NHKドラマ「魯山人のかまど」で84歳の藤竜也が演じている北大路魯山人(1883~1959年)。政財界の大物が通う料亭・星岡茶寮を切り盛りし、日本一の美食家として知られた故人のこだわりがわかる文章を『魯山人の食卓』(ハルキ文庫)より紹介する――。

※本稿は、北大路魯山人『魯山人の食卓』(ハルキ文庫)の一部を再編集したものです。
■90年前に魯山人が書いた料理指南
料理には出汁(だし)が必要であります。出汁はふつうかつおぶしが使われて、東京では、あまりこぶ(編集部註:昆布)は使わないようでありますが、出汁には、やはりこの両方とも、うまく使うのがよろしいと思います。それでどういうこぶがよいか、どういうかつおぶしがよいかということをお話しいたさねばなりません。
東京ではどういうものですかあまりこぶの出汁を使わないようでありますが、ぜひとも、かつおぶしの出汁とこぶの出汁とは使い分けして使うがよいと思います。こぶにしても、かつおぶしにしても、土産物にもらったとか、あり合わせのというのでは、どうもおもしろくありません。
かつおぶしはどういうふうにして削るか、どういうふうにして材料を選択するか。かつおぶしとかつおぶしとを叩き合わすと、カンカンとまるで拍子木を鳴らすみたいな音でないといけません。虫の入った木のような、ポトポトしかいわない、湿っぽい匂いのするのはだめです。
■出汁にこだわるなら必須の道具
ところで、みなさんのご家庭では鉋(かんな)をもっておられましょうか。切れ味のよい鉋でなければ、完全にかつおぶしを削ることはできません。赤錆(あかさび)になったり、刃の鈍くなったもので、ゴリゴリとごつく削っていたのでは、かつおぶしが例え一円のものでも、五十銭の値打ちもしないものになります。

どんなふうに削ったのがいい出汁になるのかと申しますと、削ったかつおぶしがまるで雁皮紙(がんぴし)のごとく薄く、ガラスのように光沢あるものでないといけないのであります。こういうのでないと、よい出汁が出ないのであります。削り下手なかつおぶしは、死んだ出汁が出ます。生きたいい出汁をつくるには、どうしても上等のよく切れる鉋を持たねばなりません。
そして出汁を取るには、グラグラッと湯のたぎるところへ、サッと入れた瞬間、充分に出汁ができているのです。それを、いつまでも入れておいて、クタクタ煮るのでは、碌(ろく)な出汁は出ず、かえって味を損うばかりです。いわゆる二番出汁というようなものにしてはいけません。
それで刃のよく切れる、台の平らな鉋をお持ちになられることをお勧めいたします。かつおぶしを薄く削るということは、非常に経済的であり、味について効果的でもあります。ごつい鉋でゴツゴツ削るのでは、まったくかつおぶしを殺してしまって、百匁(もんめ)(編集部註:375g)の物でも五十匁(188g)の用にしかなっておらぬというようなことです。こんな矛盾が世間には行われがちではないかと思います。
■昆布だしの取り方のコツ
こぶだしのことは、東京では料理屋でさえあまり知らないようです。
これは東京には、こぶを使うという習慣がなかったからでしょう。こぶの出汁は、実に結構なものでありまして、さかなの料理にはこぶ出汁にかぎります。かつおぶしの出汁では、さかなの味が二つ重なるので、どうしても具合の悪いものができます。この味のダブルということがくどいのであります。
こぶを出汁に使う法は、古来、京都で考えられたことです。ご存知のように、京都は千年もつづいた首都でありましたから、北海道で産出されたこぶが、はるかな京都という山の中で、実際上の需要から必要に迫られて、こぶ出汁を取るまでに発達したのでありました。
こぶの出汁を取りますのは、こぶを水でぬらしただけで、五分間か三分間、間をおき、こぶの表面がほとびれた感じのする時、水道の水で、ジャーッとさせないで、音もせず身動きもしないで、トロッと出る水をこぶに受けながら、指先で器用にいたわって、だましだまし、こぶの表面の砂、ゴミみたいなものを落とすのです。そのこぶを熱湯の中へサッと通す。それでいいのであります。
■魚の料理には昆布だしに限る
これでは、出汁が出たかどうかと訝(いぶ)かられるかも知れませんが、これで充分、出汁ができているので、出たか出ないかは、ちょっと汁をなめてみるのです。これで、実に気の利いた出汁ができています。量はどれくらい要るかは、実習いたしますと、すぐお判りになります。
この出汁は、たいの潮(うしお)(真鯛の潮汁)などのときは、ぜひともこれでなくてはなりません。こぶを湯からサッと通したきりで上げてしまうのは、なにか惜しいように考えて、長くいつまでも煮るのは、こぶの底の甘い味が出て、決して気の利いた出汁はできません。
京都辺(あたり)では引き出しこぶといって、なべの一方からこぶを湯に入れて、底をくぐらして、一方から引き上げる、こうしたやり方をしていますが、これでありますと、どんなやかましい食通でも満足し、文句がないということをいっています。
■料亭の厨房に「味の素」を置くと…
「味の素」(編集部註:味の素は1909年発売、本稿は1933年発表)は近来非常に宣伝されておりますが、私は「味の素」の味は気に入らない。料理人の傍(かたわ)らに置けば、不精(ぶしょう)から、どうしても過度に使うというようになってしまいますから、その味に災いされます。私どもは「味の素」をぜんぜん料理場に置かぬことにしています。「味の素」も使い方でお惣菜(そうざい)的料理に適する場合もあるでしょうが、そういうことは上等の料理の場合ではありません。
今のところ、とにかく高級を意味する料理のためには、なるたけ「味の素」は使わないのがよいと思います。なんとしても上等の料理、最高の料理には、私の経験上「味の素」は味が低く、かつ、味が一定していけないと思います。こぶなりかつおぶしを自分の加減で調味するのがよいと思います。
■心から「料理が好き」な人は上達
料理とは食というものの理(ことわり)を料(はかる)るという文字を書きますが、そこに深い意味があるように思います。ですから、合理的でなくてはなりません。
ものの道理に合わないことではいけません。ものを合理的に処理することであります。割烹(かっぽう)というのは、切るとか煮るとかいうのみのことで、食物の理を料るとはいいにくい。料理というのは、どこまでも理を料ることで、不自然な無理をしてはいけないのであります。
真に美味しい料理はどうも付焼刃(つけやきば)では出来ません。隣りの奥さんがやられるからちょっとやってみようか、ではだめであります。心から好きで、味の分る舌を持たなくては、よい料理は出来ないのであります。
■食材の良さを生かす料理を
原料の原味を殺さないのが料理のコツのひとつであります。きゅうりならきゅうり、そらまめならそらまめに、それぞれの持ち味があるのですから、その持って生まれた味を殺さないように工夫しなければなりません。小芋(こいも)の味ひとつにしたって、人の力ではどうにもできないのでありますから、持ち味を生かすということは、とりもなおさず、生きたよい材料を扱うということになるのであります。
例えば湯豆腐を拵(こしら)えるにしても、その豆腐のよしものを探し当てねばならない。それでなくって、醤油だ、薬味だといって、それらにばかりやかましくいったところで、もちろん、それもやかましくいわねばなりませんが、それら工夫のことは第二義のことで、それよりも豆腐の吟味(ぎんみ)が第一義なのであります。
材料の精選とともに材料の原味を殺さぬこと、その味というものは、科学や人為では出来ないものでありますから、それを貴ぶのであります。
※初出:1933年『星岡』(『魯山人著作集』五月書房収録)

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北大路 魯山人(きたおおじ・ろさんじん)

1883年、京都上賀茂の社家に生まれる。本名・房次郎。書画、篆刻、陶芸、漆芸など多岐にわたった芸術を独学で身につけ、それぞれに秀でた足跡を残した。料理家としても名をはせ、東京の赤坂で料亭・星岡茶寮を主宰。美食の道を探究する。著書に『古染付百品集』『魯山人家蔵百選』『魯山人作陶百影』など。1959年没。

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(北大路 魯山人)
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