■田中角栄は本当に名宰相なのか
【白井】保守本流ということで言うと、代表的政治家として田中角栄の名前が必ず出てきます。ただ、田中の首相在任中にオイルショックで高度成長が終わります。にもかかわらず大人気だったわけですよね。
私は田中政権の時期をリアルタイムで生きていないので、実感としてわからないところもありますが、その頃も今も、もてはやされ過ぎじゃないでしょうか。最近も石破茂首相をはじめ、何かと田中をもてはやす議論が目立っている印象があります。
しかし振り返れば、田中角栄は金脈問題で首相を1974年12月に辞任したあと、76年2月にロッキード事件が起こって、その後、いわゆる金権腐敗に対する批判が猛烈に高まったわけです。
83年12月には当時参議院議員だった作家の野坂昭如が、田中を落とすんだと衆議院の新潟3区に立候補しました。もちろん当選はしなかったけれども、けっして泡沫ではなく、落選者としては最多の票が入りましたよね。地元ですら田中の金権政治に対する批判が一定数あったということでしょう。
■「清く正しい自民党」=「白いカラス」
【白井】政治とカネの問題は根深いですね。
そもそも自民党は金権腐敗政党なのであって、クリーンな自民党というものはありません。金権腐敗していない自民党を想像できますかと聞くのは、白いカラスを想像できますかと聞くのと同じです。
そういう自民党をずっと勝たせ続けてきているわけですから、日本人は、ある意味金権腐敗でいい、別に大した問題ではないと思っているということになります。
田中角栄をはじめ、これまで自民党の議員が何か汚い金をつくって好き勝手なことをやっていようが、だいたいにおいて国民を豊かにしているのだからいいじゃないか、ということで済んできたわけです。
しかし近年では、石破首相の10万円もそうですが、汚職に対する批判は、年々ハードルが下がっています。要するに、少額でも問題視されやすくなっている。それはなぜか。
この30年、国民が全然豊かになっていない、それどころか貧しくなっているからですよね。にもかかわらず、あいつらは相変わらず内輪で世の常識とはかけ離れたカネのやり取りをしている。無能なくせにカネづかいだけは一丁前かよという批判が噴出したわけです。
■用が済めば捨てられる
【保阪】石破首相の10万円の商品券は、田中角栄の政治手法の名残りでしょうね。
その代表が田中角栄で、彼は自民党を生活政党、日常の我々の生活そのものの政党にしました。それに対して社会党は理念政党だったと言えます。
田中は寒くなればオーバー1着より2着のほうがいいでしょう、家に石油ストーブが2台あったほうが暖かいでしょうといった、いわば幸せを物質に転化する政策を訴えて実行しました。つまり田中は、物質に対する国民の欲望を満たしてくれる政治家だったわけです。
田中は国民の生活を物量的に幸せにしてくれる打ち出の小づちみたいなものでした。しかし、何の理念もなく物量に幸せを求めることに生活の価値を置くというのは、基本的には人間として恥ずかしいことですよね。だからロッキード事件の裁判で83年10月に実刑判決が下されると、田中は徹底的に蹴っ飛ばされるようになりました。
ある意味で言えば、田中角栄は我々のおもちゃでした。だから使えなくなったら平気でぽいっと捨てられるわけです。
■田中角栄が再評価されているワケ
【保阪】ただし、自民党の田中的な生活政党の地肌は何も変わりません。
今日、田中角栄がもてはやされるのは、それを持ち出すことによって我々が精神的に安心するからでしょうね。しかし、物量がある程度充足された後にはその反動で、恥ずかしさや虚しさがやってきて、我々はまた田中を蹴っ飛ばすはずです。
つまり、田中角栄に理念がなかったのと同じように我々にも理念がないということなんですね。
ぼくは田中角栄を無意識の社会主義者ととらえています。何の思想もないけれども、総理大臣になってかなり社会主義的なパイの分け方をしました。
「福祉元年」を宣言して70歳以上の医療費を無料にしたり、教員や警察官の給料を上げたりしました。そこには官公労という社会党の地盤を厚く手当てして、票の見返りを計算した面もあるわけですが。
■理念なき社会主義
【白井】保阪先生が言ったとおりで、戦後日本における事実上の社会民主主義体制は田中角栄が確立した、と私も思います。要するに平等な分配ですよね。
公務員の給料を上げていくというのは、社会党の支持基盤の切り崩しです。社会党はイデオロギーとして、我々が政権を取らなければ真面目に働く公務員、労働者の待遇は決して上がらない、だから我々に票を入れなさいと言っていました。
自治労との結び付きも強かった。しかし、自民党の田中政権のもとでも給料が上がるじゃないかとなると、勤労者が社会党を支持する理由はもはやなくなってくるわけです。
田中角栄がそうしたことをやった大きな要因は、あの当時の革新自治体にあります。
東京や大阪、京都で社会党系や共産党系の知事が支持を集め、このままいけば日本で社会主義政権が成立する可能性が十分に出てきていた。それを阻止するためには、自民党の政治自体が社会主義的になってしまえばいいではないか、というわけです。
しかし、保阪先生が言ったように、まさに「理念なき」ですから、田中角栄のそれは言ってみれば物取り社会主義なんですね。自分や自分の属する集団が得をするならそれでいい、と。
■ロッキード事件の黒幕
【保阪】田中角栄のアメリカ観、天皇観にも、社会主義者のある種の教条的なものに通じるところがあります。つまり、田中はどちらも大した権力だと思っていなかったわけです。
たとえばアメリカに対しては基本的に国益をめぐって一戦構えるぐらいの不信感を持っていたでしょうね。
【白井】ロッキード事件を見ると、田中は脇が甘かった、迂闊だったと感じます。ロッキード事件に関して、アメリカ陰謀論は昔から言われてきましたが、最近出た春名幹男先生の研究が決定的だと思います。
【保阪】当時の相手はニクソン政権、フォード政権の大統領補佐官、国務長官だったキッシンジャーですから。彼とやり合うならもっと政治的なマキャベリストにならなければ駄目でした。
田中角栄の天皇観で言うと、昭和28年から53年まで宮内庁長官を務めた宇佐美毅にこんな話を聞いたことがあります。
歴代首相は昭和天皇に内奏するとみんな5分ぐらいで出てきた。田中は20分も30分もかかる。私の政府になってから貿易収支はいくらでなどと事細かに説明して、その間、昭和天皇は黙って聞いていた、と。
そして出てくると宇佐美に「今日は陛下によく説明した。あとは、よろしく」などと声をかける。昭和天皇は田中と会ったあと、疲れたようにぼーっとしていたそうです。
■トランプ大統領との共通点
【保阪】こんなエピソードもあります。年老いた母親が住んでいる新潟県の西山町の実家を新築するというので、田中が宮内庁に電話してきた。
要するに田中角栄は、天皇を何とも思っていないということです。大衆が日常の中で「天ちゃん」などと呼ぶ感覚と同じレベルなんですね。もちろん、昭和天皇の前では扇子をバタバタすることもなく、行儀よくしていたそうですが。
【白井】天皇とそのような付き合い方をした政治家は、ほかにあまりいなかったのではないでしょうか。田中は「コンピューター付きブルドーザー」とも呼ばれました。
【保阪】結局、自分に都合のいい数字しか言わなかったわけだから、今のトランプ大統領のようなものです。田中の1回目の立候補は戦後初めての衆議院選挙で、「若き血の叫び」を掛け声にしたものの落選しました。
当選した2回目は、早稲田大学の雄弁会を動員して、「青年の力で日本を変えよう」と同じように連呼させています。そういう、言葉の内容がよくわからないところもトランプに似ています。
だから田中角栄がもてはやされる時代というのは、怖い時代なのかもしれません。日本人が物事を考えなくなっている表れで、情でごまかされるようになっているのではないでしょうか。
■議員立法の多くは地元・新潟のため
【保阪】もし弱者にパイを分けていく、権威を解体していくという社会主義的なことを自覚的にやっていたのであれば、田中角栄に対するぼくのとらえ方も変わってくるのですが、そういう論証は今のところ出てきていません。
噂レベルで言っても、娘の田中眞紀子を早稲田大学に押し込んだとか郵政大臣のときにNHKにコネでどんどん入局させたとか、そういう話が目立ちますよね。
また、田中角栄は自分が関わった議員立法を33本も成立させたと自慢していましたが、その多くは河川敷の砂利を採取して運搬するための法律や、除雪事業に援助金を出すための法律など、いわば地元の土木建築に関連するものでした。
もちろん自民党といえども、理念や思想が大事で国の在り方の基本的な原理原則を持とうというような政治家はいました。田中と同時代で言えば、宏池会の大平正芳などでしょうが、そういう政治家から見れば、田中に対する反発はありました。
自民党の国会議員の中には、有権者から「あんたも田中角栄のようにやってくれ」と言われて、「あんたが新潟へ引っ越せ」と言い返した人もいたそうです。
しかし、国民の生活を物量的に幸せにする生活政党になってみれば、選挙で勝つわけです。それで結局、政治はそんなものだろうと思うようになっていくんですね。
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保阪 正康(ほさか・まさやす)
ノンフィクション作家
1939年北海道生まれ。同志社大学文学部卒業。編集者などを経てノンフィクション作家となる。近現代史の実証的研究をつづけ、これまで延べ4000人から証言を得ている。著書に『死なう団事件 軍国主義下のカルト教団』(角川文庫)、『令和を生きるための昭和史入門』(文春新書)、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)、『対立軸の昭和史 社会党はなぜ消滅したのか』(河出新書)などがある。
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白井 聡(しらい・さとし)
京都精華大学准教授
1977年東京都生まれ。思想史家、政治学者。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻博士後期課程単位修得退学。博士(社会学)。著書に『永続敗戦論──戦後日本の核心』(講談社+α文庫、2014年に第35回石橋湛山賞受賞、第12回角川財団学芸賞を受賞)をはじめ、『未完のレーニン──〈力〉の思想を読む』(講談社学術文庫)など多数。
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(ノンフィクション作家 保阪 正康、京都精華大学准教授 白井 聡)