日本の実質GDPのプラス成長が続いている。今後の景気はどうなるのか。
ソニーフィナンシャルグループ、チーフエコノミストの渡辺浩志さんは「2025年4~6月期の成長の牽引役となったのは実質輸出だが、背景には日本企業の値引きがある。このままでは、いずれ中小・下請け企業や一般家計に圧力がかかるだろう」という――。
■「実質GDPのプラス成長」に私が思うこと
2025年4~6月期の日本の実質GDP成長率は前期比年率で1.0%増となり、5四半期連続でプラス成長を記録した。市場予想を上回るこの結果は、表面的には日本経済の底堅さを示すものだが、その内実を精査すると、トランプ政権による関税強化という外的ショックを、日本企業が「値引き輸出」で吸収した構図が浮かび上がる。
4~6月期の成長の牽引役となったのは実質輸出であり、前期比年率で8.4%の大幅増を記録した。一方、輸出価格は同11.7%の急落となっており、これは本来米国民が負担すべき関税を、日本企業が輸出価格の引き下げによって肩代わりしたことを意味する。原材料や製品などの民間在庫は大きく減少しており、一連の動きからは企業が値引き輸出で在庫一掃を図った様子が窺える。
この動きは、乗用車において特に顕著だ。この時期の日本製品に対する米国の関税率は10%だったが、乗用車では従来の2.5%から27.5%へと引き上げられた。その影響を打ち消すべく、日本の自動車メーカーは米国向けに限って輸出価格を約2割引き下げ(図表1)、輸出数量の維持を優先した。結果として、数量ベースでは輸出が増加しGDP成長に寄与したが、金額ベースでは企業収益に圧力がかかる構図となった。
■トランプ関税を日本の家計が負担
値引き輸出が続けば、そのしわ寄せはいずれ中小企業や下請け企業に及ぶ。
大企業が収益を維持するために調達価格を引き下げれば、中小・下請け企業の収益悪化につながる。それによって賃上げ余力が失われれば、個人消費の停滞を招く。日本企業の値引き輸出は、米国民が払うべきトランプ関税を最終的に日本の家計が負担するような奇妙な構造を持っているのだ。
いまのところ、値引き輸出のコストは主に大企業が吸収している。それが可能なのは、企業の売上高経常利益率が史上最高水準にあるためだ。そして、その収益性を支えているのが、円安である。円安は輸出競争力を高めるだけでなく、海外子会社の円換算の利益を押し上げ、利益率を向上させる。
内閣府の「企業行動に関するアンケート調査」によれば、輸出企業の採算円レートは製造業で1ドル=127円だが、足元の為替水準は147円前後と約16%も上振れている。採算レートを上回る円安(為替差益)が、企業に値引き余地を与え、関税負担を吸収する原資となっている。
■大企業の負担を抱えるのは中小企業と家計
円安は企業にとっては利益率を押し上げる追い風だが、家計には逆風となる。円安は食料やエネルギーなどの生活必需品の輸入価格を押し上げ、家計に実質賃金(購買力)の低下を招く。図表2に見るように、今回に限らず、円安が急進する局面では、企業の利益率と家計の実質賃金との間で二極化が進む傾向がある。
企業が潤う一方で、家計が苦しむ構図が鮮明となっている。
不満の矛先は日銀に向かう可能性が高い。日銀は本来、賃金と物価の好循環(企業が賃上げを行い、それが消費を刺激する結果、物価が安定的に上昇すると見通せる状態)を確認した上で利上げを行うべきだが、国民の不満に押されて日銀が拙速に利上げに踏み切れば、景気や企業収益が悪化し、賃上げ機運も冷え込むだろう。
しかも、米国は利下げサイクルに入っており、米連邦準備制度理事会(FRB)は年内に2~3回の利下げを行うと予想されている。日本は利上げ、米国は利下げと、金融政策が逆行すれば、日米金利差は縮小し円高が進みやすくなる。円高が進めば、大企業はいよいよ値引き輸出の負担を中小・下請け企業に転嫁し、家計に影響が及ぶことになるだろう。
■トランプショックから38%上昇した日本株
円安による企業収益の好調は株式市場にも波及している。日経平均株価は、トランプ関税ショックによる4月7日の底値(3万1136円)から約4カ月で38%も上昇し、8月13日には史上初の4万3000円台を記録した。この急反発は、業績の底堅さを背景に事業法人の自社株買いが続いていることに加え、それまで日本株を売り越していた海外投資家がにわかに買い越しに転じたことが寄与している。
株高は景気を下支えする役割を果たす。含み益の拡大は消費者心理に好影響を与え、個人消費を刺激する「資産効果」を生むほか、企業の設備投資や雇用意欲の向上につながる可能性がある。しかし、この株高が持続するかどうかは、日銀の政策スタンスに大きく左右される。

日本株の上昇を牽引する海外投資家の売買動向を振り返ると、興味深い変化が見える。図表3は海外勢による日本株買いと米S&P500株価指数の動きだが、かつては密接に連動していた。これは分散投資を行う海外勢が、保有資産の構成を一定に保つため、米国株の値動きに合わせて日本株を機械的に売買していたためだ。いわゆる「リバランス」の結果である。
■国民の不満と海外勢に挟まれる日銀
だが、昨年5月に日銀が利上げに積極的なタカ派姿勢を示すと、海外勢は失望し、米国株が上昇しても日本株を売るようになった。
ところが今年4月、トランプ関税に伴う市場の混乱で日銀が再びハト派に戻ると、海外勢はにわかに日本株買いに転じた。
このように海外勢の日本株投資は、米株価と日銀の政策スタンスに強く影響されている。現在、米国株は生成AIブームの再燃とFRBの利下げ期待で上昇しており、海外勢によるリバランス目的の日本株買いも活発化している。先物市場では、日銀の利上げは来年1月頃と予想されている一方、FRBは年内に利下げを行うとみられている。このような緩和的な金融環境が続けば、日米株のさらなる上昇が期待できる。
しかし、国民の不満の高まりに押されて日銀が拙速に利上げを行えば、海外勢は再び失望し、日本株の上昇も続かなくなる可能性がある。株高による資産効果が失われれば、景気の下支えも弱まり、経済全体に逆風が吹きかねない。
金融政策の舵取りは、繊細なバランスが求められる局面にある。
■高まる生産拠点の国内回帰への期待
企業の設備投資も、GDP成長率を押し上げる一因となっている。円安による輸出の好調が設備投資を後押ししている。また、かつて円高だった時代に価格競争力の低下を警戒して生産拠点の海外移転が進んだが、近年は円安基調が定着しており、国内回帰の兆候が見られる。
図表4に見るように、国内設備投資比率(設備投資総額に占める国内投資の割合)は、為替レートに3年遅れで動く傾向がある。今回の円安急進の出発点は米国で金融引き締めが始まった2022年初だが、そこからすでに3年が経過しており、生産拠点の国内回帰にいつ火が着いても不思議はないタイミングとなった。
ただし、トランプ大統領のドル安志向が円高リスクを高めれば、国内回帰の流れが滞る可能性もある。さらに、トランプ政権は米国への投資を歓迎しており、日本企業が関税回避のため米国への直接投資(工場進出)を加速させることになれば、その分だけ国内設備投資は減り、国内景気の下支え効果が弱まる可能性もある。
■放置できない企業と家計の二極化
今後も値引き輸出が続くかどうかは、為替水準と日米の金融政策次第である。円安が続けば、企業は為替差益(採算レートと実勢レートの差)を活用して関税負担を吸収できるが、円高に転じればその余地は急速に縮小する。日銀は、企業収益と円安インフレによる家計負担のバランスを慎重に見極めながら、利上げのタイミングを探る必要がある。
また、賃上げによる家計への還元が十分に行われず、企業と家計の二極化が放置されれば、個人消費の停滞や社会的な不満が経済成長の足かせとなろう。
なお、企業が持続的に賃上げを行うには、省力化投資や情報化投資、働く人への投資をしっかりと行い、労働生産性を高めることが不可欠だが、中小企業には資金的・人的制約が大きい。
政府には、設備投資や賃上げを促す減税や補助金などの支援策が求められる。企業収益の拡大と家計の健全性を両立させるには、金融政策だけでなく、財政政策や労働市場改革を含めた多面的なアプローチが必要である。

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渡辺 浩志(わたなべ・ひろし)

ソニーフィナンシャルグループ 金融市場調査部長 チーフエコノミスト

1999年に大和総研に入社し、経済調査部にてエコノミストとしてのキャリアをスタート。2006年~2008年は内閣府政策統括官室(経済財政分析・総括担当)へ出向し、『経済財政白書』等の執筆を行う。2011年からはSMBC日興証券金融経済調査部および株式調査部にて機関投資家向けの経済分析・情報発信に従事。2017年1月より現職。

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(ソニーフィナンシャルグループ 金融市場調査部長 チーフエコノミスト 渡辺 浩志)
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