朝ドラ「あんぱん」(NHK)では、「アンパンマン」の作者やなせたかし氏の戦中・戦後をモデルにしたパートが展開中。ライターの田幸和歌子さんは「やなせ氏にとって弟はコンプレックスの対象でもあり、特別な存在。
その喪失感は大きかった」という――。
■ついに戦争が終わる、海軍に入った嵩の弟はどうなったのか
『アンパンマン』の原作者・やなせたかしと妻・小松暢をモデルとした今田美桜主演のNHK連続テレビ小説(通称「朝ドラ」)「あんぱん」は、昭和前期を舞台にした朝ドラなら避けて通ることはできない太平洋戦争の時代に突入している。
第12週「逆転しない正義」では、中国福建省に上陸した嵩(北村匠海)が宣撫班(せんぶはん)勤務を命じられ、親友の健太郎(高橋文哉)と共に占領地の人々を安心させるための紙芝居を作ることに。従来の桃太郎を題材にした紙芝居が現地の人々から強い反発を受ける中、嵩は亡き父・清(二宮和也)の手帳にあった言葉をヒントに「双子の島」という紙芝居を創作。中国の人と心を通わせた瞬間もあったが、現地で再会したかつての同級生・岩男(濱尾ノリタカ)が少年に撃たれて死亡するという戦争の悲劇も描かれた。
一方、高知では肺炎で海軍病院に入院した夫・次郎(中島歩)をのぶ(今田)が見舞う。やがて日本は敗戦、戦争は終わる。
第13週「サラバ 涙」では、嵩が軍服姿で故郷の駅に戻ってくる。海軍の特別任務に就いていた弟の千尋(中沢元紀)はどうなったのだろうか……。
■やなせたかしには弟に対するコンプレックスがあった
ドラマでは伯父・寛(竹野内豊)と並んで“人格者”として視聴者に愛されてきた嵩の弟・千尋。心優しく、成績も優秀な京都帝大生で、嵩は何度も「自慢の弟」と言っていたが、実際にやなせは弟・千尋を誇らしく思う一方、コンプレックスも抱いていた。
なぜなら、千尋はルックスも色白の丸顔で愛らしく、性格も明るく、誰にでも好かれていたのに対し、やなせは人見知りが強く、人から好かれないと思っていたためだ(自伝『』フレーベル館)。

コンプレックスの一因には、容姿があった。
やなせは子どもの頃、周囲から「お兄さんはお父さん似でおとなしいが、器量が悪い。弟さんはお母さん似でハンサムで快活だ」(『アンパンマンの遺書』岩波現代文庫)といった言葉を何度となく浴びせられてきた。やなせの自伝には容姿に関する記述が多々登場するが、そこには早くに亡くなった父と自身を置いて行った母を追い求める血縁への執着による思いもあるだろう。そう感じさせるのは、『』にある次の記述だ。
■伯父の正式な養子だった弟に比べ、居候の身分のままだった
「一歳の誕生日の写真を見ると、柳瀬家伝来の泣きべそ眉。八の字タイプの下がり眉で、これは父にも長兄の伯父にも共通しています。弟の千尋の眉は、違っていました。母親に似たのでしょう。しかし弟の中学生のときの写真と父の中学生時代の写真を見ると、びっくりするほど似ています。瓜ふたつと言ってもいいくらいです。ぼくは少し違う。
目が小さい。これはどうも父方の祖母・貞衛の方に似てしまったみたいです。ルックスに関しては父母の両方の欠点だけが遺伝したみたいで実に残念です」
また、やなせが自身を幾度も「おとなしい」「暗い」と振り返っているのは、「居候」の立場も影響していた。
評伝『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文春文庫、梯久美子著)によると、やなせもかつては素直で子どもっぽい性格だったが、伯父の家の居候になり、幼くして分別を身に着け、一歩下がってまわりを冷静に見るようになったという。一方、正式な養子として引き取られていたからか、甘えん坊でわがままで、それが愛らしい千尋を、嵩はうらやましい思いで見ていた。
■時には取っ組み合いの兄弟ゲンカもした
「あんぱん」では千尋がずっと父の写真をお守りとして持っていたことが明かされたが、これは史実通り。やなせは、弟が愛読していた三好達治の詩集の中に実の両親の写真をはさんでいるのを発見、初めて弟の心情が理解でき、と同時に、育ててくれた伯父伯母に申し訳ない気分になったと『人生なんて夢だけど』に記している。
また、ドラマでは嵩と千尋が一度だけ取っ組み合いのけんかをした。きっかけは、成績優秀な千尋に劣等感を抱いた嵩が、のぶと一緒に受験勉強する約束をすっぽかし、のぶを待たせたこと。千尋に咎められた嵩は、千尋が病院を継がず、自分に譲ろうとしていると責め、一方、千尋は嵩が実母・登美子の言いなりだと指摘、嵩が千尋を殴って「こんな兄貴いなくなればいいと思ってんだろ」と叫んだ際、仲裁に駆け付けたのぶに平手打ちを食らうシーンがあった。
実際、やなせと千尋はときどき兄弟げんかをしていた。多くはチャンバラごっこで真剣になってしまった末のけんかだが、遊びの延長戦上から、本気のけんかに変わるときがくる。
嵩は柔道を始めたころ、覚えたばかりの技を千尋にかけて遊び、兄弟でじゃれ合っていたが、千尋が中学生になり、嵩の入っていた柔道部に入部すると、嵩の技は決まらなくなってくる。そのけんかの様子を『やなせたかしの生涯』から引用したい。
■「兄ちゃん、なぜそんなにひどいことをするんだ」
「ある日、千尋のしかけた内股が決まり、嵩がしりもちをついたときがあった。うれしそうに笑う千尋を見た嵩は思わずかっとなり、得意だった背負い投げで思い切り投げとばした。そして、千尋が立てなくなるまで、技をかけつづけた。千尋は涙ぐんでいった。『兄ちゃん、なぜ、そんなにひどいことをするんだ』」
嵩は自分が千尋に力でかなわなくなっていることに気づいていた。事実、千尋はぐんぐん上達し、柔道二段となり、嵩は初段にもなれなかった。
ところで、2人の才能のルーツは多才だった父・清にあるようで、筋骨たくましいスポーツマンだった面は千尋が、読書家で文才があり、絵もうまかった面はやなせが受け継いでいた。しかし、2人の優劣は固定的ではなかった。
やなせたかし おとうとものがたり』(フレーベル館)に収録された詩には、こんな記述がある。
「ちいさい時 弟は病気がち 学校の成績もわるかった ぼくはあくまで健康で 成績はとびきり上等だった」
「しかし 中学に入ってからたちまち立場が逆転する 弟はすっかり頑丈になり 柔道は二段で優等生 ぼくは無段で劣等生 数学なんて0点だった ぼくたちは一方があがれば一方がさがり いつも水平になれなかった それでもぼくらは仲良しだった」

また、千尋は兄が大好きで、どこに行くにも兄が一緒じゃないと嫌だと言ったこと、柳瀬家の中には居候のやなせをかわいそうに思い、ひいきし、駄菓子屋に連れて行ってお菓子を買ってくれたお手伝いさんがいたことなども、やなせの自尊心の支えになっていたに違いない。

■奇襲作戦用の小型特殊潜航艇に乗り込む予定だったが…
ドラマでは、千尋は周りの仲間たちの同調圧力によって海軍特攻隊に志願し、中尉になり、特攻(特別任務)に行く前に兄・嵩に会いに来るくだりがあった。やなせ氏の元秘書で、やなせスタジオ代表・越尾正子氏の著書『やなせたかし先生のしっぽ やなせ夫妻のとっておき話』(小学館)によると、これは史実通りで、千尋はやなせに「若い将校を集めて、『特別任務を志願する者は一歩前に』と言われたんだ」と説明。なぜ前に出たのか問われると、「みんなが一歩前に出るのに自分だけ出ないわけにはいかない」と答えたという。
海軍では奇襲作戦用の小型特殊潜航艇を作っており、千尋はそれに乗り込む予定だったが、その前に輸送船ごと爆破され、22歳でフィリピン沖のバシー海峡に沈んだ。
「遺骨はなく骨壺の中には一片の木片が入っていた」とやなせは自伝『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)の中で記している。
■復員したやなせたかしは、伯母から弟の生死を聞く
弟の死をやなせが知るのはドラマと同じく終戦後、復員して故郷の後免町(ごめんちょう)に帰ったときだが、そのときの思いについて、やなせは『新装版 ぼくは戦争は大嫌い~やなせたかしの平和への思い~』(小学館クリエイティブ)で次のように語っている。
「『ちーちゃんが戦死したよ』と言われたのですが、千尋とはしばらく会っていなかったし、亡くなったところを見たわけでもないから、実感がわきません。乗っていた船が撃沈されて海に沈んだので、遺骨も何もないのです。(中略)あの頃は、そんなことよりも自分が生きるのが精一杯でした。弟を亡くして悲しいのは、今のほうが100倍以上悲しいですよ」
22歳のあまりに早すぎる死だった。ところで、ドラマでは千尋はのぶに恋心を抱いていたが、史実では戦時中に淡い恋をしていたようだ。『やなせたかし先生のしっぽ やなせ夫妻のとっておき話』には、こんな記述がある。

■弟にも好きな女性がいて、戦時中に青春のひとコマがあった
「ただ悲しい話だけではなく、千尋さんが某女性に海軍の制服のかっこいいところを見せようと、海軍の軍服を着て腰に短剣をつった姿で、ごめんから朴の木まで歩いて行ったのを伯母さんから聞いたという。弟にも青春のひと時があったことを話している先生(註:やなせ)は、嬉しそうだった」
ちなみに、『』には、「海彦・山彦」と題し、やなせ兄弟の名前の由来が綴られている。嵩の名は、終生中国を愛した父が古都洛陽の「嵩山」という山から命名。兄が山であることから、弟には「千尋の海」という意味で千尋と名付けた。そして、やなせは24歳の夏、華南の山岳地帯の尾根づたいに生死の境をくぐり、千尋は22歳で千尋の海の底深く、かえらぬ人となった。なんとも不思議な、悲しい偶然である。
生き残った自分は何をすれば良いか――しばらく“敗戦ぼけ”のようになり、呆然と暮らしたやなせは、2カ月ほど友人のもとで廃品回収業の手伝いをしていたが、徐々に表現する仕事をしたくなり、高知新聞社の記者募集に出合う。それは後の配偶者・暢(のぶ)との出会いでもあった。
そして、『』内の記述「(弟は)幼年時代はコンパスで描いたような丸顔でした。アンパンマンの顔を描くとき、どこか弟に似ているところがあって、胸がキュンと切なくなります」に見るように、弟を戦争で亡くした大きな喪失感は生涯やなせにつきまとい、千尋という人物像は後にアンパンマンというキャラクターと、その世界観に大きな影響を与えたのだった。

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田幸 和歌子(たこう・わかこ)

ライター

1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーライターに。
ドラマコラム執筆や著名人インタビュー多数。エンタメ、医療、教育の取材も。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など

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(ライター 田幸 和歌子)
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