ロシアの古都サンクトペテルブルクで6月18日から20日の間、国際経済フォーラムが開催された。毎年開催されるこの経済フォーラムはウラジーミル・プーチン大統領の肝煎りのイベントであり、2022年にロシアがウクライナに侵攻するまでは、欧米日の首脳なども参加したことがある。
具体的には、フォーラムに参加したロシアの高官の間で、経済に対する見方が大きく分かれたのである。つまりアントン・シルアノフ財務相とマクシム・レシェトニコフ経済発展相らは、ロシア景気が落ち込んでおり、景気後退の瀬戸際にあるとの認識を示した。一方、エリヴィラ・ナビウリナ中銀総裁は景気の過熱が収まっただけだと反論した。
この出来事は、2つの点で大きな意味を持っている。第一に、それまでプーチン大統領はロシア経済が好調であると内外にアピールしていたわけだが、それと政府サイドの景況認識が大きくずれたということだ。統計的には、2024年通年の実質経済成長率は4.3%増と2023年の4.0%増を上回り、引き続き高い水準を記録していた。
しかし、これは軍需という公需に牽引(けんいん)された高成長だったため、その下で民需は強く圧迫されていた。つまり、ウクライナとの戦争で好況を謳歌した企業や家計があった反面で、その恩恵を得られずむしろ悪影響を被った企業や家計も存在したわけだ。全体の数字は好況を物語るが、実際は好調と不調の間の隔たりが大きかったのである。
この構造が維持されたまま、年明け2025年1~3月期の実質GDP(国内総生産)は前年比1.4%増と、前期(同4.5%増)から失速した(図表)。戦争の継続を受けて軍需を中心とする公需が堅調を維持した半面で、民需は内需・外需ともに失速が鮮明だ。
■中銀総裁は金融政策の限界を主張
しかしナビウリナ中銀総裁の立場からすれば、また違った光景が見えてくる。確かにロシア景気は年明けに失速しているが、最新5月の消費者物価は9.9%と、2カ月連続で伸びが鈍化したとはいえ、引き続き高インフレである。ロシア中銀は6月に政策金利を21%から20%に下げたが、高インフレが続く中で、追加利下げには慎重な姿勢である。
そもそも、ロシアの高インフレは、民需が軍需による圧迫を受けているために生じている。戦時下にあるロシアでは、軍事関連のモノやサービスの生産が優先される一方、それ以外のモノやサービスの生産は後回しとなっている。つまり、民需が軍需に圧迫されているわけだが、ここで民需を刺激する利下げを行えば、高インフレが長期化する。
つまり、民間部門では、高インフレの源泉が供給減にある。ここで利下げを行い、需要を刺激すれば、供給と需要の両面からインフレがさらに刺激される。そうなればインフレが制御できなくなるため、経済や金融に強い負荷がかかると、中銀のナビウリナ総裁は考えているのだろう。中銀としては、至極真っ当な経済運営観であると評価できる。
中銀が金融政策で実現できることは、金利のコントロールを通じて、需要の総量を制御することだけである。
それが軍需だろうと民需だろうと、経済全体の運営を考えた場合、高インフレが続いている以上は、積極的な利下げなどできるわけがない。したがってナビウリナ中銀総裁は、現状は景気の過熱が収まった状態に過ぎず、積極的な利下げを行う環境ではないという見方を強調したのだろう。本質的には、政府がどうにかすべきだということだ。
■実体としてなす術がないロシア政府
景気を刺激するに当たり、特に民需を活性化したいなら、まず民需を圧迫する軍需を抑制しなければならない。つまり“クラウディングイン”を起こす必要があるわけだが、軍需を抑制するにはウクライナとの戦争を停戦に持ち込まなければならない。それは極めて困難だから、軍需を膨張させたまま、経済対策で民需を刺激する必要がある。
しかし経済対策には、当然ながら財源が必要となる。その財源が、今のロシア政府にはない。優先されるべきはウクライナとの戦争の継続だから、歳入の多くが軍事費に割り当てられる。軍事費を抑制できない以上、歳入が増えなければ、軍事費以外の歳出を削らざるを得ない。
頼みの綱は原油価格の上振れだ。年明け以降、60ドル台前半まで下落したブレント原油価格は、イラン情勢が緊迫化したことで、6月に入って70ドル台後半まで急騰した。これがこのまま続けば、ある程度の歳出の拡張は可能だろう。しかし戦局はイスラエル優勢であり、イランの事実上の敗北で決着すれば、原油価格は再び低迷するだろう。
要するに、政府としてはなす術がないわけだ。ゆえに、中銀による利下げに期待し、ナビウリナ中銀総裁に圧力をかけているのだろう。とはいえ、仮に財政に余力があったとしても、民需を圧迫する軍需を抑制することはできないから、軍需を膨張させたまま、経済対策で民需を刺激することになる。これではやはり、高インフレが長期化する。
■「仲介役」になる余力はない
ロシア経済に関しては、統計の数字を表面的に捉えて好調だという意見が、いわゆる“親ロ派”を中心に多く聞かれた。しかし、当のロシア政府の高官が、ロシア経済は景気後退の瀬戸際にあると認めている。これまでは好調だったというよりも、何とかなっていたという方が正しい評価だろう。
米国のトランプ大統領が、イラン情勢の緊迫化を受けてプーチン大統領と電話会談を行った際に、プーチン大統領がイランとイスラエルの仲裁を申し出たと明らかにした。その際、トランプ大統領は、プーチン大統領の申し出を断ったという。そしてトランプ大統領は、ロシアはまず、ウクライナとの戦争を終わらせるべきだと意見したという。
ロシアはトランプ大統領の発言を否定したし、自らを過剰に演出するトランプ大統領のことだから、本当にトランプ大統領がプーチン大統領にそうした発言をしたか、定かではない。とはいえ、目下の経済運営を考えた場合、それがますます困難となっているのだから、ロシアにはイランとイスラエルを仲介する余裕がないという見解は正しい。
政府と中銀の景況認識が異なっても、ロシアの経済運営そのものが困難に陥っているという点は、その実として共通した認識といえよう。経済の統制を強めていくのか、それとも停戦に向けた動きを加速させるのか。大局的に判断して、今のロシアはそのターニングポイントを迎えていると判断しても、決して過剰な評価ではないのではないか。
(寄稿はあくまで個人的見解であり、所属組織とは無関係です)
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土田 陽介(つちだ・ようすけ)
三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 副主任研究員
1981年生まれ。2005年一橋大学経済学部、06年同大学院経済学研究科修了。浜銀総合研究所を経て、12年三菱UFJリサーチ&コンサルティング入社。
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(三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 副主任研究員 土田 陽介)