※本稿は、伊藤博之著、柴那典聞き手・構成『創作のミライ 「初音ミク」が北海道から生まれたわけ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
■どの地域でも「10代の女子」のファンが多い
2011年、YouTubeに初音ミクの公式チャンネルを開設しました。そこでは視聴者がどの地域の方なのかや、その男女比や年齢層をグラフでチェックすることができるんですね。それを見ると、どの地域でも10代の女子の割合がとても大きい。全体の3~4割をティーンエイジャーの女子が占めています。日本と台湾だけ30代や40代の男性が多いのですが、それ以外のアメリカ、ヨーロッパ、アジア、アフリカの各地ではどの地域でも同じような割合。どのエリアでも10代の女子のファンが一番多かった。
日本では漫画やアニメのカルチャーが普及しているからイラストを描く女の子が多いのかな……と思っていたら、そんなことはない。海外にもイラストを描く女の子はたくさんいるようなのです。その結果が、初音ミクのファンの年齢層や男女比の傾向に反映されているのだろうと推測しています。
それを見て、どんな地域の人でもやっぱり創作活動に興味がある人がいるんだと実感しました。絵を描く、音楽を創る、ダンスをする、そういった自己表現や創作への欲求は、人間の本能的な欲求だと思います。
■2010年ごろから海外人気の広がりを実感
人間はものをつくるのが好きだし、そういうところから初音ミクを通じて世界各地にいるクリエイター同士がつながっていく。そういう未来が実現できれば世界も平和になっていくんじゃないか……とも思いましたね。
初音ミクの海外人気の広がりを直に目にしたのは、2010年ごろのことでした。アジア圏で開催されていた、とあるアニメ・ゲーム関連のフェアを見にいったんです。そのフェアには日本のアニメ作品はほとんど出展がなく、現地のアニメやゲームが出展されていた。それらの一般企業の出展エリアの他に、大きな空間にたくさんの小さな出店が並んでいた。そこで売っているグッズを見てみたら、だいたい4店に1店くらいの割合で品揃えの中心がミクだったのです。
そのグッズはすべて違法のものでした。Tシャツにしても、ネットに公開されている膨大な初音ミクのイラストをプリントして売っているような代物だった。けしからん話ではあります。
■デジタルコンテンツに国境はない
2010年にアメリカの「ニューヨーク・アニメ・フェスティバル」に参加したときも、初音ミクの人気がかなり大きく広がっているのを実感しました。初音ミクのライブ映像を鑑賞するイベントが開催されていたのですが、そこにも会場に入り切らない数のファンが長蛇の列をなしており、結局何度かに分けて開催された。
その翌年の2011年7月には、ロサンゼルスの大型ライブ会場であるノキア・シアター(現ピーコックシアター)で、初音ミクにとって初となる海外ライブ「MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです”」が開催されました。チケットは発売2週間で完売しました。
世界の人々は、ミクとどのようにして出会ったのか。最初は不思議だったのですが、答えはやっぱりインターネットだったんですね。世界はインターネットでつながっている。YouTubeをきっかけに知って、動画を観てファンになる。デジタルコンテンツに国境はなかったということが明らかになった。
■世界ツアー第1弾はジャカルタ
2014年には「HATSUNE MIKU EXPO」(通称「MIKU EXPO」)というイベントを始めました。
「MIKU EXPO」を始めたきっかけは、世界中からコンサートの問い合わせが届いたことでした。世界中にミクのファンがいる。世界中の人々がアクセスできるインターネット上に関連作品がたくさん投稿されたことで、初音ミクは早い段階から海外でも認知されるようになりました。そのため、海外在住のファンたちから「自分の地元で初音ミクのコンサートを開いてほしい」という要望が寄せられたんです。だったらそのファンのもとに行ってコンサートをやってみよう、そう思い立ちました。
第1弾の場所は海外ファンの投票をもとに決定しました。当時運営していた海外向けのコミュニティサイトで「Help Us Find You!」と銘打ったキャンペーンを行い、「初音ミクに来てほしい」と望むファンの声を投票という形で全世界から集めました。投票数10万超の中から一番投票が多かったインドネシアのジャカルタで、2014年5月に最初の「MIKU EXPO」を開催しました。
最初の「MIKU EXPO」のフォーマットは「マジカルミライ」と共通したものでした。コンサートだけでなく、初音ミクがどういうソフトウェアなのか、それを使ってクリエイターがどんな作品を創っているのかという、初音ミクを中心とした創作文化を体験できるような企画展を併催したイベントです。
■宣伝はSNSが中心なのに大盛況
ジャカルタでは3公演実施して、約1万5000人を動員しました。
2014年10月にはロサンゼルスとニューヨークで開催し、動員数は2都市合わせて3万人以上。その後にもヨーロッパやアジアなどいろんな都市で「MIKU EXPO」を開催しましたが、どこに行ってもたくさんのファンの方がいらっしゃるのを実感します。
宣伝はSNSが中心で、テレビCMなどの、マスメディアを用いた大規模なプロモーションは行っていません。それでもどこも大盛況になる。コスプレをしている方もいるし、みんなが日本語で合唱していたりする。アマチュアのクリエイターが創った日本語の曲を、パリの大観衆が合唱していたりするわけです。そういう盛り上がりが起きたのは、やっぱりインターネットのおかげだと思います。あらためてインターネットの力を実感するような出来事でした。
■憧れの存在になったボカロP
インターネット上でさまざまな歌声合成ソフトウェアを使用した音楽作品が増えた結果、ボーカロイドはヤマハが開発した歌声合成技術および、その応用ソフトウェアの名称・呼称というだけでなく、音楽シーンでひとつのジャンル名として用いられるようになりました。
2020年代に入って「ボーカロイド」というジャンルはメインストリームのひとつになったと思います。2020年には、より多くの方にボカロ曲や創作文化の魅力に触れていただける機会を創出できればという思いで、スマートフォン向けゲーム『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』(以下『プロセカ』)の配信が始まりました。これも10代~20代の若者たちの間で人気になっています。
ボーカロイドは、ネットだけで流行っているオルタナティブな音楽ジャンルではなく、みんなが聴いている、いわゆるスタンダードな音楽ジャンルのひとつだという捉えられ方になってきました。ボカロPからキャリアをスタートしたハチ(米津玄師)さんやn-bunaさん(ヨルシカ)といったアーティストも活躍している。中高生にとってボカロPがなりたい職業の上位に入ってきていて、憧れのクリエイティブのジャンルになりつつあるような流れもあります。
■クリエイターへの憧れが根付いてきた
昔と比べて、いい意味で時代が変わった、そんな感覚はあります。
子どもたちにとっては、小さなときからネットで見聞きしていて親近感がある、そして常にクリエイターさんによって新曲が創られていく。そういう愛着のある存在になっていると思います。
初音ミクの姿も、公式のイラストはありますけれど、クリエイターさんによって世界観は違う。曲もさまざまです。
こうした環境のおかげで、何より大きいのは、クリエイターへの憧れが根付いてきたということ。
初音ミクをきっかけにキャリアが始まったクリエイターの方はたくさんいらっしゃるし、そのためか今では大御所クラスのクリエイターさんさえ、親近感のある存在になっている。
今後もたくさんのクリエイターが生まれてほしいし、生まれてくるでしょう。初音ミクがいることによってクリエイターの才能が花開いた軌跡/奇跡を目にしたり話に聞いたりすると、やっててよかったなと思います。
いつまでも創り手に寄り添う存在であり続けたい、そう願っています。
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伊藤 博之(いとう・ひろゆき)
クリプトン・フューチャー・メディア代表取締役
北海学園大学経済学部卒業。北海道大学工学部職員を経て、1995年7月にクリプトン・フューチャー・メディアを創業。「初音ミク」「鏡音リン・レン」など数々のヒット商品を生み出した。2013年、藍綬褒章を受章。
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柴 那典(しば・とものり)
音楽ジャーナリスト
1976年生まれ。ロッキング・オン社を経て独立。雑誌、ウェブ、モバイルなど各方面にて編集とライティングを手がける。『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)、『平成のヒット曲』(新潮新書)など著書多数。ブログ「日々の音色とことば」Twitter:@shiba710
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(クリプトン・フューチャー・メディア代表取締役 伊藤 博之、音楽ジャーナリスト 柴 那典)