世界の中で日本が置かれている状況を俯瞰した時、わが国はどんな舵取りをするべきか。国際基督教大学のスティーブン・ナギ教授(政治・国際関係学)は「戦後秩序が崩壊する中、日本は『囚人のジレンマ』に陥っている。
米中の覇権争いの激化の中で針の穴を通すような精密な外交術を要求されているが、日本の長所を生かした戦略で生きのびることは可能だ」という――。
■米国・中国の板挟みの海洋国家が新・冷戦で選択すべき戦略
今、日本は戦後最大の危機に直面している。70年間、この国の安全保障と繁栄を支えてきた国際秩序が、目に見える形で急速に崩壊しつつあるのだ。
信頼できない同盟国アメリカ:トランプ2.0が加速させる「アメリカ・ファースト」
最大の安全保障パートナーであるアメリカは、もはや予測不可能な存在となった。ドナルド・J・トランプ大統領の下で展開される「トランプ2.0」政権は、同盟の価値そのものに疑問を投げかけている。これは一時的な政策転換ではない。
冷戦終結後、アメリカは「世界の警察官」として自国の資本を投入してきたことに疲弊し、国内問題への集中を求める声が高まってきた。一例として貿易における保護政策はトランプが生み出したものではなく、オバマ政権から受け継がれてきたことを忘れてはいけない。トランプ政権によって加速されただけで、アメリカ社会に根を張った長期的なトレンドなのだ。
従属を迫る経済大国中国:「中華圏」を拡大する習近平
一方で、日本最大の貿易相手国である中国は、地域覇権を積極的に追求している。習近平政権が構築しようとしているのは、周辺諸国に従属を要求する「中華思想」の秩序だ。日本にとって、これは1945年以来最も複雑な課題となっている。

イタリアの思想家アントニオ・グラムシが「権力の空白期(インターレグナム)」と呼んだ現象が、まさに今起きている。古い秩序は死につつあるが、新しい秩序はまだ生まれていない。そんな不安な過渡期を、我々は生きている。
70年間国際関係を支配してきたルール、規範、権力構造が溶解しつつある一方で、それに代わるものは依然として不明確だ。アメリカの安全保障がもたらす構造と中国の経済ネットワークの両方に深く統合されている日本にとって、この不確実性は特に深刻な意味を持つ。
東アジアの囚人「日本」:現状の「二股外交」維持は絶対無理?
合理的な選択をしようとしている日本は今、「囚人のジレンマ」に陥っている。米中という二つの巨象の間で綱渡りを続けなければならない日本にとって、両国の覇権争いの激化は針の穴を通すような精密な外交術を要求されているようなものだ。
もし日本がアメリカとの同盟に全面的に賭けた時にアメリカが同盟から撤退すれば、日本は孤立のリスクに直面する。トランプ政権の予測不可能性を考えれば、これは決して杞憂ではない。
逆に、北京が攻撃的な行動を続ける中で中国の思うままに動けば、日本は従属国家となり、経済的利益と引き換えに政治的独立を失う可能性がある。
しかし、アメリカとの深い安全保障関係と中国との深い経済関係のバランスをとっている現状維持も、米中戦略競争が激化する中でますます難しくなっている。日本は米中対立の板挟みで、これまでの「いいとこ取り」戦略が通用しなくなり、どちらかを選ばざるを得ない状況に追い込まれつつあるのだ。

■日本が直面する構造的制約…三重苦の現実
日本は深刻な三重苦に直面している。
第一の苦難:海上交通路依存という地理的不利

中国が遮断できる海上輸送路に依存する島国という地理的不利がある。海上封鎖されれば国家の存続が脅かされるため、シーレーン(海上交通路)の安全確保が死活問題となる。
第二の苦難:中国依存経済という構造的脆弱性

半導体やレアアースなど重要な資源を中国に依存した経済的不利。これらのサプライチェーンは一朝一夕には変更できない。
第三の苦難:人口減少社会の防衛力限界

人口減少と高齢化が進み、独立した防衛力の構築を困難にしている国内の課題。加えて、戦争の記憶が軍事力増強に対する国民感情を複雑にしている課題もあるだろう。

しかし、日本にはこれらの課題を乗り越える独自の強みがある。他国が必要とする先端技術力、国際的な信頼と制度構築への影響力、そして世界第4位の経済規模という重要性である。さらに日本は、文化的魅力と開発援助を通じたソフトパワー、そしてアジアの先進民主主義国として他の民主主義国では代替できない独特なポジションを持っているのだ。
それでは他国はどうしているのか? 他国の戦略から学ぶことはできるが、日本の特殊な立場を考えると、そのまま適用することは困難だろう。
■ASEAN型バランス外交:小国だからこそ可能な戦略
ASEANのバランス外交をみてみよう。
シンガポールの外交官兼研究者キーク・チェン・チューの分析は示唆に富んでいる。ASEAN諸国は「実利優先の経済関係」「多国間枠組みへの巻き込み(米中などの大国を多国間協定や国際会議に参加させることで、一方的な行動を取りにくくする)」「部分的協力」「単独支配の阻止」「間接的な勢力均衡」という5つの戦略を同時に追求することで、米中対立の中でも特定陣営に属さず独自の立場を維持している。
実は、日本もASEAN型のバランス外交を一部実践している。経済面では中国との関係を維持しつつ、安全保障面では従来の日米同盟を超えて、オーストラリア、インド、ヨーロッパ諸国との協力関係を強化しているのだ。
特にクアッド(日米豪印4カ国協力)は、軍事的対立を避けながら中国の一方的な影響力拡大を牽制する「間接的な勢力均衡」戦略の代表例である。日本が提唱する「自由で開かれたインド太平洋」構想も、武力ではなく国際ルールや価値観の普及を通じて、特定国による地域支配を防ぐアプローチを示している。
このように日本は、中国との経済的利益を手放すことなく、同時に複数国との安全保障協力によって中国の単独支配を阻止するという、したたかな外交戦略を展開している。けれども、ASEANのバランス外交が成功するのは、ASEAN諸国が小国で中国にとって脅威にならないからだ。
一方、日本は経済規模が大きく、歴史的経緯もあり、軍事力も持っているため、中国から警戒されやすく、ASEANのような純粋なバランス外交は難しい。実際に中国は、日本の防衛力強化や他国との安全保障協力を、シンガポールやタイの場合よりもはるかに警戒し、敵対的な動きと見なしている。
■ハンガリー型「全方位外交」:EUという安全保障の傘あってこその選択
ハンガリー首相府の政務長官バラーシュ・オルバーンは「全方位外交」という独特な外交戦略を展開している。これは特定の陣営に属することを避けながら、東西を問わずあらゆる国との経済関係を最大化する戦略である。
ハンガリーはEUとNATOのメンバーでありながら、同時に中国やロシアとも積極的に経済関係を深めている。
日本のCPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)も似たような発想で、アメリカと中国のどちらも含まない経済圏を作りながら、両国にも将来的な参加の道を開いている接続性戦略の例といえる。
だが、ハンガリーがこの戦略を取れるのは、EUとNATOという強固な安全保障の枠組みに守られているからである。一方、日本にはこのような多国間の安全保障体制がない。さらに、日本は島国という地理的条件と中国との尖閣諸島問題を抱えており、経済関係だけでは解決できない深刻な安全保障上の課題に直面している。つまり、ハンガリーのような純粋な「全方位外交」戦略は日本には適用しづらいだろう。
■スイス型「武装中立」:巨大な中国と遠い米国に挟まれた日本には無理
スイスは長年にわたって「武装中立」政策を維持している。これは強力な軍事力を持ちながら、どの国とも軍事同盟を結ばない戦略である。日本国憲法の平和主義的な理念や、大国間競争に巻き込まれたくないという日本の世論は、一見するとスイス型の中立に近い考え方に見える。
ただし、スイスの中立政策は特殊な地理的条件の下で長い時間をかけて築かれたものだ。スイスは山に囲まれた内陸国で、他国が攻めてきても山岳地形を利用してゲリラ戦を展開でき、侵略者に大きな損害を与えることができる。
一方、日本は重要な海上交通路に位置する島国で、中国との領土問題を抱え、食料やエネルギーの大部分を海外からの輸入に依存している。
このような条件下では、スイス式の完全中立は極めて高いリスクを伴う。スイスは単独でも侵略者に大きな損害を与えられるが、日本が中国のような大国の脅威に対抗するには、アメリカをはじめとする同盟国の支援が不可欠なのが現実だ。
■日本独自の「分野別適応戦略」:短期的効率性から長期的柔軟性へ
日本が直面する課題に完璧な解決策は存在しない。ASEAN型の八方美人外交は日本の規模や歴史的背景では信頼性に欠け、ハンガリー型の全方位外交は日本に不足している安全保障体制を前提とし、スイス型の武装中立は日本の地理的・経済的現実に合わない。そこで日本は、これらのアプローチを組み合わせた独自の戦略を編み出す必要がある。
第一に、サプライチェーン多様化を含む戦略が必要だ。経済的な圧力に対抗するため、日本は短期的な経済効率性よりも長期的「柔軟性」を重視する必要がある。これまでのグローバル化では、コストを下げて効率を追求することが最優先だったが、今後は多少コストがかかっても、供給網を複数の国に分散し、石油や食料などの重要物資を多めに蓄えておき、重要な産業を国内で維持することが求められる。
第二に、分野別戦略を展開すべきだ。まず、経済・文化交流分野においては、米中両方と付き合いを続ける。ただし、この2国に関しては依存度を下げ、リスク分散を図る姿勢が必要だ。
次に、安全保障分野では、信頼できる英国やオーストラリアをパートナーとして連携を強化すべきだ。
中国を直接刺激する大規模な軍拡競争ではなく、インドやシンガポールなどを含む国際協力を活用した効率的な抑止力構築を目指す。
さらに、国際関係分野では、CPTPP(環太平洋パートナーシップ協定)やデジタル分野での個人情報保護ルール作りを通じて、アメリカと中国が作る枠組みに従うだけでなく、自ら国際ルールを形成する「ルール・メーカー」を目指すべきだ。
こういった戦略はいつか来るであろうさまざまシナリオに対応できる反面、目先の効率性を犠牲にして経済コストが高くつき、どちらの味方かはっきりしない曖昧な政治的立場を取ることになるだろう。しかし、不確実な未来に対応できる能力を保つことこそが、真の経済合理性なのである。
国際情勢が激変している今、どの選択が正解かを予測することは不可能だ。戦後の国際体制は確実に終わりを迎えているが、新しい時代はまだ始まったばかりである。日本にとって最も重要なのは、次に来る新秩序を自ら形作る力を保ちながら、激動の転換期を柔軟に乗り切ることだろう。

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スティーブン・R・ナギ
国際基督教大学 政治学・国際関係学教授

東京の国際基督教大学(ICU)で政治・国際関係学教授を務め、同時に日本国際問題研究所(JIIA)客員研究員を兼任。近刊予定の単著は『米中戦略的競争を乗り切る:国際的適応型ミドルパワーとしての日本』(仮題)。

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(国際基督教大学 政治学・国際関係学教授 スティーブン・R・ナギ)
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