マダニが媒介して感染する「重症熱性血小板減少症候群」(SFTS)の患者数が過去最多のペースで増えている。近畿中央病院皮膚科部長の夏秋優医師は「私自身、マダニに刺されたことがあるが、全く痛みがなかった」という。
ノンフィクションライターの神田憲行さんがマダニの生態や対策について取材した――。
※本稿にはマダニの写真などが含まれます。
■致死率10~30%、治療薬は存在するが…
SFTSは2011年に中国の研究者らによって発見されたウイルスで、感染すると発熱・下痢・嘔吐などの症状が現れ、致死率は10~30%。昨年保険適用を受けた治療薬は存在するが、感染初期に投与する必要があるなど使用は限定的だ。
国立健康危機管理研究機構が9月2日に発表した速報値によると、全国の感染者数が142人。すでにこれまで最多だった2023年の134人を上回っている。
虫による感染症、皮膚炎の専門家である近畿中央病院皮膚科部長で兵庫医科大学功労教授の夏秋優医師は、
「感染者の数だけでない、今までのパターンにない感染例があり、非常に危機感をもっています」
と語る。
「まずひとつは、北海道や関東でも感染者が出たこと。マダニによるSFTS感染は今まで西日本に集中しており、関東付近で感染者が報告されたとしても、実際に感染したのは西日本でした。ところが今回は北海道や関東でマダニに刺されて感染している。マダニの活動領域が広がったのではないかと、専門家はみんな危機感を抱いています」
■なぜ東日本や北海道に生息地域が広がったのか
日本には50種近いマダニが生息するが、夏秋医師によるとそのうちSFTSを媒介するのはフタトゲチマダニなど5、6種という。
「いずれも南方系で、だから感染者が西日本に集中していました。
今回の北海道の件はおそらく渡り鳥によって運ばれたマダニではないか。夏は那覇より札幌が暑い日も珍しくなく、南方系のマダニでも活動できるのでしょう」
夏秋医師が危機感を持った二つ目の理由は、
「動物病院の獣医師が感染により亡くなったこと。これまで感染した方はいても亡くなった獣医さんはいなかったので、ショックでした」
マダニによるSFTSの感染は人だけでなく、ペットの犬や猫も感染する。
「とくに猫は重症化しやすく、高熱で衰弱します。その猫を動物病院の獣医さんが診察して、診療の過程で猫の体液に触れてそこから感染してしまうことがあります」
■マダニは幼虫、若虫、成虫の全てのステージで吸血
ここで改めてマダニの生態とSFTSの感染経路について説明する。
まずマダニは室内性のイエダニと違って、野山や河川敷など野外に生息する大型のダニだ。成虫のマダニで2ミリから8ミリと大きい。幼虫、若虫、成虫の全てのステージで動物から吸血する。
林の中の下草やササなどの葉先にじっと潜んでいて、シカ、イノシシ、ノウサギなどの動物が通ると体に取りつく。そして吸血する場所を探して体表面を這いまわり、主に皮膚の柔らかい部分に口器を刺して血を吸い始める。吸血の時間は蚊のようなごく短い時間ではなく、幼虫で3日程度、成虫では1~2週間も口器を皮膚に刺し込んだまま血を吸い続ける。
ちなみに夏秋医師はマダニを飼育していたことがあるが、適度な湿度さえ維持してやれば、1年以上吸血せずに生きた個体もいたという。
恐るべき生命力である。
ここでその動物が血液内にSFTSウイルスをもっているとマダニに移り、そのマダニが人を刺すことで人の体内にウイルスが入る。近年、市街地でのクマの目撃例が報告されているように、野生動物の活動域が広がったことがマダニの活動域を広げていることにつながっていると推測される。さらに夏秋医師が注目している動物が、アライグマだ。
■野良アライグマがマダニを運んでいる⁉
「ペットのアライグマが捨てられて『野良アライグマ』となっています。アライグマは人里で生きる動物であり、森にも入る。つまりシカと人の生息圏をつなぐような動物で、マダニとともにウイルスを運んでいる可能性があると私は考えています。実際、アライグマの血液を調べると2000年ごろまではSFTSウイルスに対する抗体が検出されなかったのに、近年は検出率が上昇しているというデータがあります」
■刺されても「全く痛くない」から気づかない
夏秋医師は2013年に『Dr.夏秋の臨床図鑑 虫と皮膚炎』という本を出版した。10年後の2023年10月にその改訂第2版を出し、専門家以外の要望に応えるべく今年3月には入手しやすい価格のポケット版も出した。
掲載している症例写真の約7割が、夏秋医師が自ら虫に刺されたり咬まれたりした状態を撮影したものである。刺した瞬間の虫、そのときの痛さ、そしてその後の皮膚の変化などを記録しており、唯一無二の図鑑として全国の医師たちに重宝されている。その中では当然(?)、マダニにも刺された。
どんな感じなのか。
「それが全く痛くないんですよ。人によっては違和感やかゆみがあります。マダニの成虫は満腹になると(「飽血」)、自分から落ちて、雌は土の中で産卵します。幼虫だと体長1ミリ程度で、吸血したあと3日ほどで落ちる。だからマダニに刺されたことに気づかないまま過ごす人も多い」
ということは突然、高熱・嘔吐・下痢が襲ってきてもマダニによるSFTSを疑う人は少ない。
「最初に疑われるのが、初期症状が似ているノロウイルス感染症や熱中症です。でもその前に農作業やハイキングなどで野外活動をしたことがある人は、そのことを医師に報告して念のために血液検査を受けたほうがいいかもしれません。血液検査で白血球や血小板が減っている場合はSFTS感染が疑われますから」
■マダニが張り付いていたら内科ではなく皮膚科へ
マダニが自分の皮膚で吸血しているところを発見しても、パニックにならず落ち着いて、できる限り皮膚科を受診して医師に取り除いてもらう。素人が取り除こうとすると口器が体内に残る可能性があるからだ。また自分で取り除いたマダニはポリ袋に入れるなどして保存し、医師に見せて種類を確かめてもらう。
ここまでマダニとSFTSの怖さを書いてきたが、夏秋医師は「でも極端に怯える必要はありません。
そもそもSFTSウイルスをもっているマダニはごく稀ですし、しっかり予防することが大事」と語る。
「マダニはササ類や草地で待機し、おもに足元に付着して上がってきますから、森や林に入るときはまず長袖・長ズボンは必ず。短パンなんて論外です。そして虫除けスプレー(ディート、イカリジンなどの忌避剤が入っているもの)を靴、靴下、ズボン裾にしっかり噴霧する。山登りの際に、けもの道など正式な山道のない草木が茂ったしたところを歩くこともありますが、やめておいたほうが無難です」
警戒しつつもパニックにならず、正しい知識を持つことが大切だ。

----------

神田 憲行(かんだ・のりゆき)

ノンフィクションライター

1963年、大阪市生まれ。関西大学法学部卒業。師匠はジャーナリストの故・黒田清氏。昭和からフリーライターの仕事を始めて現在に至る。共著に『横浜vs.PL学園』(朝日新聞出版社)、主な著書に『ハノイの純情、サイゴンの夢』(講談社)、『「謎」の進学校 麻布の教え』(集英社)、『一門』(朝日新聞出版社)など。

----------

(ノンフィクションライター 神田 憲行)
編集部おすすめ