妻が夫に対してモラハラを行い、それが原因で離婚に至ることもある。離婚や男女問題に詳しい弁護士の堀井亜生さんは「モラハラは家庭内という閉鎖的な空間でエスカレートするため、第三者から見ると信じられないような状況になっていることがある。
ある夫婦は、妻がささいなことで夫に罰金を科し続け、夫の側はその支払いが怖くて離婚に躊躇していた」という――。
※本原稿で挙げる事例は、実際にあった事例を守秘義務とプライバシーに配慮して修正したものです。
■きっかけは飲みすぎによる朝帰りだった
会社員のAさん(52歳)は、2歳年下の専業主婦の妻と結婚して25年になります。
妻は結婚当初から非常に気性が荒く、Aさんは給料の全額を妻に握られていて自由がなく、さらにいつも怒鳴られてストレスを抱えていました。
Aさんは熟年離婚を考えるようになりましたが、一つネックになっていることがありました。長年の結婚生活で、妻に対する多額の「罰金」を背負っていたのです。
最初のきっかけは、結婚して数年した頃、Aさんが会社の飲み会で飲みすぎて朝帰りをしたことでした。
激怒した妻は罰金20万円を払えと言い、平謝りをしながらそんなお金はないというAさんに、「じゃあ念書を書いて」と言いました。
Aさんは言われるままに、「今回の私の失態により、妻に20万円を支払う義務があることを認めます」という書面を書いて、拇印を押しました。
■ささいなことで罰金を科し念書
それ以来妻は、気に入らないことがあるたびに、罰金を科すと言い、Aさんに念書を書かせました。
ごみ捨てをすぐにしないから2万円、洗った後の皿に洗い残しがあったから1万円、植木鉢に水をやり忘れたから1万円……。ささいなことでも妻は激怒して、そのたびにAさんに罰金の念書を書かせます。
書かないと数時間は怒鳴り続けるので、Aさんは仕方なく、妻に言われた通りにサインをしていました。
最初はボーナスの一部はAさんが自由にできていましたが、罰金が積み重なるにつれて、ボーナスも「罰金の精算」と称して妻に全額取られてしまうようになりました。
■「社員旅行」「返信が遅い」「トイレが臭い」も罰金
数年経つと、念書を書かせるのが面倒になったのか、妻はメモに罰金の記録を付けるようになりました。Aさんは罰金が怖いので必死に妻を怒らせないように生活していましたが、それでも妻は何かと怒ります。
社員旅行に行きたいと言うと「罰金を払うなら行っていい」と言われて20万円の罰金の念書を書いたこともありました。
お互いスマホを持つようになると、今度は「飲み会に行ったとき、LINEの返事をすぐにしなかったから罰金」と言われたこともありました。「Aさんが入った後のトイレが臭いから」と1万円の罰金を言い渡されたこともあります。
夫婦の間には娘がいましたが、娘も妻に口答えをすると罰金を取られるので黙って見ているだけで、Aさんとは会話もありません。
■「離婚するなら罰金全額請求」
妻は何かあるたびに「離婚したいと言い出したら、これまでの罰金を全部請求するから覚悟しておけ」と口癖のように言っていました。
そのためAさんは、怖くて離婚を切り出すこともできずにいたのです。
しかし娘が家を出て独立した後、妻と過ごす時間が増えて、Aさんはますます激しく怒鳴られるようになりました。
Aさんは眠れなくなり、深酒をするようになっていました。
定年退職した後もこんな生活をするのは耐えられない、でも貯金はないから罰金はとても払えない……。
そう思って会社の同僚に相談すると、「そんなふうにいちいち罰金を取るなんて異常だよ、それはモラハラじゃないか」と言われました。弁護士に相談することを勧められて、Aさんは私の事務所に相談にいらっしゃったのです。
■総額は800万円に
Aさんは痩せた大人しそうな男性で、これまでの事情を説明して、「離婚したいんですが、罰金が払えなくて……」とおっしゃいました。「給料は全て妻に管理されていて長年小遣い生活だったので、自分の貯金も何もないんです」というのです。
そしてAさんはスマホの画像を見せてくれました。チラシの裏のような紙が写っていて、「水やり」「ごみ」「トイレ」などと書いてあって、各項目の横に正の字がいくつか書かれています。これが妻のつけている罰金メモで、水やりを怠った、ごみ出しが遅れたなどがあるたびに、妻が記録しているというのです。
妻からは定期的にLINEでこのメモの写真とともにその時点の「罰金総額」が告げられていて、最新の総額は約800万円になっているということでした。
■法律上支払う義務はない
第三者から見るとただのチラシの裏のメモ書きなのですが、Aさんは罰金の存在に非常におびえていました。また、妻は昔の念書も保管しているはずだというのです。
しかし、まず念書であれメモであれ、こういった罰金を約束しても、法律上支払う義務はありません。
裁判所も罰金の存在を認めませんし、罰金を支払わない限り離婚できないという結論になることはありません。
それを説明すると、Aさんは半信半疑ながらも少し安心したようでした。
■「罰金を払って」怒鳴り続ける妻の声を録音
Aさんは妻に隠れて、暴言の録音を録っていました。これも一度見つかって罰金にされたことがあるため、パソコンの見つかりにくい場所にフォルダを作って、そこに保存しているというのです。
録音を聞いてみると、ものすごい剣幕で「どうしてくれるのよ」「罰金を払って」と怒鳴り続ける女性の声が入っていました。Aさんはひたすら謝っています。物を投げつける音も入っています。これが日常茶飯事で、長年気が休まることがないというのです。
Aさんは「罰金を払わなくてよいのなら離婚したいです」とおっしゃるので、離婚の依頼を受けることになりました。
Aさんは実家に帰り、弁護士から妻に、Aさんが離婚を考えて別居したこと、別居中は収入から算定される生活費(婚姻費用)を払うことを連絡しました。
すると妻からAさんに、怒涛のLINEが届きました。これは想定されていた反応だったので、Aさんには返事をしないでスクリーンショットを送ってくださいとあらかじめ伝えてありました。

Aさんから送られてきたスクリーンショットを見ると、「離婚はしません」「罰金を即座に払うことになる」「今すぐ帰ってきなさい」「給料を全部よこしなさい。泥棒野郎」などの言葉がびっしりと並んでいます。さらに娘からも「今どこにいるの?」というLINEが来ていました。妻はすぐに娘にも連絡して、Aさんに連絡するように言ったようでした。
Aさんが返事をしないと、妻と娘は諦めたのか、しばらくするとLINEを送ってこなくなりました。
次は妻と離婚の話し合いをする必要がありますが、妻は私の事務所に連絡をしてきません。そこでAさんと相談をして、離婚調停を申し立てました。
■罰金のメモや念書がモラハラの証拠に
妻は弁護士に依頼せず、一人で調停にやってきました。そして、妻の長年のモラハラで離婚したいというこちらの主張に対して、「離婚したいならこれまでの罰金を全額支払わなければ応じない」と言って、証拠としてあの罰金メモと念書を出してきました。
Aさんから聞いた通り、最初の飲み会で朝帰りをした平成の日付の念書から始まり、月に1~2回ほどのペースで、さまざまな名目の罰金が書いてありました。古い念書は紙がすっかり黄ばんで波打っています。妻が言うには、罰金の総額は800万円で、さらに離婚を口にしたら1億円の罰金を払うと約束していた。
離婚するなら最低限それを一括で払い、さらに慰謝料も請求する……。それが妻の主張でした。
しかし、上にも書いた通り、メモであれ念書であれ、この約束には何の効力もありません。むしろ、妻が長年Aさんにモラハラをしてきたことを裏付ける根拠になってしまいます。
こちらは妻の怒鳴り声の録音を証拠として提出しました。それとメモや念書の束の存在も相まって、調停委員は、「これだけのことをしてきた以上、修復は難しいですよ」と妻を説得しました。
罰金がもらえず、さらに自分自身で不仲を裏付けることになってしまい、妻は身動きが取れなくなったのか、調停に来なくなってしまいました。
そこで離婚訴訟を提起すると、妻はようやく弁護士を付けたのですが、弁護士は妻の言い分をそのまま受けて、再度罰金のメモや念書を出してきて、「この罰金はこういう内容だ、Aさんはろくに家事をしなかったので罰金は当然である。能力が低いのはAさんの問題」などと事細かに主張しました。これでは調停と同じように妻自身のモラハラを裏付けているだけです。
結局、妻の出した念書やメモが証拠になって、離婚を認める判決が出ました。
こうしてAさんは離婚することができました。

■相手に架空の借金や罰金を科すモラハラ
モラハラをする人の中には、Aさんの妻のように、罰金を科すというタイプの人もいます。
自分は専業主婦で夫の給料で生活しているのに、さらに罰金を取るというのは、第三者からは理解しがたい感覚だと思います。しかし、こういったタイプの人を一度ではなく何度も見たことがありますし、他にも、旅行や家電など大きな家計の出費は夫の給料から支払うものの、夫に貸し付けたことにするというパターンの人もいました。相手のお金をマイナスにするという架空の計算で行動を縛るのは、モラハラをする人に共通する発想なのかもしれません。
Aさんのように、罰金に縛られて離婚を諦める人も少なくありませんが、上にも書いた通り、きちんとした念書の形であれメモ書き程度であれ、こういった合意は法的には無効です。たとえ1億円の罰金を認める念書を大事に持っていたとしても、それで相手に1億円の支払い義務が生じるわけではないのです。
■家庭内に理不尽な上下関係やルールが根付いていることも
こういった人は、「家を出たら罰金」「離婚を口にしたら罰金」などと言うことも多く、言われた方は、おびえて離婚に踏み切れないこともあります。家庭内で日常的にそういった脅しを受けているとひたすら怖くなりますが、一度外に出て第三者や専門家に話を聞いてみると、そんなものを支払う必要はないとわかるはずです。
Aさん夫妻の事例は一見荒唐無稽に見えるかもしれません。しかしモラハラは家庭内という閉鎖的な空間でエスカレートするので、第三者から見ると信じられないような上下関係が根付いてしまっていることがあります。特に熟年夫婦の場合は、金銭面、生活習慣、親戚づきあいなどのさまざまな面で独自のルールが発達してしまい、モラハラが常態化していることがあります。
自分の家庭はおかしいのではないかと思ったら、誰かに相談してみてください。相談を受けた人も、大したことではないと流してしまわずに、必要であれば専門家への相談を勧めるようにしましょう。

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堀井 亜生(ほりい・あおい)

弁護士

北海道札幌市出身、中央大学法学部卒。堀井亜生法律事務所代表。第一東京弁護士会所属。離婚問題に特に詳しく、取り扱った離婚事例は2000件超。豊富な経験と事例分析をもとに多くの案件を解決へ導いており、男女問わず全国からの依頼を受けている。また、相続問題、医療問題にも詳しい。「ホンマでっか!?TV」(フジテレビ系)をはじめ、テレビやラジオへの出演も多数。執筆活動も精力的に行っており、著書に『ブラック彼氏』(毎日新聞出版)、『モラハラ夫と食洗機 弁護士が教える15の離婚事例と戦い方』(小学館)など。

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(弁護士 堀井 亜生)
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