※本稿は、笹木郁乃『仕事をしながら1日30分で売上が最大化する「超効率PR」』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
■まったく無名のマットレスを売るためにやったこと
私は25歳の頃、自動車部品メーカーから寝具メーカーのエアウィーヴに転職しました。マーケティング兼営業という肩書でしたが、当時はまだ社内の体制が整っておらず、私はマーケティングだけでなく、販促ツールの作成から広告コピーづくり、そしてプレスリリース作成まで幅広く担当する必要がありました。私は偶然に近い形で、PRの世界に足を踏み入れたのです。それも、ほぼ一人で。
当時、エアウィーヴのマットレスはまったくの無名でした。
東急ハンズ(現ハンズ)や大手百貨店のバイヤーさんに交渉しても、1週間だけ置いてみて、売れなければ終了という厳しい条件ばかり。私も販売員としてエプロンをつけ、店頭で「いらっしゃいませ」とお客様にお声をかける日々でした。
ところが、誰も立ち止まってくれません。「いったい、どうしたら振り向いてもらえるのか……」と頭を抱えていました。通りすがりのお客様に「高反発の最新マットレスです!」と説明したり、拡材で「雲の上で寝たような寝心地」と謳ったりしても、ピンときてもらえないのです。
■価格でも商品のスペックでもない
東京ビッグサイトで開催された、ランナー向けイベントに出店したときも同じ体験をしました。数万人のマラソン参加者が集まる場ですから、疲れがとれるマットレスとして評価され、売上が伸びるのではと期待したのですが、3日間でわずか数枚しか売れないという結果に終わりました。
私は店頭用のポップを自作し、文言を毎日変えながら、ABテストを繰り返しました。ABテストとは、広告や販促物などで2つのパターンを用意して、どちらがより効果的かを比較検証する手法のことです。
すると「極細繊維状樹脂が」と専門用語を並べるより、「トップアスリートに好評!」と書いたほうが、お客様には圧倒的に興味を持っていただけました。裏を返すと、どれだけ製品が優れていても、ただ製品を紹介するだけでは見向きもされない現実を思い知らされたのです。こうした経験から、私は戦略を練りました。
分かっていたのは、「誰が使っているか」「どんなストーリーがあるか」を知ると興味を持ってもらえるということ。それならばと、「どうやってトップアスリートに使ってもらうか」を考え始めたのです。
■大事なのはストーリー
いきなり有名俳優やスポーツ選手とスポンサー契約を結ぶのはハードルが高く、数千万円から1億円もの契約料は、当時はまだ予算がなく無理でした。それでもなんとか浅田真央選手(当時)にエアウィーヴのブランドアンバサダーになっていただくことに成功。結果的にエアウィーヴは、5年で会社の売上を115倍にするほどの大ヒット商品に成長しました。
私はこの経験を通じて、PRの本質は、単なる製品説明ではないということを、身をもって理解しました。『仕事をしながら1日30分で売上が最大化する「超効率PR」』第3章で詳しくお伝えしていきますが、お客様が知りたいのは商品のスペックよりも、「どのように使われ、どんな人に役立っているのか」という物語(ストーリー)なのです。
私が会社員だった頃はまだSNSが一般的ではなく、PRといえばマスコミへの対応だったり、広告といえばテレビCMや新聞広告という感覚が主流でした。入社して数年経たった頃に当時Twitterの投稿を始めたのですが、企業としてSNSの活用はほとんどない時代で、周囲の「SNSなんて意味あるの?」という反応は当然のことでした。
■前職では得られなかった満足感
でも私は、なぜかSNSには大きな可能性を感じていました。試行錯誤しながら続けているうちに、あるアスリートから私の個人アカウント宛に「マットを使ってみたい」という問い合わせが届いたときは、「何もしていないのに、まるでこちらが営業をかけたかのような体験」に衝撃を受けました。
偶然かかわることになったPRという仕事の面白さも、少しずつ分かっていきました。自分が動くことで世の中が動く。この満足感と充実感は、前職の自動車部品メーカーにいた頃には、得られなかったものだったのです。
エアウィーヴが軌道に乗ると、私は同じ喜びをまた味わいたいと思うようになり、今度は鍋のバーミキュラで知られる、愛知ドビーに転職しました。
バーミキュラという商品には浮き沈みがあります。発売当初は各メディアに取り上げられましたが、そのブームが去った後は供給過多となり、私が転職した当時は、在庫が余っている状態。
■「一流シェフが使っている」ではダメだった
バーミキュラでも、PR担当は私一人でした。しかし、私には自信があったのです。エアウィーヴで成功した手法はきっとうまくいくはず。そこで、バーミキュラでは「一流シェフに無償提供をして使ってもらう」作戦を試みました。
ところが予想外に、この手法は大きな成果を上げることができませんでした。一流シェフの使う道具は家庭料理と距離があるのか、高級感を感じさせてしまい、消費者にとっては“自分ごと”にはしづらかったようなのです。思いっきり力を入れていただけに正直、この結果にとてもショックを受けました。
そこで改めて見直したのが、バーミキュラ自体のストーリーでした。
愛知ドビーという会社は、船舶部品を作っていた町工場から始まっています。下請けから脱却するために自社製品を開発、しかも大量生産が難しい精度の高い鋳物技術を使い、職人が一つひとつ丁寧に仕上げている。一般の人には知られていない会社のルーツや、地道に信頼感を持ってもらえるストーリーをPRで打ち出しました。
■日本のものづくり魂をアピール
また新聞や雑誌、テレビ局へアプローチするときも“高機能な鍋”というスペックではなく、「町工場が挑戦した奇跡の鍋」「1個1個、職人が汗を流しながら作るものづくり」という現場の状況を押し出し、日本のものづくり魂をアピールしたところ奏功しました。
少しずつ「バーミキュラ、気になる」という空気が作られていき、全国放送のテレビ番組2つに立て続けに大きく取り上げられたのです。すると、決して安い商品ではないにもかかわらず、一気に12カ月待ちにもなる注文が入りました。
「町工場が挑戦した奇跡の鍋」というストーリーは、数多(あまた)ある調理器具のなかで選んでいただくときの大きな要素にもなるし、同時にストーリーはマスコミの方々にとっても取り上げやすい要素。この両方が合わさって、全国に届いたのだと実感しました。
私はエアウィーヴやバーミキュラでのPR経験から、もっと自分が思いっきり動ける場所で、新しい挑戦をしたいという気持ちが強まっていました。
しかし会社員である以上、経営方針や組織体制に左右されるのは避けられません。さらに当時はまだ子どもが小さく、育児と仕事をどう両立させるかという悩みを抱えていました。転職を重ねてもまた同じ壁にぶつかるかもしれない。「このままでいいんだろうか……」と、もやもやした気持ちを抱えていました。
■こうしてフリーランスのPRコンサルになった
会社員としての働き方に限界を感じていたとき、私は女性起業家が活躍する姿をSNSで見かけたのです。自宅やカフェを拠点に、ウェブデザイナーやコンサルタントなどさまざまな職種でフリーランスとして独立している女性がたくさんいることを、このとき初めて知りました。
起業家というと、資金調達や社員を雇って……と大がかりなイメージが強かったのですが、こういう形なら自分にもできるかもしれない、とリアルに感じられました。自分に置き換えてみて、私だったらPRの経験を活かしてフリーランスのPRコンサルタントになれないだろうか、と思ったのです。
これまで培ったノウハウは、きっと何らかの形で企業や個人事業主をサポートできるはず。いずれはPR会社を起業することを目標に、その一歩を踏み出してみました。
当時はまだ、PRフリーランスという働き方は一般的ではありませんでした。大手のPR会社は見かけても、個人でクライアントのPRを支援する人は少しずつ増え始めたぐらい。それでも、私が先駆者になってもいいという気持ちで飛び込んでみました。
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笹木 郁乃(ささき・いくの)
LITA 代表取締役
1983年、宮城県生まれ。山形大学工学部卒業。愛知県の自動車部品メーカーに研究開発職として勤務後、寝具メーカーのエアウィーヴや鍋メーカーの愛知ドビーでPRを担当し、売上拡大に貢献する。2016年に独立し、翌年PR会社を設立。企業向けのPR支援や、経営者や個人事業主にPRスキルを伝える「PR塾」などを展開している。
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(LITA 代表取締役 笹木 郁乃)