■凍結された助成金は3000億円超
世界大学ランキングでトップ5の常連であるハーバード大学と、トランプ政権のバトルが激しさを増している。移民強制送還の波は大学にも及び、先日は日本人留学生のビザが剥奪される事態となった。
このままいくとアメリカのエリート大学は世界的な信頼を失い、ランキング上位の座を失いかねない。
そこまでのリスクを冒してまで、政権はなぜ高等教育を攻撃するのか? そこには保守アメリカの悲願とも言える政策目標が隠されている。
「トランプ政権が、ハーバード大学に対する22億ドル(約3150億円)の助成金を凍結した」
これが報道された瞬間、世界に衝撃が走った。4月14日のことである。ここにトランプ対大学の大戦争の火蓋が切られた。
ハーバード大学といえば、世界大学ランキングの上位に常に君臨。建国の父ジョン・アダムズからケネディ、オバマまで歴代の大統領を8人も輩出した超名門だ。
■私学の方針に政府が介入する異様さ
アメリカの名門大学は単なる教育の場ではない。研究機関としてもあらゆる知が集結し、医学から経済、軍事から産業、思想・文化まで、アメリカという国のほぼすべてを支えていると言っていいほどのパワーを持つ。国家の知的インフラの中枢だからこそ助成金も莫大なのだ。そのお金を政府が凍結するなど聞いたことがないから、アメリカ人は本当に驚いた。
第2次トランプ政権の大学への攻撃はハーバードが初めてではない。
最初のターゲットは、筆者の住むニューヨークのコロンビア大学だ。600億円の助成金をカットすると通達され、返してほしければ政権の方針に従えと厳しい条件を突きつけられた。
これも相当な衝撃だった。アメリカの、特に私学の方針に政府が口を出すことはまずない。多くの大学が「アカデミック・フリーダム(学問の自由)」を最も重視しているからだ。助成金は貰っても、独立性を守るために各大学が自らの基金を持ち、自律的な運営を行っている。この「独立性」こそが自由なイノベーションを産む「知のグローバル・ハブ」としての原動力になる。
■コロンビア大学が屈した“無茶ぶり”
コロンビア大学に対する要求のひとつは、ガザ紛争をめぐるキャンパス内での抗議行動の取り締まり強化。キャンパスが昨年、親パレスチナ運動の最大の拠点となったことで、政権は「反ユダヤの動きを許している」と大学を強く非難した。
加えて、政権の多様性政策の廃止に伴い、入試や職員の採用方法の見直しを求めた。さらに中東・南アジア・アフリカに関する研究内容には外部の監査を受けるよう、政府によるコントロールを要求した。この無茶ぶりとも言える条件は、明らかに教育の自由の侵害、憲法違反である。

ところが、コロンビアは学生や教職員の安全を守るためとして、この要求に応じてしまった。これに気を良くしたのか、政権は全米の60以上の大学に対しても、同じような攻撃を仕掛けた。
■ハーバード大はトランプ政権を提訴
ハーバード大学にも似たような条件が提示されている。親パレスチナ運動の取り締まり、入試や採用における人種、国籍に基づく優遇措置の中止や、多様性プログラムの閉鎖を求めた。また「反ユダヤ主義を含め、アメリカの価値観や制度の敵と見なされる」留学生を入学させないようにする。まさに教育内容から校風・文化まで、あらゆる面で政府方針に従うよう求めた。
しかし、アラン・ガーバー学長が「私立大学が何を教え、誰を入学させ、雇用し、どのような研究をすべきかを、政府が指図すべきではない」と要求を突っぱねると、政権は前代未聞の総攻撃に出る。助成金打ち切りに加え、非営利団体としての税控除を大学から剥奪、そして、海外からの留学生の受け入れを止めるという脅しに出たのだ。
ハーバードは「大学はその独立性を放棄することも、憲法上の権利を放棄することもない」と徹底的に戦う構えを見せ、政権を提訴している。
ハーバードの強い態度は、他の大学にも勇気を与えた。主要私立大を含む約10校が結束し、連邦政府に反対するグループも組織された。しかし、大学側の立場は決して強くない。
突出した莫大な自己基金を持つハーバードは例外で、他の大学にとって助成金を失うのは大きなダメージになる。
ただし少し考えれば、これが国家にとっても大きな損害だということもわかる。助成金が減れば、あらゆる産業の基礎となる研究は間違いなく弱体化する。こうした大学ではすでに研究費が削られ、がんや感染症などの研究に支障をきたしている。このままでは近い将来、国としての競争力低下は避けられない。
そんなリスクを負ってまで、トランプ大統領はなぜこのような総攻撃を仕掛けているのか? それは、「文化戦争に勝つこと」が政権にとって何よりも重要だからだ。
■保守ブルーカラーvs.リベラルエリートの構図
政権が大学を攻撃する最大の目的は、リベラル教育の解体だ。大学とはそもそも科学に立脚した場所。全米だけでなく世界中からの優秀な生徒を集め、多様な人種、文化を礎にイノベーションを生み出す。そのため、現政権が人間活動によって引き起こされる気候変動を虚偽とし、多様性政策の廃止を主張する姿勢とは、真っ向から対立する。
またトランプ支持の岩盤層である白人ブルーカラー保守は、リベラルな大卒エリートに強い反感を持っている。「知識階級がアメリカを蝕んでいる」「大学は伝統的なアメリカ的価値観(キリスト教国家、家族の価値、白人中心主義)を傷つける存在」とも考えている。

トランプ政権は伝統的なアメリカを取り戻すために、リベラルな大学に文化戦争を仕掛けている。その戦いに勝つために教育の自由、つまり将来のアメリカの産業を犠牲にしようとしていると言ってもいい。
ちなみにトランプ支持の保守層が最も共感・賛同する政策は、移民の強制送還だ。政権はこの移民政策と大学への攻撃を、実に巧みに組み合わせている。
■無実の日本人学生もビザを剥奪された
「日本人の学生がビザを剥奪された」
このニュースは私たち在米日本人には大きなショックだった。
ユタ州の名門ブリガム・ヤング大学に留学中だった恩田すぐるさんの学生ビザが、前触れもなく突然無効になったのだ。
学生のビザや永住権(グリーンカード)が突然剥奪されるニュースは、もう珍しくない。例えばコロンビア大学の大学院を卒業したばかりのマフムード・カリルさんは永住権を剥奪され、不法移民として拘束され収容所に送られた。その理由はキャンパス内で親パレスチナの抗議活動をしたから。パレスチナ人である彼は、母国を守りたい一心でイスラエルの攻撃に反対しただけだが、それが反ユダヤ主義とみなされた。同じように親パレスチナ運動に参加した学生の多くが、学生ビザを剥奪されている。
ところが恩田さんは違う。
彼は過去に仲間と釣りに行った際、所持している釣り免許の許容範囲以上の魚を持ち帰ってしまい告発されたが、のちに容疑は取り下げられた。つまり罪にも問われていないのにビザを剥奪されたことが、多くの留学生にショックを与えた。
恩田さんはすぐに訴訟を起こし、ビザは回復した。しかし彼以外にも、ハーバード大など超一流校を含む大学で約1500人の学生ビザが無効にされたとみられている(これが大きく報道されると、政権は全員のビザ回復を発表した)。
さらに問題は、今回影響を受けた者の多くが、中国人やインド人などの白人以外の留学生だったことだ。
■アメリカの基礎教育が崩れ始めている
コロンビア大学ロースクールの移民権利クリニック所長、エローラ・ムカルジー氏はコメントで、「政権は、アメリカで歓迎されないのは誰かという明確なメッセージを送っている」「アメリカの移民政策は今、外国人嫌悪、白人ナショナリズム、人種差別主義に突き動かされているようだ」と強く批判している。
このような状況下では、多くの人がアメリカに留学するのを躊躇するだろう。優秀な頭脳が入ってこないだけでなく、大学経営も厳しくなるのは否定できない。
トランプ政権の教育への攻撃は大学や留学生にとどまらない。着々と進められる「教育省の廃止」だ。
アメリカの教育省は日本の文科省とは少し違う。学校で教える内容の多くはそれぞれの州や地方の教育委員会に委ねられている。
教育省としての主な役割は低所得者や人種的・ジェンダー的マイノリティ、障害者などが平等な教育を受けられるように、資金を提供することだ。
トランプ大統領は、教育省が仕切るアメリカの公教育も、大学と同様マイノリティの権利保護に傾きすぎていると考えている。
しかし連邦政府からの資金がなくなれば、特に財政困難な州では、マイノリティ以外のあらゆる低所得者層の子供も影響を受ける。基礎教育から格差が拡大し、その結果アメリカ全体の学力が低下するだろう。
■「低学歴の有権者を愛している」発言の真意
ところがトランプ大統領はどうやら、それでもいいと考えているフシがある。その根拠となるのが、彼が2016年最初の選挙戦で行った驚きの発言だ。
「私は低学歴の有権者を愛している」
実際に昨年の大統領選でも、高卒以下の6割近くがトランプ氏に投票し、大卒以上の過半数はハリス氏を支持した。低学歴の人が多いほうが、自分には有利と考えるのは当然とも言える。
リベラルな大学を攻撃し、公教育を支えてきた教育省を廃止しようとするトランプ大統領。しかし一方では、キリスト教系の私立学校には優遇措置をとろうとしている。その背景には、アメリカ保守が長年温めてきた悲願がある。
極右のシンクタンク・ヘリテージ財団が、第2次トランプ政権の青写真として作成した文書「プロジェクト2025」には「アメリカはキリスト教国家として再定義されるべき」と明記されている。その実現のために、「選ばれた教育機関」だけを強化する、つまり教育を選別し、排他する意図があると考えられている。
国家としての知的基盤を縮小し、批判的思考を持たない市民をつくる一方で、高等教育では体制に忠実なエリートを育てる――この二重構造こそが現政権の目標ではないかという見方も強い。
■科学者の「アメリカ脱出」が始まった
イエール大学でファシズムを研究するジェイソン・スタンリー教授はこう語る。
「高等教育への攻撃は、ナチスドイツなど独裁者のマニュアルだ。1930年代にはドイツから多くの学者が流出した。イタリアでは教授らが政府の方針に従うと宣誓させられた。同じようなことが、今アメリカで起きている」
自由な言論の場である大学を攻撃するのは、政府批判を抑え、歴史を書き換え、科学を否定し、愛国心を煽(あお)る教育に変えるための、ファシズムの手法だというのだ。
実はこのスタンリー教授を含む、イエール大学の著名な3人の教授がアメリカを離れ、夏からカナダの大学で教えることを表明し、波紋を呼んでいる。これに追随する者も増えると予想される。ネイチャー誌が科学者1600人超を対象に行った世論調査によると、4人のうち3人がアメリカを離れることを検討しているという。
世界の大学ランキングの中でも著名なひとつ「タイムズ世界大学ランキング」にはアメリカから2位のMIT(マサチューセッツ工科大学)と3位のハーバード大学、4位のプリンストン大学など、3校がトップ5入りしている。
このランキング評価基準の中で、「教員や学生の国際性」「研究の環境や質」「産業界との連携」などは重要だ。助成金カットで研究費が削減されれば、当然研究の数も減り質も下がる。留学生が減り、多様な教授陣が出て行ってしまえば国際性も下がる。
■世界大学ランキングからアメリカが消える?
そして「大学のブランド力」に直結するのが、「産業界との連携」だ。MITやハーバードの評価が高いのは、卒業生が世界的企業やスタートアップ業界で活躍しているからだ。しかし教育の質が低下すれば、この連携も難しくなるだろう。
一方で若者の大学への期待も下がっている。近い将来AIが大卒の職種の多くに取って代わると予測される今、高額の授業料を払って通う意味はどこにあるのか? という疑問が生まれ、むしろ「手に職」がつけられる専門学校のほうがいいという考え方も高まっている。
こうした中で、世界ランキングにおけるアメリカの大学の地位は、すでに下降傾向にある。第1次トランプ政権が行った学生ビザや技術系就労ビザの制限などが、大きく影響しているのだ。バイデン政権の努力も虚しく、この傾向は変わっていない。
これまでのアメリカの大学の高い評価は、開かれた社会と多様性によって支えられてきた。しかしこのままいけば「知のグローバル・ハブ」はヨーロッパやアジアに移るだろう。その結果、中長期的にアメリカの衰退を招くことになる。
現政権が、文化戦争に勝つために教育を犠牲にする姿勢を貫くなら、アメリカの大学がトップ5から脱落する日も近いかもしれない。

----------

シェリー めぐみ(しぇりー・めぐみ)

ジャーナリスト、ミレニアル・Z世代評論家

NY在住33年。のべ2,000人以上のアメリカの若者を取材。彼らとの対話から得たフレッシュな情報と、長年のアメリカ生活で培った深いインサイトをもとに、変貌する米国社会を伝える。専門分野はダイバーシティ&人種問題、米国政治、若者文化。ラジオのレギュラー番組やテレビ出演、紙・ネット媒体への寄稿多数。アメリカのダイバーシティ事情を伝える講演を通じ、日本における課題についても発信している。

----------

(ジャーナリスト、ミレニアル・Z世代評論家 シェリー めぐみ)
編集部おすすめ