人生をうまく乗り切るにはどうしたらいいのか。30代の男性は訪問介護の正社員として真面目に働いていたが、過酷な仕事内容に加え、パワハラ上司の影響でうつ病を発症。
ひきこもり状態から抜け出そうとしていた矢先、詐欺に遭って全財産を失い、うつが悪化してしまった――。
■パワハラ上司の影響でうつ病を発症
ある日、65歳の母親が筆者のもとを訪れました。聞けば、ひとり息子の純雄さん(35)が働けない状態になったと言います。
純雄さんは32歳頃まで、正社員で訪問介護の仕事をしていました。日勤と夜勤が入り乱れ、勤務形態は不規則。強いストレスを受ける日々が続き、次第に食欲がわかない、眠りが浅い、疲れが取れず体と頭が重いという状況に陥りました。
それでも何とか我慢していましたが、出社時に電車を乗り間違えて遅刻をする、仕事に集中できずミスを繰り返す、といったことを上司から叱責されるケースが増えました。上司は人格否定するような発言が多く、精神的に追い詰められ、ついに出勤できなくなりました。
純雄さんは当時独り暮らしをしていましたが、日常生活に支障が出ていたため、実家に戻って休養することに。純雄さんの会社では、休職するためには医師の診断書が必要であるため実家近くにある精神科を受診。そこでうつ病と診断されました。
休職中は実家で静かに過ごしていましたが、身も心もボロボロで職場復帰できませんでした。
結果、会社を退職。再就職のめども立たなかったので、そのまま実家に住み続けることにしました。
そのことを快く思っていなかったのは純雄さんの父親(66)です。純雄さんがなかなか再就職をしないことに腹を立てていました。純雄さんと顔を合わせるたびに険しい表情を作ります。時には厳しい言葉をぶつけてきたそうです。
「俺の若い頃は具合が悪いからって仕事を休むことなんてなかった。這ってでも会社に行ったもんだ。いつまで甘えているつもりなんだ?」
負い目を感じている純雄さんは父親に言い返すことができず、父親と顔を合わせたくない一心で、一日中自室にこもるようになってしまいました。
再就職するきっかけを失い、ひきこもり状態は改善せず無収入のまま。そのことを心配した母親から相談を受けた筆者が各種手続きのアドバイスをすることで純雄さんが34歳を迎える直前に、障害厚生年金の3級を受給(月5万あまり)することができました。
■家族構成

父親(66)

母親(65)

青井純雄さん(仮名 35)ひきこもり当事者

※兄弟姉妹はいない
■資産

両親の貯蓄 2500万円

純雄さんの貯蓄 なし

自宅は賃貸住宅
■収入(月額換算)

父親 約18万円

母親 約6万円

純雄さん 障害厚生年金3級 5万1983円(2025年度の金額)
■支出(月額)

基本生活費 約18万円

そのうち住居費 9万円

※一時的な支出は含まず

■脱ひきこもりの準備をしていた男性を襲った凶悪なSNS
障害厚生年金の受給により何とか無収入状態から脱した純雄さん。
それでも、父親から「早く働け。金を稼げ」というプレッシャーは止みません。
「正社員は無理かもしれないけど、障害厚生年金と障害者雇用の併用で生活を成り立たせることはできるかもしれない」
「ひきこもりから脱出したい」という気持ちを失っていなかった純雄さんは、再就職に向けて就労移行支援を受けながら、なんとか社会復帰に向けて一歩ずつ準備しました。
ところが、その矢先、思いがけない事件が起こりました。
SNSで知り合った人物にそそのかされ、投資詐欺で純雄さんの全財産である200万円をだまし取られてしまったのです。「もっとお金があれば実家を出ていける。父親の文句も聞かなくて済む。何とかお金を増やしたい」そのような気持ちを詐欺師に悪用されてしまったのかもしれません。
父親は「どうして見ず知らずの奴に200万も金を預けたんだ? まったく、こいつは何を考えているんだ」と、怒りの感情を露わにしました。
全財産をだまし取れられたショックと両親への申し訳なさから、純雄さんのうつ病は急速に悪化。一日中布団の中で横になってしまい、食事もろくに取れず、入浴や着替えもままなりません。外出することも困難となり、就労移行支援に通うこともやめてしまいました。

「せっかく再就職に向けて頑張っていたのに。またひきこもりの状態に戻ってしまいました……。我が家は家計に余裕がないので、長男に財産を残すことは難しいかもしれません。こんな長男に何かできる対策はありますでしょうか?」
純雄さんの状況を語り終えた母親は、辛そうに大きなため息をつきました。母親も父親も60代半ばで年金暮らし。貯金は2500万円ありますが、賃貸暮らしで家賃が発生することもあり、月々の生活はカツカツで家計が赤字になることもしばしばです。もし、両親が他界したら、長男が生きていけなくなる恐れがあります。
しかも、純雄さんはうつ病が悪化してしまい、就労も厳しい状態にあります。そこで筆者は額改定請求の説明をすることにしました。
「障害年金を受給している方の障害状態が重くなったとき、請求することで障害年金の等級が変更となり、年金額が増額することがあります。この請求を『額改定請求』といいます。ただし額改定請求はいつでもできるわけではありません。
次の①または②の日から1年を経過している必要があります」
①障害年金を受ける権利が発生した日(初回の請求で障害年金が認められた日)

②障害の程度の診査を受けた日(障害年金の更新が認められた日)
純雄さんの場合、上記①と②のどちらも1年以上経過していたので、すぐにでも額改定請求をすることができます。
すると母親が質問をしてきました。
「もし額改定請求が認められた場合、長男の障害厚生年金はいくらになるのでしょうか?」
正社員で訪問介護の仕事をしていた当時の給与や賞与をもとに年収を算出すると約360万円でしたので、それをもとに試算しました。
■月の支給額が2倍以上になり、安堵の母
仮に純雄さんが額改定請求で障害厚生年金の2級に該当した場合(月額換算)

障害厚生年金 約4万1000円

障害基礎年金 6万9308円

障害年金生活者支援給付金 5450円

合計 11万5758円

※いずれも2025年度の金額。
障害厚生年金3級の支給額は障害厚生年金だけでしたが、同2級に該当すると、それに追加して障害基礎年金と障害年金生活者支援給付金も新たに受給できるようになります。よって、月の支給額は2倍以上になります。
金額を確認し終えた母親は自分たち親に万が一のことが起きても、算段が立つ可能性が出てきたことに安堵の表情です。そして、言いました。
「今の長男にとって、月に約11万5000円の年金はすごく助かります。ちなみに額改定請求の手続きは難しいのでしょうか?」

「初回の手続きに比べるとそこまで大変ではありません。純雄さんの場合、次の3つの書類を日本年金機構へ提出するだけです」
【純雄さんに関する必要書類】

・診断書

・障害給付額改定請求書

・年金生活者支援給付金請求書
初回の手続きに比べ、提出書類はかなり少ないものの、障害厚生年金2級に該当するかどうかは、医師の作成する診断書の記載内容で決まります。母親との面談後、純雄さんの同意を得て、筆者が日常生活の困難さの状況を文書作成しました。

精神障害の診断書にある日常生活能力の7項目は次の通りです。
①適切な食事 ②身辺の清潔保持 ③金銭管理と買い物 ④通院と服薬 ⑤他人との意思伝達及び対人関係 ⑥身辺の安全保持及び危機対応 ⑦社会性
筆者が各項目に関して本人から聞き取りをすると、詐欺被害によって想像以上にメンタルに大きなダメージを負っていることがわかりました。医師ではなくても、純雄さんは心の面だけでなく、記憶・理解・会話など認知機能も低下しているように思えました。
以下が、日常生活の困難さの要約です。
①適切な食事
気力がわかず、自分で栄養のバランスを考えた食事を準備することは難しい。そのため、食事に関してはすべて母親に頼っている。食欲はなく、朝は食べないことが多い。昼はおかゆを少しだけ。夜はおかずを少しだけ食べるのだが、体調の悪い時は2~3口だけ食べて終わりになってしまう。
②身辺の清潔保持
おっくうで入浴ができず、着替えることが難しい。1週間以上、入浴も着替えもしないことがある。体臭がひどくなってくると母親に何度も促されるようになり、しぶしぶ入浴や着替えをしている。
掃除、洗濯、ゴミ出しはできず、すべて母親にやってもらっている。
③金銭管理と買い物
詐欺にあって全財産の200万円をだまし取られてしまった後、ショックのあまりお金を遣うことに恐怖を感じるようになってしまった。生きていく最低限の買い物をすることもできなくなり、外出もままならない。生活必需品は母親に買ってきてもらっている。
④通院と服薬
通院は一人ではできないので、母親に付き添ってもらっている。うつ病が悪化してしまったせいで、理路整然と話すことも難しくなった。本人では医師に現状を説明することが困難なので、母親が代わりに行っている。服薬は、本人がぼーとして飲み忘れてしまうことが多かったので、現在は母親に管理をお願いしている。薬を飲んでも、本人は「あれ? 今日、薬飲んだっけ?」と母親に何度も確認してしまうことがある。
⑤他人との意思伝達及び対人関係
理解力、記憶力が大きく落ちてしまったので、同じ質問を何度も繰り返してしまう。質問に答えてもらってもすぐに忘れてしまうので、また同じ質問をしてしまう。相手のちょっとした発言で人格を否定されたと感じることが多く、その恐怖心で母親以外の人と話すことを避けるようになってしまった。
⑥身辺の安全保持及び危機対応
常に頭がぼーとしてしまい、家の中でも小さな段差でつまずいてしまうことがある。注意散漫な状態にあるので、一人で外出することは危険が伴う。通院の際は母親に付き添ってもらわないと一人ではできない。
⑦社会性
記憶力と理解力が低下している。言われたことや文章の内容が頭の中に入っていかないので、生きていく上で必要な手続きを自分一人だけですることは困難。本を読んだりテレビを見たりしても内容が頭の中に入っていかないので、楽しいと思えなくなってしまった。
額改定請求から約3カ月が過ぎた頃、母親から連絡がありました。
「おかげ様で無事に障害厚生年金の2級が認められました。ありがとうございました。長男と話し合い、障害年金は将来のために貯蓄していくことになりました」
母親は続けました。
「最初に勤めた会社ではパワハラ上司に苦しみ、その後、せっかく社会復帰しようと前向きになっていたタイミングで大金を騙し取られる詐欺にあいました。それによりうつは悪化し、犯人が捕まることも、お金が返ってくることもありません。本当にひどい話です……」
いつしか純雄さんの心の傷が癒え、もう一度社会復帰を目指せるようになる。その時が訪れることを筆者は願ってやみませんでした。

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浜田 裕也(はまだ・ゆうや)

社会保険労務士・ファイナンシャルプランナー

平成23年7月に発行された内閣府ひきこもり支援者読本『第5章 親が高齢化、死亡した場合のための備え』を共同執筆。親族がひきこもり経験者であったことからひきこもり支援にも携わるようになる。ひきこもりのお子さんをもつご家族のご相談には、ファイナンシャルプランナーとして生活設計を立てるだけでなく、社会保険労務士として利用できる社会保障制度の検討もするなど、双方の視点からのアドバイスを常に心がけている。ひきこもりのお子さんに限らず、障がいをお持ちのお子さん、ニートやフリータのお子さんをもつご家庭の生活設計のご相談を受ける『働けない子どものお金を考える会』のメンバーでもある。

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(社会保険労務士・ファイナンシャルプランナー 浜田 裕也)
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