映画『国宝』が空前のヒットとなっている。興行収入は124億円(8月末時点)に達し、邦画実写作で歴代2位となった。
主人公が歌舞伎界で才能を磨き、人間国宝となるまでの半生を描いたこの作品は、古典芸能を題材としながらも、若年層を含めた幅広い観客の共感を呼んだ。なぜ『国宝』は多くの人の心を捉えたのか。映画を4回観た歌舞伎ファン・日本女子大学名誉教授の細川幸一さんが迫る――。
■なぜ『国宝』はここまでヒットしたのか
6月に公開された映画『国宝』が大ヒット中だ。公開77日間で観客動員数782万人、興行収入は110.1億円を突破。8月末時点では124億円に達したと報じられている。公開から3カ月経過しても週末にはほぼ満席となる映画館もある。
任侠の家に生まれながら歌舞伎の道に人生を捧げる主人公・喜久雄の人間国宝認定までの50年を描いた約3時間の大作だ。作家・吉田修一氏が3年間にわたって歌舞伎の黒衣をまとい、その経験を生かして仕上げた原作をもとに、李相日監督が映画化。奥寺佐渡子氏が脚本を手掛けた。
8月27日、李監督が第38回東京国際映画祭(10月27日~11月5日)の黒澤明賞受賞者に決定。28日には、第98回米国アカデミー賞国際長編映画賞の日本代表作品に選ばれたことも発表された。

歌舞伎という伝統芸能の世界を描く本作は、若い世代には関心を持たれにくいと思われる題材でありながら大ヒットした。それに呼応するかのように歌舞伎座の入場者も増えているという。
歌舞伎は古典芸能であるため「国の助成金等によって支えられている」と思わがちだが、実際には松竹という私企業が興行を担う商業演劇だ。ゆえに、採算や観客動員に左右されやすく、その将来を不安視する声も少なくない。
映画『国宝』のヒットは、この商業歌舞伎が新たな観客層を獲得する好機になるのか――。本稿ではその可能性について考察したい。
■歌舞伎の舞台の臨場感
本作のストーリーは、任侠の一門に生まれた喜久雄が抗争で父親を亡くした後、上方歌舞伎名門の当主・花井半二郎に才能を認められて、門弟として引き取られることろから始まる。
喜久雄は部屋子(子どもの頃から幹部俳優に引き取られ、芸を仕込まれる)となり、未来を約束された御曹司・俊介と歌舞伎役者の道を歩んでいく。
このドラマティックな人生を彩るのは豪華なキャスト陣だ。大名跡役者・花井半二郎を演じるのは渡辺謙。主人公・喜久雄(花井東一郎)を吉沢亮、喜久雄の生涯のライバルとなる半二郎の息子・俊介(花井半弥)を横浜流星が演じる。ほかにも半二郎の妻・幸子を寺島しのぶ、喜久雄の恋人・春江を高畑充希、名女形・小野川万菊を田中泯など、重厚で多彩な布陣となっている。

特筆すべきは吉沢亮、横浜流星が1年以上に及ぶ長い稽古で歌舞伎の所作を習得し、本番さながらの動きを表現していることだろう。その成果を李監督が引き出し、臨場感あふれる美しい映像に仕上げた。
筆者は本作を4回観た。スクリーン越しでありながら歌舞伎の舞台の臨場感を味わえた。シネマでも歌舞伎の舞台を十分楽しめる、あるいはそれ以上という感じだった。料金も歌舞伎座に比べれば格安で、歌舞伎を知らない人にも魅力的な入口になる作品だ。
■金のかけ方が違う
日本の実写映画の制作費は3~4億円が一般的で、大作であっても10億円が限界だと言われている。その理由は、例えヒットしても興行収入は30億円ほどになることが多く、宣伝費等のコストを考えれば、赤字になるリスクが大きくなるからだ。しかし、国宝には12億円の製作費が投じられた。金のかけ方が違うのだ。
商業演劇としての歌舞伎の興行主は松竹だが、映画の配給が東宝であることも話題となった。東宝だからこそ歌舞伎俳優ではない吉沢亮、横浜流星を主役に配役でき、古い因習が残る歌舞伎界を舞台に自由な発想で映画を作れたともいえる。

配給は東宝だが、アニメーションを中心に幅広いビジネスを手がけるアニプレックスが設立したミリアゴンスタジオが製作幹事を務めている。美術監督は種田陽平氏で、撮影はソフィアン・エル・ファニ。原摩利彦の音楽も映画を盛り上げる。種田氏の指揮のもと、東映京都撮影所の大道具チームが全般的に美術面を担当し、歌舞伎の舞台装置は「たつた舞台」が担当した。
■映像で描かれた舞台と舞台裏の魅力
本作には、多種の劇場が登場する。実際の劇場も使われているが、喜久雄が晩年に立つ「日乃本座」は、空襲で消失する前の歌舞伎座をイメージして作られたものだ。外観、ロビーは現存する「びわ湖大津館」が使われ、内部の舞台・客席は東映京都撮影所のスタジオに設営された精緻なセットで再現されている。
冒頭10分ほどで描かれる長崎の料亭「花丸」の場面(こちらもスタジオセット)は圧巻で、映画のテーマを鮮明にし、それからのストーリーに対する期待を迫力をもって観客に抱かせた。3時間に及ぶ長編映画を飽きさせない重要な役割を果たしていた。
任侠一家・立花組組長・権五郎(永瀬正敏)の盛大な宴会から始まる。花井半二郎(渡辺謙)が組長の横に座し、組長の倅・喜久雄(幼少時代を演じた黒川想矢)が女形・遊女墨染を舞踊劇「積恋雪関扉」の余興で演じる。
喜久雄の芸に感心する半二郎。
そこに敵対する組の襲撃にあい、権五郎が雪の舞う中庭で果てる。その光景を喜久雄と半二郎が窓越しに見つめる圧巻のシーンは、まさに東映の任侠映画を彷彿とさせる名場面だった。
映画では歌舞伎の舞台上の演目が複数登場するが、役者の目から見た舞台の臨場感も映画の観客を惹きつける。また、歌舞伎の舞台だけでなく、舞台裏、歌舞伎俳優の生活を時代の変化とともに丹念に描いていることも評価が高い。種田美術監督の技が光った。
■「歌舞伎はつまらない」のか――團十郎丈が明かした“伝わらなさ”の壁
筆者自身、市川團十郎丈に直接、現代の歌舞伎のあり方を問うたことがある(2025年6月9日・歌舞伎座「七月大歌舞伎」取材会)。團十郎は、「自分たち演じる者は面白いと思っているが」と前置きしたうえで、「面白い演目とつまらない演目がある」と答えた。歌舞伎の良さが現代の観客に伝えきれていないという認識の表れであった。
現在の歌舞伎は松竹が興行主(地域の歌舞伎などを除く)と述べたが、独立行政法人日本芸術文化振興会が運営する国立劇場でも興行が行われている(実際には松竹が製作協力)。その歌舞伎興行のなかに、「歌舞伎鑑賞教室」がある。
その名の通り初心者向けの興行で、筆者は2024年7月の「義経千本桜 河連法眼館の場」(ティアラこうとう他)を観た。ケレン味(意表をついた派手な演出などの意味)のある一幕で人気の演目だ。
当日の客席はほぼ団体鑑賞と思われる若い客層で埋まっていたが、半分以上の観客が退屈そうにしており、後半はスマホをいじり始める者まで現れ、係員が注意する場面もあった。
歌舞伎関係者やファンが特に面白いと思う演目でも、スマホで簡単にエンタメを鑑賞することに慣れた若者が、歌舞伎を面白いと思わないケースも多いのではと予想する。
■家を継ぐのは才能か、血か
歌舞伎の人気演目は何かと問われれば、「忠臣蔵」と答えるファンは多いだろう。しかし、「ちゅうしんぐら」と聞いて、理解できる若者はどのくらいいるだろうか。江戸時代に作られた演目は、上演時間も長く、一幕1時間以上のセリフ中心の演目も多い。イヤホンガイドもあるが、興味が薄ければあまり役立たない。
團十郎は古典歌舞伎の演目においても現代の観客を意識した工夫をしていることで知られる。例えば、2024年7月の歌舞伎座「星合世十三團(ほしあわせじゅうさんだん)」だ。先ほど紹介した歌舞伎教室の「河連法眼館の場」は「義経千本桜」という狂言の一場面だが、この興行はその通し狂言で11場もあるが、テンポが非常によく、娯楽性に富み、演出も現代的表現を含み、「歌舞伎鑑賞教室」にはこちらの方はよほど魅力的と感じた。
もちろん松竹も理解はしている。「スーパー歌舞伎」「超歌舞伎」など、歌舞伎様式を取り入れた現代感覚の興行を行っているが、歌舞伎の殿堂とされる歌舞伎座に足を運ぶ客を今後も維持できるかは不透明だ。
歌舞伎研究者の早稲田大学・児玉竜一教授は、日本を代表する古典的な演劇が私企業によって運営されているのは「世界の奇跡」としたうえで、「歌舞伎は伝統的な技芸を伝承すると同時に、現代にアピールするスターや作品を生み続けなければならない。
伝統と革新を宿命として担うのが、本作『国宝』における喜久雄と俊介のような存在となるのだ」と述べている(映画パンフレット)。
■「喜久雄のような役者」は本当に存在するのか
映画の中でひっかかる重要なシーンがあった。それは、花井半二郎が事故で入院し、当たり役「曽根崎心中」の遊女お初の代役に、息子の俊介(半弥)ではなく喜久雄(東一郎)を指名するシーンだ。
ここで半二郎の妻・幸子(寺島しのぶ)は、「喜久雄は部屋子やで。俊ぼんが筋やろ!」と怒りをぶつける。このようなことは本当にあるのだろうか。
寺島は七代目尾上菊五郎の長女でもある。彼女は「AERA DIGITAL」(2025年7月11日)のインタビューでこう答えている。
「現実の歌舞伎界でも実の息子がいなくて困っているときに養子を入れることはあります。でも自分の子供が存在しているのになぜ?という気持ちが湧きました。よその子である喜久雄を連れてきて息子と切磋琢磨させて、その結果、喜久雄の方が才能がありそうだからと選ぶ。あの場面は半二郎の本意が読み取れず『それはないよ。』とどこに怒りをぶつけていいのやら、複雑な気持ちが溢れました」
現実では、歌舞伎俳優に実子がいない場合や、役者にならなかったときは、家の芸・名跡を引き継ぐ者がいないので、才能を見込んだ者を部屋子としたり、養子に迎えて引き継がせることもある。
一方で、寺島は「でも実際には半二郎みたいな人がいてもいいなと、私は思います。世襲が全てではないですから‥」とも述べている。
この言葉に、映画『国宝』が描こうとした理想――「才能によって継がれる芸の世界」への希望がにじむ。だが、その実現は、現実の歌舞伎界では容易ではない。
■“家”がなければ舞台に立てない
現在の歌舞伎では、実子相続が多い。だが、この傾向は戦後に顕著になったもので戦前までは養子が少なくなかったという。評論家の中川右介氏は著書『歌舞伎 家と血と藝』(講談社現代新書)の中で以下のように述べている。
「明治以降、歌舞伎役者の社会的地位が飛躍的に向上するのに伴い、実子に継がせるようになっていく。たまたま明治半ばの時期にその名跡を名乗っていた役者が、それを既得権益化し、自分の子に継がせるようになっていくのだ。その意味で明治維新の功労者たちが爵位を得て名家となったのと似ている。そして戦後、爵位は廃されたが、歌舞伎役者の名跡は残ったのである」
「その家の歴史や格式といった要素が大きく左右するいわゆる門閥主義が残る世界である。というよりも門閥で成立している世界と言った方がいい。そして門閥を支えているのが『世襲』制度である」
家の歴史の長さ、家の創設期に旦那であったか、門弟筋であったかで格式も異なり、現代の演目の配役にも影響している。
■新規参入の道はあるが、未来は険しい
特に歌舞伎座の舞台では、今もなお「主役を張る家」と「そうでない家」が存在している。歌舞伎の家以外に生まれた者だけでなく、血を継いだ者の間でも歴然とした配役の格差がある。
中川氏も著書『歌舞伎 家と血と藝』でこう指摘している。
大名跡の家に生まれた子は「とりあえず子どもの頃から舞台に立ち青年期から大役に抜擢される。その過程で実力がなければ主役コースから脱落するが、その逆はない。つまり門閥以外から歌舞伎の世界に入り、にもかかわらず主役に抜擢されることはごく一部の例外を除いてありえないのである」
具体例として、中川氏は女形として名高い坂東玉三郎を挙げる。名門家の養子となり門閥に属したからこそ、歌舞伎の世界の外で生まれながらも劇界の中心に立つことができた。
ただし、新規参入がないわけではない。
その中心は国立劇場伝統芸能伝承者養成所からのルートだ。運営主体は日本芸術文化振興会で、国立劇場設立当初から伝統芸能伝承者の養成事業に取り組んでおり、養成所の歌舞伎俳優研修はその一つだ。
この研修は、歌舞伎俳優になるための基礎教育を行うことを目的としている。応募資格は中学校卒業以上の男子で、原則、年齢23歳以下、経験は問わない。研修期間は2年間(全日制)だ。
■いまも世襲が中心
しかし、研修を修了しても必ず歌舞伎俳優になれるわけではない。
「研修修了後に一般社団法人伝統歌舞伎保存会のあっせんにより幹部俳優に入門し、歌舞伎俳優として舞台出演することになる」のだ。つまりは現代的な養成学校ではあるが、歌舞伎の家の長(旦那)の門弟となり現“家”の枠組みの中に入らなければ舞台には立てない。
家制度は踏襲されているのだ。
ちなみに現在の歌舞伎俳優は約300人で、うち養成所修了者100人ほどだ。わき役のほか、後見(こうけん)(舞台上のサポート役)や黒衣といった主役の演技を補助する役が多い。
江戸時代には歌舞伎役者間の格差は激しいものがあった。現在は「名題(なだい)」と「名題下(なだいした)」に大別されている。これも資格制度ができている。名題俳優(名題役者)になるには、日本俳優協会の名題資格審査(名題試験)に合格して「名題適任証」を取得する必要がある。しかし、ここでもそれだけでは名題俳優にはなれず、「諸先輩やご贔屓、興行主など、関係方面の賛同を得て、名題昇進披露を行う必要」(歌舞伎俳優名鑑HP)がある。
名題になれば、舞台でもセリフの多い重要な役をもらうことができる。また、興行の看板やちらしに名前と顔写真が入る。しかし、歌舞伎座などの伝統歌舞伎公演で主役級を張るのはほとんど御曹司だけだ。しかも御曹司は名題になる前の10歳くらいから大役を任されることもある。舞台に出たときから看板・ちらしにも名前、写真が載る。
世襲制度を柱として維持しながら現代的登用システムを取り入れているのが歌舞伎の世界だ。
■夢が実現するのは研修発表会だけなのか
今年8月、国立劇場養成所出身者で組織する「稚魚の会」会員が主に出演する歌舞伎公演が浅草公会堂で開催された(国立劇場養成所歌舞伎俳優既成者研修発表会)。
普通であれば主役を張ることができない伝統的な歌舞伎演目「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」「棒しばり」「勢獅子(きおいじし)」の3演目を演じた。4日間4公演だったが、毎回ほぼ満席で、観客の熱気は歌舞伎座の通常のそれとは各段に違っていた。演技もたいへんすばらしく、どこかの御曹司かと思わせるほどだった。
日頃、わき役や後見、黒衣などの役を与えられている彼らも舞台に主役として立てば、風格が出ることを実証していた。因習、伝統を重んじる歌舞伎界は人材を活用していないと感じた時間だった。彼らからも経験を踏めば、スターが出てくる予感がした。
そもそも国立劇場は、なぜ自らの養成所出身者を劇場の定期歌舞伎公演で主役級として積極的に登用しないのであろうか。
その背景には、興行には歌舞伎俳優の幹部、松竹の協力が不可欠であるという事情があるのだろう。しかし、本来エンターテインメントとは、観客に夢や感動を与えるものだ。なにより役者自身が夢が持っていなければならない。
■国宝が突きつけた「伝統」と「革新」の命題
世襲が歌舞伎の伝統を支える大きな柱であることは理解しているし、贔屓(ひいき)の家の役者の成長を見守ることが歌舞伎観劇の楽しみの一つであることも確かだ。
そんな歌舞伎の人気演目のひとつに「口上」がある。これは襲名などの際に行う「ご挨拶」で、役を演じるわけではない。それでも格式と様式美、歴史的な機会に立ち会える特別感が観客を惹きつける。役者の挨拶が演目として成立している演劇は世界中を見渡しても日本の歌舞伎以外にはないだろう。
だが、伝統だけでは観客の裾野は広がらない。
映画・国宝の最大のテーマは、名門に生まれた御曹司・俊介と、血筋を持たないが才能で這い上がってきた喜久雄のどちらが家を継ぐか、という葛藤にある。この構図こそ、歌舞伎界が抱える「伝統と革新をどのように両立するか」という命題そのものだ。国宝のヒットは、こうした課題に多くの人たちが関心を寄せている証とも言えるだろう。

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細川 幸一(ほそかわ・こういち)

日本女子大学名誉教授

独立行政法人国民生活センター調査室長補佐、米国ワイオミング州立大学ロースクール客員研究員等を経て、日本女子大学教授。一橋大学法学博士。消費者委員会委員、埼玉県消費生活審議会会長代行、東京都消費生活対策審議会委員等を歴任。専門:消費者政策・消費者法・消費者教育。2024年3月に同大を退職。著書に『新版 大学生が知っておきたい生活のなかの法律』『大学生が知っておきたい消費生活と法律【第2版】』(いずれも慶應義塾大学出版会)などがある。歌舞伎を中心に観劇歴40年。自ら長唄三味線、沖縄三線を嗜む。

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(日本女子大学名誉教授 細川 幸一)
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