■FRB初の黒人女性理事解任、一体なぜ
米連邦準備制度理事会(FRB)における初の黒人女性理事となったリサ・クック氏が、トランプ大統領に解任された。自身が契約した3件の住宅ローンに関して、有利な条件を得るため貸し手の銀行や信用金庫に虚偽の事実申告を行った、という不正疑惑が浮上したのだ。
クック氏は疑惑自体を明確には否定せず、代わりに「ローン申請書で事務的なミスがあった」と主張。その上でトランプ大統領を相手に「解任は無効」として差し止めを求める訴訟を連邦地裁に提起した。
クック氏は、「解任の真の狙いは、政治的圧力からの独立性を認められたFRBに、自分の息がかかった新理事を送り込んで支配することだ。トランプ大統領が望む『利下げ』実現という、不純な動機に基づく違法な解任だ」と主張する。
さらに同氏の代理人は、「解任が認められてFRBが大統領の意のままになれば、FRBの信認が損なわれ、米経済に修復不能な危害(irreparable harm)を与えかねない」と非難。
米コーネル大学経済学部のエスワール・プラサド教授も、「効果的な金融政策運営、米金融市場に対する世界の信頼、ドルの国際的な優位性に悪影響が及ぶ」との分析を示す。
一方トランプ政権は、クック氏の疑惑が「FRBの腐敗を象徴的に表すもの」との印象を拡散しており、パウエルFRB議長がクック氏を解任しないことが、規制・監督当局としてのFRBの信認を傷つけているとする。
住宅ローン詐欺を取り締まる立場のFRBの理事が、住宅ローン申請で不正を働いていたのであれば、まったく示しがつかない。パウエル議長が動かないため、トランプ大統領には解任の権限も理由もあるというわけだ。
■解任劇で問うべき“2つの問題”
クック氏が引き続き「FRBの独立性」という錦の御旗を掲げて闘う場合、彼女のトランプ大統領に対する訴訟は米連邦最高裁判所まで争われる可能性がある。
しかし、今回の解任劇で真に問われるべきは「クック氏が不正を働いたのか」でも「大統領にFRB理事の解任権限はあるのか」でもない。この裏には、より本質的な以下2つの問いが隠されている。
1.FRBはこれまで、金融機関の高リスクな証券化商品の取り締まりや、インフレ退治で失敗を重ねてきた。そもそもFRBに損なわれる『信認』が残されているのか
2.過去四半世紀に実行してきた金融政策は、結果として「経済格差の拡大」を招いた。FRBは本当に政権から独立した『中立』な組織といえるのか。そもそもFRBは誰のための組織なのか
本稿では、こうした深層に迫るとともに、「クック事件」が市場や日本にどのような影響を与え得るのかを読み解いていく。
■大統領にFRBの理事解任はできるのか
トランプ大統領は8月25日付でクック理事に宛てた書簡で、解任にいたった理由を以下のように説明している。
「米国民は政策決定と連邦準備制度の監督を委ねられたメンバーの誠実さを全面的に信頼できなければならない」
「あなたの金融に関わる不正直で、場合によっては犯罪的ともいえる行為を考慮すると、国民はもちろん、私自身もあなたの誠実さを信頼することはできない」
その上で、「米憲法第2条と1913年に制定された連邦準備法10条の権限に基づき、あなたの理事職を即刻解く」と告げた。
同法は、大統領に「正当な理由(cause)」がある場合、理事会メンバーを解任できると定めている。
ただしこの権限は、FRBの独立性を守るため、任命後の職務怠慢、職務放棄、職務上の不正行為のいずれかに該当する深刻なケースに限られると解釈されてきた。実際、FRBが1913年に設立されて以降、大統領が理事を解任した前例はない。
これに対し、クック氏は「私の事務的な間違いは、2022年5月に米上院でFRB理事に任命された後に行ったものではないため、トランプ大統領は私を法的に解任できない」と主張。
テクニカルな面から見れば、その主張には一理ある。まだ刑事訴追さえされておらず、反論の機会も与えられず、さらに有罪と認められるかも不明であるからだ。
■告発された“不正”の中身
しかし、金融商品や不動産などの資産に縁のない「持たざる非エリート」と、「持てるエリート」の貧富の階級差がますます開く米国において、クック氏の不正疑惑は、たとえ意図せぬ「事務上の手違い」であっても、道義的な問題がありすぎる。
まず、大学街に所在する3軒もの優良物件をローンで購入できる信用力は、大学の終身在職権(テニュア)を持つエリートならではの特権である。
クック氏は、body{font-family:Arial,sans-serif;font-size:10pt;}.cf0{font-family:Meiryo UI;font-size:9pt;}.cf1{font-family:Meiryo UI;font-size:9pt;}.pf0{}コロナ禍を受けたFRBの利下げにより住宅ローン金利が歴史的なレベルに低下した2021年1月に、ミシガン州アナーバーで保有する物件のローンを借り換え、そのわずか2週間後にジョージア州アトランタで高級マンションを購入した。
両方について頭金の支払額や金利が低く、売却時にキャピタルゲインの免除など優遇措置を受けられる「プライマリー・レジデンス(年間を通して最も多く居住する住宅)」として、貸し手の銀行や信用金庫に申告。両方の物件で有利な金利を得たとされる。
当たり前のことだが、クック氏には身体が一つしかないため、両方の物件でプライマリー・レジデンスを申告することはできない。この段階で、米連邦刑法で1年以上の懲役刑(重罪、felony)の可能性がある、以下4点を行った疑いが強い。
① 電子的通信手段を使った詐欺行為
② 郵便を使った詐欺
③ 銀行詐欺
④ 金融機関に対する虚偽の申告
詐欺行為が刑事事件化された場合に争点となる「金融機関を騙す意図」については、2件のローン組成が同じ月のわずか2週間しか経たない時間の枠内で行われたため、「意図せぬ事務的間違い」というのは非常に苦しい言い訳だろう。
ベッセント財務長官は、「クック氏から『私は(詐欺を)やっていない』という言葉は聞いていない。
さらにクック氏は2021年4月、マサチューセッツ州ケンブリッジでbody{font-family:Arial,sans-serif;font-size:10pt;}.cf0{font-family:Meiryo UI;font-size:9pt;}すでに保有する物件の住宅ローンの借り換えを行い、こちらは第2の住宅(セカンダリー・レジデンス)として申告し、プライマリー・レジデンスよりは頭金や金利がやや高いが、投資向け物件よりは断然有利なローンを組んだ。
そして、おそらくバイデン前政権から理事就任の打診を受けたと思われる2021年12月に、3軒目を「投資・賃貸用途」に変更したが、ローンは元の有利な条件のままであったと見られている。
また、2022年初頭に上院でクック氏の人事承認の審査が行われた際、不正が表面化しないよう、意図的にこれらの物件の申告でローンの種別をぼやかしたように見えるのだ。
■3軒とも貸しに出されていた
また、FRB理事就任後の2022年、2023年、2024年、2025年の4回、勤務先のFRBへの倫理コンプライアンス申告では、ミシガン州の物件を「プライマリー・レジデンス」、ジョージア州の物件は「セカンダリー・レジデンス」としていた。
ところが、首都ワシントンでFRB勤務を始めたクック理事はミシガン州にもジョージア州にも居住実態はなく、これらの物件は賃貸に供されていた。にもかかわらず、金融機関からは居住物件向けの有利な条件のローンを受け続け、勤務先の倫理に関する質問にはそれぞれを「プライマリー・レジデンス」「セカンダリー・レジデンス」と偽って申告し続けた疑いがある。
これが真実であるなら、物件購入時の金融機関に対する虚偽申告を糊塗(こと)・正当化するために働いた「在任中の不正行為」に相当するように筆者には思われる。理事就任後に4年続けて間違い続けるとは考えにくいからだ。
クック理事は、トランプ大統領による自身の解任により「FRBの信認が損なわれ、米経済に修復不能な危害を与える」と主張している。しかし、自身に対する重罪の嫌疑を明確に証拠で否定せず、FRBの信認を損ねている張本人はクック氏自身ではないだろうか。
ベッセント財務長官が主張するように、「もしFRBの当局者が住宅ローン詐欺を犯したのであれば、金融規制当局の一員であるべきではない。
クック理事は、詰んでいる。おそらく、もう長く持たないだろう。世論が彼女の居座りを許さないと考えられるからだ。
■損なわれるほどの「信認」があるのか
クック理事を擁護する勢力が繰り返し主張する「クック解任で、米国民や市場のFRBに対する信認が毀損され、米経済がダメになる」という言説も怪しい。
実際に、失うほどの信頼がそもそも残されていないからである。
英キングス・カレッジ・ロンドンのビジネススクールのデイビッド・アイクマン教授らが2025年1月に発表した研究によれば、FRBに対する国民の信頼は大きく傷ついている。
まず、「腐敗」はクック理事個人だけではなく、FRB全体の「組織文化」である。
規制当局であるFRBの高官によるインサイダー取引について、過去10年間だけでも、リチャード・クラリダ元副議長、ダラス連銀のスティーブン・カプラン前総裁、ボストン連銀のエリック・ローゼングレン前総裁が疑いをかけられた段階で辞任に追い込まれている。
FRBによる金融政策は市場を動かすのだが、その決定者たちが事前に情報を得られる立場を悪用した取引をして、もうけていたのだ。アトランタ連銀のラファエル・ボスティック総裁に至っては、インサイダー取引の疑いをかけられたにもかかわらず、未だそのポストにある。
さらに、次期FRB議長候補の一人として取りざたされるセントルイス連銀のジェームズ・ブラード前総裁は内部情報の漏洩が問題となったし、リッチモンド連銀のジェフリー・ラッカー前総裁も同じくリークで責任を問われるなど、腐敗の例は枚挙に暇がない。
■国民からの信頼は、四半世紀で“ほぼ半減”
また、今世紀に入ってから歴代FRB議長に対する米国民の信用度は、ダダ下がりである。
米世論調査大手のギャラップによれば、2000年に当時のグリーンスパン議長に対する「いくらか信頼できる」「とても信頼できる」との回答が合わせて74%であった。
しかし規制当局のFRBは、高リスクの証券化商品を放置して住宅バブルが弾け、自宅を差し押さえられた多くの米国民を中心に、米経済に「修復不能な危害」が及んだ。結果として、総合信頼度が40%付近にまで急落、この四半世紀でほぼ半減している。
後継のバーナンキ元議長も、「バズーカ砲」と呼ばれた大規模な金融緩和(QE)によるバブル的な状況を生み、不動産担保証券や米国債などの購入拡大で保有資産を必要以上に膨張させ、金融緩和の縮小(テーパリング)の実行方法も間違え、信頼度は40%台で低迷。
こうした中、グローバル化による米国へのマネー流入と対になったFRBの金融緩和の結果として、富裕層がさらに富む中で中間層がますます没落し、その後のイエレン元議長に対する信頼もあまり回復しなかった。
「独立性」「専門性」に支えられたFRBの一連の失敗は、2016年のトランプ大統領の当選の重要な背景となってゆく。
■パンデミック到来、信頼失墜は決定的に…
第1次トランプ政権下でトランプ氏に指名されたパウエル議長は、マネーを引き締めるべく利上げを4回行った後に、対中トランプ関税による経済低迷を防ぐため、2019年に3回の利下げを行う。
そのため人気が58%まで回復するが、トランプ大統領からは「利下げが遅すぎる」と非難された。
そしてパウエル議長は、その後のパンデミックによる狂乱物価の局面では利上げへの転換が遅れ、インフレを効果的に制御できず、現在の信頼は30%台にまで落ちている。
また、パウエルFRBによる高金利政策の副作用のひとつとして、金融引き締めで企業の借り入れコストが上昇するため雇用が大きく増えていない。高金利のため住宅やクルマ価格が上がって買いにくくなり、消費者のクレジットカード負債の返済額が膨れている。
一方で、高金利による企業の昇給抑制で、物価上昇に賃金上昇ペースが追い付かなくなっている。消費の息切れが起こり、仕事の掛け持ち、貯蓄の切り崩しでしのぐ世帯が増えている。
アメリカ国内の「雇用の最大化」「物価の安定化」が最重要の使命であるにもかかわらず、FRBによる政策はこれまで、ことごとく失敗してきた。
その結果として窮地に追い込まれた多くの国民は、FRBに対する信認を失っている。
■あぶり出されるFRBの偽善性
翻って、クック理事の対トランプ訴訟の争点は「米大統領にFRB理事の解任権限はあるか」であり、「クック氏が詐欺の犯罪を行ったか」ではない。本件が連邦最高裁判所にまで進み、彼女が法律のテクニカルな面で勝訴することは可能だ。
だが、クック氏がポストに居座り続けることができても、庶民からの怨嗟の声が高まるばかりだろう。
住宅ローン金利は高止まりを続けており、クック理事はパウエル議長に賛成する形で利下げに一貫して反対してきたにもかかわらず、自身は詐欺により3件もの低金利ローンで利益を享受していたように見えるからだ。
加えて、多くの黒人同胞がコロナ禍による失業で住宅ローンが支払えなくなり、他の人種よりも大きな割合で住宅の差し押さえを受けていたにもかかわらず、詐欺による物件賃貸ビジネスで利益を出していたのであれば、それは自身の人種グループに対する裏切りであったと見なされる可能性もある。
また、クック理事を含むFRB高官たちはバイデン前政権時代に、「貧しい人たちの金融包摂」という聞こえのよい念仏を唱え続けた。しかし、FRBがその111年の歴史の中で金融弱者の救済に真剣に取り組んだことはなく、一貫して低所得層や貧困層を放置してきた。
それどころか、FRBの金融政策は、富裕層の持つ資産の価値を大いに高め、既存の経済格差をさらに悪化させる結果を生んでいる。
■本来の使命よりも優先されたもの
パウエル議長はインフレ急進中の2021年4月に首都ワシントン経済クラブにおける講演で、「経済回復の力強さを見定めるには、ホームレスも考慮に入れられるべきだ」と発言。「金融政策が決定される際に、彼らもわれわれと同じ部屋にいるべきだ」と踏み込んだ。
だが、パウエル氏の講演中に、多くのホームレスたちがテントを張るFRB本館近くの一帯で雨が降っており、「ホームレスたちは政策決定に関与するどころか、ぬかるみとなった公園の地面の上で雨露を防ぐだけで精一杯であった」と、ワシントン・ポスト紙のレイチェル・シーゲル記者のルポは伝えた。
今、ホームレスの彼らはトランプ大統領の「首都浄化作戦」により路上から追放されている。だが、パウエル議長の高金利政策の続行で住宅価格が上昇し、賃貸価格もそれにつられて上昇、ホームレスは再び住居に入居する希望を奪われている。
米議会がFRBに課した本来の使命は「雇用の最大化」と「物価の安定」だが、パウエル氏やクック氏たちは「金融によるジェンダー平等」「銀行の融資における気候変動対策」などの無関係のアジェンダを巡り、天地がひっくり返ったような大騒ぎをしていた。その間に、インフレは高進・高止まりし、国民生活は破壊されたのである。
全米トップの公立校であるカリフォルニア大学バークレー校経済学部の中村恵美教授は、「2021~2022年の局面でFRBは物価抑制に失敗したが、信認があるため、その後のインフレ退治に成功した」との見方を示している。
中央銀行の独立性が尊重されるべきであるのは、万人が同意するところだ。
だが、FRBに対する「信認」や、FRB高官たちの「専門性」、そしてFRBの「独立性」は、今や党派性の高い経済イデオロギーの隠れ蓑となっており、彼らの職務怠慢、職務放棄、職務上の不正行為が覆い隠されているのではないだろうか。
そうであれば、検証や是正が必要となろう。
■市場はいたって冷静に動いている
世界的な投資家であるウォーレン・バフェット氏は、「階級間闘争が存在している。それは事実だ。だが戦争を仕掛けているのは私の属する階級、すなわち富裕層であり、われわれは今のところそれに勝利している」と語った。
金融を司るFRBはその「階級闘争」において、クック理事のような富む者たちの利益を増進しているように見える。
FRBの権威や道徳的な優越性は「クック事件」で傷つき、金融政策運営が困難になろう。
逆に、「エリート階級の腐敗追及」を掲げるトランプ大統領は人気が上昇する可能性がある。
こうした中、トランプ大統領のクック氏解任発表で大きく下げた市場は、再び上げに転じている。前ニューヨーク連銀総裁のウィリアム・ダドリー氏は、「市場がこれほど冷静でいることに正直驚いている」と語っている。
また市場は、あれほど嫌っていたトランプ関税にも順応している。5月に米国債の最上位格付けがムーディーズ・レーティングスによって剥奪された際にも、米ドルは暴落しなかった。
FRBが独立性を失うことによるトランプ政権の放漫財政の懸念についても、ベッセント米財務長官が8月26日、「トランプ関税による収入は、当初予想の年間3000億ドル(約44兆円)を超えて、年間5000億ドル(約74兆円)以上になる見込みだ。しかし、実際には1兆ドル(約147兆円)近くにのぼる可能性がある」という見通しを示した。
税収が増えて財政が改善すれば、市場の懸念は収まってゆくのではないか。
市場はトランプ大統領のFRB支配にも適応してゆくだろう。その方が、もうかるからだ。
その文脈で考えると、クック理事の自発的辞任あるいは裁判の敗訴はFRBの信認を回復させる効果を持ち、かえって資産価格を上げるように思われる。
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岩田 太郎(いわた・たろう)
在米ジャーナリスト
米NBCニュースの東京総局、読売新聞の英字新聞部、日経国際ニュースセンターなどで金融・経済報道の基礎を学ぶ。米国の経済を広く深く分析した記事を『現代ビジネス』『新潮社フォーサイト』『JBpress』『ビジネス+IT』『週刊エコノミスト』『ダイヤモンド・チェーンストア』などさまざまなメディアに寄稿している。noteでも記事を執筆中。
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(在米ジャーナリスト 岩田 太郎)