私たちは自分が普段食べている食品を安全だと思っているが、本当にそうなのか。国立医薬品食品衛生研究所客員研究員の畝山智香子さんは「これまで安全だと思われていた食品が、じつは有害だったという例もある。
食品の安全がどういうことなのか知ってほしい」という――。(第3回)
※本稿は、畝山智香子『サプリメントの不都合な真実』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。
■意外と知られていない「食品の安全性」
私たちは毎日食品を口にしていて、食品が安全なのは当然のように思っています。そして学校で栄養や食育をテーマにした学習があったり、ときに食品安全問題のニュースを聞いたり本や雑誌で読んだりして、自分は食品の安全についてはよく知っていると思っているかもしれません。
でも実際に食品安全についての知識が必要な仕事をしてみると、知らなかったことや誤解していたことがたくさんあることに気がつくと思います。食品は私たちにとってあまりにも身近なので、ついわかっているような気になってしまうのです。そこでこの章では、食品の安全性についての基本を簡単におさらいしてみようと思います。
食品とは、私たち人間が生きるために食べてきたいろいろなものを指します。栄養があったり一部の化合物の構造がわかっていたりする場合もありますが、基本的には未知の化学物質のかたまりです。
■本当に安全なのかどうかはわからない
どういうものが食品なのかという決まった定義はなく、時代や文化によって食べられるとみなされるものが違うこともあります。たとえば、日本人はフグを食べますが、多くの国ではフグは毒があるので食べられない魚です。一方で、毒キノコを食品として売っている国もあります。

一般的には食べて具合が悪くなるようなものは食品とはみなされません。今まで食べてきた経験、つまり食経験があるので、これは食べられるものだと考えられているわけです。でも食品添加物や残留農薬、あるいは動物用医薬品のような、事前に安全性の確認が必要なものとは違って、食品そのものは長期の安全性試験や成分分析をしてから食べられると判断しているわけではありません。そのため、現在流通している食品がどこまで安全なのか、実際のところはわからないのです。
食経験とは、過去の経験に基づくものです。そのため、たとえば病気を抱えた高齢者のような人など、過去の事例があまり蓄積されていないケースにおいても安全といえるか、完全にはわかりません。言ってみれば、人体実験をしているようなものなのです。
■毒キノコと判明したスギヒラタケ
2004(平成16)年に、秋田県を中心にスギヒラタケというキノコを食べて脳症になる事例が多発し、死亡者も出ました。最初のうちは被害者の多くが透析患者だったため、腎機能に障害のある人がスギヒラタケを食べると健康被害につながるのかもしれないと考えられました。
しかし、その後調べてみると、透析患者でない人でも脳症で亡くなっていた事例がわかりました。そのため現在では、スギヒラタケは食用に適さないキノコとして、食べないように注意喚起がされています。
この事例は、脳症がキノコによる中毒症状だとは思われなかったためにそれまで見過ごされてきたものが、透析患者という被害が現れやすい人たちに集団発生したため注目され、発見されたと考えられます。
スギヒラタケは他の有名な毒キノコと違って、明らかに毒性の強い物質が含まれていません。そのため、「原因不明」という扱いになっていました。
これを不思議に思った研究者たちは、研究を続けて、2022年になってスギヒラタケ中の3つの物質が急性脳症の発症に関与する、というメカニズムを提唱しています。このように、有害だとわかっても原因をつきとめるのは簡単ではないのです。
■普通の食品に含まれている「発がん物質」
スギヒラタケの事例からは、食品由来の中毒症状なのにそれと気がつかず、見過ごされているものが他にもあるだろうことが考えられます。持病のある高齢者が増えると、「食べられない食品」は今後もっと多くみつかるかもしれません。
「発がん物質」と聞くと、とにかく食品に入っていてはいけないものだと思われるでしょう。「発がん物質」という表現は、しばしばセンセーショナルなニュースの見出しなどで使われますが、実際には食経験ではわからない食品の有害影響の代表的なものです。つまり、普通の食品の中に、発がん物質はたくさん含まれているのです。
発がん物質は、継続して長期間摂取することによってがんを誘発します。通常、がんができるまでには、強い発がん性があっても数十年かかります。そのため、寿命が短い時代の経験ではわからないことが多く、これが問題になることはありませんでした。
生まれたときから食べ続けて、70年後にがんになるリスクが上がる物質があったとしても、それが問題になるのは寿命が70歳を超えるような社会であることが前提となります。
食品添加物だと発がん性の疑いがあるものは使用が認められていませんが、食品そのものには発がん物質を含むものがごく普通に流通しています。あなたが家庭菜園で育てた自慢のハーブにも、発がん物質が含まれるものがあるかもしれません。
■国際組織コーデックスの食品の安全基準
国際流通する食品の規格を決めている国際組織であるコーデックス(CODEX)は、食品安全について、「意図された用途で、作ったり食べたりした場合に、その食品が消費者へ害を与えないという保証」と定義しています。
注目すべきポイントは二つあります。まず「食品は意図された用途に従って食べてください」という点です。食品は口から食べるものであって、皮膚に塗ったり注射したりするものではありません。小麦成分を含む石鹼で小麦アレルギーになった事例がありますが、化粧品や日用品に食品を使うのは避けたほうがよいでしょう。
また、最近の日本では、鶏レバーを生で食べてカンピロバクターやサルモネラ中毒になった、といった食中毒が後をたちません。生の肉にはもともと菌がいるので、ちゃんと加熱してから食べてください。野菜や果物も食べる前にはよく水洗いしましょう。食品の包装に記載されている消費期限や保管温度などは指示に従いましょう。
そしてアレルギーのある人は、アレルゲンとなる食品を避ける必要があります。このように、食品は適切に取り扱うことが前提になります。
■リスクとハザードとばく露量の関係
そのうえで、二つ目の「その食品が消費者へ害を与えないという保証」というポイントですが、これは「その食品のリスクが許容できる範囲内である」という意味です。まったくリスクがない、ゼロリスクのことを「安全」というわけではないのです。
では、「リスク」とは何でしょうか。似たような言葉に「ハザード」というものがありますが、この二つは違う、ということをしっかり覚えてほしいと思います。
ある物質がヒトや環境などに何らかの危害を及ぼすとき、その危害そのもののことを「ハザード」といいます。たとえば、「ある農薬は神経毒性がある」というような記述が、ハザードについての記述です。そのハザードが、どれだけの量を食べればどの程度の確率で起こるのかという、量的なことも含めたものが「リスク」です。リスクとハザードの関係は、このように表すことができます。
「リスク」=「ハザード」×「ばく露量」
大量摂取で有害影響があるものでも、食べる量が極めて少なければリスクは小さく、毎日継続的に大量摂取するなら大きなリスクになります。私たちが日常生活を安全にするために管理したいのは「リスク」のほうです。

■量を明らかにしない情報はあやしい
しかしながら、メディアなどでしばしば強調されるのは、ハザードのほうだけです。たとえば、「ある食品添加物は発がん性がある! だから食べてはいけない!」といった主張をよく目にします。でも実際には、それはネズミに大量に投与したらがんができた、でも私たちが食品から摂取している量はそれよりはるかに少ないのでリスクは小さいという太字部分の事実は意図的に伏せられているわけです。
逆にサプリメントなどいわゆる健康食品の宣伝だと、「ある食品にはがんを抑える作用がある! だから毎日食べよう!」などと言われたりします。ですが、それはヒトでは当てはまらないネズミに移植したがん細胞での実験で大量に投与した場合のことであり、実際にその食品に含まれる量はほんのわずかなので効果は期待できないことがよくあります。
いずれにせよ、私たちが実際に食べている量ときちんと比べることが重要です。量のことを明らかにしない情報は「消費者を騙そうとしているな」くらいの心構えでいたほうがいいでしょう。
■時代や状況で変わる「許容できるリスク」
問題なのは、食品に「許容できるリスク」がどのくらいなのかということです。実はこれが食品の安全性を議論するときに一番難しいことで、教科書的には「その社会のみんなで決めていくもの」などと説明されたりします。
というのも、食品に許容できるリスクの大きさというのは、時代や社会状況によって変化するもので、いつでもどこでも変わらないわけではないからです。
これは、貧しい国と豊かな国、あるいは災害時と平常時のように、食料が豊富に入手できるかどうかによっても変わります。日本でも、戦後まもないころの食糧難の時代と現在とでは、食品に要求する安全性の水準はまったく違います。
日本を含めて多くの国で、社会が豊かになるとともに食品の安全性は向上し、食中毒による死亡者は減っています。
■必ずしも科学的根拠だけでは決められない
現在は、たとえば国際流通する食品の安全性の水準はこのくらい、といった専門家間での一定のコンセンサスはあるのですが、それが一般の消費者やすべての生産者に合意され共有されているかというと、必ずしもそうとは言えません。
そのため、何かの事故や事件があって食品の安全性対策について議論するとき、消費者団体や事業者団体がそれぞれ想定する「許容できるリスク」のレベルが違うために、対策について合意が得られない、ということがしばしば起こります。
食品安全についての議論が混乱する、最大の原因がここにあると思います。例えば認可されている食品添加物を使用しないよう求めている人自身、それがどのくらいの大きさのリスクの話をしているのかを自覚していないこともあります。
「許容できるリスク」は、一般的に人工物質について小さいのに対して天然物については大きく、外国産や目新しいものについて小さいのに対して国産や伝統のあるものに対して大きくなる傾向があります。それは必ずしも科学的根拠だけに基づいて解決できる問題ではないといえます。

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畝山 智香子(うねやま・ちかこ)

薬学博士、国立医薬品食品衛生研究所客員研究員

宮城県生まれ。東北大学大学院薬学研究科博士課程前期課程修了。薬学博士。専門は薬理学・生化学。現在は国立医薬品食品衛生研究所客員研究員。著書『食品添加物はなぜ嫌われるのか』『ほんとうの「食の安全」を考える』(化学同人)、『「健康食品」のことがよくわかる本』『「安全な食べ物」ってなんだろう』(日本評論社)など。

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(薬学博士、国立医薬品食品衛生研究所客員研究員 畝山 智香子)
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