富士山を存分に楽しむ方法はないか。ジャーナリストの佐々木俊尚さんは「『富士山の五合目から上は岩だらけで単調で、登ってても何も楽しくない』と思っていたが、ある年に富士山の雄大な光景をつまみ食いだけして歩くコースを考えた」という――。
(第2回/全2回)
※本稿は、佐々木俊尚『歩くを楽しむ、自然を味わう フラット登山』(かんき出版)の一部を再編集したものです。
■富士山は登る山なんかじゃない
「富士山は登る山なんかじゃなく、見るための山だ」
富士山は登らないんですか? と聞かれるたびに、そう言っている。
「富士の秀麗な姿を堪能したいのなら、まわりにある三ツ峠山とか愛鷹山とか竜ヶ岳とかの低山に登ってそこから眺めたほうがずっといい。富士山の五合目から上なんて緑もなくて岩だらけで単調で、登ってても何も楽しくない」
とはいえ、こういう自分の発言は「ちょっと天邪鬼(あまのじゃく)すぎるかな」と内心思っているのも事実だ。富士の驚くほど広大な斜面や、そこから見下ろす雲海は間違いなく魅力的だから。
ただ、この雄大な光景を見るために一泊二日を費やし、急登なうえにものすごく混んでいる五時間以上もの登山道を歩かなければならない。この苦行が、果たしてコスパに見合っているのかということだ。
■雄大な光景をつまみ食いだけして歩くコース
そこである年に考えたのが、雄大な光景をつまみ食いだけして楽に歩くというコースの設定である。
五合目をスタートし、しかし六合目までしか登らず、あとは水平移動して別のコースを下山するという行程を考えてみた。山頂に行かない富士登山というのは奇妙な響きがあるが、新たな富士の楽しみ方として検討してみてほしい。お楽しみは、広大な宝永山の火口の斜面と、そして「大砂走り」体験の二つである。
スタート地点は、静岡県側の富士宮口五合目だ。
新富士駅や富士宮駅からバスが出ている。夏のシーズンは自家用車が規制されており、クルマの場合はふもとの水ヶ塚公園駐車場から路線バスに乗り換える。
富士宮口五合目はけっこう狭く、夏山シーズンだったこの日は人でごった返していた。雑踏を避けたくて早々にパッキングを済ませ、宝永山荘と雲海荘という二つの山小屋がある六合目を目指す(なお六合目まで上がらず、駐車場から車道を少し戻って宝永山に向かうもっと楽なルートもある)。
登りはきついが、あっという間に六合目に着く。頂上を目指す登山道とは別に「宝永山」と書かれた道しるべを探そう。小屋の奥のほうに続いている道がある。そちらに足を踏みいれると、急に登山者は激減して静寂が広がった。
道は富士山の山腹を巻くようにまっすぐに続く。一〇分ほど歩くと、唐突に広いところに出た。そしてだれもが「ウワーッ」と声を上げてしまう光景が目の前に。
宝永山の火口だ。
江戸時代、富士山の最後の大噴火のときにできた巨大な火口が眼前に広がっているのだ。おまけに登山道をたどっていくと、火口の底にまで歩いて下りることができるのである。なんという壮大、なんという感動。
火口に降り立って「ここがドカーンと噴火したのか……」と自分が熱いマグマに吹き上げられるところをイメージしてみた。まったく想像の上限を超えている。火山というものの奥深さ、すさまじさに圧倒されるばかりだ。
■「これが山頂…?」と不思議な気分に
ここから元の富士宮五合目に戻って下山しても良いのだが、足を伸ばして大砂走りへと向かう。ただしこのコースをこなすには、宝永山の火口を底から縁まで一気に登る必要がある。非常にキツイ急登、おまけに砂が深いので足を取られて消耗した。一時間足らずだが、本日のコースではここがいちばんつらい。
砂地獄をがんばって登り切ると、宝永山の「山頂」というのがある。山頂という割には、富士山の山腹なので他の場所よりも低い。
「これが山頂……?」と不思議な気分になる。
さらに山腹を巻いていくと、ご褒美の「大砂走り」が見えてくる。広大な砂の斜面につけられたひたすら真っ直ぐな下山道である。深い砂だけで、石も岩も草も何もないので、足をとられて転んでもケガをする心配はほとんどない。みんな滑るようにして走り、砂とたわむれながら駆け下りていっている。眼下には、富士のすそ野がバーンと視界いっぱいに広がっている。
一時間半ぐらいで、御殿場口・新五合目に到着。ここからバスで御殿場駅、もしくはクルマのある水ケ塚公園に向かう。バスの本数は少ないので必ず事前に時刻表チェックを。
【歩行タイム】

三時間三〇分ぐらい。
【難易度】

レベル3=富士山頂を目指さないと言っても、宝永山の山頂は標高二六九三メートルとかなり高い。高山の気候なので急な天気の変化への備えや防寒は夏でも備えを。

【高低差】

五合目から六合目まで、そして宝永山火口は急登。大砂走りは急降下。
【足まわり】

とにかく砂に足を取られるコースなので、ミドルカットかハイカットの登山靴。スパッツやゲイターを着用したほうがいい。
【お勧めの季節】

春から夏、秋にかけての富士山が開いている時期(毎年六月頃に発表される)しか登れない。五合目までのバスが運行されている期間にも注意。

■裾野の緑は本当に美しい
もうひとつ、富士山の楽しみ方を紹介しよう。
富士登山はだれもが目指したがる登山だが、「富士下山」というのは聞き覚えのないことばだろう。それはそうだ、わたしが思いついたからである。自動車で行ける五合目から頂上を目指すのではなく、五合目から古い登山道をふもとにむかって下るのだ。
二〇一〇年代後半に、文筆家の松浦弥太郎さんと一緒に「SUSONO(スソノ)」というコミュニティを運営していたことがある。多いときでは若い人を中心に二〇〇人近くも集まり、毎月のように集まってはゲストを呼んでトークセッションを行ったり、さまざまなイベントを開いたりしていた。

コミュニティを立ち上げる前に、運営スタッフで集まって名称を検討した。だれかが「裾野はどうでしょう?」と発案し、わたしは一発でその名前を気に入った。そのミーティングでこんなふうに話したのを覚えている。
「登山といえばみんなが頂上を目指したがる。でも富士山が典型だけど、五合目から上は岩と砂礫(されき)の荒れた土地で、穏やかさも豊かさも何もない。頂上に登るという達成を目指すしかない土地なんだよね。実は富士山の豊かさって、五合目から下の裾野にある。青木ヶ原樹海が有名だけど、裾野の緑は本当に豊かで美しいんだ。わたしたちの目的も、高みを目指さずに裾野を楽しめるコミュニティを作るってことを考えるのがよいと思う」
そうして名前はあっさりと裾野に決まった。漢字はちょっと硬いというので、ローマ字のSUSONOに。
■SUSONOメンバーとの富士下山
コミュニティは五年ほども続いたが、残念ながらコロナ禍で集まるのが難しくなり、解散してしまった。いろんな出会いがあり、さまざまな面白い人たちが集まっていて、わたし個人としてもSUSONOは良い思い出だ。
ある年の夏には、SUSONOのメンバーで富士下山を歩いたこともあった。
富士下山の入口は、富士スバルライン五合目だ。富士急行・富士山駅からバスで上がると、夏山シーズンの今日はものすごい混雑である。
富士登山で最もポピュラーな吉田ルートの登山道入口を目指して、スバルライン五合目から歩きはじめた。舗装はされていないが幅が広く平坦な巻き道で、やがて富士の広大な斜面や壮大な裾野の景色が広がり、仲間たちから歓声が上がる。
吉田ルート登山道には入らず、そのまま巻き道を佐藤小屋へと進む。佐藤小屋を通りすぎたほんの少し先、ガードレールに切れ目があり吉田口への道しるべが出ている。ここから富士下山の山道が始まる。
■歴史散歩のような趣がある
富士下山なので、ただひたすら下っていくだけだ。豊かな樹相の森の中を、くぐり抜けるように登山道は続いていく。五合目から四合目、三合目、二合目、そして一合目。途中に山小屋の跡や茶屋の廃墟などが点在していて、とても面白い。登山というより、歴史散歩のような趣がある。五合目まで自動車道ができていなかった昔は、ふもとからこの山道をずっと登ってきたんだなあと改めて感じる。
二合目まで下ると、御室浅間神社という大きな神社があり、社殿の前がかっこうの休憩場所になっていて、昼食をとった。
一合目を過ぎて、馬返(うまがえし)という広場に到着。名前からして、昔は富士吉田の街から馬でここまでやってきて、歩いて登山を開始した場所だったのだろう。この馬返から、定期運行のマイクロバスが富士山駅まで出ている。ただ本数が少ないので、もし時間に余裕があるようだったら、さらに下った中ノ茶屋まで歩いてみるのもお勧めだ。馬返から中の茶屋までの道のりも、舗装していない静かな山道でとても気持ちいいのである。
【歩行タイム】

富士スバルライン五合目の駐車場から佐藤小屋を経て馬返まで、二時間三〇分ぐらい。馬返から中の茶屋は一時間ぐらい。
【難易度】

レベル2=登山道なので岩が露出したり木の根が這っていたりと転びやすい場所もたくさんある。膝への負担も気をつけて。
【高低差】

すべて下り。
【足まわり】

登山靴が良い。
【お勧めの季節】

春から夏、秋にかけて、富士スバルラインが開通している時期。

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佐々木 俊尚(ささき・としなお)

ジャーナリスト、評論家

毎日新聞社、月刊アスキー編集部などを経て2003年に独立、現在はフリージャーナリストとして活躍。テクノロジーから政治、経済、社会、ライフスタイルにいたるまで幅広く取材・執筆を行う。『レイヤー化する世界』『キュレーションの時代』『Web3とメタバースは人間を自由にするか』など著書多数。総務省情報通信白書編集委員。TOKYO FM放送番組審議委員。情報ネットワーク法学会員。

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(ジャーナリスト、評論家 佐々木 俊尚)
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