人気アイドルグループ・嵐が、2026年5月で活動を終了すると発表した。衝撃を受けたのは、コアなファンにとどまらない。
“嵐ロス”ともいえるこの現象をどう見るのか。神戸学院大学の鈴木洋仁准教授が解説する――。
■際立つ「引き際の美しさ」
「このように5人で揃う姿をお見せするのは実に4年半ぶり」
5月6日夜、嵐のファンクラブサイトにアップロードされた動画で、こう切り出したのは櫻井翔さんだ。
続いて、相葉雅紀さんが「私たちは(活動)休止前最後の1年コロナの影響で、みなさんの前でパフォーマンスをすることは叶いませんでした」と経緯を説明し、その後、大野智さんが、次のように述べる。
時間をかけて何度も話し合いを重ね、みんなで出した結論は、もう一度集まって「嵐」としてのコンサートを行い、コロナによって叶えられなかったファンの皆さんに直接感謝を伝える、直接パフォーマンスを見てもらう、ということをもって、5人での活動を終了する、ということでした。
「解散」ではなく「活動を終了」と、ことばを選んだところに、「嵐らしさ」を感じさせるとも報じられている。
それもそうかもしれないが、何より私が感じたのは、この引き際の美しさだ。「2020年末での活動休止」を発表した2019年1月から6年あまりをかけて、軟着陸を図ってきたからだろう。
直後から、各社報道が相次ぎ、6日がたった今でも、おさまる気配はない。日本テレビ系列のnews zeroでは「嵐ロス」と報じられたが、多くの人が、その衝撃の大きさを受け止めきれない状況に陥っている。衝撃を受けたのは、コアなファンにとどまらない。かくいう私も、熱烈なファンではなかったにもかかわらず、「嵐」という国民的アイドルの不在に、「ロス(喪失)」を感じている一人である。

■“終わり”までに9年間かけた
今回、まず目をひいたのは、先ほども触れたとおり、その「引き際の美しさ」だ。
これまでの経緯をまとめよう。
きっかけは2017年、リーダー、大野さんの「自由な生活がしてみたい」という一言だった。それから2年後の2019年、翌年末での活動休止を決め、会見に臨んでいる。会見では、決断までにメンバー全員で2年近くをかけて検討したことを説明している。
今回もまた、櫻井さんが「およそ1年半ほど前から、おりを見て5人で集まりまして、もう一度『嵐』として活動することについて話し合いを重ねてまいりました」と明かした。
2017年から足掛け9年、活動休止の公表からでも7年の長い時間をかけてファンに寄り添ってきたのが、この経緯からも見て取れる。
こうした丁寧でオープンな姿勢があったことが、嵐が、アイドルのなかでも特別な地位を築くことができた理由のひとつではないだろうか。
■SMAP解散はグダグダだった
この幕切れのスマートさは、先輩グループSMAPと比べると、一段と際立つ。
まず、SMAPは、メンバー自身のことばで、「解散」について、まったく説明していない。口火を切ったのは、本人でも関係者でもなく、スポーツ紙、週刊誌の報道だ。2016年1月13日に「解散」が報じられると、その5日後に関西テレビ・フジテレビ系で生放送された「スマスマ」(「SMAP×SMAP」)で「謝罪会見」が行われた。
メンバーの虚ろな表情や、まるで強制されたかのように謝罪する姿に、その異様な光景を「公開処刑」と揶揄する声もあった。
グダグダになった挙句、最後の舞台となった「スマスマ」最終回では、「SMAPラストステージ」を除く、ほとんどが過去放送回の総集編。メンバーからの挨拶は、いっさいなかった。
さらには今年、リーダーだった中居正広氏が芸能界引退を発表した。その後、フジテレビの第三者委員会によって、フジテレビの女性アナウンサー(当時)への性加害が認定され、SMAPの再結成は絶望視されている。
SMAPと比較すると、嵐の「活動終了」発表のスマートさは強調するまでもないが、それだけではない。活動期間中についても、明暗がはっきりわかれている。
中居氏は、(まだ)逮捕こそされていないものの、今回の事案は、「不祥事」では済まされない。それを置いたとしても、SMAPは、26年間の活動のなかで、1人(森且行さん)が途中で脱退し、2人(稲垣吾郎さん、草彅剛さん)が逮捕されている。
かたや嵐はといえば、四半世紀の活動のなかで、熱愛報道こそあったものの、不祥事は一度もない。結成時からメンバーは一人も欠けず、入れ替わりもない。この点でも、稀有なアイドルグループだったと言えよう。

引き際の美しさ、不祥事のなさは、それだけでも特筆に値する。これまでのアイドルの解散や引退といえば、病気や不祥事、ゴシップや人気低下などが引き金になったケースが多かったからである。
しかし、彼らとほかのアイドルとを隔てる要素はそれだけではない。
■「アイドル」でも「歌手」でもない
大手広告代理店・博報堂などによる「コンテンツファン 消費行動調査」をみてみよう。あるコンテンツが、どれだけ多くの人に知られているのか(「リーチ力」)と、どれだけ購買活動につなげられたか(「支出喚起力」)を調べたデータだ。
この調査の2020年版で、嵐は、「リーチ力」2位、「支出喚起力」1位となっている。
知名度が高ければ、お金を出すファンも多いに決まっているではないか、という声が聞こえてきそうだが、そうではない。
例を示そう。同年版で「リーチ力」1位だった米津玄師は、「支出喚起力」では20位のランキングに入っていない。一方、嵐と同じジャニーズ事務所(当時)所属だったKing&Princeは「支出喚起力」では3位だが、「リーチ力」ではランク外である。
つまり、知名度(「リーチ力」)と、お金を使ってもらえるかどうか(「支出喚起力」)、はまったく別物なのだ。
アイドルのファンは、一般的に、男性か女性のどちらかに偏ったり、年齢が限られたりする傾向が強い。
広く知られていなくても、一部の購買意欲の高いファンに支えられるという構造が生まれやすい。
■「AKB商法」が市場を席巻した
いかにキャラを立てて、ファンにCDを買わせ、お金を出させるのか。嵐が活躍した2000年代から2010年代にかけて、「総選挙」と称してメンバーの間で売り上げを競わせる、いわゆる「AKB商法」が市場を席巻していた。
裏を返せば、どれだけ広く認知されても、そのコンテンツを「買う」ハードルは決して低くない。「曲が好きだから」という理由だけで、実際にアーティストのCDやグッズを買う人は相対的に多くないのが現実だ。
ちなみに、SMAPが「支出喚起力」で3位に入った2015年には、嵐は2位、そして「リーチ力」でも13位にいた(SMAPはランク外)。SMAPと比べても、嵐の特徴を見て取れよう。
活動休止後もその「すごさ」は健在だ。同調査2021年版でも「リーチ力」が8位、「支出喚起力」が2位、2022年版でもそれぞれ13位と19位と、知名度と市場価値を両立させてきた。2024年版ではともに20位までのランキングには入らなかったものの、2023年版でも「リーチ力」は15位につけていた。
グループとしての活動をしていないのに、名前が知られている。嵐は、そんな稀有な存在なのだ。

■だから「嵐ロス」が生まれた
また、嵐は、NHK紅白歌合戦では、白組司会をグループと個人で合わせて9回務めた。オリンピック・パラリンピックではテーマソングを任された。令和元年には天皇陛下の即位を祝う国民の祭典で「奉祝曲」を歌った。
小さい子から高齢者まで世代を問わず、誰もが知っており、男女などのジェンダーのちがいをも超えたからこそ、オフィシャルな立場を任されたのだろう。名実ともに嵐は、「みんな」のアイドルだった。
一体何が、嵐を「国民的アイドル」たらしめたのだろうか。そして、一体何が、世間に「嵐ロス」を巻き起こしたのだろうか。
■時代に求められた「偉大なる普通」
2020年末の活動休止にあたって、私は新聞の取材に、嵐を「偉大なる普通」と評し、コメントした。人々が安定を求めた平成の中盤から後期にかけての20年間、普通であることの偉大さを示し続けたところに、彼らの凄さがある、と述べた。
嵐がデビューした1999年に至る1990年代は、殺伐としていた。95年の阪神・淡路大震災やオウム真理教事件、その2年後には大手証券会社や都市銀行の経営破綻が相次ぎ、金融危機に陥った。企業にはリストラの嵐が吹き荒れ、「格差社会」といわれ、「勝ち組・負け組」のレッテル貼りが横行した。

アイドルの主な支持層である若者は、空前の就職難=就職氷河期に見舞われ、安定した普通の生活のむずかしさを骨の髄まで痛感させられた。大野さんと同じ年の私もまた、このころに塗炭の苦しみを味わっている。
同世代であっても、いや、同じ年齢の人たちと競争せずには、職に就けない。すると、チームなら和を尊ぶのが当たり前なのに難しい。
そんな時代に嵐は、グループとしての一体感を全面に打ち出した。それも、営業用の演出ではなく、あくまでも自然に、こともなげに涼しげに、仲の良さを保ってきたところに、嵐の「偉大なる普通」があらわれている。
グループのなかには、上も下もなく、「スター」もいない。誰も途中で抜けない。女性との熱愛は報じられても、告発されるはずがない。「草食系男子」とまではいかないものの、男らしさよりはやさしさを求める、そんな世間の空気にフィットした。
■アイドルだって、「普通の」人間
今回、「解散」ではなく「活動を終了」としたのも、そして、そこに至るまでの経緯を懇切に説いたのも、全世代型アイドルの地位にふんぞりかえるのではなく、5人の仲の良さとフラットさを尊重してきたゆえにちがいない。
5人がバラバラになる=「解散」ではなく、あくまでもグループとして区切りをつける=「活動を終了」であって、これまでの歩みに泥を塗るわけでも、ましてや否定するわけでもない。ここに、彼らの「普通さ」があり、「国民的アイドル」たる秘訣がある。
活動休止のきっかけとなった大野さんの「自由な生活」という望みは、これまでのアイドルなら受け入れがたい。「自由」をあきらめる代わりに、収入や人気といった見返りを得る、それが「アイドル」の掟だったからである。
なぜ、嵐には「掟破り」が許されたのか。人間なら誰しもが普通に求める自由を、普通に望む、そんな大野さんだから、そして、そんなメンバーの「普通の願い」に真摯に向き合うメンバーだから、ファンも世間も嵐を支持してきたのではないだろうか。
アイドルもまた人間であり、「自由」になりたい。そんな切実で率直な思いを打ち明けてくれる「普通さ」に惹かれてきたからである。
■次なる「嵐」は生まれるのか
とはいえ、あるいは、だからこそ、嵐は、空前絶後なのかもしれない。
国民的歌番組のはずの紅白ですら、視聴率の低下に歯止めがかからない。「みんな」が見るコンテンツとして数字を稼げるのは、4年に一度の男子サッカーW杯や、不定期開催のWBCといった、特別な巨大スポーツイベントにとどまる。
若者のテレビ離れは、もはや当たり前になり、年代や性別、趣味ごとに、接するエンターテインメントは細かく分かれている。少なくとも現時点で、国民的アイドルと呼べるほどの知名度を誇る存在は、見出しにくい。
時代にマッチし、伴走した嵐のような存在は、いないから、「嵐ロス」に値して、あまりある。このショックを、来春のコンサートツアー、そして、彼らの紡ぎ出すことばが、ゆっくりと噛み締めさせてくれるに違いない。

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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)

神戸学院大学現代社会学部 准教授

1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。

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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)
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