この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。
■酒乱の父親
四国地方在住の烏丸珠樹さん(仮名・50代・既婚・IT系会社員)は、現在妻と2人で暮らす自宅から、車で5分くらいのところで一人で暮らす90歳の母親を通い介護している。
烏丸さんの両親が結婚したのは、母親が30代前半、父親が30代後半のこと。お見合いだ。母親が33歳で姉を、34歳の時に烏丸さんを出産している。
当時、遠洋漁業の船員をしていた父親は、半年ほど仕事で家を空けては、20日程度の休暇で家に帰ってくる生活を送っていたが、酒を飲むと暴れた。
ターゲットはもっぱら母親と烏丸さんだ。1歳上の姉はなぜか父親に可愛がられており、ほとんど危害を加えられなかった。
烏丸さんが高2になったある日、休暇でもないのに父親が突然帰ってきた。上司と喧嘩をして、そのまま退職してしまったという。烏丸さんと母親にとっての、本当の地獄の始まりだった。
朝から酒を飲んでは、何かあるとすぐに暴力をふるう。何がトリガーになるか分からず、いつも怯えていた。烏丸さんを庇う母親は、もっとひどい扱いを受けた。素手だけでなく、もので殴られ、足で蹴られることもあった。ガラスの灰皿を投げつけられたときは、母親の頭に当たり、出血がひどく、病院を受診した。
父親が仕事を辞めてから2~3カ月経ったある夜。
「このままでは殺される」。そう思った母親は、父親が不在の隙に、子ども2人を連れて家を出た。ほぼ着の身着のまま、高3になっていた烏丸さんは高校で必要なものだけを持って、伯父(母親の兄)の家に転がり込んだ。
■離婚調停
2カ月ほど伯父の家で暮らしたが、母親とすでに社会人になっていた姉が引っ越し先を見つけてくると、3人で移り住んだ。そこは元の家から車で20分ほど離れた場所にあった。
母親は父親が押しかけてくることを恐れ、父親に自分たちの居場所を知られないよう努めつつ、伯父に間に入ってもらい、離婚に向けての話し合いを進めた。調停も起こしたが、父親は一向に離婚に応じない。その頑固さは、調停員も呆れて「あんな人だと、本当に大変だったでしょう?」と母親に同情してくれたほどだった。
調停が数カ月に及ぶと、父親は伯父に復讐をほのめかすようになった。自分たちだけでなく、伯父にまで危害が及ぶことを恐れた母親は、離婚することを諦め、別居のまま暮らしていくことを選択。
家を出て以降、烏丸さんたちは父親とは会っていない。母親が離婚を諦めたことで伯父も父親と関わらなくてもよくなり、父親とは音信不通となった。
■母親の衰え
烏丸さんは高校卒業後、IT系の会社に就職。31歳の時、趣味をきっかけに出会った2歳年下の女性と結婚。母親と暮らしていた家を出た。姉は22歳の時、結婚をきっかけに家を出て、母親の家から車で20分ほどのところで2人の子どもと4人で暮らしていた。
それから二十数年後、50代になった烏丸さんは、母親の家から車で約5分の所で夫婦2人暮らしをしていた。姉は子どもたちがそれぞれ家庭を築き、4人の孫に恵まれていた。母親は伯父の会社を74歳で退職し、時々友だちや親戚と会うなどしながら暮らしていた。
当時、烏丸さんが母親や姉と会うのは、お盆と正月の年2回ほどだった。
2012年の冬頃。77歳になっていた母親は、強い腰痛が続いていた。烏丸さんが病院に行くように説得すると、腰椎圧迫骨折と診断された。
退院後、母親は自主的に体操をしたり筋トレをしたりして、体力回復に努めた。その効果か、約半年後にはほぼ入院前の体力・筋力に戻ることができた。
烏丸さんは母親の退院後、しばらくは母親の家に顔を出す頻度を増やしたが、母親の回復とともに、烏丸さん自身の生活リズムも戻していった。
ところが、翌2013年の8月。母親は2度目の腰椎圧迫骨折に。今度は入院ではなく、自宅静養だった。
「1度目の時は、母は自主的に体力回復に努めていましたが、2度目はその気力も衰えてしまったようで、自主的に運動することは減っていました。その後、直腸脱(ちょくちょうだつ)(直腸が肛門から外に脱出する病気)の手術、大腸ポリープの除去や緑内障手術など、約7年の間に4度入院しましたが、その都度、体力も気力も目に見えて衰えていったように感じます」
母親は骨折は治ったものの、徐々に円背(えんぱい)(脊柱が前に倒れた状態)となっていったため、生活に支障が出始めた。バスに乗っての通院に不安を感じた烏丸さんは、毎週火曜日の通院に付き添うほか、平日は週に2~3回程度と、土曜か日曜のどちらかに母親の家に行き、家事などを手伝うように。
その後、「一日中誰とも話していない」という日が何日かあり、認知機能の低下が心配になった烏丸さんは、実家に行かない日は仕事帰りに電話で母親と20分程度話すようになった。
2014年4月。
■父親との再会
そんな2015年5月のこと。突然、烏丸さんの従兄弟だと名乗る60代くらいの男性が、烏丸さんの姉の居場所を何らかの方法で探し当て、コンタクトを取ってきた。
男性は、「○○(烏丸さんの父親)の姉の息子だ」と名乗り、現在、烏丸さんの父親を介護していると言った。
従兄弟によると父親(当時86歳)は、
・要介護5で入院中
・水頭症で認知症もある
・今後、命に関わる選択もあるので、医師から「親族を探せ」と言われている
・入院してもうすぐ3カ月経つので、「転院しろ」と言われているが、胃ろうにすれば、更に3カ月は入院させておくことができる
という状況だった。従兄弟としては、
・父親が烏丸さんたちにどんなことをしてきたかは知っている
・ずっと従兄弟が面倒を看ていたが、従兄弟自身の母親(父親の姉)も認知症になり、これ以上看続けることが難しくなってきたため、やむを得ず烏丸さんたちの居場所を探した
という事情があった。
黙って従兄弟の話を聞いていた烏丸さんだが、今さら父親の面倒を看る気は微塵もなかった。それは母親も同じ。姉も、「私も看るんは絶対嫌よ! 今さら何言いよるんじゃろ!」と憤慨していた。
従兄弟からは、「病院からも言われているので、一度でいいから会ってやってくれ」と頼み込まれた。烏丸さんは「従兄弟の面子もあるだろう」と慮り、姉と2人で会いに行くことにした。
後日、姉と2人で従兄弟に知らされた病院へ行くと、父親は厳重に拘束されていた。
烏丸さんと姉に気づいていた様子だったが、父親は烏丸さんと目を合わせなかった。そんな父親を見て烏丸さんは、「あの暴君が、哀れなもんだな」と思いはしたものの、それ以上感情が動くことはなかった。
ところが、姉は違った。ひと目見た途端、一瞬で雪解けしたようで、涙を流して再会を喜んでいた。
■父親の死
父親との再会後、姉は病院の説明に応じ、従兄弟に頭を下げ、「あとは私が看ます」と言った。
「人って、こうもあっさりと手の平を返せるものだろうかと思いました。ほんの1~2時間前に、私と母の前で言っていたことと、やってることが全く違うのですから。姉は私のことを『冷たい』と言いますが、私や母から見れば、父は鬼か悪魔にしか見えません。私は、父による自分に対しての暴力や暴言はもちろんですが、母に対しての暴力や暴言も、どうしても許すことができませんでした」
その後、姉に無理矢理面会に行かされた母親と烏丸さんだったが、母親が名乗って過去の話をしても、「さぁ……知りません」としらを切りながら、ミトンで拘束された手で、反対の手の甲あたりを落ち着かない様子で引っ掻いていた。
「父は、私と母に対しては恨みこそあれ、感謝や謝罪などの感情は持ち合わせていなかったと思います」
当時、父親は退院期限が迫っているにもかかわらず、その後の受け入れ先が決まっていなかった。
「胃ろうはせず、父を従兄弟に戻そう」というのが、烏丸さんと母親の意見だったが、姉は胃ろうを独断。胃ろうにしたことで入院期間が3カ月延長され、姉はその間に特養を探して、父親を入居させた。
その3年後の2018年5月、父親は89歳で亡くなった。
「私と母は全く会いたくありませんでしたが、姉の策略で最期の瞬間に立ち会うことになりました。母は『やれやれ、やっと死んだね』と言い、私は『やっと死んだか。哀れなもんだな』と思いました。私と母は『そのまま焼いてもらえ』と言いましたが、姉は猛反対で、すべて姉が手配して、家族葬になりました。費用は、父の遺産と姉の持ち出しだったと思います。私と母は出していませんし、姉も『出せ』とは言いませんでした」
■父親の遺産
父親の死後、烏丸さんが10歳くらいの頃に両親が建て、かつては家族4人で暮らしていた家と、わずかな現金が遺った。烏丸さんは父親の遺産に関して、「父の息の掛かった物は何ひとついらない」と言い、相続を放棄。
母親は、
・父親の現金は要らない
・土地と家は、自分は住む気はない
・売る場合は、自分も苦労して建てた家なので、売れた金額の半分はほしい
・売らずに借家にした場合は、家賃の5~4割程度はほしい
と言い、姉も烏丸さんもそれで合意。
ただ、姉は家を売ることを一人嫌がり、「リフォームして借家にする」と言うため、烏丸さんと母親は姉に任せることにした。
そんな中、母親が父親の遺族年金を受け取れないことが判明。日本年金機構の説明によると、別居して以降、父親とは完全に独立した生計だったことがその理由だった。
「父と離婚ができなかった母は、母子家庭手当ももらっていません。現在は自分の年金と、節約して貯めた貯金を切り崩してやっと生活できている状況なのに、お国は冷たいなと思いました……」
■姉のウソ
リフォームが終わり、母親が「家賃はいくらで貸すのか?」とたずねると、姉は「月5万円」と答えた。
その後、母親は姉に会う度、「借り手は見つかったか?」と聞くが、姉は「なかなか決まらない」と言い、姉の夫も、「草引きや植木の世話が大変」と口を揃え、家賃の5~4割が入ってくるのを楽しみにしていた母親は、その度に肩を落とした。
ところが2023年春のこと。烏丸さんが何気なくgoogleのストリートビューを見ていると、烏丸さん一家が住んでいた家の玄関に見慣れない表札が映っていた。「ん、これは?」。
姉の裏切りが発覚した瞬間だった。(以下、後編へ続く)
----------
旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。
----------
(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)