落ち込みから抜けられなかったり、どん底にいると感じる人へ。朝の情報番組『ZIP!』(日本テレビ系)のお天気キャスターを務める小林正寿さんは、大学生時代から8年間、パニック障害に苦しんだ。
弱い自分とどう向き合い、どのように立ち直ったのか。90分間の独占インタビュー――。(第1回/第3回)
■布団を持たず、ハンバーガーが主食の気象予報士
『ZIP!』(日本テレビ系)のお天気キャスターを務める小林正寿さんに取材をしたいと言った時、編集部の反応はそれほど芳しくなかった。お天気キャスターといえば、「ルックスのいい人がただお天気を解説している」というイメージが強いようで、ビジネスにあまり役に立たないという印象を受けたようだ。
以前は私もそう思っていた。気象予報士にも天気にも興味はなく、ただ小林さんが出版した著書『しゃもじがあれば箸はいらない』(KADOKAWA)が面白いと感じた。同書には、家に布団や食器がない、1日1食(それもハンバーガーがメイン)、ショートスリーパーで天気ばかりチェックする……などの風変わりな生活が描かれている。メディアにとって記事にしやすい内容であった。
そして2023年5月、別媒体で小林さんに取材をした。そのページは著名人が多く登場する連載で、これまで60人近くの俳優、タレント、スポーツ選手、医師などを取材してきたのだが、誰もが名前を知るような人の輝く成功エピソードよりも、私は小林さんが語る仕事への思いにじんとしてしまった。
■他の人と何が違うのか?
他の人と何が違うのか。
今この原稿を書きながらも考えているのだが、それは「ブランクがあること」なのかもしれない。
小林さんは自宅の外で誰かと一緒に食事ができない「会食恐怖症」(パニック障害)に陥った時期があった。心の病に限らず、体の病も、また介護、育児などによっても、社会から取り残されたように感じることがある。私自身、23歳の時に出産して同時期に心を病み、20代は家から出られない、暗い時間を過ごした。
同じようにブランクがあっても、またどん底にいると感じても、きっと自分にとってベストなステージに立てる時がくる――苦悩した時期を経て、今活躍する小林さんの姿を通し、読者がそんなふうに自分の未来を信じられる原稿を書きたかった。
今年5月、2年ぶりに小林さんに取材をした。改めてパニック障害の時期を問うと、「大学1年生の18歳から8年間、苦しみました」と小林さん。
「『吐いたらどうしよう』などという思いにとらわれて、具合が悪くなってしまい、外で食事ができないんです。友達とはもちろん、自分一人でも外食ができない。自宅以外の慣れない空間で食事をとることがダメなんです。初めは病気だとは思いませんでしたが、だんだんおかしいと感じ……ずっと後にパニック障害とわかります。大学生の間は、外食ができないことは誰にも言いませんでした。サークルにも入らず、飲み会の機会もなかったので、人とごはんを食べずに生活していくことができたのです。
『自分はずっとこのままかもしれない……』と鬱々としていました」
■一歩ずつ、だが着実に成功体験を増やしていった
ずっとこのままかも――病だけでなく、自分なりに努力しても変わらない結果が出続ける時に、人は落ち込む。
小林さんは、「心の回復において、焦らない、人と比べないというのはすごく大事。自分らしく、自分のペースで進んでいくこと」と話す。
具体的には、小さな成功体験を増やしていったのだという。
まず外に出られたらオッケー。次に、レストランの入り口に掲げてあるメニュー表を見に行けたらオッケー。また違う日、思いきって店内に入り、飲みものをオーダーし、飲んでみる。ひとくち飲めた。オッケー。そしてレストランで自分が好きなものを注文し、食べてみる。残してもひとくち食べられただけでオッケーというように……。
チャレンジしたものの、うまくいかなかったことはなかったのだろうか。

そう聞くと、「ありますあります。たくさんありますよ」と笑う。
「例えば友人とレストランに入ったものの、やっぱり難しいと感じて、『ちょっと用事ができた』と言って急にいなくなるとか。怪しいじゃないですか。このタイミングでどんな用事ができるんだって(笑)。でも、あとから友人にその時のことを尋ねても、『あの日、用事あったんじゃないの?』と意外とみんな気にしていない。自分が気にしすぎて、緊張を高めているとわかったのです。次第に『吐きそう』と感じても、『吐いたって死ぬわけじゃない』『別に途中で帰ってもいいじゃん』などと思うようにしました」
■中学時代のあだ名は“デマ”
大学生時代はずっと会食恐怖症に苦しみながら、4年生の終わりに気象予報士の試験を受けることを決意した。
「最初は教員になることも考えて、教育実習にも行きました。けれどもパニック障害の症状から、“みんなと一緒に給食を食べること”がめちゃくちゃつらかった。それもあって大学を卒業する間際に、ずっと心に残っている気象予報士に挑戦してみよう、と」
なぜ気象予報士の仕事が気になっていたのだろう。
話は中学生時代まで遡る。
ある朝、小林さんが天気予報を見ていると、住んでいる茨城県が雪予報。中学校で野球部に所属していた小林さんは、チームメートが喜ぶと思って「今日は雪らしいよ」と皆に伝えた。天気が悪いと室内での簡単なトレーニングになってラクだからである。ところが雪は降らない。朝の天気予報は外れたのだ。
それなのになぜか皆に小林さんが怒られ、下の名前のマサトシからデマサトシ、通称“デマ”と呼ばれるようになってしまった。その時、天気予報は誰がやっているのだろうと気になり、気象予報士と知ったのが、この仕事を意識するきっかけだったという。
「病気とは関係なく、大学に入学した時点で『人生、終わったな』と思っていたんです。高校時代、勉強や部活をする意味がわからなくなって、進級できるかどうかさえわからない情けない生活を送り、自分が思い描いていたような充実した人生を送れていない、と。当時はここから頑張ろうとは思えなかったんですね。そして大学生時代、自分のこれまでの不甲斐なさを悔い続ける日々を送るうちに病気にもなってしまった。でも気象予報士試験を受けると決めたその時、踏ん切りがついたというか、『人生は一回きり。
全力でやろう!』と思えたんです」
■「大先輩とカレーが食べられない」ついに心療内科へ
小林さんの話を聞きながら、私は35歳の時「取材執筆の仕事をしたい」という気持ちがわきあがったことを思い出した。その後、週刊誌記者に採用されるまで、またフリーで生きていけるようになるまでいくつもの試練があったが、改めて振り返ると「こういう自分になりたい」――そう決意することが最初の一歩だったと思う。
気象予報士試験は1月と8月の年2回。小林さんは大学卒業後の2011年8月、2012年1月の受験では不合格、同年8月の3度目の受験で合格した。その翌年1月からウェザーマップに所属し、気象予報士として活動している。
だが、社会人なってもまだパニック障害の症状に悩んでいたという。
「ウェザーマップ1年目に、社の大先輩である『森田正光さんを囲んでカレーを食べる』という毎週恒例の伝統の会に誘ってもらったんです。でもお店での食事が不安で。せっかく気象予報士になったのに、カレーの会に行きたくないという理由で辞めてしまうのはもったいないと思ったんですよね。それで思いきって心療内科に行く決意をしました。あとから考えれば、気象予報士試験を受けると決意したことと、この時の病院に行くという2つの決断が大きな転機になったと思います」
■まずは「できない自分を受け入れる」ことから
「心療内科に行く」という行動は、「できない自分を受け入れる」ことなのかもしれない。自分の弱さやできないところを認めてはじめて、理想の自分に近づいていける。

病院では不安を抑える薬を処方された。ここでまた小さなステップを積み重ねていく。
「僕の場合は外での食事に緊張し、食事がからむと人からの誘いを断らなければなりませんでした。ですから最初は事前に服薬してから食事に出かけていました。次の段階では服薬せずに外食に挑戦。けれどもいつでも飲めるように薬を持ち歩き、症状が出そうと感じたら飲むようにしていました。そして薬を持参しても外で飲まないことが続いたら、今度は家に置いていくという具合です。ここまでくるのに数年かかりました。でもそれはどれだけ時間がかかっても、人は回復できるという証です」
心の病を治すために必要なことは、「焦らない」「成功体験を増やす」「好きなことを見つける」の3つ。小林さんは24歳で気象予報士の職に就き、仕事に夢中になるうちに「グラデーション的に治っていった」と語る。
■「今後の目標は?」驚きの返事が
「今はストレスがないんですよ。学ぶことも反省も楽しくて、この職業が自分に合っていると感じます。だから僕は今やっている仕事や勉強が嫌いだと感じたり、夢中になれないようなら、やめたほうがいいんじゃないかと思うんですよね。何かひとつのことを長く続けることが美学とされますが、人生は限られているのですから、好きなこと、没頭できることを見つけてやったほうがいい。“見つける”というよりは“出会う”ものだと思うので、まず興味があることへの挑戦が大事なのではないでしょうか」
取材で一番心に響いたことは、「今後の目標」を聞いた時のことだった。小林さんは「明確な目標は決めていません」と言ったのだ。
「遠い未来を見据えていると、目の前のことが疎かになってしまいますから……。今、気象予報士の仕事ができていることが、とてもありがたいことだと思っています」
かつての自分がそうだったように、気象予報士になりたくてもなれない人たちがいる。また気象予報士試験や番組オーディションに合格できない人たち、病気や体が不自由で気象予報士という夢を目指すことができない人たちがいる――「もしその人たちが全力で勝負できる状況だったら、みなさん100%の力を出し切るでしょう。だから僕はその人たちの分までしっかりやらないと」と、きっぱりした口調で話す。
今、この仕事に就けている幸せ。あれほどやりたかった、好きだったこの仕事への熱い思いを、私はいつから忘れてしまったのだろうと自分の胸に問いかけた。(つづく。次回第2回は6月25日7:00に公開予定)

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小林 正寿(こばやし・まさとし)

気象予報士

1988年生まれ。茨城県出身。2012年気象予報士となり、2013年よりウェザーマップに所属。24歳の頃から気象予報士・お天気キャスターとして各局の番組に出演。2019年より『ZIP!』(日本テレビ系)にお天気キャスターとして出演中。著書に『ふしぎなお天気のいろいろ』(リピックブック)、『しゃもじがあれば箸はいらない』(KADOKAWA)がある。いばらき大使、常陸大宮大使、水戸ホーリーホックオフィシャルウェザーサポーター。X(@wm_mkobayashi)では、天気予報をツイートしている。

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笹井 恵里子(ささい・えりこ)

ジャーナリスト

1978年生まれ。本名・梨本恵里子「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、プレジデントオンラインでの人気連載「こんな家に住んでいると人は死にます」に加筆した『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中公新書ラクレ)、『老けない最強食』(文春新書)など。新著に『国民健康保険料が高すぎる! 保険料を下げる10のこと』(中公新書ラクレ)がある。

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(気象予報士 小林 正寿、ジャーナリスト 笹井 恵里子 聞き手・構成=笹井恵里子)
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