「スパゲッティ・カルボナーラ」は代表的なローマ料理として知られる。だがその歴史は意外と新しい。
龍谷大学教授の大石尚子さんは「伝承によると、第二次世界大戦時にアメリカ兵士がアブルッツォの名物料理『カーチョ・エ・オーヴァ・パスタ』を味わったことが誕生のきっかけだ」という――。
※本稿は、大石尚子『イタリア食紀行 南北1200キロの農山漁村と郷土料理』(中公新書)の一部を再編集したものです。
■無駄なく美味しく農村を守る田舎料理「リボッリータ」
土地の記憶と人々の暮らしの結びつきを物語る郷土料理の一つに、リボッリータ(Ribollita)がある。トスカーナ人は始末屋だと言われるが、その気質をこの料理はよく表している。「ボッリータ」は「沸かした、煮た」、「リ」は「再び」、リボッリータとは「再び煮た」料理である。ここでは、アグリツーリズム施設「Poggio ai Santi(ポッジョ・アイ・サンティ)」のオーナー、フランチェスカ・ヴィエルッチ(Francesca Vierucci)の言葉をたよりに、リボッリータの真髄を伝えたいと思う。
イタリア料理の父、ペッレグリーノ・アルトゥージは、この料理を「Zuppa Toscana di magro dei Contadini(ズッパ・トスカーナ・ディ・マグロ・ディ・コンタディーニ)」と呼ぶ。意味は、「農家風質素なトスカーナスープ」である。スープ(Zuppa)は、具材が詰まった、食べ応えのあるスープである。イタリアではスープは最初に出てくる第一の皿で、パスタ料理と同類である。時に、メインディッシュに位置付けられる。
■イタリア人も「めったにうまく調理できない」
リボッリータは、外国人でもイタリア好きなら知っているポピュラーなトスカーナ料理だが、イタリア人も「めったにうまく調理できない」と言う。
それは、料理人の腕の良し悪しよりも、食材と調理法に関係している。まず、本物の食材を調達できないので、昔のレシピ通りの再現が難しい。食材の調達が難しいのは、グローバル化によって大規模化/モノカルチャー化した企業的農業が進んで、大量生産に合わない食材が淘汰された結果だ。
次に、手間暇のかかる料理を、忙しい世代は継承しなくなった。それまでの食材が消え、レシピが変わると、風が吹けば桶屋が儲かる類の話と思われるかもしれないが、農村の景観まで変わってしまう。なぜなら、在来品種が淘汰されると生物多様性は失われ、それが生態系の破壊にまで進展するからである。
幸いトスカーナは、企業的農業から農地が守られ、生物多様性に富み、生命循環が存在する地域である。それが実現できるのは、ローカルツーリズムやスローツーリズムの思想があるからだと言える。こうしたツーリズムで供されるレシピの維持と継承には、そのための食材の存在が必須である。すなわち、リボッリータの魅力は、回り回って小規模農家を支え、農村景観を守り、環境保全につながることになる。
■廃れた穀物や代替穀物でつくられた「パン」
リボッリータの話に戻る。食材は、パン、オリーブオイル、豆、そしてトスカーナの野菜である。
この料理で最も重要な要素はパンである。小麦粉ではなく、廃れた穀物や代替穀物を使ってつくられる。さらに特徴的なのは、普通、パンには必ず入る塩が、トスカーナのパンにはない。その理由は、「東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の塩税に抵抗したフィレンツェっ子のプライドが関係している」とか、「高い調味料を使わない知恵」、あるいは「トスカーナ料理は塩気が強いため」など、諸説ある。
次に重要なのがオリーブオイルである。オリーブオイルは、秋にオリーブの実を収穫し、搾ってつくる。したがって、秋頃に店頭に並ぶものがその年にできた一番フレッシュなものになる。肌寒くなり、温かい料理が欲しくなる秋口に、この新オリーブオイルを使ったリボッリータを食べられるのは至福である。
その中でも、風味豊かなエキストラバージン・オリーブオイルがよい。これは、実を収穫して最初に搾ったそのままのオリーブオイルである。エキストラバージン・オリーブオイルとするには、世界基準で決められている香りや成分の一定基準を超えなくてはならない。トスカーナのそれは香りの良さなどで有名である。

■トスカーナだけでも何十種類もの品種がある「豆」
次に豆である。豆類は貧しい食と思われがちだが、実は種類も豊富で多様性に富み、栄養価のバランスも良い。リボッリータに使われる豆は「カネリーノ」だが、それ以外にトスカーナだけでも、土地ごとに何十種類もの品種がある。トスカーナには次のようなことわざがある。「フィレンツェ人は、皿やスプーンに残る豆を舐めるほど、豆好きである(Fiorentin mangia fagioli lecca piatti e romaioli)」。その土地ごとにできる豆とその料理は、トスカーナ人にとって思い入れが強い固有の味である。
野菜については、トスカーナでは黒キャベツをよく食べるためリボッリータにも使われる。これ以外にも、冬に美味しくなるアブラナ科の野菜を使う。体を温め、解毒作用がある。
■ローマを代表する食材「アッバッキオ」
トスカーナの田舎の美しさとは正反対に、世界を支配したローマ帝国としてのプライドを保つローマ市民は、古代から連綿と続く食文化を自負している。食材の定義にもこだわる。「アッバッキオ」というローマを代表する食材がある。
子羊の肉のことだが、ローマでは、イタリアで一般的に使われる「アニェッロ(子羊)」とは区別して、まだ乳だけで育つ雌の子羊を特に「アッバッキオ」と呼ぶ。
イタリア人は食の話題が好きである。違う出身地の人たちが郷土食の話になると、似た料理や食材の呼び名が方言なのか、それとも一般名詞なのかをめぐる論争が起きる。しかし、研究によれば、アッバッキオはローマ方言ではなく、他の地域の子羊とは区別される一般名詞である。
今はPGI(※編注:地理的表示保護。イタリアには農畜産物に対して知的財産権を認める制度がある)に認定されるためには、ローマ県で飼育された生後28~40日の羊の子でなければアッバッキオを名乗れない、希少な食材である。したがって「ローマ料理」をうたうレストランで出されているアッバッキオは、すべてが本物とは考えにくい。なかには普通の子羊か、輸入品もある。
■「スパゲッティ・カルボナーラ」の歴史は意外と新しい
代表的なローマ料理と言えば、プリモ・ピアット(第一の皿)のスパゲッティ・カルボナーラを挙げる人が多い。しかし、その歴史は意外と新しい。第二次世界大戦時、ラツィオ、モリーゼ、カンパーニャ州の間にあるラインハルト線で交戦中の連合軍アメリカ兵士が、アドリア海とアペニン山脈間にあるアブルッツォの名物料理であるカーチョ・エ・オーヴァ・パスタを味わったことに始まる。
伝承によると、故郷の味を再現するために、アメリカ兵士は地元のレシピにグアンチャーレ(豚の頬肉。
アメリカのベーコンに似ている)を加えたという。この珍味の香りがローマ人の鼻孔を酔わせ、レシピとして定着したのである。イタリアでは、ピッツェリア(ピザ店)やレストランで、給仕にタバスコはないかと尋ねると、あからさまに嫌な顔をされる。イタリア人は、アメリカ的なものを毛嫌いするところがあるが、カルボナーラのレシピは、アメリカ人に縁があることをほとんどのローマ人は知らない。
■下町の面影が漂う観光地の独特な食文化
下町で発達した庶民料理にも、ローマを特徴付ける料理がある。ローマ中心部からテヴェレ川を挟んだトラステヴェレは、人情味あふれる下町の面影が漂う観光地になっていて、独特な食文化がある。その独自性もまた、ローマ時代に遡る。
「トラス」は「越えて」を意味し、この地区は「テヴェレ川を挟んで向こう側」である。ローマは、トラステヴェレ以外は、大方、テヴェレ川の東側に広がる。トラステヴェレは、ローマとは別の地区で、そこに暮らす人々を蔑む意味合いも含まれていた。
共和制ローマ時代、この地区にはエトルリア人やユダヤ人などの外国人、それに下層職人、肉体労働者、キリスト教徒など、いずれも当時社会から疎外されていた人々が集住していた。この地区は、道が狭く、途中で途切れて行き止まりになっていたりして、迷路のようである。
都市計画の不在がすぐにわかる。実際、ローマ時代以降は統制が行き届かず無法地帯と化していたという。第二次大戦後に、農村から流入してきた労働者が住み着き、下町文化が形成された。
■労働者が好んで食べた臓物料理
こうした歴史が独特な食文化を形成した。ユダヤ人居住者によって伝えられたユダヤ料理、それに労働者が好んで食べた臓物料理もこの地区ならではである。19世紀末に、ローマの人口増加に伴ってその胃袋を満たすため、トラステヴェレの対岸にあるテスタッチョ街に食肉処理場が置かれた。おかげで臓物がふんだんに手に入り、珍味を料理するのに慣れていたトラステヴェレの人々が調理し、ローマ料理に欠かせないメニューに加わった。
この臓物を「quinto quarto(四分の五)」と言うが、それは、臓物が枝肉全体の重さのおよそ四分の一に相当することに由来する。臓物は、前脚後脚の四本の部位より値が高い。かつては食肉処理場で働く労働者の給料として、臓物の一部を現物支給していたことがあった。
ローマでは、カルチョーフィ(アーティチョーク)やプンタレッラなど特徴的な野菜を使った料理も有名だ。プンタレッラは春の味覚である。チコリという菜っ葉の一種だが、茎の付け根がふくらんでいて、少し苦みがある。アンチョビと和えてサラダにしたり、オリーブオイルと唐辛子でソテーにしたりして食べる。独特の香りがして美味しい。こうした野菜は、ローマ市近郊で多く栽培されている。

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大石 尚子(おおいし・なおこ)

龍谷大学教授

1973年生まれ。兵庫県出身。1995年大阪外国語大学イタリア語学科卒業。アパレル商社勤務、在ミラノでのファッションコンサルタント助手などを経て、2007年同志社大大学院総合政策科学研究科ソーシャル・イノベーション研究コースに入学、11年同博士課程修了。10年より龍谷大学地域公共人材・政策開発リサーチセンター(LORC)にて活動。15年より龍谷大学政策学部准教授。23年より同教授。18年5月~19年3月イタリア・プーリア州にて在外研究。編著『食と農のソーシャル・イノベーション』(藤原書店、2024年)、共書『トリノの奇跡』(藤原書店、2017年)、『ソーシャル・イノベーションの理論と実践』(明石書店、2022年)ほか。

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(龍谷大学教授 大石 尚子)
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