■高齢の母に内視鏡検査は必要か
先日、80歳の私の母が、腸閉塞をきっかけに発見された大腸ポリープを切除する手術を受けました。治療は無事に終わり、主治医から今後のフォローアップ検査についての説明がありました。
若くて元気な患者さんであれば、今後もポリープが生じる可能性があるため、数年後の大腸内視鏡検査が推奨されます。しかし、母は高齢で、今回の検査と入院は相当つらかったようです。たとえポリープができたとしても、その多くはがんにはなりませんし、仮にがん化したとしても、症状が出るほどに成長するまでにはかなり時間がかかるのが一般的です。となると、「苦しい思いをしてまで検査をしない」という選択肢もあります。
主治医も、そのあたりの説明はやや慎重な口調でした。よくわかります。私自身も医師として、同じような状況で「ご高齢ですから、つらい検査をしないという選択肢もあります」とご説明すると、ご本人やご家族の方から「年寄りだと手を抜くのか」などと怒られることがあるからです。
私は母と相談したうえで「母は高齢ですし、大腸検査はしなくてもよいと思っています」と主治医に伝えると、こころなしかホッとしたご様子でした。
■患者さんの価値観はそれぞれ
私は医師ですから、高齢者に対する大腸内視鏡検査の利点や負担について、ある程度わかっています。しかし、そうした医療情報に日頃触れる機会の少ない方々にとっては、どう考えて何を選択したらいいのか判断しづらいこともあるでしょう。
もちろん、ほとんどの医師は普段から、現場において実現可能で、かつ最善の医療を患者さんに提供しようと努めていますし、しっかり説明しているだろうと思います。とはいえ、患者さんの価値観はそれぞれです。「つらい治療をしてでも、できるだけ長く生きたい」という考えもあれば、「寿命が短くなっても、つらい治療は避けたい」という思いもあります。
病状や年齢などだけでなく、そうした多様な価値観にも配慮しながら、適切な情報を提供し、患者さん自身の意思決定を支えるのも医師の大切な仕事のひとつです。かつては、医師が治療方針を決めるのが当たり前でしたが、現在は「インフォームド・コンセント」――つまり医師が十分な情報を提供したうえで患者さん自身に選んでもらうことが重視されています。
■判断を患者側に丸投げしない
インフォームド・コンセントのためにも、医療に関する情報は可能な限り客観的に提供されなければなりません。特定の選択肢に誘導するような提示は避けるべきです。そのうえで、患者さん自身が十分に理解し納得して、自らの価値観に沿った医療を選ぶことが理想でしょう。
とはいえ、現実はそう単純ではありません。医療の選択には必ず何らかのトレードオフがあります。たとえば、私の母の場合、大腸内視鏡検査には「つらさ」というデメリットがありますが、一方で「将来の大腸がんのリスクを下げる可能性」というメリットもあります。ややこしいのは、検査をすればがんが必ず防げるという保証はないこと、そもそもがんにならない可能性のほうが高いこと、さらに検査自体にもまれとはいえ後遺症を伴う合併症のリスクがあることなど、複数の要素が複雑に絡んでいる点です。
一度の説明ですべてを理解するのは容易ではありません。だからこそ、患者さん側は医師に判断を委ねたいと思うこともあるでしょう。ですから、医師は情報だけを渡して患者側に判断を丸投げするのではなく、患者に寄り添い、意思決定を支える役割を果たすべきなのです。
■医師の言葉の影響力は大きい
そんなときに役立つ質問が「もしも先生のご家族が同じ状況ならどうしますか?」、あるいは「先生ご自身ならどうしますか?」という質問です。どうしても主観的な要素が入りますが、医師としての率直な考えを聞く手がかりになるでしょう。
実際、診察室では、しばしばこの質問が投げかけられます。患者さんやご家族にとっては、医師の本音を知りたいという切実な思いの表れでしょう。一方、医師にとっては、個人の価値観を開示する難しさと責任が伴う質問でもあります。
専門家である医師の言葉は、患者さんに対して大きな影響力を持ちます。医師が「私ならこうします」と伝えることで、患者さん側もご自身の考えを話しやすくなる、迷っている人の背中をそっと押せるというメリットもありますが、医師の一言が強い影響を与え、誤解のもとになる、誘導することになるというリスクもあるのです。
ですから、医師は自分の価値観を押しつけるのではなく、「さまざまな考え方があってよい」という前提を大切にしながら、誘導的にならないよう、慎重に言葉を選ぶ姿勢が欠かせません。「私は○○という理由でこの選択をしますが、あなたの価値観はどうでしょうか」と共有するスタンスが重要で、そうであれば問いが対話への入口になるのではないでしょうか。
■意思決定支援が重要な場面とは
例えば、人生の最終段階で治療による回復が見込めず、延命処置がかえって苦痛をもたらす可能性が高いケースは、意思決定支援の重要性を示す好例です。事前に本人が意思表示をしていなかった場合は、ご家族が代わりに判断することになります。
「日本では延命至上主義の医師のせいで、寝たきり老人が量産されている」といった話を聞くこともありますが、少なくとも私の周囲で無条件に延命を優先する医師はいません。反対に、医師が積極的治療を行わずお看取りをする選択肢を示しても「できる限りのことをしてほしい」と願うご家族も少なくありません。付け加えると、身近なご家族とは「延命処置は行わず、自然な形で看取る」という方針で合意していても、離れて暮らしていた親族が後から現れて方針を覆すこともあります。
もちろん、価値観は人それぞれですから、ご家族が「患者本人はできる限り生きたいと思っていたに違いない」とおっしゃる場合、その選択は尊重されるべきです。
■「延命処置」を選ぶ背景にある感情
ただし、延命を希望される理由が必ずしも「本人の願い」だけではないように思えることもあります。たとえば、「何もしないのは不人情ではないか」「治療を断れば、自分が家族を見殺しにしたように思えてしまう」といった罪悪感や世間体といった感情が、判断に影響していることもあるようです。
医師として、延命処置という選択肢があることを説明しないわけにはいきません。しかし、その説明がかえって「延命を選ばなければ、冷たい人間だ」とご家族を追い詰める面があるのかもしれません。
そうしたとき、「先生のご家族なら、どうされますか?」と聞いていただければ、多少主観的にはなりますが、率直にお話しすることができます。私自身、義父も義母も胃ろうも人工呼吸も選ばず、点滴さえ行わず、在宅で看取りました。
■積極的治療をすすめることもある
当然のことですが、医師は積極的治療を控えることだけでなく、おすすめすることもあります。完治するわけでなくとも、ご高齢だったとしても、積極的治療をしたほうが患者さんご本人の利益が大きいケースもあるからです。
たとえば、抗がん剤治療。その昔、固形がんに対する抗がん剤治療は、副作用が強いわりに効果は乏しかったのは事実です。副作用への不安が先に立ち、抗がん剤を避けたいと感じる人がいるのも無理はありません。しかし、現在では治療法も副作用対策も大きく進歩し、抗がん剤はがんの有効な治療法のひとつとして確立されています。抗がん剤には一定の副作用がありますが、延命や症状緩和というメリットが大きいケースもあるのです。
ですから、日常生活をある程度自力で送れているような元気な方であれば、積極的治療を行う価値は十分にあります。もちろん、寝たきり状態の方につらい治療を無理にすすめることはありません。
■医療の選択に「正解」はない
問題なのは、何十年も前の体験談、インターネットなどのウワサ、一般書籍などにある誤った医療情報をうのみにしたり、罪悪感や世間体に左右されたりして、それぞれの患者さんやご家族がご自身の意思に基づいた選択をできなくなることです。
だからこそ、もしも迷いや不安があるときは「先生ご自身ならどうしますか?」、あるいは「ご家族だったら、どうされますか?」と聞いてみることには価値があると思います。もちろん、どの医師でも必ず答えが返ってくるとは限りません。個人の主観が入りすぎることを懸念して、この質問をあまり好まない医師もいるでしょう。
しかし、少なくとも私は、自分の実感をもとに可能な限り率直にお答えしています。患者さんやご家族との対話が深まりますし、また自分ならどうするかを改めて考える機会にもなるからです。
突き詰めて考えると、医療の選択に正解はありません。それぞれの状況、そして何よりも患者さんやご家族の価値観によって「納得のいく選択」は異なります。患者さんやご家族にとっても、医者の本音を垣間見ることは、ひとつの助けになるかもしれません。迷ったときは、ぜひ聞いてみてください。
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名取 宏(なとり・ひろむ)
内科医
医学部を卒業後、大学病院勤務、大学院などを経て、現在は福岡県の市中病院に勤務。診療のかたわら、インターネット上で医療・健康情報の見極め方を発信している。ハンドルネームは、NATROM(なとろむ)。著書に『新装版「ニセ医学」に騙されないために』『最善の健康法』(ともに内外出版社)、共著書に『今日から使える薬局栄養指導Q&A』(金芳堂)がある。
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(内科医 名取 宏)