石破茂首相とトランプ大統領の関係はうまくいくのか。前駐オーストラリア特命全権大使の山上信吾さんは「トランプ大統領の盟友だった安倍元首相を後ろから刺し続けた石破首相が、トランプ大統領から信頼を得るのは無理だ。
もっと下のレベルでチャンネル構築をすべきだ」という――。
※本稿は、山上信吾『国家衰退を招いた日本外交の闇』(徳間書店)の一部を再編集したものです。
■石破首相の鈍感力は目に余る
岸田文雄前総理と石破茂総理。共通項は何か?
総理の座へのあくなき執着心と鈍感力ではないだろうか。
石破政権発足以来の外交・安全保障政策の展開を興味深く観察してきた。自民党総裁選での目玉は、アジア版NATO創設と日米地位協定の見直し・改定だった。世論の強い反発を受け、政権が発足し責任ある地位に就いてからは、意図的に封印してきたようだ。
昨年秋の国会での所信表明演説でも、これらの目玉政策については何ら言及がなされなかった。本年2月の日米首脳共同声明にも何ら言及がない。冷静に考えれば当然だろう。
アジア版NATOなど、国際関係論を学びつつある大学1年生でも無理筋と分かる話だ。参加国の間に(1)共通の目的、(2)共通の脅威認識、(3)共通の行動をとる覚悟がない限り、このような集団的自衛の枠組みは絵に描いた餅に終わるからだ。

子細に見てみよう。
■アジア版NATOなど夢のまた夢
欧米と違い、アジアには民主主義、人権尊重、法の支配といった基本的価値さえ完全に共有されていない現状がある。すなわち、自由民主主義を旧ソ連の共産主義やロシアの権威主義体制から守ろうとしてきた欧州・北米版NATOとは実情が全く異なるのだ。
脅威認識についていえば、旧ソ連、ロシアを共通の脅威と認識してきた欧州諸国、アメリカ、カナダとはアジアは異なる。中国を脅威とみなすことには、東南アジア諸国はもちろん、豪州のような国でも異論を提起する向きが絶えない。その中国自体のアジア版NATO参加を排除していないことに照らせば、石破総理自らが脅威認識において揺らいでいるのかもしれない。
ましてや、憲法第9条の制約からフルスペックの集団的自衛権を行使できない日本が集団的自衛権発動の枠組みを提案するなど、他国から見れば噴飯物だ。日本自身が共通の行動をとれないからだ。
「中国に侵略されるフィリピン、北朝鮮に侵略される韓国を日本は助けるんですね?」と念押しされた場合、石破総理は何と答えるのだろうか? まずは憲法を改正しないと日本自身が参加できない話なのだ。
■日米地位協定の不平等
日米地位協定こそが日米間の不平等な関係の象徴として改正を声高に唱える点で、日本の左翼と右翼の間には共通項がある。だが、公務外で重大犯罪を犯した米兵の身柄を起訴前であっても米軍から日本警察当局へ引き渡しするなど、運用の改善を重ねてきた実態がある。それらを一顧だにせず見直し・改定にひたすら拘るのは、木を見て森を見ずではないか?
もっと言おう。
日米地位協定の不平等に拘るのであれば、真の片務性は、東京が攻撃されたら米軍が救援に駆け付けることを当然視している日本が、ニューヨークがミサイルで撃たれたところで憲法上の制約により救援に行けません、と言い放ってきたことにある。何故そこを手当てしないのか?
現行安保条約では、アメリカは日本の防衛義務を負うが、日本が負っている義務はアメリカへの基地提供に限られる。だからこそ、基地提供に当たっての細目を定め、米軍が日本においてどのような待遇(特権、免除)を受けるかを規定する地位協定が必要になるのだ。すなわち、安保条約が上位にあって、地位協定は下位にある。下位の地位協定の「不平等性」だけを云々しても問題の解決にはならない。
■アジア版NATOの優先度は低い
頭の体操だが、仮に日本が対米防衛義務を負い、自衛隊が米国に駐留する機会が想定されるのであれば、米国における自衛隊の地位・待遇を定める日米地位協定が必要になる。
実際、日本がオーストラリアや英国と締結してきた円滑化協定では、共同訓練や演習のために互いが行き来するための法的枠組みを定めており、豪州軍や英国軍の日本での取り扱いに加え、自衛隊の豪州や英国での取り扱いが規定されているのだ。
さらに、アメリカの立場から見れば、日米地位協定の改定は、パンドラの箱を開けることとなり腰が引けがちなことも指摘しておかなければなるまい。言い換えれば、アメリカにとって米兵を駐留している同盟国は日本だけに限られず、ドイツをはじめ多くの国と地位協定を締結している。日本とだけ見直して改定すれば済む話ではないのだ。
このように見てくれば、アジア版NATOにせよ、日米地位協定の改定にせよ、急いでやらなければならない話ではない。しかも、両者とも解決しなければならない課題が山積しており、実現までに5~10年どころか、場合によってはそれ以上の歳月とエネルギーを要する話なのだ。
到底石破政権だけで対応しきれない。
■石破首相にトランプ大統領との関係構築は無理
むしろ、日本の外交・安全保障にとって最大の課題は、中国に如何に向き合って、尖閣有事や台湾有事が発生しないよう抑止力・対処力を高めていくかという話である。それこそが一丁目一番地の課題だ。なのに、アジア版NATOとか日米地位協定改定などという明後日の課題を持ち出した石破政権。優先順位を間違っているのは明白だが、喫緊の課題への取り組みを回避しているように見えてしまうのだ。
トランプ2.0は、初めての大統領稼業に緊張し、ワシントンでの立ち居振る舞いにも慣れていなかった一期目のトランプ氏ではもはやない。ぎこちない笑みを浮かべても、白目を剥いても、やりおおせる相手ではない。安倍晋三総理の見解を聞きたがった一期目のトランプ氏とは違い、経験値を積み、自信を増幅させてスピード感を持って政策課題に取り組むバージョン2なのだ。
保守のトランプ氏とリベラル気質丸出しの石破氏では、政治的立ち位置が根本的に異なる。加えて、絢爛豪華を好むエピキュリアンのトランプに対して知的ウィットや愛嬌とは無縁の石破。どんなにあがいたところでトランプ氏と心と心が通い合う信頼関係を構築するのは無理だろう。
であれば、その下の閣僚、次官、局長レベルでアメリカとの意思疎通、連携を重層的に確保していく他あるまい。

トランプ・石破時代。日米関係の真価が問われる時だ。
■「どうせ辞めるトップ」と仲良くする義理はない
首脳外交の時代にあって如何にトップ同士の信頼関係構築が重要となろうとも、石破総理にトランプ大統領との関係構築は期待できない。
理由は簡単だ。
まず、昨年10月の衆議院選挙で惨敗したからだ。民主主義国家では選挙に勝てるかどうかが政権基盤の強弱を決める。自公で過半数を取れなかった事実を国際社会は目の当たりにした。民主主義の日本にあって、石破政権は日本国民の信任はもちろん、実施すべき政策についてのマンデート(権限)も得られなかったと見るのが至当だ。
もっと言えば、アメリカの目から見ると、国民に支持されておらずいつ辞めてもおかしくない総理ということになる。そうなると、誰が時間やエネルギーを投資して関係構築に努めようとするだろうか? トランプ大統領としては、政権基盤がしっかりした次の総理大臣と関係を構築したいと考えて不思議はないのだ。
■石破首相の「KY」に辟易している
第二は、自民党総裁選で打ち出した外交・安全保障政策の目玉の内容だ。繰り返すが、アジア版NATOにせよ、日米地位協定の見直し・改定にせよ、トランプ政権として取り組まなければならない課題とは到底言い難い。

中国の戦狼外交、台湾海峡危機といった「今そこにある危機」とは緊急度も重要性も比較にならないほど低いと思われていることは間違いない。NATO嫌いのトランプに対して、「アジアでも」というのはKY(空気を読めない)の極致だろう。
あれだけ世論や専門家の批判を浴びながらも「アジア版NATO否定は思考停止」などと弁じる石破総理の頭の中身はどうなっているのか?
日米の安保関係を平等なものにしたいというなら、下位の地位協定をいじるだけでは足りない。上位にある安保条約においては、アメリカは対日防衛義務を負うのに対して、日本は基地提供義務にとどまっている。この根本を手当てしない限り、日本に在日米軍が駐留し続け、その地位、特権・免除を定める地位協定の必要性は変わらない。
加えて、石破政権発足以来の言動、とりわけ岩屋毅外相の訪中などに如実にうかがえた「対中傾斜」が米政府の不信感を招いているとしても不思議はない。
■「シンゾーの敵」に好意をもつはずがない
第三には、トランプ大統領とは異なるセンターレフトの石破総理が、トランプ氏の盟友であった安倍晋三元総理を刺し続けたこと、後ろから弾を撃ち続けたことを米側が気付いていないはずがない。国務省や情報機関からトランプ氏に話が上がっているだろう。そんな石破総理にトランプ氏が好感を持つわけはない。
このように見てくると、何故最初の電話会談が僅か5分で終わり、南米訪問に際して北米に立ち寄り、トランプ氏との面談が謝絶された理由が理解できるだろう。また、石破総理との面談を謝絶する一方で、安倍昭恵夫人をフロリダのマール・ア・ラーゴの私邸に招き、親しく夕食を共にした背景も理解できるだろう。
■もっと下のレベルでチャンネルを作っていくしかない
漸(ようや)く2月に首脳会談が行われたが、共同記者会見で露わにされたのは、「シンゾー」に何度か言及したトランプ大統領が「シゲル」と呼びかけることは一度もなかった姿であった。

のみならず、石破総理に対して「ハンサム」「偉大な人々(日本人)の首相になるだろう」などと皮肉交じりの社交辞令を浴びせかけたと思いきや、石破氏と握手さえ交わすことなく記者会見場を立ち去ってしまった。
オールドメディアの多くが「成功」と誉めそやした日米首脳会談であったが、冷静に観察する限り、トランプ大統領に石破総理と信頼関係を作ろうという意欲と時間がどれほどあるかは疑問だ。これが国際政治の厳しい現実であり、今の日本が直視しなければならない事態だ。
だとすれば、日本としては石破政権が続く限りは、トップ同士はさることながら、その下のレベルでアメリカとの連携・協働のチャンネルを作っていく他はない。具体的には、外務大臣と国務長官、防衛大臣と国防長官、安全保障担当の補佐官同士、次官、局長レベルといった重層的な関係構築だ。
見逃すことができない僥倖は、国務長官のマルコ・ルビオにせよ、国家安全保障担当の大統領補佐官のマイク・ウォルツにせよ、中国の問題を糊塗せずに直視するリアリストである点だ。特にルビオ氏は、尖閣諸島が日本の領土であるとの正しい理解を広言するアメリカでは珍しい政治家だ。また、日本の総理大臣による靖国神社参拝に対してアメリカが口を挟むことの愚を最もよく理解している人間でもある。
まさに、日本が働きかけて不都合な政治的現実を好転させていく状況は整っているのだ。

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山上 信吾(やまがみ・しんご)

前駐オーストラリア特命全権大使

1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、1984年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、2000年在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官、その後同参事官。北米二課長、条約課長を務めた後、07年茨城県警本部警務部長という異色の経歴を経て、09年には在英国日本国大使館政務担当公使。国際法局審議官、総合外交政策局審議官(政策企画・国際安全保障担当大使)、日本国際問題研究所所長代行を歴任。その後、17年国際情報統括官、18年経済局長、20年駐オーストラリア日本国特命全権大使に就任。23年末に退官し、現在はTMI総合法律事務所特別顧問等を務めつつ、外交評論活動を展開中。著書に、駐豪大使時代の見聞をまとめた『南半球便り』(文藝春秋企画出版部)、『中国「戦狼外交」と闘う』(文春新書)がある。

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(前駐オーストラリア特命全権大使 山上 信吾)
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