※本稿は江部康二『75歳・超人的健康のヒミツ』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
■中年太りした52歳のとき、医師として自分を糖尿病と診断
40歳を超えた頃から体重が徐々に増え、メタボリックシンドロームになった私は、2002年の病院の健康診断(52歳時)で、ついにHbA1c(ヘモグロビンエーワンシー)が6.7%(NGSP)と、糖尿病の域に達したのです。
HbA1cとは、皆さんが健康診断や人間ドックを受けた時に、検査項目に必ず入っている、糖尿病のコントロール状況を評価する指標です。過去1~2カ月の平均血糖値を反映します。
さすがにしばらく落ち込みましたが、
「まあ、仕方がない。事実は事実。俺は糖尿病や、これからは自分の糖尿病も治療しなければならないな」
と受け入れました。
そしてふと、
「これって、かえってラッキーかもしれない」
と気づいたのです。
京都の高雄病院では、すでに1999年から、私の兄・江部洋一郎院長(当時)が、日本で初めて糖尿病治療に糖質制限食を導入していました。
初めの2年間は、「兄貴がまた変なことをやっているわ」というスタンスで、私も3人の管理栄養士も傍観していました。
しかし、2001年からは私も積極的に、糖尿病患者さんに糖質制限食という、まったく新しい食事療法を開始していたので、確かめたいことや試したいことは山ほどありました。
いつも患者さんに頼んで、いろいろな食材を食べてもらっては、食後血糖値を測定するという実験をしていたのですが、今後は、患者さんにいちいち頼まなくても、自分自身を実験材料に、まずは簡単にいろいろな食材で血糖値測定を試せるわけです。
自分自身で実験しながら、多くの糖尿病患者さんにも協力をお願いできる――この日から、いよいよ本格的に、高雄病院の糖質制限食研究が始まりました。
・従来の糖尿病食=カロリー(エネルギー)制限、高糖質食
・高雄病院の「スーパー糖質制限食」=3食とも主食なし。1回の食事の糖質量は20g以下。
【参考記事】歯が全部残り、裸眼で広辞苑が読める…糖尿病発症から23年「75歳で薬なし」の現役医師が食べているもの
■父は糖尿病で右足を切断、母も糖尿病で、自身も糖尿病に
自分自身が糖尿病になってみて、「できれば薬はなしで、食事療法のみで血糖コンロールしたい」という思いが強くなりました。
また父が、糖尿病合併症のオンパレードがもとで永眠したのを目の当たりにしているので、いやでもモチベーションは高まりました。
父は、糖尿病足病変を繰り返し、ついには足指の壊死を合併し、とうとう77歳で、右大腿部から先を切断という事態になってしまいました。
80歳で心筋梗塞と肺炎となり、永眠しました。
母も同じように糖尿病でしたが、糖質制限食が間に合い、合併症もなく91歳で天寿をまっとうしました。
■腹囲85cm以上、内臓脂肪が多く高血圧からの治療開始
私は、2002年6月の糖尿病発症(正確には発覚?)時点で、身長167cmで体重67kg、腹囲86cm、内臓脂肪面積(CT)は126㎠、高血圧……など、メタボリックシンドロームの診断基準をすべて満たしていました。
また、HbA1cは6.7%。血圧は普段が140~150/90~100程度で、夜の診療後などには、180/110などを叩き出して、外来ナースをびっくりさせたりしていましたが、糖尿病を発症したことには、やはり私もびっくり、ガックリでした。
ですが、糖質制限食がうまくいくという確信はありました。
糖質制限食は、先にも述べましたとおり、1999年に当時院長だった兄が高雄病院で導入したのですが、当初は半信半疑だった私も、2001年からは糖尿病の患者さんに実施し始め、劇的な改善を得ていたからです。
■おかず食べ放題で、酒も糖質低めならOK、主食だけは「なし」
方法は、肉類・魚介類・野菜・豆腐・納豆・海藻・きのこ類など、おかずは食べ放題で、主食(糖質)だけは「なし」です。
私自身も、2002年の糖尿病発症後は、酒は糖質を含んでいる醸造酒(日本酒、ビールなど)は中止し、もっぱら焼酎(蒸留酒)としました。辛口の赤ワインだけは、醸造酒の中でも血糖値をほとんど上昇させないので、適宜飲みました。
2025年現在は、白ワインも、糖質が少ないものは飲んでいますし、糖質ゼロ発泡酒や糖質ゼロビールも発売されているので、重宝しています。
発症後、即「スーパー糖質制限食」の実践を開始した私ですが、3週間後にはHbA1cは6.0%と改善し、その後は2025年の現在にいたるまで、ずっと6.0%未満(5.5~5.9%)をキープしていて正常型であり、合併症ももちろんなしです。
メタボのほうも、「スーパー糖質制限食」開始から半年で10kgの減量に成功し、血圧も、120~135/70~85と正常になり、腹囲78cm、内臓脂肪面積は71㎠と、改善しました。
その後も現在まで、体重は56~57kgを維持しています。
今の私の知識が、40歳頃にあれば、そもそも糖尿病にはなっていないと思います。まあ、「覆水盆に返らず」ですね。
ですから、現在の私の経験と知識を、読者の皆さんと共有することで、多くの方の糖尿病発症予防が可能となれば、一番嬉しいです。
■2800人の2型糖尿病患者がスーパー糖質制限食を試してみた
糖質制限食の実践例を見ていきましょう。
2001年から2024年12月までの、京都・高雄病院における2型糖尿病入院患者数は、約2800名です。
患者さんたちには、「従来の糖尿病食」を食べた時と、「糖質制限食」を食べた時の食後血糖値の比較をしてもらいます。摂取エネルギー(カロリー)は同一にしています。
2017年からは、CGM(持続グルコースモニタリング)を実施しています。
CGMとは、皮下に刺した細いセンサーによって、皮下の間質液中のブドウ糖を15分おきに持続的に測定でき、2週間まで継続測定が可能な器機です。
「従来の糖尿病食」を食べた時には、ほとんどの例において、200mg/dlを超える食後高血糖が見られました。「糖質制限食」では、大多数の例で、160mg/dlを超える食後高血糖は生じませんでした。
従来の糖尿病食と糖質制限食の写真を載せておきます。とある日の高雄病院の給食です。カロリーはともに約560キロカロリーです。
従来の糖尿病食のほうには炊いた玄米があり、その分おかずの数は少ないです。
糖質制限食のほうは、おかずが多く、見た目にも豪華です。
■61歳の軽度肥満の女性が2週間で「内臓脂肪27%減」に成功
実際の改善例をご紹介します。
61歳の女性の例です。
入院時(減量前)、身長159cm、体重66kg。
糖質制限食を14日間実践したところ、体重は62.6kgと、2週間で3.4kg減少です。体重は、割合では5.2%減りました。BMIは、26.1から24.8と低下し、肥満脱却です。
全脂肪面積は、391.4㎠から300.0㎠へと23.4%減少しました。皮下脂肪面積は、220.2㎠から175.0㎠と20.5%減少。内臓脂肪面積は171.3㎠から125.1㎠と27%減少しました。腹囲は98.8cmから88.1cmへと10.7cm減少です。
図表1は、この女性の内臓脂肪のCTを図にしたものです。
黒色の部分は内臓脂肪の面積で、周囲の濃いグレーに点々の部分は皮下脂肪の面積です。減量前は、両翼のコウモリの羽の形のような黒色の部分があり、中央にも四国のような形の黒色の部分が見られます。減量後は、中央の黒色の部分が半減しています。
■芸人のあらぽんは1週間で体重5kg減、内臓脂肪も減った
次にご紹介するのは、2019年6月21日に放映された、『金スマ』(TBS系『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』)の「最強のやせる食事術」でも紹介した症例です。
ご紹介するのは、芸人のあらぽんさん(ANZEN漫才のみやぞんさんの元相方)の実践例です(図表2)。
たった1週間で、体重は122.2kgから117.3kgへと4.9kg減量で、減少率は4%。
体脂肪率は38.8%から37.1%と、1.7%減少で、減少率は4.4%。
内臓脂肪面積は239㎠から181㎠と、58㎠減少で、減少率は24.3%。
やはり、内臓脂肪のほうが、減少率が大きいです。
■スーパー糖質制限食3日目以降、食後高血糖がなくなった例
次は、2型糖尿病の50代女性の例です。
2020年8月22日時点で、HbA1cは7.2%と高値でした。彼女は、2022年1月11日から2022年1月24日までの14日間、高雄病院に入院して、糖質制限食を体験しました。
入院時のHbA1cは6.2%、空腹時血糖値は104mg/dlでした。身長は155.2cm、体重は47.0kg、BMIは19.4でした。
図表3は、この女性の血糖値の日内変動のグラフです。
入院1日目、2日目の血糖値は、太い黒色と太いグレーの線ですが、「従来の糖尿病食」だったため、180mg/dlを超える食後高血糖があります。
3日目以降(グラフの細い線)は、「スーパー糖質制限食」実践により、食後高血糖はなくなり、食後血糖値は150mg/dl未満と、良好なコントロールとなっています。
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江部 康二(えべ・こうじ)
医師
1950年京都府生まれ。高雄病院(京都市)理事長。日本糖質制限医療推進協会代表理事。74年京都大学医学部卒業。京都大学胸部疾患研究所を経て、78年から高雄病院に勤務。2001年から「糖質制限食」による糖尿病治療に取り組む。02年、自らの糖尿病発症を機にさらに研究に力を注ぎ、「糖質制限食」の体系を確立。05年『主食を抜けば糖尿病は良くなる!』(東洋経済新報社)で話題となり、以降、糖質制限のパイオニアとして活躍中。
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(医師 江部 康二)