※本稿は、シバタナオキ『アフターAI 世界の一流には見えている生成AIの未来地図』(日経BP)の一部を再編集したものです。
■生成AIの活用が進んでいるヘルスケア
ヘルスケアとフィンテックは、なぜ生成AIの活用が進んでいるのでしょうか。それはデータの固有性が関係しているからです。カスタマーサービスや営業、マーケティングなどの汎用的な業務は、一般言語で顧客と対峙するコミュニケーションが中心です。生成AIが学習するデータも汎用的なデータです。
これに対して、ヘルスケアは人体のデータ、フィンテックは財務データなどの固有データを取り扱っていて、生成AIも業界ごとに特化した出力をします。ヘルスケアならば健康にすること、フィンテックならば財務体質を改善することといった目的も明確です。こうしたそれぞれの業界に特化して先行している生成AIのアプリケーションについて紹介することで、アフターAIの世界の見通しを良くすることができるでしょう。
■ボトムアップで生成AIの利用検討が進む米国
医療やヘルスケアの分野では、生成AIアプリケーションの開発や利用がすでに進んでいます。米国では、生成AIを導入・検討するとした医療機関が全体の70%に上ります。日本でも、例えば東北大学病院ではカルテの内容を要約する生成AIを活用することで、当該の業務時間を47%も短縮できたと報告しています。
まず、生成AI×ヘルスケアの分野のグローバル動向を見ていきましょう。
米国は国家戦略としてAIヘルスケアにも古くから取り組んでいます。2019年の大統領令の「アメリカンAIイニシアチブ」でも、ヘルスケアは優先分野として掲げられ、2023年のバイデン政権の大統領令では、医療分野でのプライバシー保護、バイアス軽減を強化しています。ただし、国がトップダウンで導入を求めるのではなく、日本のような国民皆保険制度がない米国の医療費高騰の課題をボトムアップで解決しようという方向性です。規制の枠組みとしては、食品医薬品局(FDA)がAI利用機器の承認プロセスを標準化したことで、2024年までに数百のAIベースの医療機器が承認されています。
■米国とは逆の方向で進展を図る中国
欧州では、欧州AI法などの規制がヘルスケア分野にも適用されており、X線画像データが個人情報と結びつかないよう匿名化するなど、厳格なデータ保護が求められています。このような規制の枠組みの中でも、生成AIのヘルスケア分野での活用は着実に進展しています。具体的には、ドイツでは肺がんの早期検出プログラムが導入され、フランスでは医療画像データの協調プラットフォームが構築されるなど、規制に準拠しながら革新的な取り組みが行われています。
生成AI分野で存在感を示してきている中国は、米国とは逆の方向で国家計画ありきでのAIヘルスケアの進展を図っています。少子高齢化がこれから加速する中国では、2030年に向けた健康計画の中で、ヘルスケアへの生成AIの適用を国家として投資して推し進めるのです。そうした計画に中国のビッグテックであるJD.com(京東商城、ジンドン)やテンセントなどが協力する体制です。
2023年10月時点で、約50の医療向けLLMが公開されるほか、第14次五カ年計画ではAIとバイオメディシンを重点領域に置き、国家AIラボの設立や医療AIの実用化を推進しています。また、保険などのフィンテックとAIヘルスケアを結びつけた、データ駆動型の保険商品や医療金融サービスの開発にも力を入れていることが特徴です。
■創薬のサイクルが劇的に高速化している
ヘルスケアの領域では、規模が大きく、スケールアップ期に入っているスタートアップが少なくありません。特に創薬の分野では、ガンなど難病の治療に効果がある薬を開発できればリターンは計り知れないものがあり、資金調達額も評価額も大きくなります。そうした一発を当てるといったスタンスだけでなく、生成AIの創薬への適用は社会貢献の面でも大きな意味を持ちます。
これまでの創薬は、探索研究から治験完了まで10年から15年という長期間にわたるプロセスが必要でした。そのため1つの化合物の開発に、巨額の投資とリスクが集中するという側面もありました。ところがAIの適用により、創薬のサイクルが劇的に高速化しています。生体内や試験管内での実験の代わりに、コンピューター上でシミュレーションする「インシリコ」による創薬が実用的になり、数カ月といった期間で複数候補を同時進行で検証できるようになりました。
これにより、同一予算でも試行回数が増え、成功確率が指数関数的に高まります。製薬会社にとってもビジネスの拡大につながりますし、今までは治癒が難しかった病気から命を救う可能性も高まります。社会的な意義が高い取り組みです。
■日本の創薬は後れを取り始めている
日本の製薬業界はこれまで、創薬に強いというイメージがありました。低分子医薬では歴史的に強みがあったことは確かです。しかし、コロナ禍のころを境にして組み換えタンパク質や抗体医薬に軸足が移る中で、日本の創薬は世界の流れに乗り遅れはじめています。組み換えタンパク質の分野ではAIが強みを発揮するので、AI化が急激に進むとさらに日本の遅れが目立つことになるでしょう。
そうした中でも、創薬研究に関わる分子計算を高精度に実現する独自AIソフトウエアをスーパーコンピューター上で動かすプリファード・ネットワークスのサービスなども登場しています。革新的な新薬が1つでも承認されるようになると、市場勢力図に変化が出てくるはずです。日本はAIを活用した創薬で、再び世界をリードできるような時代を引き寄せることができると期待したいところです。
■臨床現場を支えるAI活用
創薬のための研究開発のような攻めのAI活用だけでなく、臨床現場を支える守りのAI活用もさらに必要性が高まっていきます。診断や治療、手術の支援などに生成AIが関わるようになると、今ある医療業界のベストナレッジを多くの医者が活用できるようになります。自分が手術を受けるとなったら、日本一の名医にお願いしたいと思うのは人情ですが、実際にはそうした名医は多くは存在しません。生成AIを活用することで、全国どこの病院でも名医と同じような診断や治療、手術ができるようになれば、医療の高度化と均質化が実現できます。
また、日本の医療費は年間50兆円に上るようになり、20年ほどで倍増しています。
医者は大変な仕事である一方で、尊敬され収入も見込めるからこそなり手がありました。医療現場がブラック化して大変なのに儲からないとなったら、医者になる人が減少してさらに悪循環に陥ります。AIによる効率化を推し進めながら、医師はヒューマンケアに集中していくといった方策が不可欠になってきています。
■世界でも数少ない国民皆保険制度の国
米国の医療技術が先進的であることは世界が認めるところでしょう。しかし一方でオバマケアにより保険加入が義務付けられたとはいえ、民間医療保険に加入しないと高額な医療費に対応できなかったり、無保険者も存在したりと、医療保険制度は複雑で網羅性にも欠けています。医療システムの側面から見ると、複雑で無駄が多いのです。それに対して日本には世界でも数少ない国民皆保険制度があります。誰もが安心して医療を受けられ、医療システムとしても無駄が少ない強みを持っています。
■課題先進国であることが強みになる
高齢化社会の到来も、世界のトップを走っていますから、高齢者向けの慢性疾患などに対する医療、ヘルスケアの需要も世界で最初に高まるのが日本です。生成AIは、創薬や高度医療への適用もありますが、患者対応や慢性疾患のフォローアップなどの側面でも活用できることを説明してきました。
高齢者に向けた治療や健康管理、予防などでAIを併用していくことで、社会全体としてコストを上げずに満足できる医療を提供する部分は、日本が最も進んでいて世界に勝てる領域です。生成AI×ヘルスケアは日本が世界をリードできる分野になるでしょう。
例えば人間の医者に診察してもらうより、AIに診察してもらったほうが支払う医療費が少ないとなれば、AIによる診察や治療に弾みがつきます。こうした国による誘導施策も必要になるでしょう。さらに、米国など他の国のAIスタートアップから見ても、日本は少子高齢化を含めた課題先進国ですから、日本で成功できれば、今後の少子高齢化に対応を求められる多くの国に横展開が可能です。ヘルスケアの領域は、アフターAI時代の日本の存在感を高める可能性が強くあり、そうした環境を一層整えていくことが必要です。
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シバタ ナオキ
投資家
NSV Wolf Capitalにて、パートナーとして、シリコンバレーの新興VCへのファンド投資、スタートアップへの直接投資を担う。エンジェル投資家として50社以上のスタートアップへ投資実績あり。楽天執行役員、東京大学助教を経て、スタンフォード大学の客員研究員として渡米。米国シリコンバレーでAppGroovesを起業。「決算が読めるようになるノート」を創業(2022年に事業譲渡)。東京大学大学院工学系研究科技術経営戦略学専攻 博士課程修了(工学博士)。
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(投資家 シバタ ナオキ)