かつて住みたい街ランキングで上位だった自由が丘(東京目黒区)の人気が下がっている。同地に住んでいたことのある経営コンサルタントの岩崎剛幸さんは「地価の上昇で店の顔触れが変わってしまった。
自由が丘らしさを取り戻せるかどうかは、駅前再開発にかかっている」という。岩崎さんが現地をリポートする――。
■自由が丘で始まっている再開発の全貌
私は経営コンサルタントとして仕事を始めてから35年以上、もっとも大切にしているルーティンがあります。それが「街歩き」。街を歩いて今という時代を掴み、これからの流れとは何かを考えるということを仕事の中心においています。
生成AIがどんなに進んでも、自分の目と身体で街の空気を感じて、そこでの体験、体感から時流を読むというのはリアルな視察なくしてはできないことです。
私の街歩きの原点とも言っていい街が、東京の「自由が丘」です。実は筆者は学生時代の1990年代前後と、社会人になって7~8年後の2000年前後、自由が丘駅周辺に住んでいました。田舎者の私はこの街に憧れ、この街で暮らし、その独特な街づくりに触れてきました。
当時は、自由が丘と言えば「オシャレな街」「最新のトレンドを見るなら自由が丘」と言われてきました。閑静な住宅街を背景に持ち、駅周辺には条例で守られた統一感のある路面店が多く、女性が集まりやすい街でした。
その自由が丘が、今、駅前には大きな複合ビルが建設中で再開発の真っただ中です。
自由が丘は、まったく別の街へと変わってしまうのか。その実態を把握するべく、じっくりと自由が丘の街を歩いて視察してきました。その視察を通じて、自由が丘の街の動きが分かった気がしました。
自由が丘はどこに向かっているのか、レポートします。
■「住みたい街」から転落したワケ
現在、自由が丘は、住宅会社などが行う「住みたい街ランキング」では他の街の後塵を拝しています。似たような環境特性を持つ街、吉祥寺は相変わらずトップクラスの人気を誇るのに対して、自由が丘の低調ぶりは顕著です。
長谷工アーベストの「住みたい街(駅)ランキング」で、2003年、08年に1位でしたが、19年から現在までトップ10圏外が続いています。リクルートSUUMOの「首都圏 住みたい街ランキング2025」では30位です。一時期の人気はどうしてしまったのかという感じです。
人気下落の理由は、現地に実際に足を運んでみると実感します。
自由が丘は小さな路面店が軒を連ねていて、そこを散策しながらウインドーショッピングできる街というイメージがあります。確かにそのような区画が多いのは事実ですが、実際に暮らしてみると、道はさほど広くないのに街の中心部までバスや車が入れて、駅前のロータリー周辺は車をよけながら歩かないといけない。
歩く際に注意が必要な街なのです。
また、今も東急大井町線の踏切が存在し、それを待たねば駅の北と南を行き来できないといったアクセスの悪さもあります。
■チェーン店だらけになった
緑道など自然も多い街ですが、ベンチやイスには限りがあり、土日は遊びに来た人々が座るため、地元の人が集ってゆったりできるようなスペースは意外とありません。
おしゃれカフェやレストランなどの飲食店や美容室、ネイルなどの店も多数ありますが、比較的高い店も多く、普段利用をし続けるにはちょっと高いということもあります。
八百屋や肉屋などの専門店は少なく、スーパーも比較的高級なスーパーが出店しているため、大衆レベルでの日常使いがしづらいという面もあります。
公示地価を見ると、06年には485.21万円/坪だったのが16年に680.17万円/坪、25年には1109.09万円/坪と10年間で2.3倍に上昇しています。家賃も高くなり、25年の平均坪家賃は3万6138円と、23年の2万7608円の1.3倍です。これでは資本力のある大手企業しか出店できなくなり、街にはチェーン店が増えるという結果になってしまいます。
実際に街にはそのような店がかなり増えました。賃貸の家賃もワンルーム13万前後、1LDKで23万前後(複数の家賃相場)(※)と周辺地域と比べても高いので、自由が丘は住みづらいというのが現状です。
※LIFULL HOME’S「自由が丘駅の家賃相場情報
■街の名物が次々と消えた
ここ数年、そんな自由が丘に最近、新たな流れが起きています。
自由が丘のシンボルでもあった「自由が丘スイーツフォレスト」は24年12月に休園(事実上の閉館)し、建物はそのまま残り廃墟のようになっています。

自由が丘の顔でもある「ナボナ」で有名な亀屋万年堂は、21年にシャトレーゼに買収され完全子会社化されました。
そして昨年2月20日、自由が丘で長年商売をしてきた不二屋書店が閉店しました。私にとっては書店と言えば不二屋というほど、学生時代からよく通った街の本屋でした。
自由が丘駅正面口のロータリーのはす向かいにあったので、まさに街の一等地にあった店がなくなるというのは、私にとっては街の象徴が消えることであり、とても驚いたことを覚えています。
「不二屋書店」が開業したのは1922年(大正11年)。奥沢(自由が丘の隣町)で店を始め、1929年に自由が丘に移転されたそうです。同店が自由が丘移転後96年、創業102年の歴史に幕を閉じたのです。
店の貼り紙には「万策・力ともに尽きてしまいました」という店主の言葉が紹介されていて、私も胸が締め付けられる思いでした。そして、私的には「私のよく知る自由が丘が終わった」という感じを受けた出来事でもありました。
不二屋書店閉店後、そこにはドーナツの人気店「I’m donut?(アイムドーナツ?)」がオープンしていました。書店からスイーツへ。まさに街の象徴が入れ替わったような現象です。

■最近急増しているのは塾
お店の入れ替えはここだけではありません。
ピーコックストア自由が丘店が入っていたビルが建て替えとなり、2023年にイオンモールによる新たな商業ビル「自由が丘de aone」が誕生しました。
同施設周辺の古いビルも建て替えで3~4階建ての複合商業施設に変わり、今までのこぢんまりとした小さな店から、ある程度の集客力を持つ中型店舗を中心に人を集めるように変わり始めました。
また、自由が丘には塾も目立つようになってきました。大手塾のSAPIX、駿台など大手予備校や進学塾、個別指導塾や幼稚園や小学校のお受験塾があります。
家賃が高騰しているとはいえ、自由が丘周辺には高級住宅地があり富裕層が多いエリアです。また、近隣には二子玉川や武蔵小杉など世帯年収2000万円を超すパワーカップルが好む街があります。
子どもの教育には糸目をつけない家庭が近隣に多いこと、自由が丘は複数路線が入る駅であり、車で塾への送迎をしやすいという立地的な特徴もあります。家賃高騰で空いたテナントに続々と塾が出店しているのです。
■東京近郊エリアの再開発とは違う
街に変化が現れるのは喜ばしいことですが、以前のような落ち着いた自由が丘というイメージから、チェーン店や大手企業中心の近代化された、人工的な街づくりの雰囲気が強くなってきているように思います。
これまでとは異なる客層の流入、個人店→よそで流行っているチェーン店の増加、街のシンボルの消滅→高層ビルの建設の流れは、ここ最近の郊外都市で起きている変化と同じです。
自由が丘もそうした、判を押したような典型的な都心郊外になるのか……。
ただ、現在、進行中の駅前の再開発を見るに、思い違いだったようです。
駅前で進む再開発プロジェクト「自由が丘一丁目29番地区第1種市街地再開発事業」の主体は、鉄道会社や不動産ディベロッパーではなく、住民です。
正確には、事業者は自由が丘一丁目29番地区市街地再開発組合(理事長は自由が丘商店街振興組合代表理事の岡田一弥氏)です。そこにヒューリックや鹿島建設が組合員として加わっている格好です。
他の街と大きく異なる住民主体の再開発に至るには、自由が丘という街の独自性があります。
■不動産会社ではなく市民が街をつくる
自由が丘は、1963年に設立された自由が丘商店街振興組合の活動なしには語れないのです。
この組合が、住民と一体となって街の個性を打ち出す「自由ヶ丘地区街並み形成指針」を定め、街のハード面からもできるだけ統一したデザインで街づくりが行われるようにコントロールしてきたのです。現在では1300軒に迫る国内最大級の商店街組織です。
余談ですが、自由が丘が「女性に人気の街」になったのは、カフェ「カスタネット」の存在抜きには語れません。この店に慶應の塾高生や大学生が集まるようになり、同心円状に雑貨店やセレクトショップ、カジュアルウェア、そしてスイーツの店などが続々と出店するようになったのです。はじめに人ありき、というのが自由が丘の特徴と言えます。
先述したように自由が丘の様相は変わりつつあります。
それゆえの危機感を住民たちは感じていたのでしょう。駅前の再開発組合は、不動産ディベロッパーに依存せず、東京都が2003年に制定した「東京のしゃれた街並みづくり推進条例」に基づく「街区再編まちづくり制度」を活用し、既成市街地の再生を目指したのです。
■再開発ビルのテナントの意外な顔ぶれ
東京都が絡むことにより規制緩和が進めやすくなりました。公共空間を整備したり、歩道を広げたり、街区再編により美しい街並みを整備するなどして、結果的に容積率(建てられる床面積)を増やすことが可能となったのです。
同事業の目玉となる複合ビルの延床面積は約4万6000平米。高さ約60メートル、地上15階、地下3階建てという自由が丘の中では建物としても非常に大きなものになります。規制緩和メリットを受けて開発されていることがはっきりとわかる建物です。
このうち、地上5階までと地下1階には食・ライフスタイル・子育て関連のテナントが入居予定。オフィスフロアだけでなく、約170戸の住宅も入ります。
同ビルのキーテナントは、自由が丘初出店の高級スーパー「明治屋 自由が丘ストアー」とSHARE LOUNGEとスターバックスの複合店LOUNGE & CAFE「SHARE LOUNGE 自由が丘(仮称)」の2店舗です。他には1933年創業の地元、ケーキのモンブラン発祥の店として筆者もよく通っていた「自由が丘 モンブラン」、1934年創業の老舗そば店「そば処 自由が丘 薮伊豆」、1932年創業でこれもこの地にあった時計・宝飾専門店の「自由が丘 一誠堂」などが出店します。
まさに地元民に馴染みのある店が多数復活することになります。
■決してディベロッパー目線の開発ではない
5階には、事業者のヒューリック株式会社が展開する子育て・教育の新拠点としてすでに中野などにオープンして好評の「こどもでぱーと 自由が丘」もオープンする予定です。
まさに自由が丘の地域性と、ここに集まってくる客層に合わせたテナント構成となっています。
複合ビル建設だけでなく、駅前の商店街の様子も変わります。自由が丘が長い間、抱えていた細い街路や細分化した土地、災害に弱い木造建築といった課題を、駅前再開発で解決しようとしています。「街区再編+再開発+歩行者空間整備」を進め、より暮らしやすい街づくりへと変化させようとしています。また、商業集積を強化し、街の不動産価値も高めていく狙いも感じられます。
アメリカ北西部、オレゴン州のポートランドは、ある雑誌の調査で「米国で最も住みたい街」に選ばれたことがある人口60万人ほどの都市です。ここには住民が主体となった街づくり組織、ネイバーフッド・アソシエーション(NA)により、あるべき街づくりとは何かを考える活動が続けられています。出店テナントの店舗づくりや看板、店舗前のグリーン、歩道を邪魔しないテラス席の位置などに独自のルールを設けています。NAが主体となって基本ルールを整えたからこそ、街のクオリティが上がっていったという事実を現地で見て、私は、ここまでやるのかと驚いた記憶があります。
自由が丘もありきたりなディベロッパー目線での開発ではなく、あくまでも地域住民、地域商業者の目線で、自由が丘のあるべき姿から、さまざまな再開発を考えていくことで、本当に住みたい東京の街へと進化していくのではないかと思います。
そこには大手企業に主導されずに、典型的な都心再開発に陥らないポイント、それは、自由が丘ならではの街の景観美と街の自由度をどこまで守れるかがカギとなるでしょう。自由が丘の街の変化にこれから注目していきたいと思います。

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岩崎 剛幸(いわさき・たけゆき)

経営コンサルタント

1969年、静岡市生まれ。船井総合研究所にて28年間、上席コンサルタントとして従事したのち、ムガマエ株式会社を創業。流通小売・サービス業界のコンサルティングを得意とする。「面白い会社をつくる」をコンセプトに各業界でNo.1の成長率を誇る新業態店や専門店を数多く輩出させている。街歩きと店舗視察による消費トレンド分析と予測に定評があり、最近ではテレビ、ラジオ、新聞、雑誌でのコメンテーターとしての出演も数多い。

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(経営コンサルタント 岩崎 剛幸)
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