■チップスの中に、中小企業社長の顔がずらり
カード入りポテトチップスと聞けば、多くの人が思い浮かべるのは、メジャーなプロ野球やJリーグなどスポーツ選手の他に、最近では漫画のキャラクターや、2.5次元アイドルだろう。
だが今、そのカードに「全国の中小企業の社長たち」が登場しているのをご存じだろうか。
全国500人以上の社長たちをカード化した「社長チップス!」。「カッコよく、キメる!」をコンセプトに、多彩な事業を展開しているesspride(エスプライド、東京都渋谷区)が手がけるプロジェクトだ。
中小企業の経営者や会社の魅力を、挑戦やストーリーとともに「お菓子」を通じて世の中に届ける。ポテトチップスという大衆的なスナック菓子をメディアに変えたこの試みは、2016年のリリース以来、多くの注目を集めてきた。
では、SNSなどを利用した情報交流が一般的となった時代に、なぜ、あえてアナログなカードなのか。代表取締役CEOの西川世一(せいいち)さんは、こう語る。
「ネットやSNSで情報は取れる時代ですが、手に取って、感じるものには温かみがあり、記憶に残ります。アナログでしか生まれない“遊び心を大切にしたコミュニケーション”は、これからの時代こそ大切にしなければならないと思っています」
■プロ野球選手を夢見た少年時代と挫折
西川さんは愛知県出身。幼少期から野球に打ち込み、プロ野球選手を目指して高校野球の名門・中京大中京に進学した。有望選手として期待されたが、腰椎分離症に悩まされ、チームとしても本来の実力を発揮することができず、3年夏の愛知大会準決勝で最後の打者となり敗退。甲子園出場、そして全国制覇の夢は叶わなかった。
「高校時代の恩師・大藤敏行先生(現亨栄監督)は非常に厳しかったですが、簡単には諦めさせない姿勢から多くを学びました。
ビジネスでも苦境を乗り越える原動力になっています」
大学進学後も野球を続けたが、早朝練習に向かう途中、バイク事故に遭遇。野球人生に終止符を打った。「父と同じ経営者の道に進む」と決意し、わずか3カ月で大学を退学。東京で経理やデザインを学びながら、音楽イベントのプロデュースにも挑戦。自身が手がけたイベントは雑誌に取り上げられるほどの注目を集めた。
■家業に戻るも、待っていたのは厳しい現実
家業は「箱屋」。父が営む段ボール会社を継ぐため、西川さんは、22歳で愛知に戻った。しかし、待っていたのは、銭単位の値下げ交渉や、熾烈な価格競争といった想像を超える厳しい現実だった。
「クライアントから『あと何十銭下げられないか』と迫られ、できなければ取引を切られる。父は、頭を下げ続けながら必死で商売を続けていました」
自身が望んで家業の道へと進んだが、華やかな音楽業界で過ごしていたこともあり、弱気になる父と何度も衝突した。ある日、父が涙を浮かべながら言った。
「この業界に未来はない。
箱屋は自分の代で閉じるから、お前は好きな道を行け」
その言葉にハッと我に返ったという。
「父の責任だと思っていた自分がいました。そこで、父がやってきた事業をそのまま引き継ぐのではなく、自分の責任で新しい事業を創るべきだと覚悟が決まりました」
■お菓子で、企業を笑顔にしたい
模索の中で思い出したのは、幼い頃の「3時のおやつ」だった。
「僕はアトピー性皮膚炎と喘息がひどい子どもで、卵や小麦、乳製品はダメだと医者から言われました。ただ、母が工夫して準備してくれたお菓子を兄弟と同じタッパーに詰められたおやつが、何よりも嬉しかった。そこで、お菓子で人を惹きつけたり、笑顔になったりするお菓子の強みを活かしたビジネスにしたいと思い、父のやっていた紙器を使って組み合わせるところから始めました」
紙器事業の特性を活かし、とにかく形状が面白いオリジナルパッケージを施したお菓子の企画をスタート。「お菓子のビジネスメディア」というコンセプトを掲げ、大手企業とは違い、小ロットや細かな要望にも素早く柔軟に対応できる点にもこだわり、様々な企業へ営業をかけた。
■「ニーズがない」なら作ればいい
もちろん、食品を取り扱う以上、それを包むパッケージは見栄えはもとより、機能面、そして衛生面での信頼度が何よりも重要になる。何度も門前払いを食らい、心が折れかけたことも一度や二度ではない。
ただ、ある営業先で「サービスは面白いけどニーズがない」と断られた際、「面白いのならば、あとはニーズを作ればいい」と思い至り、みんながワクワクするオリジナルお菓子のカタログを必死に作り、自社のサービスをアピールしていった。
初受注は「ダメもとで提案させてください」とお願いして営業した企業が、それまでの付き合い先を切り替えて契約を結んでくれた。企画力と行動力、そして情熱で勝ち取った500万円の発注が、経営者としての原点だ。

西川さんはこうしてオリジナルのお菓子事業を軌道に乗せると、家業からの独立を決断。再び上京して2005年に「esspride」を立ち上げた。
「社名の由来は『essential』(必須、欠くことのできない)と『pride』(誇り、自尊心)の造語です。父が差別化で苦しみ、時代とともに必要ではなくなっていった父の姿を見るのが悔しかったので、この会社は、自分たちにしかできないことで、どんな時代でも必要不可欠な会社にしたいという強い思いが根底にあります」
■日本を支える「99%の中小企業」をヒーローに
起業当時から目指していることは「お菓子で人と企業をつなぐこと」。2016年にローンチしたポテトチップスに社長たちのカードを同梱した「社長チップス!」は、単なる販促ではなく、中小企業のストーリーを社会に広めるメディアへと進化した。
サービス利用の金額はプランによって異なるが、年間数十万円から利用ができ、課題に応じて、企業ごとのブランディング施策を活用できる。現在はプロジェクトのフルリニューアルへ向けて準備を進めている。目指すのは地域経済の発展、そして中小企業の事業拡大、事業継承支援だ。
「日本は99%以上が中小企業で成り立っているのに、その中小企業があまり知られていないというのが現状です。この課題解決は、ずっと試行錯誤を繰り返しながらやり続けていかないといけないと思います。
地方の中小企業が採用ができない、後継者がいないといったことが社会問題になっていますが、まずはその地域の魅力を伝えることが必要です。若者やシニア層、外国人労働者も含め、そこで働きたいと思っても、生活するイメージが湧きません。
企業が面白そうか、そこでの働きがいがあるかではありません。一社単体ではなく、地域の企業が“連合軍”になることが大切だと考えています」
■仲間と未来を拓く「club 361°」の挑戦
essprideは、今年4月25日に設立20周年を迎えた。「361°」の上位概念や「カッコよく、キメる。」を合い言葉に多彩な事業に挑戦中。創業からの事業は、プロ野球やJリーグなどの様々なプロスポーツ、芸能エンタメ、アニメ、漫画、キャラクター、商業施設、eスポーツなどの分野で、商品企画開発、店舗プロデュース、販売運営など幅広く展開している。
「創業の原点であるお菓子にとどまらず、様々な商品開発をしていますし、あらゆる分野に関わってることも珍しいですが、プロダクトの種類やデザインも、この分野では、多分国内でウチが一番多く出していると思います」
創業20周年の節目にスタートするのが「club 361°」だ。完全紹介制で、志を共有する者だけが集う。孤独な経営者たちが、相談し、共創し、挑戦し、新たな未来を生み出す。「スポーツも、エンタメも、ビジネスも、異なる世界が手を取り、地域に風を吹かせる。点が線になり、面になり、大きなうねりとなって、地域の景色を、カッコよく、キメる」。club 361°は、そんな未来を本気で目指す“創造基地”だ。
野球、段ボール、そしてお菓子。一見遠回りに見えたすべての経験が、一本の道となり、未来へ続いている。
どんな時代でも必要とする会社となるべく、essprideの、そして西川世一さんの冒険は、これからも続く。未来を、もっとおもしろくするために。

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内田 勝治(うちだ・かつはる)

スポーツライター

1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社ではプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツビジネス全般を行う。

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(スポーツライター 内田 勝治)
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