■会社で大事にされるための最善手
会社社会で大事にされるために必要なことは「みんなと仲良くすること」ではなく「トラブルを起こさないこと」である――そんなポストがXに投稿され、反響を呼んでいた。
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曰く、飲み会も雑談も不要であり、だれかと親しくなることもせず、トラブルを起こさずニコニコ中立無害に徹するのが「勝ち残る」ためのベストな道であると。
こうした意見を持って、実際に会社員としてそうしたふるまいを実践している人は意外と多くいる。おそらく皆さんの職場にも少なくとも一人はいるだろう。心当たりのある人にお尋ねしたいが、そういう人は会社で「大事にされている」だろうか?
結論から言って、会社組織で大事にされるための最善手は「トラブルを起こさないこと」ではないと私は考えている。
■「全方位から嫌われる人」になってしまう
もちろん、むやみやたらと問題を乱発するトラブルメーカーになってしまうのは考えものだが、だからといって自分がいくらトラブルを起こさないように努めていても、トラブルとは時に自分の行いとは関係なく向こうからやってくるものだ。
しかも残念なことに、トラブルの因果関係を見るかぎり明らかに自分のせいで発生したわけではないと自信をもって断言できるにもかかわらず、しかし外形的には「自分の責任としてジャッジされてしまう理不尽なトラブル」はいつかどこかで必ず起こってしまう。
むしろそういう「本来的には自分のせいではないけど『自分の責任』として不可避的に発生するトラブルに対処すること」こそ組織人・企業人の本懐で、たいへんに理不尽だし疲れるものの、社会に出て会社組織に属して働き、食い扶持を得ていくのは往々にしてそういうものだ。
組織社会において徹底して無色透明な中立に徹していると大事にされる――というのは、その人でなければ替えが利かない特別なスキルやポジションを持っている場合はたしかに当てはまる。
凡人がやった場合「だれからも中間的でそれなりの好感度を保った状態になれる」ことはめったになく、むしろ「全方位から嫌われる・疎まれる・信頼されない」ことのほうが多くなってしまう。
■一蓮托生なムードは「気持ち悪い」
なぜこういう「無関心な中立」とでもいうべきスタンスを取る人があまり好印象を持たれず信頼されもしないのかというと、周囲の人とくらべて「組織人」としてのコミットメントの熱量の差が明確にあると見なされるからだ。
会社組織のメンバーであることに対してみんなが一定以上の熱量を持って“没頭”しているときに、無関心かつ中立的なスタンスの人は必ずしも周囲と同じくらいのテンションで熱量を持つことはなく「組織人」として没頭することを拒絶し、どこか“醒めた”雰囲気を保っている。
組織人としてコミットするというのは、いわば自分のなかにある「個人」の割合よりも「群体」としての認知の割合を濃くすることに相当する。悪くいえば「自分」をなくしてしまうことを共起するものだ。
「無関心な中立」の人は、みんながある程度の熱量で組織に自分を染めて「群体」的な集合的意識にシフトしているときにも、ひとりだけその流れに乗らず「個人」の成分をなるべく保とうとする。なぜならそういう「一蓮托生」的なムードやマインドに対してなじめないというか、もっといえば「気持ち悪い」と感じてしまう向きがあるからだ。
■「半身の人」は見抜かれる
“没頭”している人たちの姿を見ると、自分もそこに同調したいとはどうしても思えない。集団で洗脳されているような、茶番に全員が本気で入れ込んでいるのを引いてしまうような、そういう拒否感が先立ってしまう。
気持ちはわからないではないのだが、周囲の人は「中立無害」を表向き保っている風だが実際には組織人としての集団的な行動やコミットをやんわり拒否しようとしていることを、意外と気づいてしまう。群体としてみんなが一定の熱量を高めているときに、無害なフリをしてその営為には距離を取って参加しない、そういう「半身」の個体を直感的に見抜いて冷遇する。
表面的にはニコニコしていて、だれに対しても好悪感情をまったく表に出さず、かなり巧妙に組織のムードに同調的なフリをしながら、しかし心の底では醒めていて「自分」を保ったまま少し引いた場所からこちらを傍観している――そういう人は、不思議なことにすぐにそういう本心がバレてしまう。とくに組織の上に立つ人ほど、そういう半身の状態を保っている人を見抜くスキルが卓越していることが多い。
「無関心な中立」を保とうとする人は、最後まで組織人として忠誠を尽くしてはくれない感じがするし、なにか旗色が悪くなればそそくさと去っていってしまいそうな印象も持たれてしまう。これは替えが利かない特別なスキルの持ち主であるなら別に問題はないかもしれないが、そうでない凡人の場合は、安定した社会人生活を送る上では大きなリスクになりえる。
■最大のリスクはトラブルで助けてもらえなくなること
みんなが本気でコミットしているときに「たかが会社になんでマジになってんの」とか「たまたま同僚になっただけの関係なのにそこまで親しくする義理もないだろ」といった雰囲気を持っている人がいたとして、そういう人を信用するかというと、通常はしない。おそらく好かれもしない。どちらかというとうっすら嫌われ、疎まれる確率のほうが高い。
そして「うっすら嫌われ疎まれる」ことによる最大のリスクは、冒頭で述べた「自分のせいではないけど『自分の責任』として不可避的に発生するトラブル」が起こってしまったときにこそ顕在化してしまう。うっすら嫌われているせいでトラブル解決のために協力してくれる人が現れにくく、結果としてトラブルに見舞われたときに被るダメージが大きくなってしまうのだ。
自分が完璧に仕事をこなしていても、自分の管轄で別のだれかが引き金を引いたトラブルが起き、自分にも責任の一端が帰せられることはよくある。それが社会人というものだ。
無害かつ無関心でいることは、たしかに社内政治や人間関係の厄介ごとに巻き込まれにくいというメリットはあるかもしれない。だがそれだって裏を返せば「どの派閥、どのグループからも信用に値しない」という評価と引き換えに得ているかりそめの安寧だということは念頭に置いておくべきだ。
■社畜にはならなくていいから、戦友になれ
「無関心で無害な中立」は、期待していたほど「中立的」な評価を得られるわけではないからお勧めできない。
その会社は自分ひとりで成立しているわけでもなければ、自分に振り込まれる給与はだれかの働きによって生み出されている部分だって大いにある。自分がだれかに支えられていることへの感謝や敬意を表現する簡単な手段は飲み会や雑談だったりするし、会社や仲間への熱量だったりする。
社畜になれとか、自己を捨てて完全に組織と一体化しろとまでは言わないが、少なくとも組織人として生きていくならコミットメントの熱量は周囲の人と同等以上にしたほうがよいし、組織の論理を醒めた目線で相対化するような態度は控えめにしたほうがよいし、飲み会も雑談も毎回でなくていいので参加しておいたほうがよい。
■組織から大事にされ、仲間にも恵まれる
そのほうが、上辺だけはニコニコしているがその実なにを考えているかわからない(少なくとも自分たちと同じ考え・同じ方向性・同じ熱量・同じ連帯感を持っていないことだけはなんとなく察せられる)人よりもずっと組織から大事にされるし、信頼されるし、人として好かれる。トラブルが起きてもカバーしてくれる仲間に恵まれるし、トラブルを起こしてしまったとしてもその失敗に対する評価もそこまで厳しくはなくなる。それが茶番に見えてくだらないとか、全体主義的で気持ち悪いとどうしても思わずにはいられないという人は、勤め人よりも起業することが向いている。
■ネガティブな態度には必ず「報い」がやってくる
私の経験上「仲良くする必要はない。トラブルを起こさなければそれでいい」という信念を強く内面化している人は、最初からそうだったのではなく、かつては「仲良くするべき」という意見を持っていた人だったのが、なんらかの理由でその考えから変節してしまったケースが多いように思う。
その「なんらかの理由」というのはたとえば、組織と仲間への好意や熱量を発揮していたのに、それに対して自分が期待するほどの「報い」をきちんともらえなかったという過去(失敗経験)だ。そういう残念な経験を持つ人が、「とりあえずトラブルさえ起こさなければ、熱量とか敬意とかは別に要らない」というシニカルで冷ややかな仕事観を持つようになってしまうことは珍しくない。
しかしながら、こうした仕事観を持つようになった人が往々にして見落としているのは、組織に向けた熱量や好意や敬意は期待した報いを必ずしももたらしてくれるとはかぎらない一方で、シニカルな醒めや侮りの態度は必ずその報いがもたらされるということだ。
ポジティブな感情はちゃんとした報酬が来るかはわからないが、ネガティブな態度には必ず報いがやってくる――というのは、これもまた間違いなく社会人のもっとも理不尽なポイントではあるものの、しかしこれこそがもっとも重要なことでもあるのでぜひ知っておくべきだ。
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御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら。
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(文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)