■住民票を移しただけで税収が6.7倍に
2021年末、ある人物が住民票を山口県周南市から周防大島町に移した。周南市は古くから出光興産を中核とする石油化学のコンビナートが街を網羅する工場地帯である。
夜、瀬戸内の海沿いを車で走ると、無数の灯りが工場群を浮かび上がらせる。その光景を「工場夜景」として観光資源化しようという動きもある。
そこで生まれたジェームス文護さん。約60社の企業を経営・出資する実業家であり、獣医師の資格を持つ。ロータリークラブをはじめ地元の経済界、政財界に広く顔を出す地域の盟主的存在だ。
ジェームスさんが移住した翌2022年度、周防大島町の町民税収入は当初予算想定の約6.7倍に膨れ上がった。当初予算4億8400万円が、32億2600万円に跳ね上がったのだ。読売新聞が「『瀬戸内のハワイ』に高額納税者が複数転入」と報じ、マツコ・デラックスが出演する『マツコ会議』(日本テレビ系)でも取り上げられた。このうちジェームスさんが市と県に支払った住民税は初年度で43億円。たった数人の高額納税者の移住が、人口1万数千人の島の財政を激変させた。
なぜ周南市を離れたのか。ジェームスさんはこう語る。
「出光興産におんぶにだっこのままではいけない。その危機感をずっと持ってきたが、周南市では何を提案しても『大人の事情』で潰される。この国の未来を創る子供たちのために、この街を出て、周防大島に移る選択をしました」
この話を入口に、ジェームスさんが見てきた地方都市の構造的な病、そしてその処方箋について聞いた。
■「物語の不在」という地方をむしばむ病
「出光の煙突が見えなくなったら、この街は終わりだ」
山口県周南市(旧徳山市)で生まれ育った人間なら、一度はこの台詞を聞いたことがあるだろう。
1985年、徳山市(現周南市)の人口は約16万7000人を数えた。2003年の平成の大合併――徳山市、新南陽市、熊毛町、鹿野町が一つになった年――を経てもなお減り続け、2020年の国勢調査では13万7540人。周南市の最新統計によれば、2026年4月末時点で13万2152人にまで落ち込んでいる。40年で3万5000人近くが消えた計算だ。
産業基盤がありながら人が減る。これは周南市だけの病ではない。日本全国の地方都市が罹患している、静かな、しかし致命的な疫病である。
なぜ人は去るのか。
仕事がないからか。いや、コンビナートは今日も稼働している。トクヤマ、東ソー、日本ゼオン、出光興産。日本の化学産業を支える巨大企業群が、この街に拠点を置いている。雇用は――少なくとも統計上は――存在する。
では何が足りないのか。
ジェームスさんの答えは明快だ。「『物語』がない。この街に住み続ける理由になるような、未来の物語がどこにもないんです」
ジェームス 文護

静峰興産代表、実業家

酪農学園大学獣医学科卒。獣医師の免許を取得し、大学院ではビタミンEの豚の繁殖への研究と大動物臨床に携わる。卒業後は山口県庁で10年間勤務、1991年静峰興産に入社。一級土木施工管理技士等、多くの資格を取得。
現在は3代目として、国内外約60社を統括。広い分野でのビジネスに関わっている。(写真=本人提供)
■地方都市が抱える“脆弱性”とは
東京には「世界都市としての東京」という物語がある。京都には「千年の都」という物語がある。福岡には「アジアへのゲートウェイ」という物語がある。では、周南市には何があるか。「コンビナートの街」。それ以上の物語を、この街は持っていない。
物語とは何か。それは、その場所に住む意味を与えてくれる「なぜ」への回答である。人間は、パンのみにて生くるにあらず。給与明細の数字だけでは、人は定住しない。
特に若い世代は、自分の人生に「意味」を求める。その意味を提供できない街から、人は去る。至極当然の帰結だ。
改めて、ジェームスさんの移住がもたらした数字の意味を考えたい。
数人の転入で予算が6.7倍になるということは、逆に言えば、数人の転出で財政が壊滅的打撃を受けるということだ。これは健全な財政構造とは言えない。そして、この事実は別のことも示している。「一人の重み」だ。
大都市では、一人の住民が転入しても転出しても、財政への影響は微々たるものだ。だが小規模自治体では、一人の決断が、街の運命を左右する。これは恐ろしいことでもあるが、同時に希望でもある。ジェームスさんはこう言う。

「変化を起こすのに、大勢は必要ない。本気の『一人』がいればいい」
問題は、その「本気の一人」が現れたとき、行政がその熱量を受け止める器を持っているかだ。ジェームスさんが周南市時代に経験したのは、まさにその器の不在だった。
■市民政策が「なんとなく」で決まっていく
周南市が2003年に合併した際、ジェームスさんは賛成派として動いた。「規模のメリットを活かし、より広域的なビジョンを描けるはずだ」と。その期待は、純粋だった。だが純粋であるがゆえに、現実の壁にぶつかることになる。
合併から20年以上がたった今、ジェームスさんが目の当たりにした現実は期待とは程遠かった。都市計画も、教育政策も、産業誘致も、環境問題も、すべてが「なんとなく」で決められていく。とくに経済分野においては専門人材がいないに等しかった。
「市議会議員は29人いるが、正直言って問題はいろいろとある」
辛辣だが、これは全国の地方議会が抱える構造的な病巣を射抜いている。総務省の調査によれば、地方議会議員のなり手不足は深刻の一途を辿り、全国の議長の6割以上がその危機を認識している。
なり手がいないのだから、専門性など期待しようもない。国の補助金メニューに載っているものを粛々と消化する――それが多くの地方議会の実態だ。
私がここで強調したいのは、これが「怠惰」の問題ではないということだ。ジェームスさんもこう補足する。「市会議員はそこそこの給与がもらえる。だから生活のために市会議員になる人も中にはいる。『街づくりに想いがないのでは』と市民から厳しい目で見られている議員も一定数いるのが事実です。彼らが無能だとは言わない。ただ、彼らに『2050年の都市ビジョン』を描く専門性を期待するのは、そもそも無理がある」
■「議員30人を300人にしたい」仰天プラン
ジェームスさんの提案は、この構造を根本から変えようとするものだった。世の中のトレンドが議員を減らすという方向に走る中、「30人の議員定数を10倍の300人にする」という真逆の発想だ。
「同じ予算なら1人当たりの報酬は10分の1になる。こうなると到底、生活のために市議会議員になるという選択肢はなくなる。そこで本気で街づくりに関与するスペシャリストを集める。教育の専門家、環境問題のスペシャリスト、都市計画のプロ、建設業界の知見を持つ人材、福祉に造詣が深い人――各分野の『本物』を起用し、この街の未来を多角的に設計する」
一見、突拍子もない提案に聞こえるかもしれない。だが、考えてみてほしい。企業経営において、社外取締役や専門委員会の設置が当たり前になったのはなぜか。複雑化する経営環境において、ゼネラリストだけでは対応できないからだ。同じことが、自治体運営にも言えるはずではないか。
ジェームスさんはこうも語る。「政治家は本来ボランティアの精神で市民のことを考え、地域の実業家はその場所で稼ぎ、街を支える。このモデルが理想だ」
アメリカの地方では、実際にこのモデルで機能している小規模自治体が少なくない。市長は無給か名目的報酬で、本業は弁護士や経営者。議会は夜間に開催され、さまざまな職業の市民が参加する。日本の地方自治法がそのまま許容するかは別として、発想としては十分に検討に値する。
しかし現実には、地方議会の現場からすれば、自分たちの立場を脅かすような改革を歓迎するはずがない。面白いわけがないのだ。かくして、改革の芽は摘まれる。日本中の地方都市で、同じことが繰り返されている。これを「既得権益」と呼ぶのは簡単だ。だが、問題の本質はもう少し深いところにある。
■「成功者」が身近にいない。だから将来を描けない
ジェームスさんの主張の中で一貫しているのは、「この街の将来の生命線は、高齢の議員や役人が会議室で決めるのではなく、子供に決めさせることだ」という信念である。
地方の教育現場ではロールモデル不足が深刻だ。都市部に比べて多様な職業や生き方に触れる機会が圧倒的に少ない。東京の子供は、IT企業の社長にも、外資系コンサルタントにも、スタートアップの起業家にも出会える。親戚や知人の中に、そうしたキャリアの人がいる確率も高い。だが周南市の子供にとって、身近な「成功者」とは誰か。多くの場合、コンビナートの社員か、公務員か、地元の商店主だ。それが悪いとは言わない。だが、選択肢の幅が狭いのだ。
ジェームスさんは言う。「子供たちは『この街にいても何もない』と感じ、18歳になれば出ていく。そして二度と戻らない」
地方自治体が教育に投資しても、その投資で育った人材が流出するというジレンマ。これを「教育投資のパラドックス」と呼ぶ研究者もいる。育てた人材が出ていくなら、なぜ育てるのか。その問いに、多くの地方自治体は答えを持っていない。
■街を「子供の未来の実験場」にしたい
「周南市は当時、合併後に『新市建設計画』に基づいて実施される公共施設整備等の事業に対し、国が返済の70%を普通交付税で支援する非常に有利な地方債(借入金)、合併特例債という制度の対象でした。この制度をうまく利用して何かできないか考えました。たとえば街の名前を『ドラえもん市』にするとか。版権の問題があるので難しいですが、町が本当に子供たちのことを考えているのなら、子供が主役だということが一発でわかる事業をやるべきです」
街そのものを「未来の実験場」にしたい。テクノロジーと夢が教育カリキュラムに組み込まれ、子供たち自身が街づくりの当事者になる。そうすれば、出ていく理由ではなく、「ここにいる理由」が生まれる。外から来たいと思う若い家族も現れる。ジェームスさんが周防大島に見ているのは、まさにその可能性だ。
「都市のアイデンティティは、未来を背負う子供たちの中にこそある。周防大島をその実験場にしたいんです」
■起業できる高校生を育てたい
子供を主語にした街づくり。その具体的な一歩として、ジェームスさんが関わったのが教育の現場だ。
山口県立大学附属周防大島高校を周防大島に設立する計画に伴い、町民としてジェームスさんは意見する機会があった。
「大学受験するための高校ではなく、高校時代にインターンシップでビジネスを経験したり、高校生のアイデアを採用し事業化を検討したり、高校生社長を生み出す土壌のような学校にすべきだ」
そのために、予備校のスーパー講師のような「名物先生」をスポットで招聘し、基金を募って運営を任せる――いわば「ハーバード・モデル」の地方版だ。ハーバード大学がなぜ世界最高峰の教育機関であり続けるか。それは、巨額の寄付基金(エンダウメント)を運用し、その運用益で最高の教授陣を招聘できるからだ。授業料収入に依存せず、長期的視点で人材を育てる。この仕組みを、地方の高校に導入できないか。
ジェームスさんの構想では、校歌の作曲にX JAPANのYOSHIKIを起用する案まであった。「役所は県出身の音楽家を選びがちだが、世界的に活躍するアーティストに依頼して子供たちに夢を与えたかった」というのがその理由だ。
しかしこれも、行政との協議で頓挫した。前例がない、予算の枠組みに合わない、既存の教育機関との調整ができない、責任の所在が不明確になる、失敗したときに誰が責められるかわからない……。考えられる理由はいくつもある。だが、一つひとつは「もっとも」に聞こえる理由の積み重ねが、改革を殺す。
子供に夢を与える話が、大人の都合で潰される。この国の地方では、こういうことが繰り返されている。そして繰り返されるたびに、「本気の一人」は去っていく。
■「稼ぐ自治体」にならなければ未来はない
もう一つ、ジェームスさんの指摘で看過できないのが、行政の「稼ぐ」意識の欠如だ。
「市役所は『市の顔』だからと、庁舎の建築や内装に莫大な予算を投じる。立派な庁舎ができて幸せなのは、そこで毎日働く職員だけです。住民の暮らしが豊かになるわけではない」
全国の地方都市で、中心商店街はシャッター通りと化している。「この空き店舗を市が借り上げ、若手起業家に安価で貸し出す仕組みはできないのか。外国資本や県外企業に遊休地を安価で提供し、一定の雇用条件を付帯しつつ、固定資産税が長期的に回収できるスキームを設計できないのか」
私がここで問いたいのは、自治体の「主語」の問題である。従来の地方自治体は、住民から税を徴収し、それを再分配する「分配者」として機能してきた。だが、人口が減り、税収が減る時代に、この「分配者」モデルは持続可能だろうか。
GDPパーキャピタ(一人当たりGDP)の視点から言えば、人口が減少する以上、一人ひとりの生産性を高めるか、あるいは行政自体が「稼ぐ主体」に転換するしかない。市の資産、インフラ、そして何より「土地」と「自然」という地方ならではの資源を最大限に活用し、究極的には住民からの税収に依存しなくても回る自治体を目指す。
途方もない理想に聞こえるかもしれない。だが、その途方もなさこそが、今の地方に必要な発想の水準なのだ。なぜなら、「現実的な」施策は、すべて試され、すべて失敗してきたからだ。ゆるキャラ、B級グルメ、ふるさと納税の返礼品競争――どれも一時的な話題にはなったが、人口減少のトレンドを反転させるには至っていない。
■「隣町は人口増」加熱する生存競争
周南市の人口は13万人台に突入し、減少は止まらない。だが興味深い事実がある。隣の下松市は、人口が微増しているのだ。
下松市の人口は約5万6000人。周南市の半分以下だ。だが、周南市との合併を選ばず、単独市として歩んできた。そして今、山口県内では珍しく、人口が増加傾向にある。日立製作所の関連企業が立地し、新幹線の車両の製造拠点がある。産業基盤は周南市に劣らない。だが、何かが違う。
私はここで安易な結論を出すつもりはない。下松市が成功していて周南市が失敗しているとか、合併が間違いだったとか、そういう単純な話ではない。ただ、「規模を大きくすれば栄える」という前提が、必ずしも正しくないことは明らかだ。
問われているのは、もっと根本的なことだ。誰が、この街の未来を語るのか。その「語り」に、どれだけの本気度があるか。そしてその本気度を、行政は受け止める器を持っているか。
■「荒唐無稽だ」と笑えない段階にきている
大人の事情でモノゴトが決まり、結果として若い人はどんどん離れていく。この負のスパイラルに終止符を打つには、行政の在り方そのものの転換が不可欠だ。子供を主語にした教育と街づくり。稼ぐことを恐れない自治体経営。スペシャリストが集う開かれた議会。どれも「前例がない」だろう。だが、前例がないことは、やらない理由にはならない。
日本という国の凄さは、東京のスカイラインにあるのではない。瀬戸内の多島美に、コンビナートの夜景に、商店街のシャッターの向こうで今日も暮らしている人々の中にある。その凄さを守るとは、この国を深く理解し、その理解を教育と街の魅力に変換していくことにほかならない。
ジェームスさんの提案を「荒唐無稽だ」と笑うのは簡単だ。だが、大人が笑っている間にも、地方の子供たちは一人、また一人と、出ていく準備を始めている。
18歳の春、駅のホームで見送る親の姿。「いつか帰ってこいよ」と言う父の声。だが、帰る理由が、この街にはない。帰りたいと思わせる「物語」が、この街にはない。
その物語を作れるのは、大人の事情で動く会議室の面々ではない。「笑われてもいい」と腹を括った、本気の誰かだ。その誰かが現れたとき、地方は変わる。そして、その誰かを受け入れる度量が、その街にあるかどうか。それが、周南市だけでなく、日本中の地方都市に突きつけられている問いなのだ。

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西田 理一郎(にしだ・りいちろう)

価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役

富裕層向けブランド体験の「物語」を紡ぐナラティブ・マーケティングをプロデュース。また、情報伝達を超えた行動を仕組化し、個の全盛時代において、ラグジュアリー市場での持続的成長を実現する知の「価値共創」戦略を構築する。プレミアムブランドの世界観を体現する戦略的プラットフォームの商品化を手がけ、ミシュラン・ガストロノミーから超高級ライフスタイルまで、文化的価値を経済価値に転換するマーケティング、ブランディングを専門とする。「to create a Real LIFE 敏腕マーケターが示唆するこれからの真の生き方とは」「Life is a Journey」「食と文化の交差点 ガストロノミーへの飽くなき情熱」などのメディア掲載・連載を通じて真のラグジュアリーとは「所有」ではなく「体験」であり、その体験に宿る物語こそがブランド価値の源泉である――という信念のもと、富裕層マーケティングの新境地を開拓し続けている。主要著書に『予測感性マーケティング』(幻冬舎)、『アフターコロナ時代のトラベルトランスフォーメーション』(ゴマブックス)、『GRAND MICHELIN ミシュラン調査員のことば[特別編集版]』(アンドエト)がある。個人サイト

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(価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役 西田 理一郎)
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