※本稿は、『座右の一行 ビジネスに効く「古典」の名言』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■前例のないチャレンジがもたらすもの
自分はこんなに頑張っているのに、報われないし、周囲は認めてくれない。そんな不満やストレスを感じた経験は誰にでもあるでしょう。
取り組んでいるのが前例のないことやリスクの高いチャレンジであるほど、世間は「そんなことをして意味があるのか」「どうせうまくいかない」と批判的な目で見るものです。
誰からも理解されない状況で、チャレンジを続けるのは簡単なことではありません。それでも諦めずに挑戦した者だけが、より高みへと上り詰め、さらには周囲を巻き込んで世の中を変えていくことができる。
それを寓話的に語ったのが、米国の作家リチャード・バックの小説『かもめのジョナサン』です。1970年に発表された本作は世界的ベストセラーとなり、日本でも五木寛之さんが訳を手掛けて大ヒットしました。
■成功したのに追放された「かもめのジョナサン」
小説の主人公は、ジョナサン・リヴィングストンの名を持つ一羽のカモメです。彼は群れの中で孤高の存在でした。仲間のカモメたちが今日を生き延びるために餌をとることだけを考える中、ジョナサンは飛行術を極めようと練習を重ねます。
海面ギリギリに飛ぶ低空滑空を何百回も繰り返したり、300メートルの高さから急降下してみたりと、誰も試みたことのない速度や角度に挑戦して自分の限界を突破しようとするのです。
「すべてのカモメにとって、重要なのは飛ぶことではなく、食べることだった。だが、この風変りなカモメ、ジョナサン・リヴィングストンにとって重要なのは、食べることよりも飛ぶことそれ自体だったのだ」
カモメ社会においてジョナサンの考え方はあまりにも異質で、実の両親でさえも練習をやめさせようとしますが、彼は飛行術の研究を続けます。空中で安定を失ったり、海面に激突したりと、何度も失敗を繰り返しながら、ついに高度な飛行技術を身につけました。
ところが群れのカモメたちは、食べることより飛ぶことを重視するのは無責任な行いだとして、ジョナサンを一族から追放します。
■チャレンジ精神そのものを伝統にする
それでも彼は限界突破への情熱を失いませんでした。地上から遠く離れた地でチャンと名乗る長老のカモメと出会ったジョナサンは、彼の指導を受けて特訓を重ね、時間と空間を超えて瞬間移動さえ成し遂げる「完全なカモメ」の域に達します。
すると彼の中に、これまでにない感情が芽生えます。それはかつての自分と同じように限界を突破したいと考えるカモメに、自分が学んだことを教えたいとの思いでした。
地上へ戻って若いカモメたちに指導を始めたジョナサンは、生徒であるフレッチャーにこう語りかけます。
「大切なことなのだよ、フレッチャー。われわれが順を追って、辛抱強く、われわれの限界を克服しようと努めることはな」
孤高の存在として挑戦を始めた者が、みずからの経験をもとに次世代の若者を教え導き、「自分の限界を突破することは可能である」という真実を粘り強く伝えていく。
ジョナサンは挑戦を自分一人のもので終わらせず、チャレンジ精神そのものを伝統としてカモメ社会に根付かせることを目指したのでしょう。
■海を渡り山を築き旋風を巻き起こした「野球界のジョナサン」
同様のケースは人間社会でもしばしば見られます。私が思い出すのは、野茂英雄がメジャーリーグに挑戦したときのことです。
当時は世間もマスコミも批判一色で、「日本球界を出ていくなんて恩知らずだ」「メジャーで通用するはずがない」などと凄まじいバッシングを浴びました。それでも野茂は自分の意志を貫いて米国へ渡り、トルネード投法で三振の山を築いて“NOMO旋風”を巻き起こしました。
この成功により、日本からメジャーへ挑戦する選手が続々と現れました。野茂が投手として切り開いた道を、次はイチローが野手として切り開き、今は大谷翔平が二刀流として切り開いています。
孤独な挑戦を強いられた最初の一人が、逆風に立ち向かって自分の限界を突破し、その精神が後進へと受け継がれていく。まさに野茂は「野球界のジョナサン」と呼ぶべき存在です。
■挑戦し続ければ後進がついてくる
もしあなたが「頑張っているのに報われない」と感じているなら、ジョナサンのメンタリティがお手本になります。
孤高の挑戦者は周囲から「プライドが高くて付き合いにくい」と思われやすく、最初のうちはどうしても会社や職場の中で浮いた存在になります。
それでも自分は高みを目指すのだという気概を持って挑戦を続け、今までにない成果や新しい価値を生み出せば、あなたに共感して自分もチャレンジしたいと考える後進が育ちます。
一人きりで頑張っている間は苦しいかもしれませんが、「この挑戦は自分だけで終わらない」と思えば励みになります。ぜひ「我が社のジョナサン」になったつもりで、前へ進み続けてほしいと思います。
■秩序と自由のバランスを考える
また、日本は同調圧力が強い国だとよく言われます。「皆がやっているから」という理由で、自分も同じことをする。
一方で、皆とは違う“ちょっと変わった人”がいると、「とりあえず距離を置こう」と敬遠したり、矯正しようとしたりする。そんな傾向があるように感じます。
ここで改めて考えたいのは、「自由とは何か?」です。
世間一般の価値観とは異なる考え方や行動をする人がいたとして、他人がそれを邪魔することは、相手の自由を侵害することにならないのか。
「自由が大事なのはわかるが、限度というものがある。誰もが好き勝手に振る舞ったら、社会秩序が乱れるじゃないか」という意見もあるでしょう。
■哲学者ミルが語った「自由の本質」
では、どこまでなら個人の自由に干渉することが許されるのか。
ミルは本書の目的を、極めてシンプルな原理を示すことにあると述べています。
「人間が個人としてであれ集団としてであれ、ほかの人間の行動の自由に干渉するのが正当化されるのは、自衛のためである場合に限られる」
つまり、その人の行動がほかの人たちに危害を及ぼす場合に限り、身を守るための反撃や妨害といった力の行使が許されるが、それ以外のケースでは、相手がやりたいことを邪魔してはいけないと言っているわけです。
もし深夜に住宅街でサックスを吹いている人がいたら、周辺の住民は睡眠を妨げられ、健康を害する恐れがあります。よって、他人がその行動をやめさせようとする行為は正当化されます。
一方で、奇抜なファッションで街中を歩いている人がいても、それが公序良俗に反するものでない限り誰にも危害を加えていないので、他人がその格好をやめさせようとするのは不当であると考えられます。
■常識に従うと幸せは減る
ミルが示しているのは、一人一人が個性を発揮することの大切さです。
人間が様々な意見を持ち、様々な生活スタイルを試みて、様々な性格の人間が最大限に自己表現することは、悪ではなく善であるとしています。
さらには、自身の性格ではなく、世間の伝統や慣習に従って行動することをルールにすると、「人間を幸せにする主要な要素が失われる」と指摘しています。
私たちが幸福であるためには、皆が一律に考えて同じように振る舞うのではなく、“ちょっと変わった人”がたくさんいる社会が望ましいのです。
■フェイクニュースに惑わされる人の特徴
常に伝統や慣習に従う人は、人間としての能力も育たないとミルは述べています。
「洞察力、判断力、識別力、学習力、さらには道徳感情をも含む人間の諸能力は、選択を行うことによってのみ鍛えられる」
「皆がやっているから」という理由で周囲に従う人は、自分自身で良いものを探したり、見分けたりする「選択」の作業をしていません。
ミルは人間の知力や精神力も、筋肉と同様、使って初めて鍛えられるとしています。「自分で選択する」というトレーニングを積まないと、これらの能力は決して身につきません。
自分で選んだ結果、失敗することもあるでしょう。しかし、痛い目に遭うからこそ大きな学びがあり、力を伸ばしていけるのです。
■日本の野球界に天才が続出する理由
誰もが個性を発揮し、社会全体が“ちょっと変わった人”に対して寛容になれば、突出した才能も育ちやすくなります。
「天才が現れるためには、天才が育つ土壌を保持しておかなければならない。天才は、自由という雰囲気のなかでしか自由に呼吸できないのだ」
ミルは天才について、「ほかの誰よりもはるかに個性的である」と表現しています。これは私たちも納得がいきますね。野球の世界でも、王貞治の一本足打法やイチローの振り子打法、野茂のトルネード投法など、天才たちのフォームはあまりにも個性的です。
日本の野球界に次々と天才が現れるのは、育つ土壌があるからです。ファンも様々なタイプの選手が出てくることを楽しみ、個性を応援する雰囲気があるからこそ、生まれ持った才能をさらにレベルアップしていけるのです。
個性を潰すのではなく、お互いに伸ばし合っていくことができれば、多様な才能が溢れる社会になります。
皆さんの職場にも、周囲から「あの人、変わってるよね」と思われている人がいるかもしれません。その存在を排除しようとしたり、出る杭として叩いたりするのではなく、むしろその人の変わっている部分をできるだけ引き出すようにしてはいかがでしょうか。
それぞれが個性を発揮し、能力を育てていけば、会社や組織はきっと強くなるはずです。
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齋藤 孝(さいとう・たかし)
明治大学文学部教授
1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、同大大学院教育学研究科博士課程等を経て、現職。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。ベストセラー作家、文化人として多くのメディアに登場。著書に『孤独を生きる』(PHP新書)、『50歳からの孤独入門』(朝日新書)、『孤独のチカラ』(新潮文庫)、『友だちってひつようなの?』(PHP研究所)、『友だちって何だろう?』(誠文堂新光社)、『リア王症候群にならない 脱!不機嫌オヤジ』(徳間書店)等がある。著書発行部数は1000万部を超える。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」総合指導を務める。
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(明治大学文学部教授 齋藤 孝)