目標を達成するためにどんな努力をすべきか。武蔵野大学教授の荒木博行さんは「ひたすら量をこなす『体を使った努力』は分かりやすいが、見えにくい『頭を使った努力』の存在に気づけていない人が多い」という――。

※本稿は、荒木博行『努力の地図』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。
■努力には「4つの定義」がある
多くの行為を組み合わせた努力が必要と言っても、私たちはレイヤーの異なる多種多様な頑張りをマルっとひとまとめにして努力というひと言で片付けてしまう。本来はもう少し努力を分解して丁寧に語るべきだが、そもそも私たちは努力に関する共通言語を持っていない。
たいていの「努力しているorしていない」という議論がすれ違うのは、そもそもどのレイヤーの努力を語っているかがずれているからだ。
そのため、ここからは努力の種類を切り分けていきたい。より具体的な努力から順番に「量の努力」「質の努力」「設計の努力」「選択の努力」の4つに定義・分類して解説していく。
■バットを1000回振り続けたイチロー
①量の努力
最初の努力のパターンは、目標達成のために決めたことを繰り返し、回数を重ねてやり切る行為だ。目標達成の手段を「筋トレ」と定めたのであれば、それを反復的に決めた量だけしっかりやり切ることに力を注ぐ。この類の努力を「量の努力」と呼ぶことにする。私たちが努力を語る際、「量の努力」を念頭に語ることが多いはずだ。
イチローは、2004年にメジャーリーグのシーズン最多安打記録を更新した際の記者会見で、次のようにコメントを残している。
やっぱり、小さなことを重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道なんだなとというふうに感じています。

イチローの成功を語るうえで、「量の努力」を欠かすことはできない。彼は小学生の頃から毎日500~1000スイングを繰り返していたと言われている。
この習慣は彼の父親とともに始めたもので、この反復が大記録となる基礎を築いたことは皆の知るところだろう。
何かを達成するためには、とにかく小さなことをコツコツ積み重ねていくことの重要性は言うまでもない。大事なことはどれくらいの量をこなしたか、どれくらいの時間を費やしてきたかだ。このような「量の努力」のエピソードに共感する人は多いはずだ。
■「1万時間の法則」の落とし穴
②質の努力
2つ目の努力は、闇雲に量を重ねていく行為ではなく、行動した結果や他者からのフィードバックから学びながら、どのように行動を改善していくかを考えていく行為だ。
よりよい方法があるなら、それを積極的に取り入れて改善していくことに注力する。これを「質の努力」と呼ぶことにする。
「1万時間の法則」という言葉をご存知だろうか。特定の分野でエキスパートになるには約1万時間の練習や努力が必要だとする考え方であり、マルコム・グラッドウェルの著書『天才! 成功する人々の法則』(講談社)によって広く知られるようになった。
努力を励行する際のメッセージとしてよく語られる言葉であるので聞いたことがある人も多いだろう。
しかし、この法則は努力を過度に単純化しており、誤解を招きかねないという批判がある。
「1万時間の法則」は、アンダース・エリクソン博士の研究を基にしている。しかし、エリクソン自身は「1万時間」という具体的な数値を特定の目安として示したわけではない。彼はむしろ、成功には質の高い「意図的な練習(deliberate practice)」が不可欠だと主張していた。
グラッドウェルの解釈は単純化されすぎており、実際の研究の意図を正確に反映できていない。つまり、「1万時間」という数値が注目されすぎた結果、練習の「質」が軽視されてしまったのだ。
■「意図的な練習」に必要な4要素
成功者の多くは、ただ時間をかけて量をこなすだけではなく、時間効率のよい練習を行っていることは言うまでもない。この点で、「1万時間の法則」という言葉に注目するのではなく、エリクソンの意図した「意図的な練習」に立ち返るべきだという声がある。
ちなみに、エリクソンの説く「意図的な練習」とは何だろうか。彼の著書『超一流になるのは才能か努力か?』(文藝春秋)によれば、次の4つの要素が確保された練習のことを指す。
・はっきりと定義された明確な目標

・集中状態の維持

・第三者からのフィードバック

・コンフォートゾーンから抜け出たプレッシャー環境
つまり、裏を返せば、目標が曖昧で気が散った状態で、フィードバックもなく、気楽な環境であれば、1万時間を費やそうが10万時間を費やそうが上達は望めない。これはおそらく誰もが直感的に理解できることだろう。

「1万時間の法則」は、「量の努力」をわかりやすく伝えるメタファーとしては有用だが、現実の成功要因を過度に単純化している。成功は練習量だけでなく、「質の努力」も含めた要因の組み合わせによるものだ。
■そもそも、目標設定は正しいのか?
③設計の努力
「量の努力」と「質の努力」がひとつの行為に着目して上達を重ねていくことだとするならば、3つ目の努力は、目標に立ち返って俯瞰的な思考を深める行為だ。つまり、目標を実現するために、「ほかの行為をする必要はないのか」「もしあるならば、それぞれの行為にどれだけ注力すべきか」といったことを考えることが該当する。
たとえば、筋トレの目標が健康維持であれば、筋トレだけでなく、食事や休養のバランスも含めて全体像を考える必要があるだろう。具体的に注力している行為を俯瞰し、その他のオプションを洗い出し、リソース配分を考えなければならない。こうした努力を「設計の努力」と呼ぶことにする。
④選択の努力
「量の努力」「質の努力」「設計の努力」までは、目標ありきでどのようなやり方があるかを考える努力だった。最後に挙げる4つ目の努力は、そもそもの目標を選ぶ行為だ。自分が当然だと思っていた目標そのものを疑い、目標の再選択を行うことが該当する。
社会的に当然だと思われている目標は、そもそも疑うことが難しい。しかし、その目標がそのときの自分にとってふさわしくなければ、勇気を持って変える努力を怠ってはならない。
そもそも自分がどんな目標を選択すべきかを考える必要がある。これを「選択の努力」と呼ぶことにする。
■見えない努力があってこそ機能する
さて、ここまで努力を「量」「質」「設計」「選択」という4階層に分けて解説してきた。
この4階層は、幸田露伴の著書『努力論』(岩波書店)の初刊自序に書かれた整理を借りれば、大きく2つに区分することが可能だ。「直接の努力」と「間接の努力」である。
努力は一である。しかしこれを察すれば、おのずからにして二種あるを観る。一は直接の努力で、他の一は間接の努力である。間接の努力は準備の努力で、基礎となり源泉となるものである。直接の努力は当面の努力で、尽心竭力(けつりょく)の時のそれである。
この露伴の言葉を補助線にすると、「量の努力」と「質の努力」の2つを「直接の努力」、「設計の努力」と「選択の努力」の2つを「間接の努力」と定義することができるだろう。
直接的な努力が必要であるのは言うまでもないが、見えない間接的な努力があってこそ、努力は機能するのだ。

これら4つの努力を4階建ての建物に見立ててみよう。すると、図表1のように表すことができる。
■「頭を使った努力」に気づけない人もいる
建物のメタファーを使ったのは、下の階層ほど外から見えやすいからだ。たとえば、「量の努力」は、周囲から認知されやすいが、最上階の「選択の努力」は、視線を変えて目を凝らさなくては見ることができない。
街を歩いていると、1階部分以外は目に入りにくい。努力も同じで、全体像を見るためには、1階から最上階まで建物全体を捉える意識を持たなくてはならない。
そして、努力という建物にはひとつの特徴がある。1階はオープンだが、上の階に行くほどに到達できる人が限られてくる構造になっているのだ。
つまり、ひたすら量をこなす「体を使った努力」は多くの人に開かれているが、「頭を使った努力」は慣れてない人にとって難易度が高い。だからこそ、低層階が努力のすべてになってしまっているケースが少なくない。本来はフロアの奥に上に昇る階段があるのに、その存在に気づけてないのだ。
■職場の「年収の限界」を超えるためには…
では、この努力の4階建て構造を理解するために、ひとつ例を使って考えてみよう。
年収を上げるために何か努力をしようと思っている人がいたとする。そのためにどんな努力をすべきだろうか(図表2)。
まず、思いつくのは、残業を増やすことで年収を上げるアプローチだ。これは1階の「量の努力」に励むことになる。
次に考えられるのは、いまの仕事のやり方を改善してみることだ。たとえば、本やYouTubeで仕事の効率的な進め方を学んだり、メンターからフィードバックをもらったりすることで、労働時間あたりの付加価値を高めて評価を上げていく。これは2階の「質の努力」に該当するだろう。
一方、いくら働き方を改善しても、その職場の年収には限界があるはずだ。たとえば、年収2000万円を目指そうとしたら、役員にならない限り無理かもしれない。そうであれば、いかにして年収2000万円に到達できるかを逆算で設計していく必要がある。
■働き方のデザインを変える選択肢も
その結果、「いまの職場で稼ぎながら副業をする」という案が浮かぶかもしれない。また、年間を通じて高いパフォーマンスを発揮するためには、心身を壊さないようにしっかりと休養をとることも重要だ。
このように年収を上げるためには、闇雲に努力するだけでなく、働き方のデザインに思考を投入し、バランス感覚を持って戦略的に考え抜く必要がある。これは3階の「設計の努力」に該当する。
さらに、本当に年収を上げることに執着すべきだろうかと思考を巡らせるべきだ。年収は大事だが、自分の内側にある表現欲求を充足させることや、社会への貢献実感を高めることなどを目標に据えたほうが幸福度は上がるかもしれない。
このように、暗黙のうちに自分が当たり前と考えていた目標に対して問いを挟み、目標そのものを選択していくことが重要だ。これは最上階の「選択の努力」に該当する。
■1階の「量の努力」を軽んじてはいけない
残業の連続で頑張っている人は、心身をすり減らしながら年収向上に向けて日々努力しているという自負があるだろう。まさに「直接の努力」であるからこそ、努力の手応えがある。
しかし、その姿を2階から見れば、もっと仕事効率の改善に向けた努力をしたほうがいいと思うだろうし、3階から眺めれば「なぜ、副業検討の努力をしないのか」と思うかもしれない。4階からは、そもそもの人生目標を考える努力を怠っているように見えるだろう。
「量の努力」は目標を実現したときの達成感も強いので、1階にとどまる人も多いが、その上にはまだ3つもフロアがある。努力は立体的なのだ。
こう書くと、上の階のほうが「より意味のある努力」のように受け取られるかもしれない。確かに、上の階からの開けた視界は限られた人にしか見渡すことはできないし、4階の「選択の努力」によって、1階の「量の努力」は水泡に帰すこともある。
ただ、上層階だけの建物なんてあり得ないように、人は上層の努力だけをすることはできない。ある程度、量をこなさないと、質を考えることはできないし、設計を考えることも難しい。そして、どれだけ4階の見晴らしの前に立っても、最後は1階に降りてきて、それなりに量をこなす必要がある。経営が高みに立った戦略論だけでは成り立たず、現場の実行を伴って初めて意味を持つのと一緒だ。
努力に関する議論がすれ違うのは、その人が語る努力がどのフロアの視界に立っているかが異なるだけであり、どのフロアが正しいというわけではない。それぞれの努力には価値があり、尊いのだ。

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荒木 博行(あらき・ひろゆき)

武蔵野大学アントレプレナーシップ学部教授、株式会社学びデザイン代表取締役

住友商事、グロービス(経営大学院副研究科長)を経て、株式会社学びデザインを設立。フライヤーなどスタートアップのアドバイザーとして関わる他、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部、金沢工業大学大学院、グロービス経営大学院などで教員活動も行う。北海道にある株式会社COASや一般社団法人十勝うらほろ樂舎にも関わり、学びの事業化を通じた地方創生にも関与する。著書に『努力の地図』『構造化思考のレッスン』『裸眼思考』『独学の地図』『自分の頭で考える読書』『藁を手に旅に出よう』『見るだけでわかる! ビジネス書図鑑』『世界「倒産」図鑑』『世界「失敗」製品図鑑』など多数。Voicy「荒木博行のbook cafe」、Podcast「超相対性理論」のパーソナリティ。

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(武蔵野大学アントレプレナーシップ学部教授、株式会社学びデザイン代表取締役 荒木 博行)
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