※本稿は、クリスティアン・リュック『人はなぜ自分を殺すのか』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
■ある日、16歳の息子から届いたメッセージ
“パパ、愛してるよ。何もかもありがとう。でももう無理。ごめん”
16歳の息子ヨハンからそんなSMSが届いた。父親はまじまじと携帯電話の画面を見つめた。そこに書かれていることを必死で理解しようとする。身体にパニックが湧き上がる。いったい何が起きているんだ――?
息子の携帯に電話するが、誰も出ない。アパートの中で妻の元に走る。まるで時間が止まったような感覚。
「ええ、息子は最近精神状態が悪かったんです」「いや、どこにいるかはわかりません」
また息子の携帯にかけるが出ない。息子の親友の番号にもかける。彼もSMSを受け取っていた。“愛してるぜ、ブラザー。これからもずっと親友だ。強く生きると約束してくれ♥”絶対に息子を死なせたくない。他のことはどうでもいい、あの子が死ぬのだけはなんとしても――。
■我が子が遺体で見つかった
親友に送られた写真が居所の手がかりになった。警察がヨハンの携帯を探知したのも同じ場所だった。子供の頃からよくクライミングに行った自然公園だ。車に飛び乗る。
こんなに動揺していても運転できるものなのか? 何度も何度も息子に電話をかけるがやはり応答はない。留守電につながるだけ。ヨハンはわざと子供の頃の留守電応答メッセージを使っていた。少年の明るい声、悲しみとは無縁な声が響く。
「もしもし、ヨハンです。今電話に出られないので、メッセージを残してください!」
クライミングの山に近づくと消防隊、救急車、警察が到着していた。周辺を捜索している。まさか死んではいないはず。
その表情から、何もかも手遅れだったことを理解した。遺体が見つかったのだ。若い男性の遺体。
■なぜ息子は命を絶ってしまったのか
ヨハンは16歳で命を絶った。人生まだまだこれからだったのに――ありふれた言い方かもしれないが、そうなのだ。子供に自殺されるのは親にとって最悪の悪夢だ。自責の念。無力感。なぜわかってあげられなかった? 何かできたはずなのに。息子はなぜそんなに不幸だったのか――。
子供を自殺で亡くすと、家族や親戚にショックの波が広がる。私の働く病院で我が子の死を知った人もいる。黙り込む人もいれば叫び出す人、耐えられずに気絶してしまう人。なんとなく予感があったという人もいれば、まさか我が子が自殺するなんて夢にも思っていなかったという人もいる。
しかし誰もがそこからなんとか理解しようと努める。残されたのは問いだけだからだ。なぜ気づかなかったのか。なんとかして止められなかったのか。なぜそんなに精神状態が悪かったのか。自分たちはそばにいたのに――自分のせいなのか?
自殺というのは本質的に孤独な行為だ。自分がやろうとしていることを人に話せないし、説明もできない。ただ、独りで命を絶つ。だからこそ残された遺族が原因を理解できることは稀だ。
■亡くなる前にセブン‐イレブンで買い物をしていた
大きなショックを受け、なぜなのかを問いただすチャンスも失われている。さっきまで生きていたのに、今は永遠に消えてしまった我が子。その記憶を今後は自殺というレンズを通して見ることになる。
ヨハンにいったい何が起きたのか。
ヨハンの母親と父親は最初の数日は同じような反応を示した。つまりショックに陥っていた。その後しばらくすると周りは静かになった。我が子を失ったばかりの人――しかもあんな形で――にどう話しかけていいのかわからないのだろう。
母親は友人たちに慰めを求め、父親は何が起きたのかを詳細に復元しようとした。ヨハンの携帯電話から誰と連絡を取っていたのかを調べたし、クレジットカードの履歴から何を買ったのかもわかった(スウェーデンでは現金を使うことがなくなり、子供がコーラ1本買うにもカードを使う)。ヨハンの友達にも話を聞いた。友達全員にだ。
セブン‐イレブンでヨハンにレッドブルを売った店員にも。それだけ人と話してやっとわかったのは、誰も自殺を予測していなかったということだ。ヨハン自身も5時間前にレッドブルを買った時には、死ぬために崖から飛び降りるなんて思ってもみなかったのかもしれない。
■自殺は実行の1時間前に突然思い浮かぶ
自殺を考えるプロセスというのは多くの場合、自殺念慮が湧くところから始まる。あるいは自殺念慮を湧かせるような出来事が起きた時に。
この自殺念慮には「自殺が逃げ道になるかも」という漠然とした考えもあれば、「自分は死ぬはずだ」という強烈なものもある。そして自殺の計画を始める。実行しようという意志が芽生え、自殺を試みる。こうやって一歩一歩死に近づいていく。
こうした捉え方から、その人の道が自殺へとまっすぐに伸びていたように見えることがある。最後は自殺で終わると最初から決まっていたような気さえすることがある。ヨハンも子供の頃からそういう傾向があったような……? ちょっと性格が暗い感じだったかも?
「死んだ方がいい」とずっと考えて生きている人もいる。長い時間をかけて計画的に命を絶つのだ。しかし多くの人の場合、死に向かう旅はタイタニック号が氷山へと向かう不吉な航海というわけではなく、矛盾と躊躇と衝動に満ちた決定によるものだ。
自殺未遂から生き延びた人に聞き取り調査を行った研究では、3人に1人は自殺を長いこと考えていたわけではなく、自殺を試みるせいぜい1時間前に考えが浮かんだところだったという。つまり周りの人が知る余地もないほどあっという間に実行されてしまうこともある。最後に会った時、本人もそれが最後になるとは思っていなかったのだ。
■自殺を予測することはできるのか
遺族の大半が「なぜ気づかなかったのだろう」と自分を責める。何らかのサインを見逃がしたにちがいないと。レナード・ウルフもそうだった。自分が予測できなければいけなかったのに。予測できていたら介入して防げたのに。そうすれば何もかもうまくいったはずなのに。
自殺を予測することはできるのだろうか。そういった研究はあるが、基本的には遺族の視点からではなく医療の視点からのものだ。つまり医師がどのくらい正確に患者が命を絶つことに気づけるのか。
結論から言うと、正確に予測するのは難しい。イギリスで自殺により亡くなった人の85%は最後に受診した際、自殺する短期的なリスクは低いと診断されていた。その上59%は長期的にも低いとされていたのだ。
先になるほど予測が難しいことも考慮しなければいけない。20分後の天気ならわりと正確に予測できるが、1週間後となるともう不確実だ。1年後の天気などわかりようがないだろう。だからリスクが低いとされた患者がその後自殺したからといって医療に携わる者が間違った判断を下したとも言えない。
判断は正しくても、病院から帰ったとたんに状況が変わったかもしれないからだ。社会保険庁から悪い知らせが届いたかもしれないし、パートナーから別れを切り出されたかもしれない。単にうつが悪化したのかもしれないし、アルコールやドラッグを摂取したということもあるだろう。
■「何かを見逃した」と遺族は自分を責めてはいけない
医療では自殺する人を確実には突き止められないし、逆も同じことが言える。リスクが高いとされた患者の大半は死なないのだ。その点においてはリスクの概念も人によって異なるだろう。「非常にリスクが高い」と聞くとほぼ自殺するように思えるかもしれないが、実際にはその後1カ月後で1%にすぎない。
自殺を防止するために誰が自殺しそうかを見極める――ここで問題なのは自殺というのは結局のところ珍しいという点だ。しかし普通なら死ぬこと自体が珍しいグループの中で最も珍しくない死因と言えよう。そのグループというのは若い男性だ。
それでも老人に比べると自殺する割合は非常に小さい。人口1千万人強のスウェーデンでは1年に1500人が自殺で亡くなると割合は0.015%ということになる。もっともらしい方を予測すれば当たりやすいだろう。たとえば夏よりも冬に「この日は雪が降る」と予測した方が当たる確率が高いのと同じことだ。
このように自殺を予測するのは難しい。その点を遺族が理解することは重要だと思う。何もかも正しくやっても防ぐことはなかなかできないのだ。家族でも必ずしも気づけなかっただろうし、何か見逃したわけでもないはずだ。その時点では見逃す点などなかったかもしれないのだから。
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クリスティアン・リュック
精神科医
1971年スウェーデン生まれ。ノーベル生理学・医学賞を選定する名門医学研究教育機関、スウェーデンのカロリンスカ研究所で長年、精神科教授として診療に携わった自殺研究の第一人者。スウェーデンで最も影響力のある文学賞The August Prizeを『人はなぜ自分を殺すのか』で受賞。撮影=Yoon S. Byun(著者近影)
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(精神科医 クリスティアン・リュック)