「美しさ」とは何か。芸術家の岡本太郎さんは自著『自分の中に毒を持て〈新装版〉』(青春文庫)のなかで「美とは場合によって、醜いことさえある。
無意味だったり、恐ろしい、またゾッとするようなセンセーションであったりする」という――。
■「いやな感じ!」と立ち去った女性
先年、東京のデパートで大規模な個展をひらいた。ある日、会場に行くと、番をしていた人が面白そうに、ぼくに近づいて来た。にやにや笑いながら報告するのだ。混みあった場内でもちょっと目に立つ女性が、二時間あまりもじいっと絵の前に立っていた。そのうちにポツンと、「いやな感じ!」そう言って立ち去った、という。
報告しながら、相手はぼくの反応をいたずらっぽくうかがっている。さすがの岡本太郎もギャフンとするだろう、と期待したらしい。ところがぼくは逆にすっかり嬉しくなってしまったのである。
それで良いのだ。絵を見せた甲斐があるというものだ。その人こそ素晴らしい鑑賞者だ。

ただ不愉快なものならば、そんなに凝視しているはずがない。ちらりと見て、顔をそむけて行ってしまう。いや、見もしないだろう。それだけ見つめたあげく、この発言。
「あら、いいわね」

「しゃれてるじゃない」

「まことに結構なお作品」
なんて言われたら、がっかりだ。
■「美しい」と「きれい」はまったく違う
こちらは自分の生きているアカシをつき出している。人間の、ほんとうに燃えている生命が、物として、対象になって目の前にあらわれてくれば、それは決して単にほほ笑ましいものではない。心地よく、いい感じであるはずはない。
むしろ、いやな感じ。いやったらしく、ぐんと迫ってくるものなのだ。そうでなくてはならないとぼくは思っている。
ぼくは『今日の芸術』という著書の中で、芸術の三原則として、次の三つの条件をあげた。

芸術はきれいであってはいけない。うまくあってはいけない。心地よくあってはいけない。それが根本原則だ、と。
はじめて聞いた人は、なんだ、まるで反対ではないか、と呆れるかもしれない。
しかし、まことに正しいのだ。すでに書いたことだから、ここでは繰り返さないが。
ただ一言、「美しい」ということと「きれい」というのはまったく違うものであることだけをお話ししておきたい。
■美とは絶対的なものである
とかく、美しいというのは、おていさいのいい、気持ちのいい、俗にいうシャレてるとかカッコヨイ、そういうものだと思っている人が多い。ちょうど「衣食足りて礼節を知る」という場合の礼節のように。
しかし美しいというのはもっと無条件で、絶対的なものである。見て楽しいとか、ていさいがいいというようなことはむしろ全然無視して、ひたすら生命がひらき高揚したときに、美しいという感動がおこるのだ。
それはだから場合によっては、一見ほとんど醜い相を呈することさえある。無意味だったり、恐ろしい、またゾッとするようなセンセーションであったりする。しかしそれでも美しいのである。
「醜悪美」という言葉も立派に存在する。僕はかつて縄文土器や殷周の銅器などについて、「いやったらしい美しさ」ということをさかんに言ったが、その意味である。
ところが、「醜いきれいさ」なんてものはない。美の絶対感に対して、「きれい」はあくまで相対的な価値である。つまり型にはまり、時代の基準に合っていなければならない。
■人間全体の充実した生命感こそ美しい
「あそこの奥さんはきれいな人だ」というのは、その時代の「美人型」にはまっているからだ。有名な女優さんに目つき、口もと、鼻のかっこうが似ていると自動的に美人と言われる。
その「型」は時代時代によって変わるのだ。
太ったのが美人である時代もあれば、やせていなければ美人と言われない時代もある。
たとえば天平時代の代表的美人の絵「鳥毛立女屏風」とか「吉祥天女像」などのような女性が現代にあらわれたら、感じはいい人なのに、あんなお多福で、まことにお気の毒と同情されてしまうだろう。歌麿や豊国の浮世絵に出てくる美人だって、今日あんな顔で出てきたら、相当グロテスクだ。逆にバルドーやヘップバーンなどが江戸時代や明治頃に生まれていたら、とうていこれほどもてはやされなかったに違いない。
だから、「美人」というより、ほんとうは「きれい人(じん)」というべきなのだ。ぼくに言わせれば、ほんとうの美人というのはその人の人間像全体がそのままの姿において充実し、確乎(かっこ)とした生命感をあらわしている姿だと思う。皺(しわ)クチャのお婆さんだって、美しくありうる。鼻がペチャンコだろうが、ヤブニラミだろうが、その人の精神力、生活への姿勢が、造作などの悪条件も克服し、逆にそれを美に高める。
■「いいわね」は「どうでもいいわね」と同じ
美人というのは本質的には女性の数だけあるとぼくは思っている。もちろん男性においてもだ。
まして、芸術の場合、「きれい」と「美」とは厳格に区別しなければならない。
「あら、きれいねえ」と言われるような絵は、相対的価値しか持っていない。その時代の承認ずみの型、味わい、つまり流行にあてはまって、抵抗がない。
人間みんなが持っている存在の奥底の矛盾、どんな俗人の中にもひそんでいる、いやったらしいほどの切実な、その実感にはふれられない。
またそれ故に、新しく打ちひらいていかなければならない、これからの時代の美を先取りする精神力もないのだ。だからたとえ感覚的・官能的にはちょっと気持ちよくても、単なる趣味、ムードであるにすぎず、魂をすくい上げる感動にはならない。
だから、見て、通りすぎたとたんに忘れてしまう。「いいわね」というのは、つまり「どうでもいいわね」というのと同じことだ。
■戦慄的にたちあらわれる美とは
ほんとうに生きようとする人間にとって、人生はまことに苦悩にみちている。
矛盾に体当たりし、瞬間瞬間に傷つき、総身に血をふき出しながら、雄々しく生きる。生命のチャンピオン、そしてイケニエ。それが真の芸術家だ。
その姿はほとんど直視にたえない。
この悲劇的な、いやったらしいまでの生命感を、感じとらない人は幸か不幸か……。
感じうるセンシーブルな人にとって、芸術はまさに血みどろなのだ。

最も人間的な表情を、激しく、深く、豊かにうち出す。その激しさが美しいのである。高貴なのだ。美は人間の生き方の最も緊張した瞬間に、戦慄的にたちあらわれる。
もちろんそれは、たとえば芸術なら画面の色・形をとおして汲みとるほかないのだが、しかし表現された結果、作品はあくまでも、生命の深淵(しんえん)への手がかりにすぎない。その内容の方をつかもうとしないで、うわべの効果や美学、ムードだけにまどわされていては意味がない。
精神力を持って凝視すれば、そういう上っ皮をのり越えて迫ってくる、人間的本質がわかるはずだ。それは表現以前・以後の問題なのである。
■美の創り手と受け手は同じ運命にある
美を創造するものと、それを受けとめるもの、芸術を中心とする人間関係だが、極言すれば、ぼくは、つまり相互は同じ運命にあると思う。
ただ最初、一人が走りはじめる。人間の運命の矛盾の重圧を背負い込んだまま、そして生きる。それにふれ、感動する者は、その重いバトンを全身で受けとめ、受けついで、リレーするのだ。そして、さらに遠く走って行かなければならない。今度は彼の責任において。だから受けとめる側も、大変つらいのである。
ぼくは多くの人の鑑賞の仕方が不純に思えてならない。
たとえば、作品の前に立って、それを直接見とどける前に、まず、これはいったい誰の作かということを気にする。有名な巨匠の作品、ゴッホでもピカソでもいい、そんな偉い人のだとわかると、とたんに、「なるほど、やっぱりいいですね。さすがは」などと、口先で感嘆してしまう。まだよく見てもいないのに。感心しないと、芸術がわからないと馬鹿にされるのではないかと心配するのだ。まったく軽薄である。
■絶望の果てに新しい自分が出現する
それらの作品を自分の生きる責任において、じっと見つめてごらんなさい。直接自分の実力、精神力で、内に秘めたものをバトン・タッチすれば、決してただ結構だったり、楽しく、気持ちのよいものではないはずだ。
優れた芸術であればあるほど、おていさい、きれいごとの職人芸ではないのだ。「あら、いいわねえ」なんてのは、ほんとうに見つめていない証拠だ。
「いやな感じ」にはもう一つ理由がある。芸術にふれるとき、相手の高みにまで踏み込んで行かなければならないからだ。日常の小賢(こざか)しい自分のままで、ぬくぬくと坐ったまま、つかめるはずがない。
感動するということは背のびを強要されることだ。
だが対するものが素晴らしければ、せいいっぱい背のびしても間にあわない。その距離は絶望的だ。身体をズタズタに切って伸ばしたって届かない……。しかし、そのアガキの中にこそ、今まで自分の知らなかった新しい自分が出現してくるのだ。
美しい感動。だが不気味だ。

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岡本 太郎(おかもと・たろう)

芸術家

1911年生まれ。29年に渡仏し、30年代のパリで抽象芸術やシュルレアリスム運動に参画。パリ大学でマルセル・モースに民族学を学び、ジョルジュ・バタイユらと活動をともにした。40年帰国。戦後日本で前衛芸術運動を展開し、問題作を次々と社会に送り出す。51年に縄文土器と遭遇し、翌年「縄文土器論」を発表。70年大阪万博で『太陽の塔』を制作し、国民的存在になる。96年没。いまも若い世代に大きな影響を与え続けている。


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(芸術家 岡本 太郎)
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