■推薦文依頼の連絡にまさかの…
【黒川】サヘルさんとお会いするのはこれが初めてですが、里親さんに共通の知人がいますよね。何人かの里親さんからよく、サヘルさんが支援活動をされていることを、うかがっていました。
【サヘル】はい。黒川さんをよく知る里親さんの1人から、『誕生日を知らない女の子』を勧められて、読みました。とてもいい本だと感激して、今でもラジオ番組などで機会があるたびに、お勧めの一冊として紹介させていただいています。今回、その続編である『母と娘。それでも生きることにした』の帯に推薦文を書いてほしいというお話をいただいたときには、まさかの……でした。ご縁を感じました。
【黒川】ええっ? そうだったんですね。私の本を紹介してくださっていたことは、全然知りませんでした。
【サヘル】原稿の段階で送っていただいて、読み始めたらもう止まらなかったんです。本当に止まらない。新幹線の行き帰りでも、自分でも信じられないくらいずっと読んで、1日で一気に読み終わってしまいました。ページをめくる手も止まらないけれど、涙も止まらない。私のマネージャーにも「これ、絶対読んだ方がいい。すごい本」ってすぐに薦めました。母の沙織さんと娘の夢ちゃんの、ここまでのことをさらけ出す勇気にも感動しました。この本がお互いの文通になったらいいなあって、そう思いました。
【黒川】サヘルさんからいただいた帯文には、泣きたくなるくらいの言葉が連なっていて、編集部から送られて読んだときに、胸を打たれました。本当にありがとうございます。最後に「痛いほど『母』を探した」って結んでいますけど、この場合の母というのは、何を示しているんでしょうか。
サヘルさんのオビ文 全文
349ページを1日で読み上げた。
ページをめくる手が止まらない。
涙が、止まらない。
幾つもの『母』と『娘』が存在するが、なぜだろ、憎めない。
それどころか、痛いほど両者と共鳴してしまう。
痛いほどつきささる。
痛いほど愛しい一冊。
痛いほど『母』を探した。
【サヘル】自分が思う母ってなんだったんだろうなっていう……。この本の中のお母さんたちの苦しみもすごい感じたし。読み終わったときに思ったのは、結局、私はお母さんっていうものを探しているんだということ。でも、このお母さんって、何に対して言っているだろうと。
【黒川】いろいろな意味での「母」なんですね。母と子の関係って何なのか、ということですね。
■1日で読めたのは、自分のことに思えたから
【サヘル】1日で読めちゃったのは、自分自身のことを読んでいるみたいだったからです。私のとはまた違った家族像でしたけれど、それでも痛いほどわかります。「わかる、わかる。うん、わかる……」って、私が黒川さんのインタビューに答えているんじゃないかと錯覚しました。これまでの私の人生って、なかなか誰とも共有できないと思っていたのに、「ここにいた! 同じ痛みを共有できる人がいた」っていう思い。私は本が好きで、いろいろ読んでいますけど、ここまで心から共鳴できる本に出合ったことはないです。
『母と娘。それでも生きることにした』
生きていることが不思議なほどの過酷な日々を過ごす母と娘は、それでも生きることを選んだ――。
母・沙織(仮名)は生まれてすぐ、京都府の山奥にあった「里子村」のお寺に兄とともに預けられ、過酷な生活を強いられる。小学校を卒業する頃に、突然父親が現れ、先に引き取られた兄とともに家族4人の新生活が始まるが、それは、本当の地獄だった。継母からは言葉の暴力、実の父親からは性的暴力を含めた壮絶な虐待を受ける。沙織は、20代で死ぬことを人生の目標にした。その後、結婚して2児を授かるが、娘、息子ともに視力に障害を持って生まれてくる。娘・夢(仮名)はとても育てにくい子どもで、沙織から夢に対する殴る蹴るの虐待が、就学前まで続く。
娘・夢には母・沙織から暴力を受けた記憶がない。だが、10代になってからも続いていたのは、「あんたは、ママをいじめるために生まれてきた悪魔なの」という言葉の暴力。「ママの中に、何人かの人格がいる」と母から解離性人格障害の症状を感じとる。
互いに行き違う母と娘の、それぞれの心の叫びをモノローグの形で綴るノンフィクション。
【黒川】ありがとうございます。本の中では、母の沙織さんと、娘の夢ちゃんに、それぞれ別々にインタビューをして、大部分がそれぞれのモノローグで語られているんですけれど、ときどき私の語りが登場します。
【サヘル】でもそれが、2人の人生の物語と急に切り離されるわけではなくて、逆に、母と娘をつなげるへその緒みたいな感じがしました。黒川さんのこのつなぎ止める文章があるからこそ、交わらない2人の心がわずかにつながっている。母の沙織さんにとっても、娘の夢ちゃんにとっても、黒川さんの存在がすごく大切な役割だったのかなあって思います。血のつながりではないからこそ、母のような存在だったんじゃないかなと、読んでいて思いました。
■娘の夢ちゃんの気持ちが、まさに、自分自身
【黒川】サヘルさんは、お母さんのフローラさんとは血のつながりはないけれども、本当の母と娘よりも強い絆をもって生きて来られた。そういう親子関係を生きてきたわけですよね。
サヘルさんと母フローラさんの母娘関係
サヘル・ローズさんは、イラン生まれ。幼少時代はイランの孤児院で生活し、そこに支援活動で来ていたフローラ・ジャスミンさんに出会い、7歳の頃、フローラさんの養女として引き取られる。フローラさんは当時日本に留学していたイラン人の婚約者と結婚し、8歳の養女サヘルさんを連れて来日。日本で3人での生活が始まるが、まもなく夫婦は離婚。フローラさんとサヘルさんは家を追い出され、放浪生活を強いられる。母娘で、ホームレスとなり公園の土管の中で生活したこともある。フローラさんは、工場で働いたり、ペルシャ絨毯織りの実演販売をしたりといった仕事で、かろうじて収入を得ていたが、困窮生活が続いた。
そんな生活の中、サヘルさんは、中学校では壮絶なイジメに逢うが、そのことは、母フローラさんには一切知らせていなかった。フローラさんは、自らも実母からネグレクトや虐待を受けてきた過去があり、そのトラウマから母国では心理学を専攻していた経緯もあった。苦難が続く日本での生活の中で、大きなストレスを抱えるようになっていった。
時々、母と娘の間に、諍いが起きるようなこともあり、フローラさんが、「あなたのせいで、夢も家族も祖国も全部捨てた」「あなたを引き取ってしまったから、私は不幸になってしまった」ということもあった。本心でないのはわかっている。落ち着くと、すぐに抱きしめて、「ごめん。お母さんを許して」と謝ってくれる。それも一つの愛の形というサヘルさんは、「母は、私がいなくなったら、たぶん死ぬ」「私は、母のために生きている」という。
・「私の人生は母のために捧げる」サヘル・ローズを養女にするため、母は子どもを産めない体になる手術を選んだ
・「絶対に結婚してほしくない」過酷な運命を共に乗り越えてきた育ての母がサヘル・ローズにそう言う本当の理由
【サヘル】沙織さんの語りを読んでいると、沙織さんから直接お話を聞いているように引き込まれました。彼女が受けた傷、心の悲しみ、幼いころは「里子村」という場所で育って、彼女が幼少期に体験したことというのは、どこか自分と母との関係とすごくクロスしてしまってたので、他人事ではなかった。すごくわかる、わかる、わかる……一方で、娘の夢ちゃんの気持ちがまさに、自分自身なんですよ。
【黒川】夢ちゃんなんですね、サヘルさんがより共鳴したのは。
【サヘル】そうなんです。夢ちゃんが母を見ている目。「でも、私はママとは一緒じゃないよ」っていう……拒絶はしているつもりはないし、愛してもいるんだけど、母からいろいろなことを言われる。自分の母であることは間違いない。でも、どこかに違和感がある。私自身も、結局母という存在がよくわからない状態になっていたので、私は夢ちゃんの気持ちもよくわかるんです。
■「あんたは、ママをいじめるために生まれてきた悪魔なの!」
【黒川】夢ちゃんは、とても育てにくい子どもで、3歳まで、夜中はほとんど1時間おきに起きて、サイレンのように絶叫して泣いていた。沙織さんは、夜は1時間ごとに起こされるという状態が3年間続きます。やっと、少し寝てくれるようになったかと思った頃に、夢ちゃんの目の障碍(がい)が発覚します。遺伝的なもので、「このままでいくと失明する」と言われる。その後、生まれた弟の海(かい)君も、ほぼ全盲で生まれてきます。夢ちゃんは、幼稚園にも行きたがらず、泣いて、泣いて、家にずっといました。本当に育てにくい子どもだったこともあって、沙織さんの虐待が始まります。殴る蹴るの暴力と、言葉の暴力です。
【サヘル】虐待の連鎖ですね。沙織さんもそうだったと思うけど、本当しんどいとき、周りに誰も理解者がいなかったときって、感情をぶつける先が目の前にいる子どもに向ける言葉になって出てしまうことがあるんですよね。
【黒川】沙織さんの努力もあって、夢ちゃんへの直接の暴力は小学校に入るころにはなくなるんですが、その後もただ、母の沙織さんからはずっと、「夢ちゃんは、本当にめんどくさかった。なんで、生まれてきたのと思った」「あんたは、ママをいじめるために生まれてきた悪魔なの!」と、何度も何度も言われます。「それが、たまらないんです」と、彼女は私に語ってくれました。
【サヘル】私の場合は、母が「あなたを引き取ったから私の人生は変わってしまった、不幸になった」と、何度か言われたことがあります。母が本気でそうは思っていないことは、わかっているんです。夢ちゃんも、私と同じなのではないでしょうか。お母さんから言われた言葉は、本気じゃないことはわかっていると思います。でも、そんなつもりがなかったとしても、子どもにとって、その言葉って永遠に残るんです。
【黒川】フローラさんとサヘルさんもそういう親子関係を生きてきたわけですよね。
【サヘル】だから、この本を読んだとき、本当に、ありがとうと思いました。たぶん、家庭の中でもいろんな事情があって、こういう風に感じている人、母と子で葛藤している人はたくさんいると思うんです。私はこのカバーの挿絵を見たときには、海の中に母と娘が背中合わせに立っているように見えました。海って、子宮みたいな存在でもありますよね。それに、海の中では、どんなに叫んでも、相手にも自分の声が聞こえないんですよね。お互いが子宮の中で叫んでいるけど、お互いの声が聞けていない。そういう2人の状況が描かれているように思いました。
【黒川】言われてみると、海の中のように見えますね。サヘルさんのその感性がすごい。私は全然気がつきませんでした。お互いに見つめ合いたいのに交わらない母と娘の瞳というものを描きたかったので、サヘルさんのご指摘は、まさに、それを言い当ててくださっています。
■幼児期に虐待を受けていたことを覚えていない
【サヘル】夢ちゃんが、生まれてから3歳ころになるまでずっと泣き止まなかったというのは、私はSOSを伝える彼女のモールス信号だったと思うんですよ。言葉にならない感情を抱えていたから、泣き叫び続けるというのは、必死の声を上げていたんだと思うんです。
【黒川】そうですね。その夢ちゃんは、小学校に入る前のことをまったく覚えてないんです。それまで虐待を受けていたことをね。
【サヘル】たぶん、インナーチャイルドはまだこれから出てくると思います。私、夢ちゃんといつか会いたいなと思ったんです。今もすごく心の奥に蓋をしていて、氷づけにしちゃったことが彼女にはたくさんあると思うから。私自身もそうだったから、わかる気がするんです。それがあるときどんどん氷が解けてきたり、何かのきっかけで扉が開く瞬間があるはずです。実は心が見たり聴いたりしたくなかっただけで、心の奥では全部覚えている。自分の心の中の子どもが100%覚えているんです。
【黒川】サヘルさんにも、インナーチャイルドがいるんですか。
【サヘル】います。で、その子がたぶん、刃がすごく強い。まさに、この本にしばしば出てくる、多重人格とはちょっと違う、私の心の奥の小さな子どもが、時々出てきます。しかも、とても強く「憎しみ」を持っている。怒りもあります。狂気も持っています。それを抑えようとしている。それが抑えられるんですよ。表現の仕事をしているとき、テレビやラジオに出演して話をしているとき、演技をしているとき、何かに感情を持っていることをしているときは、狂気を抑えることができるんです。
【黒川】サヘルさんにとっては、「表現」を仕事にすることが救いになっているんですね。
【サヘル】ある意味では、夢ちゃんは私よりもっと、自分の中にあるものを出せている。いろんな感情を。出せていなくて氷づけにしているものもたくさんあるのだと思うけれど、たぶん、タイプが違う出し方をしているんだなと思います。
【黒川】そうですね。夢ちゃんもまた、とてもすごい表現力を持った女の子です。私のインタビューに対しても、いろいろたとえ話にして、おちゃらけて出していますよね。そこで感情をコントロールしているのかもしれない。
【サヘル】そうそう。だからすごいなと思ってね。
【黒川】彼氏も作っているし。
【サヘル】やんちゃですよね。でも、それも愛情を探してるんだなあと思った。私はなぜか、そこに行かなかった。私がそこに行かなかったのが不思議ですよ。
■「子どもを産んだとしても、子どもを愛する自信がない」
【黒川】驚きなのは、サヘルさんが「(結婚して)家族を持つことは考えられない」とおっしゃっていることです。
【サヘル】今の私にはまだできない。やっぱり怖い。子どもを産んだとしたら、その子どもを愛する自信がない。まだ子どもの、インナーチャイルドの自分が、ずっと幼少期の施設で残っている自分がまだここにいるので。
【黒川】いつ出てくるかわからない、刃の強いインナーチャイルドがまだ残っている。
【サヘル】そう、私が映画『花束』を作ったときに、こんなに育つ環境も、性別もみんな違うのに、みんな顔も知らなかったはずなのに、夢ちゃんもそうなんだけど、彼らの口から出る言葉が、なんでこんなにわかっちゃうんだろうって。結局、環境は違っても、同じことが繰り返されているんだなって思ったんです。
【黒川】本当にそうですね。親に暴力を受けたり、命の危険を感じてギリギリで逃げている子どもがなんと多いことか。その子たちの思いは、たしかに似ているところがありますね。『花束』の中でも、お母さんが包丁を持って、横に立っていたことが何度もあるという子がいましたね。
【サヘル】舞結花(まゆか)ちゃんですね。昔、本当に苦しかったときって、私の母も、包丁をやっぱり持ち出すんです。今はもう、そういうことはないですけれど。私の母の場合は、包丁を持って、なんと、私じゃなくて自分を傷つけようとするわけですよ。でも、やっぱりそれも辛くて。その光景を見て、「だったら私が代わりに死ぬ」って言ったこともあります。こっちも必死になるわけです。何度も何度もそういうことがありました。
【黒川】夢ちゃんもそうです。お母さんに対して、自分が殺すまではいかないけれど、「殺しちゃう前に死んでくれ」と思ったことはある、と言っていますよね。
【サヘル】そんなことをしなくて本当によかったけれど、私も、なんだろう、なんでこんなつらい生活を続けなければいけないんだろうって。自分を殺すか、もうこの人を殺すかって。「わー!」っていう感情が噴き出すことがありました。感情のブレーキが外れると、お母さんもすごいんです。なんでもかんでも、攻撃的なことを言ってくる。私に関係ないことも、親から受けてきた過去の出来事も、全部私になすりつけてくる。
■大人も孤独なんだと気づいてほしい
【黒川】それは、10代のころですか?
【サヘル】そうですね。10代後半。でも、本当は誰よりもかわいそうなのは母なんです。母がどれほど苦しんでいたか。母が苦しんでいるのを見て、娘っていうものが――娘だけじゃない、息子かもしれない――どれほど苦しむものか。それは、驚くほどみんな同じ。だから、お互いにすごくよくわかる。
この対談を読んでいる人たちに、母親が苦しんでいる姿を見ている子どもが、どんな思いで成長しているかに気づいてほしい。私の場合、私の母が、社会の中でどれほど孤独になってしまったのか。大人も孤独なんだってことに気づいてほしい。
【黒川】本の中の夢ちゃんは、ママと呼びたくなくって、「さおちゃん」と呼ぶことにしたんです。それは、友達の1人のような感覚でいられるから、というのです。それから、「切り分ける」という手法をあみ出したと言っています。「切り分ける」というのは、母親と完全に関係を断絶しないで、距離をおく、ということなんでしょう。
【サヘル】その気持ちがよくわかります。私も自分の母を呼ぶときに、今も「お母さん」というときもあれば、「フローラ」って、名前で呼ぶときもけっこう多くて。なんでなんだろうなって考えるときがあります。そうやって、少し距離をおくんでしょうね。
母というもの、娘というもの、家族というものってなんなんだろうって。最終的にそこだと思います。たぶん私たち全員、これから先もずっと悶えながら、答えのないものを探して生きていくんだろうなと思っています。
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黒川 祥子(くろかわ・しょうこ)
ノンフィクション作家
福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)、『母と娘。それでも生きることにした』(集英社インターナショナル)などがある。
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サヘル・ローズ(サヘル・ローズ)
俳優・タレント
イラン出身。幼少時代を孤児院で生活し、8歳のときに養母と日本へ移住。通っていた小学校の校長先生から日本語を学ぶ。高校在学中に「J-WAVE」でラジオDJとしてデビュー。現在、リポーターや俳優として多方面で活躍中。慈善活動にも注力しており、過去、そうそうたる面々が受賞している、米国の「人権活動家賞」を2020年に受賞。著書に『言葉の花束 困難を乗り切るための“自分育て”』(講談社)、『これから大人になるアナタに伝えたい10のこと』(童心社)など。2024年製作の映画『花束』では監督を務める。
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(ノンフィクション作家 黒川 祥子、俳優・タレント サヘル・ローズ)