2025年6月14日、ローソンは1号店の開業から50周年を迎える。からあげクンやおにぎり、スイーツなどを対象に、価格そのままで内容量を1.5倍に増やす「50%盛りすぎチャレンジ」が話題を呼んでいる。
セブンやファミマも合わせれば全国に約5万7000店あるコンビニ誕生の背景を振り返る――。
■日本のコンビニ誕生から50年
日本におけるコンビニエンスストアの始まりには、諸説存在する。流通業界で一般に「日本初のコンビニ」とされるのは、1974年5月15日に東京都江東区にオープンしたセブン‐イレブン1号店(当時:イトーヨーカ堂グループ)である。「山本茂商店」が加盟店契約を結び、その後、コンビニをはじめ様々な小売・外食・サービス業界でフランチャイズチェーン店というスタイルが定着していく。
セブン‐イレブンの祖業はアメリカ・テキサス州の氷販売店「サウスランド・アイスカンパニー」に端を発し、のちに日用品や食料品も扱うようになって、1946年に営業時間を朝7時から夜11時までとしたことから「セブン‐イレブン」の名称が付けられた。
1975年6月14日には大阪府豊中市にローソン1号店が誕生した。ローソンはもともと米国オハイオ州で1939年に誕生したミルクストアが起源で、「ローソンさんの牛乳屋」として親しまれ、食品・日用品を扱う郊外型小型店舗チェーンへと発展した。日本では、流通大手ダイエーが米ローソンミルク社と提携し、その業態を導入。「近くて便利」な小型店舗として展開可能なモデルに活路を見出した。
■1974年の「大店法」がきっかけに
日本でセブン‐イレブンがスタート当初のテレビCMのキャッチコピーは「開いててよかった」――この印象的なフレーズは、長時間営業の利便性を端的に伝え、日本におけるコンビニ文化の象徴となった。
なぜ、イトーヨーカ堂やダイエーはコンビニを同時期に展開し始めたのか。それはまさに「苦肉の策」。
大型のスーパーが出店できなくなり始めたからだ。1972年には売場面積1000m2以上の大型店は9623店で1962年の1757店から約5倍に増加した。これに危機感を覚えて中小小売業者らが政府・与党にスーパーの出店規制を働きかけ、1974年に「大規模小売店舗法(大店法)」が施行された。目的は、急速に拡大する大規模小売店による商業環境の変化から、既存の中小商店を保護。売場面積が500平方メートルを超える大型小売店を新たに設置または増設する場合に、事前に届け出をし、地元の中小小売商業者や自治体の意見を聴取することを義務づけた。
■「もう雨や風が強い日に配達しなくていいですよ」
それが「商業調整協議会(商調協)」という存在。大手小売業は大型店舗の出店を抑制され、出店が認められるまで何年もかかり、しかも計画した店舗面積は大幅に削減されるのは一般的。ダイエーをはじめスーパー業界は「天下の悪法」と批判したが、国に押しきられた。経営者は拡大の道を断たれたと感じ、そこで小型店舗という新たな形態に活路を見出す必要に迫られた。
大型スーパーや百貨店、ショッピングセンターを視察するために訪れた米国でダウンタウンやガソリンスタンドに併設されていたコンビニに鈴木敏文氏(セブン&アイ・ホールディングス名誉顧問)が着目。中小商店の近代化支援という名目で、地元商業者との関係を良好にするため、フランチャイズチェーンへの加盟を促した。その際の酒販店や米穀店への口説き文句が「もう雨や風が強い日に配達はしないでいいのですよ」だった。

■元は米屋、酒屋、タバコ屋、塩販売店
このように米や酒、たばこ、塩などの販売免許を持つ業種店がスーパーの台頭に危機感を持っていたことも、コンビニの誕生を後押しした。実際、1971年スタートのセイコーマートの母体は酒類卸で、卸先の酒販店の近代化支援としてコンビニへの転換を促した。業種問屋との取引慣行や旧態依然とした営業スタイルからの脱却を図り、POS導入やチェーンシステムの導入が進められていった。
その後、ファミリーマート(1973年に西友ストアーの実験店として誕生、1981年にファミリーマート設立)、ミニストップ(1980年、イオングループが横浜市に1号店)、ポプラ(1983年、広島を中心に展開)などが相次いで参入。各社は地域ニーズに応じた商品やサービスで差別化を図りつつ、全国規模のチェーン展開を進めていった。
おりしも時代はオイルショックで高度経済成長が終わりを告げ、日本経済は成熟期へ。都市部の高密度化、モータリゼーションの浸透に加えて、深夜営業の飲食店や深夜勤務を含むサービス業の増加など、夜型のライフスタイルが広がったことも、24時間営業のコンビニへの需要を後押しした。
近年の調査では、夜間の活動(「夜活」)を行っている人は42.7%にのぼり、読書や散歩、筋トレなどが人気の活動となっています。また、睡眠に関する調査では、平均睡眠時間が6.4時間とされており、特に若年層では夜型の傾向が強いことが示されている、このような夜型のライフスタイルの広がりが、深夜営業や24時間営業を行うコンビニの発展を後押ししました。
■苦肉の策が社会インフラに転換した
大店法が廃止され、2000年には大規模小売店舗立地法(大店立地法)が施行された。これにより、大型店やショッピングセンターの出店は実質的に自由化されたが、大手流通グループはコンビニに見切りをつけることなく、出店を続けた。
その後、阪神・淡路大震災や東日本大震災などの災害を契機に、コンビニは地域に不可欠な存在とみなされるようになり、社会インフラとしての役割が認識されるようになった。

現在、コンビニは単なる物販の場にとどまらず、宅配便の受取、公共料金の支払い、ATM、マイナンバーの証明書発行といったサービスを生活者は手軽に受けられる。
ただ、草創期の「もう配達しないでいいんだよ」という加盟を促す口説き文句は姿を消し、人口減少下であっても、いま、再び「セブンNOW」といった宅配サービスに力を入れる。歴史の皮肉でもあり、時代の変化に対応し、生活者が求めるサービスを増やして成長を続けてきたコンビニの業態特性がにじみ出る。
■コンビニ市場も飽和が見えてきた?
こうした進化は現在も続いている。2025年に開催される大阪・関西万博では、セブン‐イレブン・ジャパン、ファミリーマート、ローソンの大手3社が「未来型コンビニ店舗」を出展し、それぞれが次世代のサービスを提案している。
たとえばセブン‐イレブンは、来場者の購買データや混雑状況をAIで分析し、商品補充や品揃えを自動最適化する仕組みを導入。ファミリーマートは顔認証決済やキャッシュレス端末を強化し、完全な無人決済型店舗に挑戦している。ローソンもまた、ロボットによる商品補充や多言語対応の接客技術を披露し、訪日外国人や高齢者にも配慮したユニバーサルな店舗づくりを目指している。
とはいえ、コンビニ市場全体は近年やや頭打ちの傾向が見られる。店舗数は全国で5万7000店を超え、立地の飽和感も強まりつつある。出店余地の乏しさや人手不足、物流負担の増加といった課題に直面し、店舗の純増数も鈍化している。
■ドラッグストアとの共存など次のモデル模索
この“飽和”とも見える状況は、新たな価値創出の契機ともなっている。
近年のコンビニ各社は、調剤薬局との併設や高齢者見守り機能、冷凍食品の拡充、店内キッチンによるできたて商品の提供、さらには店舗配送の自動化や省人化モデルの導入といった取り組みに乗り出している。ピンチをチャンスに変えようとする、まさに第二の進化の時代が始まっているのである。規制の産物であり、苦肉の策から始まった小型店舗が、半世紀を経て、次の社会モデルを体現する実験場にまで進化したことは、決して偶然ではない。

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白鳥 和生(しろとり・かずお)

流通科学大学商学部経営学科教授

1967年3月長野県生まれ。明治学院大学国際学部を卒業後、1990年に日本経済新聞社に入社。小売り、卸、外食、食品メーカー、流通政策などを長く取材し、『日経MJ』『日本経済新聞』のデスクを歴任。2024年2月まで編集総合編集センター調査グループ調査担当部長を務めた。その一方で、国學院大學経済学部と日本大学大学院総合社会情報研究科の非常勤講師として「マーケティング」「流通ビジネス論特講」の科目を担当。日本大学大学院で企業の社会的責任(CSR)を研究し、2020年に博士(総合社会文化)の学位を取得する。2024年4月に流通科学大学商学部経営学科教授に着任。著書に『改訂版 ようこそ小売業の世界へ』(共編著、商業界)、『即!ビジネスで使える 新聞記者式伝わる文章術』(CCCメディアハウス)、『不況に強いビジネスは北海道の「小売」に学べ』『グミがわかればヒットの法則がわかる』(プレジデント社)などがある。最新刊に『フードサービスの世界を知る』(創成社刊)がある。


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(流通科学大学商学部経営学科教授 白鳥 和生)
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