※本稿は、本川裕『統計で問い直すはずれ値だらけの日本人』(星海社)の一部を再編集したものです。
■日本人の幸福度は低いのか高いのか
世界価値観調査によると、女性差別の国とされる日本で男より女の幸福感が高いというアイロニカルな結果となっている。
当節では世界価値観調査とは別のデータを使い、やはり、日本人の幸福度は、世界の傾向とは反対に女性の方が高い点を示すとともに、男女別だけでなく、年齢別、学歴別といったその他の属性でも日本人の幸福度は世界の通例に反していることを紹介することにしよう。
本題に入る前に、まず、「日本人の幸福度は全体として高いのか低いのか」という点について確認しておこう。
OECD幸福度白書の2020年版(How’s Life? 2020)では、旧版と同様、幸福度を構成するさまざまの指標の1つとして主観的幸福度(Subjective Well-being)のデータを掲載している。
私は、幸福度を論じる場合、幸福を左右すると思われる所得や生活環境、災害などに関するさまざまな指標を総合化して判定する方法では、どんな指標を使うかやウェイトづけから恣意的になりがちなので、むしろ、この主観的幸福度そのものを重視すべきだと考えている。
同白書によれば「OECDのガイドライン」は主観的な幸福度の測定方法として以下の3つを区別している。
①生活評価(生活満足度など生活の全体評価)
②感情(喜怒哀楽など、機嫌の良し悪し)
③エウダイモニア(Eudaimonia)(人生の意味や目的、生きがい)
同白書では、①として0~10までの段階別に答えさせた「生活満足度」、②として回答者の感情状態から作成した「ネガティブ感情度」のデータを掲げ、分析を行っている。①では日本や米国は該当する公式統計がないので比較対象から除外されている。③は国際比較できる高品質データがないとしてそもそも非掲載である。
まず、「日本人の幸福度の程度は」という疑問を解くために、世界価値観調査の「幸福感」(A)とOECD幸福度白書が掲載している「ネガティブ感情度」(B)という両方のデータで幸福度を比較してみよう。
世界価値観調査の「幸福感」(A)は、「幸福かどうか」の設問に「非常に幸せ」及び「やや幸せ」と答えた割合の計なので、簡単で理解しやすい指標である。
OECD幸福度白書の「ネガティブ感情度」(B)については、解説が必要である。そもそも、ネガティブな感情状態とは、怒り、悲しみ、恐れを経験することを言い、ポジティブな感情状態とは、くつろぎ、喜びを感じ、笑ったり、微笑んだりしていることを言う。「ネガティブ感情度」(Negative affect balance)の指標は、調査日前日の感情状態についてネガティブな回答がポジティブな回答を上回っている割合を指し、ギャラップ世界調査の結果からOECDが算出している。
一般に、先進国と途上国では事情や背景が大きく異なるので、生活レベルが一定水準以上の先進国だけで比較したい場合、先進国クラブと称されるOECD諸国のランキングが用いられることが多い。
日本のOECD諸国の対象31カ国における幸福度ランキングは、世界価値観調査の「幸福感」(A)では20位と低い方である一方で、ギャラップ世界調査を用いた「ネガティブ感情度」(B)では5位と高い方である。
日本人は、幸せかどうかの自己理解の基準が厳しいので、感情面だけから判定した幸福度より幸福感をきいた結果の幸福度が低くなっているのだと考えることができる。
主要先進国(G7)の中で日本と似ているのは、ドイツであり、幸福感(A)では23位と低いが、ネガティブ感情度(B)からは13位とそれほど低くない。主要先進国の中では、英国、フランスなどは、日本やドイツは逆に、幸福感では幸福度が高いもののネガティブ感情度では幸福度がずっと低くなっている。
大胆に総括すると、日本やドイツのような普段機嫌が良いにもかかわらず幸福を余り感じていない国民と英国やフランスのような普段機嫌が悪くても幸福を感じてはいる国民とがあるのである。一方、米国やイタリアは幸福に関する感情と幸福の自己理解に余り齟齬が見られない。
主観的な幸福度だけでも測り方によってかなり変わってくる点が興味深い。
■女性のほうが幸福度が低いという世界の通例に反する日本人
ここからは、「ネガティブ感情度」(B)の方を使って、男女、年齢、学歴といった属性別の幸福度の各国比較を見ていこう。
原データはこれまでと同じ国ごとに毎年1000サンプル程度で行われているギャラップ調査であるが、結果のばらつきを抑えるため、長期間の平均値(2010~18年)が使用されている。
経済環境や文化の違いがあるため主観的幸福度の値を国民間で比較するのはやはり少し無理がある。感情面を指標化した「ネガティブ感情度」は、幸せかどうかを直接聞いた結果の「幸福感」より客観的であるとはいえ、やはり、国民性に多少左右されざるを得ないであろう。しかし、考え方や感じ方を共有する同じ国民の間における男女、年齢、学歴といった属性間の比較は、全体としての幸福度ランキングより、むしろ、信憑性、有効性が高いと考えられる。
全体としての結論から言ってしまうと、世界の通例は、女性・高齢・低学歴の者ほど幸福感が薄いというものだが、日本人は、これにすべて反しているという特殊な国民であるというのが目立った特徴である。
まず、男女差(ジェンダー差)から見ていこう(図表1参照)。
うつ病は男性より女性の方が多いというのが世界の通例であることからも類推できるように、ネガティブ感情度の男女比(男性÷女性)は、日本を除くすべての対象国で、1以下である。すなわち、女性の方がマイナスの感情に陥りがちである。
こうした世界的傾向について、ジェンダー論者は、男女差別によってこれが引きおこされていると速断しがちである。自殺がうつ病とは逆に男性の方が多いのが世界の通例であることからもうかがえるように、ことはそんなに単純ではない。
例えば、北欧諸国は一般的に男女平等意識が高いが、同じ北欧諸国でも、ノルウェー、デンマークでは、女性の方がネガティブ感情度がかなり高くなっているのに対して、フィンランド、アイスランドでは、むしろ、男女比が1に近くなっており、状況にかなり差があるのである。
最も特徴的なのは、日本人だけ男性のネガティブ感情が女性を上回っている点(しかも14%も)である。これは、世界価値観調査などの幸福感でも日本人の幸福度の女性優位が目立っているのと軌を一にする現象であるといえる。
理由については、女性が男性と比べて個人的、社会的に尊重されていてネガティブな感情に陥る場合が少なくなっているか、あるいは、男性だけがネガティブな感情に陥りがちな特殊な社会環境があるかのどちらかであろう。私は、後者の側面が大きいと考えている。
■なぜ女性より男性の幸福度が低いのは世界で日本だけなのか
日本では、相続や選挙権に関する制度的な男女平等が戦後実現したのと平行して、現代では、かつての儒教道徳から女性がかなり解放されたのに対して、男性の方は、男は一家の大黒柱、あるいは男は、か弱い女性を守らなければならないといったような旧い道徳観になお縛られているから、こうした結果が生じていると思う。男は、男への期待感が大きいだけにそれだけ幸福感を感じにくくなっているのである。
なお、同じような状況にある韓国でも、やはり、OECD諸国の中でネガティブ感情度の男女比が3位と高い点もこの点を裏づけていると考えられる。
世界的に権威がある筈の「OECD幸福度白書」のこのデータを日本のジェンダー論者が参照することは、まず、ないだろう。しかし、男女ともに幸福であることが目指すべき幸福のひとつの姿である以上、ここに盛られている深い真実を直視しない限り、日本における本当の男女平等は実現できないと私は思う。
■「高齢者、低学歴者ほど幸福度が低い」が世界の通例だが日本は別
次に、年齢差についてである(図表2参照)。
男女差ほど決定的ではないが、世界的には、若者の方が高齢者よりネガティブ感情度が低いのが通例である。若者には未来や夢があり、死が遠くない高齢者は病苦で苦しむ者も多いのであるから当然ともいえる。
年齢差が大きい国はといえば、図の左側の国、すなわち途上国的な性格を残している国である。途上国の高齢者は生活していくだけでも心労が絶えないのである。一方、図の右側、すなわち所得水準の高い国では年齢差は目立たなくなる。社会保障が充実して、高齢者でも生活苦や病苦で悩むことが少なくなるからである。
こういう見方でグラフを眺めると、若者だけで比較した場合、各国のネガティブ感情度は、国による違いがかなり小さいことに気がつく。どんなに生活が苦しくても若者には未来があるのである。一方、高齢者のネガティブ感情度の差は大きく、高所得国ほど低くなっていることが分かる。
そして、働き盛りの年齢では、ネガティブ感情度は若者と高齢者の中間である場合が一般的である。
しかし、米国より右に位置する国では、おおむね、若者や高齢者の両方より働き盛り年齢のネガティブ感情度の方が高くなる傾向にある。これは、子どもや高齢者を大切にする社会保障の発達した国でも、仕事や子育て、介護などに伴う働き盛りの年齢の悩みは消えない(あるいはむしろ大きくなる)からだと考えられる。
■日本人の老人に見る「消極的に天命に安んじる態度」
さて、日本の位置であるが、高齢者のネガティブ感情度が最も低い方から2番目である。高齢者のネガティブ感情度は、高福祉社会と言われる北欧諸国が世界で最も低く、それに伴って年齢差も最も小さくなっているが、日本もこれに伍しているのである。
少なくとも感情の面からは、日本は高福祉社会の域に十分達しているといえよう。しかも、日本の高齢人口の割合は世界で最も高い点を考慮すれば、よくやっていると評価せざるをえない。
もっとも日本の社会保障の充実度が北欧並みと考えるのは少し行き過ぎの見方かもしれない。むしろ、諦観という日本人の習性に理由を見出すべきなのかもしれない。
正宗白鳥は永井荷風を論じた評論のなかで荷風を含め老境にある日本人について、こう言っている。
「外国人のうちには、老境に達して落伍しても、天を怨まず人を嫉まず、与えられた境遇を楽む者は甚だ稀なようだが、日本では古来都鄙を通じて、そういう気持の老人が少なくなかった。伝統的日本気質の現れであって、この消極的に天命に安んじる態度には、我々は懐しみを覚えさせられるのだ」(『新編 作家論』岩波文庫、331頁)。
最後に、学歴について見てみよう(図表3参照)。
日本は、中等教育卒業者のネガティブ感情度が、メキシコに次いで低く、初等教育卒業者の場合は最も低くなっている。そして、こうした状況によって学歴差が最も小さい国のひとつである。また、初等教育卒業者の方が高等教育卒業者よりネガティブ感情度が低いという国は日本だけである。
学歴と階級・職種・所得は密接に関係しており、これを背景に、世界ではネガティブ感情度は低学歴の者ほど高く、高学歴の者ほど低いというのが通例である。
理由としては、実際に学歴による所得や生活水準の格差が小さいからかもしれないし、あるいは、学歴による格差があってもそれが幸福度の差に結びつかないようなメカニズムが働いているからかもしれない。
かつて日本では諸外国とは反対に学校生徒のいじめが恵まれない子より恵まれた子に向かう傾向にあったことを思い出す。私は、年齢差の場合と同じように、日本の場合は、前者だけでなく後者の側面も大きいのではないかと考えている。
いずれにせよ、以上のように、「感情状態」から見た幸福度について、男女差、年齢差、学歴差を見る限り、日本人ほど、良い方向に世界の常識が当てはまらない国民はいないだといえよう。こうしたデータからは、日本は「奇跡の国」と見なされてもおかしくはないのである。
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本川 裕(ほんかわ・ゆたか)
統計探偵/統計データ分析家
東京大学農学部卒。国民経済研究協会研究部長、常務理事を経て現在、アルファ社会科学主席研究員。暮らしから国際問題まで幅広いデータ満載のサイト「社会実情データ図録」を運営しながらネット連載や書籍を執筆。近著は『なぜ、男子は突然、草食化したのか』(日本経済新聞出版社)。
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(統計探偵/統計データ分析家 本川 裕)