※本稿は、電通 未来事業創研『未来思考コンセプト ポストSDGsのビジョンを描く』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。
■くらしが良くなる展望が見えない
未来事業創研ファウンダーの吉田健太郎と申します。少しだけ未来事業創研設立の背景についてお話しさせてください。まだコロナが拡がる前の2019年のある日、当時中学2年生だった長男が「俺、昭和に生まれたかったわ」と言ってきたのです。その理由を聞くと「だって昭和の方が楽しそうじゃん」と。
現代は教育課程でもメディア報道でも、世界における温暖化、食糧不足、格差に関することや、日本国内における消滅都市問題、少子高齢化、労働力不足など、現代から未来に向けた課題ばかりを見せられています。未来は今より良くなるといった情報が少なく、どう悪くしないかという課題を押し付けられているように感じるというのです。
その一方、昭和は自由で、もっと楽しく、もっと便利にというエネルギーが世の中のワクワクと勢いをつくっていたように感じたのでしょう。これはその通りだと思いました。私が子どもだった昭和50年代、家庭でも学校でも、地球の未来に向けた課題解決を強要された記憶はほとんどなく、世の中は勝手に進化して、時間が経つともっとくらしの快適性が増すと思い込んでいましたから。
■中高生の6割以上が「10年後に不安」
2025年のいま、人々は未来への期待よりも、未来に向けた課題に囲まれています。とくに日本では若年層になるほどその感覚は強くなっています。
対象となる中高生が生きてきた期間に大規模な震災が起きたことや、その被害の実態などをインターネットで得ることができることもあるので、楽観的に捉えることができない状況であることは確かです。さらに世界に目を向けると戦争も複数発生していて、世界がより良い方向に向かっているという空気は感じにくいことも頷けます。
■未来にワクワクしていた昭和時代
未来にワクワクしていた昭和時代のころについて少し振り返ってみます。そのころの記憶がある方は、「子どもの頃、未来って楽しみだったな」と思い返されるのではないでしょうか。
平成になる前までは日本も経済成長が続いていて、ずっと成長していくのだろうという神話を信じていた時代でもあります。そんな時代に登場したのがファミコンで、ファミコンは家庭用ゲーム市場を創出しました。
私も相当なゲーマーでファミコンからスーパーファミコン、セガサターン、プレイステーション、ニンテンドー64などのゲームプラットフォームはほぼすべて保有しており、中学校1年の時にPC-8801mk2FRを買って以来、デジタルとゲームに明け暮れていました。
ちなみにPCはその後、X68000を経由して再びPC9821という遍歴です。恐らくこの遍歴で状況が想像できる方はごく一部だと思いますが、シンプルに伝えたいことは、ゲームやPCが経年で目に見えて進化しており、ゲームやPCに興味がある人たちはスペックアップが楽しみで仕方がなかったということです。
■ネット検索はできないが、妄想はできる
よく覚えているのが、当時はインターネットがないので、パソコンやオーディオ、家電などのカタログを秋葉原の家電店舗でいただいてきてそのスペックシートを見ながら、各ハードがどのようにレスポンスするのか、どんな性能を見せてくれるのかを妄想することがとても楽しみでした。カタログ集め自体がとても楽しかった時代でもあります。
1983年にファミコンが登場し、多くの子どもたちがテレビゲームに夢中になったことは周知の事実です。私もそのひとりでいろいろなゲームと出会ったのですが、そのころのゲームの容量はビックリするくらい低容量で、例えば初代スーパーマリオブラザーズは40キロバイト、初代ドラゴンクエストは64キロバイトでした。と言われてもピンとこないですよね。
現代のスマホで写真を撮影すると、圧縮や画像サイズに制限をしない場合、高画質モードだと1枚1メガバイトを超えることが一般的です。つまりメガバイトの写真だとスーパーマリオブラザーズが25個分の容量ということになります。
進化によって容量の考え方が大きく変わったことはもちろんなのですが、それよりも非常に小さいサイズの中に、ゲームとして必要な情報が全て入っていたということがすごいと思いませんか。
■どんどん進化していったゲーム・電子機器
当時ゲーム業界は、急拡大する成長市場ということもあって、次々とプレイヤーが登場し、容量や処理能力など限られた条件の中で、各社がその技術力とアイデアを駆使し、ゲームの進化を加速させていきました。中でも表現領域ではドット絵がどんどん高精細になり、立体的になっていく進化は誰が見ても「すごい」と感じるものでした。
もちろんゲームそのものの内容や操作性、音楽、ストーリーなども、容量の拡大で自由度が広がっていったこともあり、開発者もユーザーもワクワクが止まらない時代だったように思えます。
ユーザーサイドは、「よりリッチになる表現」という進化のベクトルを明確に示されており、次はどこまでリッチになって、どんな体験をもたらしてくれるのだろう? という期待を常に持つことができた時代でもありました。
ゲーム業界だけでなく、年を追うごとに様々な電子機器のスペックが向上し、処理能力や表現能力が目に見えて向上していきました。家電の性能進化、特に家電の中心的存在だったテレビは高画質化、大画面化が、どんどん進んでいきます。
テレビの薄型化は明解な進化であり、大きな変化で、今となってはブラウン管テレビを目にすることはなくなりました。思い返すと2010年頃までは、テレビだけでなく、いろいろな家電や車なども、このような多くの人の期待する進化が続いていたように感じます。
■“できたらいいな”がいっぱいあった
多くの方が進化に期待する背景には「こうなったらいいな」という、想いがくらしの中で生まれやすかった世の中の状況にも起因していると思います。どこにいるかわからない人ともいつでも連絡を取ることができる、いつでも海外の人と顔を見て話すことができる、欲しいモノを頼んだらすぐに届く、そんな未来になるといいな、ワクワクするな、という想いが芽生え、それらが未来ではきっと実現されるだろうと無邪気に信じることができていました。
「みんなが思う”できたらいいな”」が多くの領域で実現されておらず、「良くなる」ために何ができるかを妄想し、どのように実現できるかを考え、その具現化に向けて取り組むことができました。
こんな機会が溢れていた昭和は、普通に生きているだけでも、どんどん生活が進化していく実感がありました。仕事の面では、次々と新しいものを世の中に提供すると、その成果を感じることができた時代です。そういう視点で見ると、確かに昭和は楽しそうに感じますよね。
■不便がなくなり、課題解決が優先事項に
では現在においてその空気が薄まってしまった要因はどこにあるかというと、いろんな不便がなくなり便利が溢れてしまったということもありますが、欲求よりも社会課題解決を優先することが前提になったことが要因と考えられます。
多くの課題が顕在化していて、それぞれの課題が解決されなければ世界は悪くなる一方である、という現状から未来に向けたネガティブな予測に対して、「あなたたちは未来に向けてどんな課題解決をしてくれるのですか?」という「問い」が大上段に来ている時代です。
さらに成熟社会においては、多くの人が期待する、求める便利領域が顕在化しなくなってきていることも背景にあると考えられます。つまり、多くの人が望む便利領域が見えていれば、人々が望む未来像の中にその便利が叶えられた状態が描かれ、早くそういう未来になってほしいという期待が芽生えます。
ただ、多くの不便は解消され、暮らしの中で、みんなが求めるわかりやすい「便利」がなかなかイメージできません。そのため、これからは「便利」そのものより、どのような価値を生むのかが求められる時代になってきています。
■令和時代に「価値」を創造するためには…
「便利」も価値のひとつになると思いますが、それ以上に、人々にとっては日々の幸せや喜びなどのポジティブな情緒価値につながることが重要になってきています。「便利」は価値を生む手段のひとつとなっていて、期待をつくる価値を生み出すためには、提供者側の「熱意」だけでなく「想像力」と「思考力」を注ぎ込むことが求められます。
本書では、このような現代だからこそ、社会や人々が望む「あるべき未来」を描くことの必要性を、ビジネスと未来の関係性を交えて、実用的にまとめています。「便利」の位置付けが変化したように、未来において人々や社会が求める価値が変わることを踏まえ、未来の描き方、その実現に向けた道筋のつくり方を知ることが重要です。視野や選択肢はもちろん、仲間も拡大することができる「未来」は魅力的で実用的なビジネスツールです。
「未来」を活用して、新しい価値を世の中に創造していただける方が少しでも増えたら、きっと未来にワクワクする若者たちが増え、その若者たちもより良い未来づくりにかかわっていく、ポジティブなスパイラルが生み出されるはずです。
----------
電通 未来事業創研(でんつう みらいじぎょうそうけん)
独自のアプローチで企業の未来価値を見いだす国内電通グループ横断組織。予測された未来を待つのではなく、人・社会にとって持続可能な「ありたき未来」を可視化し、その未来を実現していくために、顧客企業の未来事業創造ならびにパーパス・ビジョン策定支援を実施している。
----------
(電通 未来事業創研)