年金はいつから受給するのがベストなのか。ファイナンシャルプランナーの横田健一さんは「繰り下げが得で、繰り上げは絶対にだめという常識は疑うべきだ。
60歳での受給開始でも一生お金に困らない方法はある」という――。(第1回)
※本稿は、横田健一『増やしながらしっかり使う 60歳からの賢い「お金の回し方」』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■75歳まで繰り下げると年金額は84%もアップする
公的年金は原則65歳から支給されますが、受給開始を遅らせる「繰り下げ受給」や、受給開始を早める「繰り上げ受給」も選択できます。テレビや新聞、雑誌などでよく話題になるので、ご存じの方も多いでしょう。
繰り下げ、繰り上げとも、1カ月単位で行うことができ、1カ月繰り下げると年金額が0.7%増えます。1年の繰り下げでは8.4%増、5年で42%増で、最大75歳まで繰り下げると84%増です。かなり大きく増えること、また増えた年金が一生涯続くことから、老後の安心感が増すと考えられています。
会社員では基礎年金(国民年金)と厚生年金の2階建てですが、いずれか一方を繰り下げることもできます。繰り上げを選択する場合は基礎年金、厚生年金セットでの繰り上げとなり、どちらか一方を繰り上げることはできません。
ねんきん定期便の表面の中央には、基礎年金、厚生年金ともに繰り下げて70歳から受給する場合、75歳から受給する場合の年金額が記載されています。
■繰り下げの意外なデメリット
有力な老後資金対策ともいわれる繰り下げ受給ですが、いいことばかりではありません。図表1は繰り下げ受給と繰り上げ受給のおもなメリット・デメリットをピックアップしたものです。

繰り下げの最大のメリットは、年金額が増え、それが終身で継続することです。年金額200万円の人が5年繰り下げると、年金額は42%増の284万円になり、その額が一生涯続きます。
対してデメリットは、早く亡くなると受取額の総額が少なくなることです。年金額200万円なら、繰り下げなければ65歳から69歳までの5年間で1000万円の年金が支給されたはずです。70歳からは284万円の年金が受け取れますが、1000万円を取り戻すには約12年かかります。
受取総額でみれば、70歳から12年間、年齢にすると82歳まで年金を受け取ってはじめて、繰り下げした方が多くなる、というわけです。
■手取りはそこまでは増えない
また公的年金には税金や社会保険料もかかります。税金も社会保険料も年金額によって決まりますから、繰り下げによって年金額が多くなると、それらの負担が重くなります。
そのため、年金額が5年の繰り下げで42%増えても、手取りベースではそこまでは増えないのです。
また繰り下げた分を取り戻すまでに約12年かかると前述しましたが、手取りベースではさらに数年を要することになります。
公的年金には「公的年金等控除」があり、年金収入から65歳未満は最低でも60万円、65歳以上では同110万円が引かれ、所得税や住民税が計算されますが、繰り下げている期間はこの控除が活用できないのも、もったいない話です。
さらに医療費や公的介護保険サービスの利用料は所得に応じて自己負担の割合が1~3割となり、年金収入が増えると自己負担割合が2~3割に増える可能性があります。
「額面」だけでなく「手取り」、また医療費などへの影響を考えることが重要です。
■5年分約200万円が受け取り損になるケース
年下の妻(夫)がいる方が年金を繰り下げるには、前述の「加給年金」にも注意が必要です。加給年金は「夫(妻)が厚生年金を受け取る際」に支給されるため、夫(妻)が厚生年金の受給を繰り下げている間は加給年金も支給されません。
5歳年下の妻(夫)がいた場合、夫(妻)が65歳から厚生年金を受給すれば65歳から69歳まで加給年金が支給されますが、夫(妻)が厚生年金を5年繰り下げると、その時点で妻は65歳となって支給の条件から外れ、加給年金は支給されないのです。
このケースでは5年分で約200万円を受け取り損ねることになります。
繰り下げは、基礎年金部分だけの繰り下げ、厚生年金部分だけの繰り下げも選択できますから、加給年金の受給を優先するなら、基礎年金部分だけを繰り下げ、厚生年金部分は65歳から受け取るのも手です。
■繰り上げ受給のメリット
繰り下げのお得度が強調される半面、繰り上げは避けるべきといわれることがほとんどです。でも、本当に不利なのでしょうか。私は必ずしもそうは思いません。
年金受給を1年繰り上げると4.8%、5年で24%、支給額が減額されます。60歳から受け取ると、本来の年金額の76%の水準となり、これが生涯続くため、長生きすると繰り上げたことを後悔し続ける、などといわれています。
年金は長生きリスクに備える保険でもあり、その意味では、たしかに額を減らすのはよくないようにも思えます。
しかしメリットもあります。
繰り上げのメリットは、いうまでもなく早く受給できることです。そもそも、繰り下げをするには、繰り下げている間、年金を受け取らなくても生活できるお金が必要です。70歳まで繰り下げるなら70歳まで働く、などです。
対して60歳でリタイアしたい人なら、60歳から年金を受け取って生活費に充てることも可能です。
■考えるべきは受取額ではない
そもそも繰り下げをするためには、長く働くという話になりがちで、70歳まで繰り下げるには70歳まで年金がなくてもいいように働く、というのが前提です。望んで働くのならもちろんいいのですが、本当はリタイアしたいのに年金を繰り下げるために働くのだとしたら、それは望んだ人生といえるでしょうか。
60歳以降をどのように過ごしたいか。優先されるべきはそこです。繰り下げ、繰り上げのメリット・デメリットを理解し、そのうえで価値観に合うものを選ぶのがよいのであり、「なるべく長く働いて年金は繰り下げた方がいい。なぜなら終身で増額された年金が受け取れるから」という論調には違和感を覚えます。
65歳まで働いて収入を得るなら年金を繰り上げなくてもいいように思えますが、あえて年金を受給してゆとりある生活を楽しむ、というのもいいでしょう。

給与収入があっても公的年金等控除を使うことができ、60代前半では年間60万円×5年分が非課税となります。ほかに受け取る年金がない、あるいは企業年金やiDeCoがあるが一時金で受け取るなどで公的年金等控除を使わない場合は、公的年金を繰り上げて非課税枠を活用するのもいいでしょう。
また年金額が少なくなることで、社会保険料が抑えられる、高齢期における医療費や公的介護保険サービス利用料の自己負担が低くなるというメリットもあります。
■早く亡くなっても遺族は損しない
配偶者がいる場合の繰り上げについて整理しておきましょう。
たとえば夫が60歳から年金を繰り上げ受給し、63歳などで亡くなったとします。妻は遺族年金を受け取ることができますが、遺族年金の額は繰り上げで少なくなった額ではなく、本来の水準(繰り上げせず、65歳から受け取った場合の水準)で計算されます。
夫は60歳から63歳までの3年分の老齢年金を受け取り、63歳で死亡してからは妻が本来の水準で遺族年金を受給できるわけです。繰り上げることで早くから年金を受け取れてよかったことになりますし、遺族年金には繰り上げによる減額が影響しないので、死亡後も不利にならないというわけです。
ちなみに、繰り下げた場合でも、遺族年金は増額された年金額ではなく、本来水準の年金額で計算されます。
また年金を繰り下げ、受け取るまでの間、働いても収入が足りないなどで預貯金を取り崩すと、手元の金融資産はどんどん減っていきます。年金額を増やし、これから年金で生活していくというときに亡くなると、せっかく増やした年金が受け取れないだけでなく、金融資産が減った状態で亡くなることになってしまいます。
繰り下げずに65歳から受け取ったり、繰り上げ受給をしていたりすれば、金融資産を減らすことなく、遺族に相続できた、という可能性があります。

■年金を運用するという裏技
私自身は、繰り上げ受給を有力な選択肢として考えています。前述したようなメリットがあるのに加えて、「運用すれば増やせる」と思っているからです。
65歳から受け取る場合の年金額を100万円とすると、60歳繰り上げ受給では76万円に減り、70歳繰り下げ受給では142万円、75歳受給では184万円に増えます。
その年金額に運用益(運用で得る利益)を加えるとどうなるでしょうか。図表2は年金の受け取り方と運用についてのシミュレーションです。
たとえば60歳から繰り上げ受給し、これを全額、年6%で運用した場合、65歳時には年金額(累計)と運用益の合計が530万円、70歳時には1138万円に増えています。65歳から受給を開始し、同じく全額を年6%で運用すると、70歳には698万円です。
つまり、繰り上げで年金額が少なくなっても、それを運用することで資産を増やすことができるというわけです。それは、早く受け取る分、運用できる期間が得られるためです。
図でもわかるように、75歳、80歳……などと進んでも60歳受給開始の優位性が続き、少なくとも100歳まで、65歳受給、70歳受給などに逆転されることはありません。
■「繰り下げが得」とは言い切れない
運用利回りが少し低い5%の場合でも、60歳受給開始では96歳の時点で70歳受給開始のケースに逆転されるものの、65歳受給開始や75歳受給開始と比べると、少なくとも100歳までは60歳受給の方が有利です。
なお、ここでは額面金額で計算しましたが、実際には年金額から税金や社会保険料が引かれるため、運用できる額は少なくなります。
その場合、早く受給して運用することの有利性は、いっそう高くなります。
なぜなら、年金額が多いほど税や社会保険料負担が増え、年金の手取り(ここでは運用に回せる額)が少なくなるからです。年金を生活費として使えば運用はできませんが、65歳まで働くのであれば、60歳から受け取り、働いている間は運用し、65歳から取り崩す、という方法もとれます。
60歳から76万円ずつ受け取って6%で運用すると、65歳時には530万円になっていますから、ここから取り崩してもいいわけです。
繰り上げが絶対におすすめとはいいませんが、少なくとも、「繰り下げが得で、繰り上げは絶対にだめ」という常識は疑う余地があると思います。
60代前半は働く、70歳手前まで個人年金があるという方でも、最後は年金収入だけになるケースが多く、そうなれば社会保険料や税負担が低めに抑えられたり、医療費や介護サービスの自己負担割合が低かったりするのは、かなりの安心感になります。
運用にはリスクがあり、毎年確実に6%で運用できるものではありません。しかし投資の基本を十分理解したうえで行えば、繰り上げ受給して運用するという選択肢も一考の余地があるのではないでしょうか。

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横田 健一(よこた・けんいち)

ファイナンシャルプランナー

1976年生まれ。東京大学理学部物理学科卒業、同大学院修士課程修了。マンチェスター・ビジネススクール経営学修士(MBA)。野村證券でデリバティブ商品の開発やトレーディング、フィンテックの企画・調査などを経験後独立。情報サイト「資産形成ハンドブック」やYouTubeなどで情報発信しながら、個人の資産形成をサポート。CFP®、ウェルビーイング学会会員(ファイナンシャル・ウェルビーイング分科会所属)。著書に『新しいNISA かんたん最強のお金づくり』(河出書房新社)がある。

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(ファイナンシャルプランナー 横田 健一)
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