偽のわからないことを言われたとき
まず、真偽を疑うようなアドバイスをされたときは、どうしたらいいでしょうか。例えば「真夏でも子どもには必ず靴下をはかせるべき」「和の粗食をとると母乳の質がよくなる」「乳腺炎になったらキャベツ湿布をするといい」といった根拠のない方法を指導されたという保護者は少なくありません。
そのほか、離乳食は医学的根拠があって生後5~6カ月で開始すべきなのに「離乳食は早く始めるほどいい」とか逆に「2歳までは母乳だけを与えるべき」などと間違った方法を伝える人がいます。母乳分泌を増やす食べ物や飲み物はないのに母親に特定の食品をとるようすすめたり、赤ちゃんの衣類は大人のものと一緒に洗えるのに分けて手洗いしないといけないと言ったりする人もいます。ただでさえ、初めての子育てで大変なときに無駄な苦労をさせられては困りますね。
本来、育児指導やアドバイスをする際には、医学的根拠のあることだけに絞るべきです。理由もなく他人の行動を変えさせてはいけません。ですから、「それは医学的根拠があることでしょうか?」と確認し、答えられない場合、答えに納得がいかない場合は気にしなくてもいいと考えましょう。
■②個人的な価値観をおしつけられたとき
新生児訪問では、個人的な価値観、精神論やスピリチュアル的なことを押し付けられたという声も少なくありません。単なる個人的な意見や感想も、自治体から派遣されてきた医療の国家資格を持った人に言われると、重く受け止めてしまいそうになりますよね。お子さんがかわいいから、また初めての育児でわからないことが多いから、なおさらです。
例えば、母乳育児ではなくミルク育児を選んだ母親に「もう少し母乳育児で頑張りましょうね」などと伝えるのは適切ではありません。医療者にできるのは、正しい情報を示すことだけです。母乳で育てるか育児用ミルクで育てるかは、当の母親が自分の気持ちや体調、価値観、環境などから判断することです。医療者が立ち入ることではありません。そして、いくら頑張っても母乳が出ない人は約1割いて、根性や自覚で分泌されるものではないのです。
このように個人的な領域に土足で踏み込まれた場合は、受け入れなくて大丈夫です。
■③「自然派育児」に傾倒した人が訪れたとき
医療関係者にも意外と「自然派」に傾倒する人は少なくありません。育児においては特に「自然」という言葉がもてはやされやすいのです。
でも、自然に任せると、子どもは病気になったり亡くなったりしやすいもの。今から約100年前の1920(大正9)年、乳児死亡率は人口千に対して200程度でした。これは1000人の子どものうちの200人近くが亡くなるという意味で、10人のうちの2人ですから恐ろしいことです。
一方、2023年の日本の乳児死亡率は人口1000に対して1.8で、日本は世界一赤ちゃんが死なない国になりました。その理由は、自然な育児をしたからではありません。むしろ、大正時代には抗菌薬もなく、今のような質のよいワクチンや育児用ミルクもなく、さまざまなものが自然に近く、手作りのものばかりだったのに乳児死亡率が高かったのです。日本の乳児死亡率が下がったのは、医療の進歩、ワクチンの普及、公衆衛生の向上、また周産期医療に関わるさまざまな人の努力があったからでしょう。
ですから、「なるべく自然なものでお手当てしたほうがいい」「薬は飲ませないほうがいい」「ワクチンは必要ない」などと言われたら、話を聞く必要さえありません。すぐに帰ってもらいましょう。
■新生児訪問のガイドラインと研修を
新生児訪問において、保健師や助産師がすべきなのは、根拠のない個人的な意見を伝えることではありません。一人前の大人であるお母さんやお父さんを叱ることでもありません。
産後まもないお母さんやお父さんの心配事に耳を傾け、それに対し根拠があって役立つ知識を伝えること、赤ちゃんの成長と発達、母子の心身の健康を確認することです。また必要に応じて、継続的に見守ること、小児科医や精神科医、栄養士、子育て支援センターなど他の専門家や支援につなぐことでしょう。
新生児訪問で不適切な対応をされた保護者の方は、もしも可能なら市区町村の保健センターや保健所に伝えてください。当然ながら、きちんとした知識を持った保健師・助産師がたくさんいますから、他の方に代わってもらいましょう。各部署ごとに担当が違いますから、苦情が本人に伝わるかもしれないと悩まなくても大丈夫です。むしろ、今後の新生児訪問の質がよくなると思います。
こうした問題が起こるのは、新生児訪問のガイドラインがあっても、実際的な研修が不足しているからでしょう。厚生労働省が目的や考えを示したガイドラインの具体的な方法やチェックポイントを作成し、自治体がもっと積極的に研修を行ってほしいと思います。
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森戸 やすみ(もりと・やすみ)
小児科専門医
1971年、東京生まれ。一般小児科、NICU(新生児特定集中治療室)などを経て、現在は東京都内で開業。医療者と非医療者の架け橋となる記事や本を書いていきたいと思っている。『新装版 小児科医ママの「育児の不安」解決BOOK』『小児科医ママとパパのやさしい予防接種BOOK』など著書多数。
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(小児科専門医 森戸 やすみ)