感動するサービスは、どのようにして生まれるのか。京王電鉄・井の頭線車掌の金親幹彦さん(57)は、行先や停車駅などを伝える車内放送に、ちょっとした工夫を行っている。
■「進行方向左手側、桜が見ごろを迎えております」
京王井の頭線。渋谷駅~吉祥寺駅までを結ぶ全長12.7キロの路線の車内アナウンスが、SNSでたびたび話題になっている。車掌の粋な一言が加わった独自のアナウンスが「心が和んだ」「沿線に住みたくなった」と好評なのだ。
沿線に住む会社員の男性(40)も、そんないわば“神アナウンス”を耳にした一人だ。今年4月上旬、いつものように職場へと向かう渋谷行の列車に揺られていると、ふと車掌のアナウンスが聞こえてきたという。
「進行方向左手側、神田川沿いの桜が見ごろを迎えております。まだお花見がお済みでない方はぜひご覧ください」
車窓に目をやると、満開の桜が飛び込んできた。見慣れたはずの通勤風景が、いつもより色鮮やかに映る。
「他の乗客も外の桜を見ていて、車両全体でお花見しているような気分でした。
かつては「ドア、閉まります」「次は○○駅」といった車掌のアナウンスをよく耳にしたものだが、昨今はドアチャイムや自動音声の普及により、車掌の声を耳にする機会がぐっと減った。
加えて、JRや私鉄各線は、ホームドアなどの施設面が整ったことや人手不足などから徐々にワンマン化へ移行する方針を示しており、今後さらに車掌の声を聞く機会は減る可能性もある。そんななかで、人情味あふれる井の頭線のアナウンスは、より一層特別感を増しているのだ。
■「称賛の声をいただく数が多い」
“神アナウンス”の声の主は、いったいどんな人なのか。
話を伺うべく向かったのは、京王井の頭線富士見ヶ丘駅。閑静な住宅街を抜けると、車掌や運転士などが待機する「富士見ヶ丘乗務区」があった。
「遠くまでご足労いただき、ありがとうございます」
そう言いながら登場したのは、優しい目じりが印象的な車掌の金親(かねおや)幹彦さん(57)。19歳で京王電鉄に入社し、乗務員歴32年のベテランだ。同乗務区には、現在約60人の車掌が在籍しており、先の男性が聞いたような神アナウンスをする車掌は他に3人いるという。
そのなかでも金親さんが最も乗客からの評判がよく「称賛の声をいただく数が多い」(森田夢人富士見ヶ丘乗務区副乗務区長)だそう。
なぜ金親さんは、アナウンスに力をいれるようになったのか。
■「お疲れ様でした」に込めたメッセージ
神アナウンスのきっかけはコロナ禍だった。
京王電鉄の資料によると、2020年度の京王線の輸送人員は前年度比で約33.5%減少。通勤・通学客はテレワークやオンライン授業への切り替わりで減少し、シニア層も外出を控えるように。いつも賑やかな渋谷駅や吉祥寺駅でさえ、活気を失っていた。
なにより金親さんが気がかりだったのは、乗客の表情だった。
「ご自身のパーソナルスペースを守ることで精いっぱいといった様子で、お客さまの表情が本当に暗かったんです。窓の外を見る余裕もなく、手元のスマホに没頭しているような感じでした」(金親さん)
少しでも明るさを取り戻してもらうために、車掌として自分にできることは何なのか――。考え抜いた結果、思いついたのはアナウンスを工夫することだった。
駅の到着時に「いってらっしゃいませ」「今日もお疲れさまでした」と言ったあいさつを積極的に添えるようにした。なかでも、特に「お疲れさまでした」という言葉には強い思いがあるという。
金親さんは言う。
「井の頭線は駅間が短く、意外とメッセージを言う尺が取れないんです。
普段生活していると頑張っても、報われなかったり、成果が出なかったりすることってありますよね。『お疲れさまでした』という言葉は、それでもその人の行動すべてを肯定する言葉だと思うんです。今日を乗り越えて本当にご苦労さまでした、という思いを込めています」
■朝と夕方で声質を変える
声のトーンにも気を配る。
朝の渋谷駅に向かう人には、語尾を上げて「いってらっしゃいませ!」と元気よく、夕方の吉祥寺駅は「お疲れさまでした」と落ち着いたトーンでアナウンスする。Xにも「疲れて帰ってきて、井の頭線の『お疲れさまでした』のアナウンスを聞くと癒される」と言った反響もあり好評だ。
季節に応じた一言を添えることもある。
沿線では、井の頭線は東京大学駒場キャンパスをはじめ、教育機関が集まる文教地区でもある。沿線で入試がある日は、駅到着前にアナウンスで「受験勉強お疲れさまでした。頑張ってください」などと受験生にエールを送る。
また、沿線では、4月上旬に神田川沿いや井の頭公園の桜が、6月中旬には浜田山駅から西永福駅の線路沿いなどでアジサイが見頃を迎える。「少しでも和んでもらいたい」とアナウンスで知らせている。
ただ桜やアジサイの見ごろを案内するだけなら、自動音声でもできる。金親さんのアナウンスが人の心を打つのは、そこに細やかな心遣いがあるからだ。
■駆け込み乗車をする乗客に“まさかの言葉”
真夏の暑い日、ドアを開け放して停車した時は「暑い中、お待たせいたしました」と一声添える。また、急いで列車に乗ろうと走ってくる乗客には「焦らなくて大丈夫ですよ」と優しく声をかけることも。
当の本人は「自分では全然特別なことをしているつもりはないんですけどね。一生懸命に走ってくる人を見ると、つい言ってしまうんです」と控えめだが、日々定時運行のプレッシャーと戦う車掌として、なかなか言える言葉ではない。
余談だが、筆者は電車の中で「駆け込み乗車は周りのお客様のご迷惑になりますので、絶対におやめください!」などと強い口調のアナウンスを聞くと、自分が注意されたわけでもないのにいたたまれない気持ちになってしまうことがある。
もちろん、駆け込み乗車は危険で、許されることではない。乗客の安全を担う列車長である車掌として、時に厳しい態度も必要だ。しかし、アナウンスを通じて伝わってくる車掌の隠しきれない感情が、乗客に伝播してしまうこともあるように思う。優しいアナウンスは、車内トラブルを抑制するという意味でも有効なのかもしれない。
■車内トラブルを減らす効果も
その点について金親さんに聞いてみると、「今にして思えば、という感じですが……」と前置きしながら、思いを語ってくれた。
「人が他者に対して厳しい態度をとってしまうのは、自分の中で余裕がない時だと思うんです。そういったときに、こちらの声掛けで気持ちに余裕を持っていただき、周りのお客様に対しても優しい気持ちで接していただけば車内のトラブルも減るのかな、と。
あとは、自動音声が普及したことで、かえって耳慣れない車掌の声に、より聞く耳を持ってもらえるという効果もあるように思います」
そんな金親さんの温かみのあるアナウンスに「元気をもらった」「温かい気持ちになった」と、HPやお客様センターなどを通じて多くの称賛の声がよせられている。
時には、運転士による放送だと思い込み、乗客が運転士に「アナウンス、素敵でした」と声をかけることもあるそう。当の運転士は「自分じゃないんだけどな」と気まずい思いをしてしまうのだとか。
■「勇者ヒンメルなら当然することですよ」
金親さんは「言葉って、力を持っていると思うんです」と言う。
「悪く使えば刃となり、時に命を奪ってしまうことさえありますが、反対に元気づける力もある。情報を伝えるだけなら、AIや自動音声でも十分事足ります。ただ、行間や言葉の裏にある思いを伝えるには、人間の言葉でないと難しいのかな、と。日本に古くから残る古典文学のように、人間が紡ぎ出す言葉は、時間超えて残るくらい印象深いものだと思うんです」
日常生活の中でも、“いい言葉”に常にアンテナを張り、使えそうな言葉はメモを取る。同僚の車掌アナウンスでも、心惹かれたものはマネをして取り入れることも。
また、ジャンルを問わず本もたくさん読むといい、最近何を読んだのか伺うと、デンマークの哲学者キェルケゴールの『死に至る病』や、ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの『自省録』など硬派なタイトルをすらりと挙げる。
映画やアニメもよく見るといい、最近のお気に入りは『葬送のフリーレン』。同作中、旅の途中で困っている人におせっかいを焼き続けた勇者になぞらえて、「私のしていることは、勇者ヒンメルなら当然することですよ」とニヤリとする。
■あえてアナウンスは後輩に継承しない
こだわるのは日本語だけではない。実は、金親さん、英語も堪能だ。
「子供が英会話を辞めることになり、ポイントが余っていたので、それじゃあと“駅前留学”したんです。当時はラグビーワールドカップや東京オリンピックパラリンピックも控えていましたので、どこかで英語を使うこともあるかもしれない、と。ただ、ポイントを無駄にしたくないだけの貧乏根性ですけどね(笑)」
実際、ある夏の日に、英語で熱中症啓発のアナウンスをしたところ「そんな風に言ってもらえたのは初めて」と外国人乗客から感謝の声が寄せられたこともあるという。
これまで車掌として弟子を育てることもあったというが、これまで紹介してきた金親さんならではのアナウンスを教えるつもりはない、ときっぱりという。
「まず車掌は安全確認など一連の基本動作がきっちりできているということが最も大切なんです。私のやっていることはあくまで個人プレーな面もありますから、あえて余計な情報は入れないようにしています」
現在56歳。車掌としてのキャリアの終着地点を、どう描いているのか。
「井の頭線がワンマンカーに移行する最後の日まで、車掌としてやっていけたらな、という願望はあります。最後の瞬間に立ち会えたらいいなと思っています」
最後に「車掌の仕事の魅力は?」と聞くと、「ガラス越し、マイク越しではありますが、お客さまと対話ができる。そこに尽きるんじゃないでしょうか」と語ってくれた金親さん。
人手不足が深刻化するなか、省力化が進み、人の手から機械に仕事が移行していくのは当然の流れだろう。しかし、何を省き、何を残すべきなのか。金親さんのように、人を観察してその気持ちに寄り添い、言葉をかけるという人ならではの力は、より大切さを増していくのではないだろうか。
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市岡 ひかり(いちおか ひかり)
フリーライター
時事通信社記者、宣伝会議「広報会議」編集部(編集兼ライター)、朝日新聞出版AERA編集部を経てフリーに。
AERA、CHANTOWEB、文春オンライン、東洋経済オンラインなどで執筆。2児の母。
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(フリーライター 市岡 ひかり)
それが神アナウンスと評判だ。どんな放送をしているのか、そこにはどんな思いがあるのか。ライターの市岡ひかりさんが聞いた――。
■「進行方向左手側、桜が見ごろを迎えております」
京王井の頭線。渋谷駅~吉祥寺駅までを結ぶ全長12.7キロの路線の車内アナウンスが、SNSでたびたび話題になっている。車掌の粋な一言が加わった独自のアナウンスが「心が和んだ」「沿線に住みたくなった」と好評なのだ。
沿線に住む会社員の男性(40)も、そんないわば“神アナウンス”を耳にした一人だ。今年4月上旬、いつものように職場へと向かう渋谷行の列車に揺られていると、ふと車掌のアナウンスが聞こえてきたという。
「進行方向左手側、神田川沿いの桜が見ごろを迎えております。まだお花見がお済みでない方はぜひご覧ください」
車窓に目をやると、満開の桜が飛び込んできた。見慣れたはずの通勤風景が、いつもより色鮮やかに映る。
「他の乗客も外の桜を見ていて、車両全体でお花見しているような気分でした。
気持ちが和んだのを覚えています」と男性は言う。
かつては「ドア、閉まります」「次は○○駅」といった車掌のアナウンスをよく耳にしたものだが、昨今はドアチャイムや自動音声の普及により、車掌の声を耳にする機会がぐっと減った。
加えて、JRや私鉄各線は、ホームドアなどの施設面が整ったことや人手不足などから徐々にワンマン化へ移行する方針を示しており、今後さらに車掌の声を聞く機会は減る可能性もある。そんななかで、人情味あふれる井の頭線のアナウンスは、より一層特別感を増しているのだ。
■「称賛の声をいただく数が多い」
“神アナウンス”の声の主は、いったいどんな人なのか。
話を伺うべく向かったのは、京王井の頭線富士見ヶ丘駅。閑静な住宅街を抜けると、車掌や運転士などが待機する「富士見ヶ丘乗務区」があった。
「遠くまでご足労いただき、ありがとうございます」
そう言いながら登場したのは、優しい目じりが印象的な車掌の金親(かねおや)幹彦さん(57)。19歳で京王電鉄に入社し、乗務員歴32年のベテランだ。同乗務区には、現在約60人の車掌が在籍しており、先の男性が聞いたような神アナウンスをする車掌は他に3人いるという。
そのなかでも金親さんが最も乗客からの評判がよく「称賛の声をいただく数が多い」(森田夢人富士見ヶ丘乗務区副乗務区長)だそう。
なぜ金親さんは、アナウンスに力をいれるようになったのか。
■「お疲れ様でした」に込めたメッセージ
神アナウンスのきっかけはコロナ禍だった。
京王電鉄の資料によると、2020年度の京王線の輸送人員は前年度比で約33.5%減少。通勤・通学客はテレワークやオンライン授業への切り替わりで減少し、シニア層も外出を控えるように。いつも賑やかな渋谷駅や吉祥寺駅でさえ、活気を失っていた。
なにより金親さんが気がかりだったのは、乗客の表情だった。
「ご自身のパーソナルスペースを守ることで精いっぱいといった様子で、お客さまの表情が本当に暗かったんです。窓の外を見る余裕もなく、手元のスマホに没頭しているような感じでした」(金親さん)
少しでも明るさを取り戻してもらうために、車掌として自分にできることは何なのか――。考え抜いた結果、思いついたのはアナウンスを工夫することだった。
駅の到着時に「いってらっしゃいませ」「今日もお疲れさまでした」と言ったあいさつを積極的に添えるようにした。なかでも、特に「お疲れさまでした」という言葉には強い思いがあるという。
金親さんは言う。
「井の頭線は駅間が短く、意外とメッセージを言う尺が取れないんです。
なので、短い言葉で端的に思いが伝わり、かつしつこくならない言葉を考えて『お疲れさまでした』にたどり着きました。
普段生活していると頑張っても、報われなかったり、成果が出なかったりすることってありますよね。『お疲れさまでした』という言葉は、それでもその人の行動すべてを肯定する言葉だと思うんです。今日を乗り越えて本当にご苦労さまでした、という思いを込めています」
■朝と夕方で声質を変える
声のトーンにも気を配る。
朝の渋谷駅に向かう人には、語尾を上げて「いってらっしゃいませ!」と元気よく、夕方の吉祥寺駅は「お疲れさまでした」と落ち着いたトーンでアナウンスする。Xにも「疲れて帰ってきて、井の頭線の『お疲れさまでした』のアナウンスを聞くと癒される」と言った反響もあり好評だ。
季節に応じた一言を添えることもある。
沿線では、井の頭線は東京大学駒場キャンパスをはじめ、教育機関が集まる文教地区でもある。沿線で入試がある日は、駅到着前にアナウンスで「受験勉強お疲れさまでした。頑張ってください」などと受験生にエールを送る。
また、沿線では、4月上旬に神田川沿いや井の頭公園の桜が、6月中旬には浜田山駅から西永福駅の線路沿いなどでアジサイが見頃を迎える。「少しでも和んでもらいたい」とアナウンスで知らせている。
ただ桜やアジサイの見ごろを案内するだけなら、自動音声でもできる。金親さんのアナウンスが人の心を打つのは、そこに細やかな心遣いがあるからだ。
■駆け込み乗車をする乗客に“まさかの言葉”
真夏の暑い日、ドアを開け放して停車した時は「暑い中、お待たせいたしました」と一声添える。また、急いで列車に乗ろうと走ってくる乗客には「焦らなくて大丈夫ですよ」と優しく声をかけることも。
当の本人は「自分では全然特別なことをしているつもりはないんですけどね。一生懸命に走ってくる人を見ると、つい言ってしまうんです」と控えめだが、日々定時運行のプレッシャーと戦う車掌として、なかなか言える言葉ではない。
余談だが、筆者は電車の中で「駆け込み乗車は周りのお客様のご迷惑になりますので、絶対におやめください!」などと強い口調のアナウンスを聞くと、自分が注意されたわけでもないのにいたたまれない気持ちになってしまうことがある。
もちろん、駆け込み乗車は危険で、許されることではない。乗客の安全を担う列車長である車掌として、時に厳しい態度も必要だ。しかし、アナウンスを通じて伝わってくる車掌の隠しきれない感情が、乗客に伝播してしまうこともあるように思う。優しいアナウンスは、車内トラブルを抑制するという意味でも有効なのかもしれない。
■車内トラブルを減らす効果も
その点について金親さんに聞いてみると、「今にして思えば、という感じですが……」と前置きしながら、思いを語ってくれた。
「人が他者に対して厳しい態度をとってしまうのは、自分の中で余裕がない時だと思うんです。そういったときに、こちらの声掛けで気持ちに余裕を持っていただき、周りのお客様に対しても優しい気持ちで接していただけば車内のトラブルも減るのかな、と。
あとは、自動音声が普及したことで、かえって耳慣れない車掌の声に、より聞く耳を持ってもらえるという効果もあるように思います」
そんな金親さんの温かみのあるアナウンスに「元気をもらった」「温かい気持ちになった」と、HPやお客様センターなどを通じて多くの称賛の声がよせられている。
時には、運転士による放送だと思い込み、乗客が運転士に「アナウンス、素敵でした」と声をかけることもあるそう。当の運転士は「自分じゃないんだけどな」と気まずい思いをしてしまうのだとか。
■「勇者ヒンメルなら当然することですよ」
金親さんは「言葉って、力を持っていると思うんです」と言う。
「悪く使えば刃となり、時に命を奪ってしまうことさえありますが、反対に元気づける力もある。情報を伝えるだけなら、AIや自動音声でも十分事足ります。ただ、行間や言葉の裏にある思いを伝えるには、人間の言葉でないと難しいのかな、と。日本に古くから残る古典文学のように、人間が紡ぎ出す言葉は、時間超えて残るくらい印象深いものだと思うんです」
日常生活の中でも、“いい言葉”に常にアンテナを張り、使えそうな言葉はメモを取る。同僚の車掌アナウンスでも、心惹かれたものはマネをして取り入れることも。
また、ジャンルを問わず本もたくさん読むといい、最近何を読んだのか伺うと、デンマークの哲学者キェルケゴールの『死に至る病』や、ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの『自省録』など硬派なタイトルをすらりと挙げる。
映画やアニメもよく見るといい、最近のお気に入りは『葬送のフリーレン』。同作中、旅の途中で困っている人におせっかいを焼き続けた勇者になぞらえて、「私のしていることは、勇者ヒンメルなら当然することですよ」とニヤリとする。
■あえてアナウンスは後輩に継承しない
こだわるのは日本語だけではない。実は、金親さん、英語も堪能だ。
「子供が英会話を辞めることになり、ポイントが余っていたので、それじゃあと“駅前留学”したんです。当時はラグビーワールドカップや東京オリンピックパラリンピックも控えていましたので、どこかで英語を使うこともあるかもしれない、と。ただ、ポイントを無駄にしたくないだけの貧乏根性ですけどね(笑)」
実際、ある夏の日に、英語で熱中症啓発のアナウンスをしたところ「そんな風に言ってもらえたのは初めて」と外国人乗客から感謝の声が寄せられたこともあるという。
これまで車掌として弟子を育てることもあったというが、これまで紹介してきた金親さんならではのアナウンスを教えるつもりはない、ときっぱりという。
「まず車掌は安全確認など一連の基本動作がきっちりできているということが最も大切なんです。私のやっていることはあくまで個人プレーな面もありますから、あえて余計な情報は入れないようにしています」
現在56歳。車掌としてのキャリアの終着地点を、どう描いているのか。
「井の頭線がワンマンカーに移行する最後の日まで、車掌としてやっていけたらな、という願望はあります。最後の瞬間に立ち会えたらいいなと思っています」
最後に「車掌の仕事の魅力は?」と聞くと、「ガラス越し、マイク越しではありますが、お客さまと対話ができる。そこに尽きるんじゃないでしょうか」と語ってくれた金親さん。
人手不足が深刻化するなか、省力化が進み、人の手から機械に仕事が移行していくのは当然の流れだろう。しかし、何を省き、何を残すべきなのか。金親さんのように、人を観察してその気持ちに寄り添い、言葉をかけるという人ならではの力は、より大切さを増していくのではないだろうか。
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市岡 ひかり(いちおか ひかり)
フリーライター
時事通信社記者、宣伝会議「広報会議」編集部(編集兼ライター)、朝日新聞出版AERA編集部を経てフリーに。
AERA、CHANTOWEB、文春オンライン、東洋経済オンラインなどで執筆。2児の母。
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(フリーライター 市岡 ひかり)
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