※本稿は、鹿野晃『救急医からの警告』(日刊現代)の一部を再編集したものです。
■安易に「やれることは全部」とお願いしてはいけない
人生の終わりをどう迎えるか――。この問いは、誰もが一度は向き合わなければならない、人生最大の課題です。
あなたが突然意識を失い、救急車のサイレンが鳴り響くとき、あなたの家族は医療技術の発展がもたらした難しい選択に直面します。積極的な治療を望むべきか。それとも、愛する人の自然な死を受け入れるべきか。人生の終わりが近づいたとき、あなた自身は何を望むでしょうか?
苦痛に耐えながらも、できる限りの治療を受けることでしょうか。それとも、静かに、安らかに、最期のときを迎えることでしょうか。
私は現在、24時間365日体制で高度な救急医療を提供している病院を経営しながら、今も最前線で働いています。実際の救急医療の現場から、ぜひみなさんにお伝えしたいことがあります。
それは、突然やってくる家族や大切な人の救急時、その場の雰囲気で「やれることは全部やってください」と安易に延命治療や高度な医療をお願いしないこと。
初めての救急車、家族の一大事にパニック状態の中、あなたは大きな決断を迫られます。救急隊員から「高度な医療を希望されますか?」と聞かれるのです。「高度な医療」には、胸骨圧迫、電気ショック、気管挿管、人工呼吸器の装着などが含まれます。しかし、こうした処置の副作用や後遺症についての説明は十分ではないことが多いのです。
■「高度な治療」の知られざる中身
たとえば高齢者の場合、胸骨圧迫を1回行うだけで肋骨が折れ、5~10分続けると肺が傷つき、出血することもあります。効果的な胸骨圧迫を施すには、胸が3分の1くらいへこむほどの強い力が必要で、健康な人でさえ一度受ければ激痛で転げ回るほどの痛みを伴うのです。
一方で、血圧を上げる昇圧剤だけを使う場合もあり、これは比較的苦痛が少ないため、「昇圧剤だけは使ってほしい」と希望する家族もいます。問題は、こうした選択を迫られたとき、家族がその意味を十分に理解できているかどうかです。
医学的知識のない一般の人にとって、「高度な治療」という言葉だけでは、具体的にどのような処置が行われ、どんな結果が予想されるのかわからないのが実情ではないでしょうか。こうした説明もなしに、生死をさまよう大切な人の前で、「高度な治療を希望しますか」と聞かれれば、ほとんどの家族は「できることは全部やってあげたい」と考えるでしょう。
とはいえ、「延命治療を希望しますか」と聞かれれば、多くの人は躊躇するはず。「高度な医療」と言われると、何とか助けてくれるのではないかという期待から、「お願いします」と答えてしまう人も多いのです。
■「フルコースの治療」はつらい結果になることも多い
本稿では、誰も語ってこなかった救急医療の現状をありのままお伝えします。「もしも」のとき、あなたの知識が自分自身や大切な人の運命を分けるのです。後悔のない判断ができるよう今から備えておきましょう。
あなたや大切な人が緊急事態に陥ったとき、多くの人は迷わず「最善の治療をしてほしい」と考えるでしょう。ところが、救急医療における「最善」とは、必ずしも患者にとって最良の選択とは限らないのです。救急の現場で「高度な治療」を希望すると、それは「あらゆる手段を尽くした救命処置、延命処置のフルコースを受けたい」という意思表示になります。
この選択をすると、患者は救命救急センターに搬送され、可能な限りの医療処置が施されます。救急隊から受け入れの病院に連絡が入る際にも、「フルコースで救命処置、延命処置を希望されている」と伝えられるのです。一方で、フルコースの処置を希望しない患者は、救命救急センターではなく一般の2次救急病院で治療を受けたり、場合によっては自宅で訪問診療医による看取りを選択したりすることになります。
フルコースの実態は、患者さんにとって非常につらい処置になることが少なくありません。とくに高齢者の場合、心臓が止まった状態からいくら厳しい治療をしても、心臓が動き出し、意識が戻る確率は数%。
大多数の高齢患者にとって「高度な医療を希望されますか」という問いは、最期に苦痛を伴う処置を受けて亡くなるのか、それとも家族に手を握られ、感謝の言葉を交わしながら安らかに大往生するのか、その分かれ道を意味することになります。
■どれだけ処置しても9割は助からない
実際のところ「98歳、寝たきりで認知症が進行した男性がフルコースを希望している」と聞けば、救命救急センターの多くの医師は、本当にそれでいいのかを救急隊に再確認するでしょう。
東京では指令室を介するため、救急隊と受け入れ先の医師が直接話すことは難しいですが、地域によっては、重症患者の場合、救急隊から直接連絡が入ることもあります。「『高度な治療を希望しますか?』と聞いたら、希望されたので連絡しました」という救急隊員に対し、医師からは「高度な治療という説明では、みんなそれをお願いしてしまうでしょう」と指摘することがあります。
人工呼吸器をつけても意識が戻らず植物状態になる可能性や、胸骨圧迫の苦痛、処置をしても9割の患者は助からないという現実を、どこまで説明したかを確認します。多くの場合、救急隊はそこまで詳しい説明はしていません。
救急隊の中には「そこまで詳しく説明してはいけない」という雰囲気があるためです。ただ、覚悟のある救急隊長などは、しっかりと説明することもあります。
なぜこのようなことが起こってしまうのでしょうか。
■ほとんどの家族が「やめてください」と訴える
最大の原因は、救急隊員が患者さんから訴えられることを恐れているからです。これは、多くの医療従事者が常に意識せざるを得ないリスクといえるでしょう。
たとえば、救急隊員の説明により家族が延命治療を望まなかったとします。患者を2次救急に搬送した結果、十分な処置が行われないまま亡くなる。
一方、「高度な治療」という言葉を使い、家族の同意を得て救命救急センターに搬送さえしておけば、救急隊員は訴えられる心配がありません。つまり、なるべく自分に責任が及ばないように言葉選びをしているといっても過言ではないわけです。
「高度な医療」という言葉は、一見ポジティブに聞こえますが、実際の現場は違います。救急隊による胸骨圧迫により、目の前で大切な人の胸や肋骨がバキバキと折れ、飛び散る血を目の当たりにする。すると、ほとんどの家族が「もうやめてください」と訴えます。
一度、このような延命治療を経験したご家族は、二度と希望しないと心に決める方がほとんどです。
■救急車には医師は乗っていない
救急車に乗っている「救急隊員」という職業について詳しく知っている方はどのくらいいらっしゃるでしょうか。
「救急車には医師が乗っている」「救急救命士はお医者さん」という誤解をしている方も少なくないかもしれません。そもそも、救急車に医師は同乗していませんし、救急救命士は医師ではありません。
救急車には通常、3名の救急隊員が乗車しています。そのうち、少なくとも1人は「救急救命士」の資格を持っていなければなりません。
呼吸が停止した患者に対して、気道を確保し、肺に空気を送り込む処置や電気ショックなどです。さらに、「認定救急救命士」と呼ばれる特別に認定を受けた救急救命士は、気管に直接チューブを挿入する「気管挿管」や、強心剤のアドレナリンを投与するなど、より高度な応急処置を施すことができます。救急隊はこのような処置を行いながら、受け入れ可能な病院を探し、患者を搬送します。
原則として、救急救命士が業務を行える場所は「救急車の中」に限られています。また、医師の具体的な指示がなければ、救命処置を行うことはできません。救急救命士が特定の医療行為を行う際には、まず医師に連絡を取り、「特定行為指示要請」という手順を踏みます。
医師から「特定行為」の指示を受けることで、点滴などの処置を行えるのです。救急救命士は医師ではないため、医師の具体的な指示がなければ、医師免許の必要な医療行為を行うことはできないのです。
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鹿野 晃(かの・あきら)
むさしの救急病院 理事長・院長
医療法人社団 晃悠会 ふじみの救急病院 名誉院長2002年藤田医科大学医学部卒業。救急科専門医。青梅市立総合病院(現・市立青梅総合医療センター)救命救急センター医長などを経て、医療法人社団晃悠会を設立。
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(むさしの救急病院 理事長・院長 鹿野 晃)