■自治体に寄せられる「過激な抗議電話」
クマ対策をめぐって対立が激化している。
北海道福島町では7月12日、新聞配達中の男性がヒグマに襲われ死亡する事故が発生したが、その直後から北海道庁と福島町には200件以上の抗議電話が寄せられたという。
「行政はもっと積極的にクマを駆除すべき」という意見もあった一方、「熊殺し。人間が駆除されるべき」「クマの命も大切だ。人を襲ったクマだとか、いい加減なことを言うな」という過激な抗議もあったという。
野生動物であるクマを保護すべきか、それとも駆除すべきかについては、昔から多くの議論がある。
一般財団法人日本熊森協会は、自然保護の観点からクマの駆除に反対の立場を取っている。「バランスが崩れた自然を元に戻すには、自然の力に任せるのが最良かつ唯一の方法であり、いわゆる『保護』『管理』は、自然保護ではなく自然に敵対する行為だ」と主張し、1994年に兵庫県でクマ狩猟が禁止されたのは同団体の請願活動の結果だという。
■「駆除反対」の団体にサイバー攻撃の被害
また、著名なヒグマ研究家の門崎允昭氏が主宰する「北海道熊研究会」も、クマの駆除に反対の立場を取っている。同研究会のHPによると「人と熊が棲み分けた状態で共存を図り、狩猟以外では熊を殺さない社会の形成を図るための提言と啓蒙活動を行う」としている。
駆除反対派による自治体への抗議が活発化している一方で、これら駆除に反対する団体への攻撃も過激化している。
ちなみに、日本熊森協会、北海道熊研究会ともに、長年にわたってクマと向き合い活動を続けてきた信頼できる団体であり、自治体への抗議電話を呼びかける等の活動は行っていないと明言もしている。両団体を自治体に対する抗議電話の「黒幕」と考えるのは適切ではない。活発な議論は結構だが、くれぐれも冷静な対応をお願いしたい。
■「クマとの共存」は理想だが…
「駆除反対派」の主張をもう少し詳しく見ていこう。
日本熊森協会の森山まりこ代表と、北海道熊研究会の門崎允昭氏が連名で北海道知事宛てに提出した要望書が、北海道熊研究会のHPに掲載されている。それによると「平成23年度は825頭、平成24年度は609頭(狩猟期101頭、他は駆除)もの熊を殺している」と、そもそも駆除の頭数が多すぎる点を指摘している。
北海道のヒグマ生息数は2023年末時点で約1万1600頭とされるが、600~800頭となると、全生息数の数%にあたる。これだけの数を毎年駆除していれば、ヒグマの個体数はどんどん減っていくだろう。野生動物の保護の立場から、駆除への慎重論や懸念が出ることはうなずける。
このほか、山に入る際は「ホイッスルと鉈を持参」し、「出没箇所とその両側を、200m程一時的に電気柵を臨時に張」るなどの対策で、被害を食い止められると主張している。できる限り実害を回避し、クマと共存できるなら、それこそ目指すべき理想である点に異論は少ないだろう。
だが一方、全国各地でクマが大量出没し、人身被害も相次ぐ状況下で、行政が駆除を行わずに事故を防止するのは現実問題として極めて難しいだろう。
■駆除中止によって、生息数は急増
日本ではかつて、野生動物の保護を目的に駆除数を減らしたことがある。
1960年ごろ北海道ではヒグマによる被害が多発。そのため1963年に「ヒグマ捕獲奨励事業」を開始して捕獲を推進、1966年には冬眠明けのヒグマを駆除する「春グマ駆除」を始めるなど、70年代にかけてクマの駆除数はかなり多かった。ピーク時にはヒグマ約800頭、ツキノワグマ約2500頭が捕獲されている。
駆除の増加にともない、ヒグマの個体数が減少したことで、逆に1990年ごろから野生のクマの保護が優先されるようになり、駆除の中止を求める動きが活発化する。
北海道の「春グマ駆除」が1989年に中止されたほか、日本各地で駆除の中止が相次ぎ、捕獲数は一時、ヒグマ約200頭、ツキノワグマ約1500頭にまで減少している。
駆除中止によって、クマの生息数は急速に回復する。
環境省の資料「令和5年度クマ類保護及び管理に関する検討会 北海道のヒグマ対策の現状について」によると、北海道のヒグマの生息数は1990年時点で推定5000頭だったが、2012年ごろには倍増して1万頭を越え、その後も順調に増加していることが分かる。
■世界的な「クマ大量出没」の背景
クマの生息数が急増したことが、現在の大量出没につながったと考えられる。
環境省の資料「クマ類の生息状況、被害状況等について」によると、「クマの出没件数(本州以南、ツキノワグマ)」、「クマによる人身被害件数(全国)」ともにはっきりした増加傾向が見てとれる。
クマの駆除をやめたことで、クマの個体数が増え、被害が拡大したと考えられるケースは海外にも見られる。
ルーマニアはヨーロッパ最大のヒグマ生息地として知られるが、2016年に遊興目的でのヒグマの狩猟を禁止して以降、被害が拡大。結果、2023年には殺処分を認めるクマの年間上限頭数を大幅に引き上げるなど、駆除数の増加を迫られている。同様の問題はスロバキアでも起きているという。
アメリカ・コロラド州では1992年11月、住民投票によってクマの春季狩猟や犬を使った狩猟などを禁止したが、その結果、コロラド州のクマ個体数が増加、それに伴いクマによる被害も増加したという。
アメリカのニューハンプシャー州グラフトンは2004年以降、リバタリアン(自由至上主義)系住民が集まり、可能な限り政府を廃止する「フリータウンプロジェクト」を推進したことで知られる。
彼らが町の予算の30%をカットしたことで、行政によるクマ対策がおろそかになった。ゴミ捨てルールの不徹底によって、クマがゴミを漁ったり、住民による餌付けも行われていた。その結果、町にはクマが頻繁に出没するようになり、住民が家に立てこもるまでになって、およそ100年ぶりに人身事故も起きたという。(この経緯についてはマシュー・ホンゴルツ・ヘトリング著、上京恵訳『リバタリアンが社会実験してみた町の話』原書房にまとめられている)
■2025年のブナは「大凶作」
クマの個体数の増加とともに、被害急増の理由として指摘されるのが「異常気象によるエサ不足」だ。
猛暑や長雨等でクマの主なエサであるブナやナラの実が不作になると、エサ不足に陥ったクマが人里に出没するというわけだ。
東北森林管理局のHPに掲載されている「ブナの開花・結実調査」を見ると、平成元年以降、不作の年がかなり多いことが分かる。
同HPの「これまでの豊凶割合」によれば、「大凶作」が39%、「凶作」が31%と、実に70%の年で並以下の作況となっている。
これは東北に限ったデータだが、全国の作況も似たような傾向だと想定していいだろう。
ちなみに、林野庁東北森林管理局によると、2025年のブナは「大凶作」となっている。例年、クマによる被害は10月がピークとされる。冬眠前にできるだけ多くのエサを集めようとクマの活動が活発化する時期であり、かつ、秋の行楽シーズンで多くの一般客が登山やキャンプなどに出かけるからだ。
現在のブナの作況を考えると、クマによる被害が今後多発することは想像に難くない。
■クマ対策の行く末は
それを裏付けるかのように、クマの出没が相次いでいる。富山県の立山・室堂平周辺では9月8、9日の2日間にわたって1日3件のクマ目撃情報があり、立山への登山ルートを一部閉鎖したという。
富山県では8月19日にも有峰のキャンプ場でクマが出没し、キャンプ客のテントや食料を持ち去っている。
北海道恵庭市では9月10日、国道453号線の脇に設置された柵の上を悠然と歩くヒグマの姿が撮影され、住民にショックを与えた。
福島県南会津町では9日、国道289号を走行中の救急車がクマと衝突する事故が発生している。幸い救急搬送中でなく怪我人もなかったが、一歩間違えれば大事故につながっていただろう。
8月14日に発生した羅臼岳の事故以来、死亡事故こそ発生していないものの、人身被害は継続的に起きている。東京都奥多摩町では8月23日に釣り客がクマに襲われ顔に怪我をしたほか、岐阜県中津川市では9月2日、帰宅途中の高校生がクマに襲われ怪我を負い、現地では集団登下校などの措置をとっているという。
野生動物の保護も重要だが、こういった状況下において、現実問題として行政主導での駆除作戦は必要だろう。
9月1日より鳥獣保護管理法が改正され、市町村の判断で市街地でも特例として猟銃の使用が可能になり、警察官だけでなく、ハンターも猟銃を発砲できるようになった。
クマが市街地に出没した場合の対策が強化された訳だが、実際に市街地でハンターが発砲した場合、世論の反発も予想される。冒頭に挙げたよりもさらに過激な抗議が殺到することが予想される。自治体の悩みは今後も続くだろう。ある意味、クマより人間のほうが厄介かもしれない。
----------
中野 タツヤ(なかの・たつや)
ライター、作家
1977年富山県生まれ。東京大学卒。新聞社系出版社などを経て独立。Web編集者としてヒグマ関連記事を多数手掛ける。
----------
(ライター、作家 中野 タツヤ)