老舗書店・有隣堂の公式YouTubeチャンネル『有隣堂しか知らない世界』は、総視聴回数が1億回を突破している人気チャンネルだ。一体どのように動画を作っているのか。
プロデューサー兼ディレクターを務めるハヤシユタカさんは「有隣堂のファンを作るために、社外ゲストに必ずお願いしていることがある」という――。
※本稿は、ハヤシユタカ『』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。
■競合他社ヴィレヴァンからもゲスト出演
――2021年5月~10月 ゆうせか開始から約1年後
ニュースサイト「ねとらぼ」の記事で勢いづいた『有隣堂しか知らない世界』は登録者数10万人を目標に突き進んでいく。企画で増えてきたのが、社外のゲストの出演だ。
【要る?】紙の地図の世界~有隣堂しか知らない世界046~」では、紙の地図大手の昭文社の社員に出演していただいた。
紙の地図は今ではすっかり存在感が薄まっている。車にはカーナビが搭載されているし、普段使いでもスマホがある。動画ではMC(司会者)「R.B.ブッコロー」の「グーグルマップで良くない?」という問い詰めに、昭文社の社員が全否定。紙の地図がいかに素晴らしいかを伝えていく。
【ライバル企業の刺客】変な文房具対決~有隣堂しか知らない世界055~」では、競合他社のヴィレッジヴァンガードの広報に出演いただいた。有隣堂の文房具バイヤーの岡﨑弘子さんと、どっちがより変な文房具を持ってこられるか? という対決をした回だ。
さすが「遊べる本屋」をコンセプトにする企業。
定規をデザインに取り入れたマフラーを持ってきて「文房具です」と言い放つ。対して岡﨑さんはヌンチャク型の鉛筆で迎え撃つ。
こちらから依頼することも、ありがたいことに出演したいと申し出をいただくこともある。どちらにしてもこうした企画は、先方の企業の協力がなければ成り立たない。僕たちからすると感謝しかないのだが、そうした関係性の中でも動画を作る上で必ずお願いしていることがある。
公開するYouTube動画の、事前の確認を一切お断りしているという点だ。
■テレビの世界では絶対的なルール
普通の企業の感覚からすると、このお願いは信じられないと思う。動画制作に協力しているわけだし、もし間違いがあったら? もしNGワードを言ってしまっていたら? 事前にお互いが入念にチェックをして、何かあれば修正をしていく。これが当たり前だ。
だが、僕の古巣、テレビの世界では「事前確認はできない」というのが絶対的なルールだ。
例えばニュース番組である企業を取材するとする。もし取材対象者に放送前の内容を事前に確認させてしまうと、「ここを直して」「ここはカットして」といった要求を言われるかもしれない。
それで言われる通りに編集し直してしまったら、そんな放送は公平な報道とは言えない。「取材先が言った通りの報道をします」なんてテレビ局は信頼されないし、誰にも見られない。
テレビは「事前確認はできない」というルールを徹底しているからこそ、信頼できるメディアとして、高い情報価値を持ち続けていると言える。
■MCの素直な発言やリアクションを守る
僕は、このルールを企業YouTubeにも徹底することにした。チャンネルの、そしてブッコローの「素直さ」を守ることができると考えたためだ。
動画を見ていただくと、ブッコローは商品に対して「値段高っ……」と声高に叫ぶシーンが多々ある。
これが仮に、社外のメーカーがゲストとして出演した回だとすれば、出演者や出演の調整に関わった社員は、普通なら良い顔をしない。会社に戻ったら上司に怒られると思うかもしれない。当然「カットして」と要求してくるだろう。
でも、僕たちは応じない。「出演に協力したのだから当然の権利だ」と言われたとしても絶対に応じない。もし応じてしまったら、ブッコローの素直な発言やリアクションは全て殺される。
そんな修正した動画は、視聴者にすぐ見抜かれる。そして信頼を失う。
『有隣堂しか知らない世界』の目的は「有隣堂のファンを作ること」だ。「出演いただく企業に喜んでもらう」ことではない。信頼されない動画を公開すれば、嫌悪感を抱かれ、逆効果になってしまう。だから絶対にできない。
■大物作家も「事前チェックなし」で出演
でも、もちろん、その説明は出演の前にしっかりと行っている。
「ブッコローは素直な反応しかしません。そしてそれは編集でカットしません。だからブッコローに負けないように、彼を論破するつもりでご出演お願いします」
出演前のそんなやりとりがあるからこそ、これまで『有隣堂しか知らない世界』に出演いただいたゲストは全員、本気でブッコローに向き合ってくれたと思う。だからこそ公開された動画は面白い。
そうした「事前チェックできません」の条件を飲んでくれた人の中には、大物の作家もいる。
その1人が、ミステリーの帝王とも称される、中山七里先生だ。
中山先生は1961年生まれ。2009年、『さよならドビュッシー』で、宝島社の第8回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、翌年、48歳で作家デビューを果たす。その後も精力的に執筆を続け、いつからか「どんでん返しの帝王」と呼ばれるようになる。
その理由は読者に「結末が見えた」と思わせながらも、実は物語の随所に巧妙な伏線が張り巡らされており、最後の数ページで、それらが一気に回収される形で、予想を大きく裏切る展開が用意されているためだそうだ。
実際、僕も先生の代表作のひとつ『護られなかった者たちへ』という作品を拝読した。たしかに物語の後半で待っていたもうひとつの真実は思わず「うっ……」と声が出てしまうほど圧巻だった。
■12カ月連続刊行できる働き方とは?
そんな中山七里先生のもうひとつの凄さが、驚異的な執筆スピードと作品数だ。
デビュー後、ほぼ毎年4~5冊の新作を発表し、これまでの作品数は約80。2020年には作家生活10周年の記念という理由で、12カ月連続で新作を刊行するという暴挙を達成する。
ミステリー小説の1冊あたりの平均的な文字数をChatGPTで調べてみると、10万~15万字らしいので、仮に10万字だとしても、休み無しで1日3300字を書かなければならない計算だ。
そんなミステリーの帝王の出演の打診は、出版社の宝島社からだった。
2021年5月。『有隣堂しか知らない世界』が始まってから11カ月が経過し、チャンネル登録者数が5万人くらいの時だった。
書店を営む企業であれば、普通は二つ返事で出演を快諾するだろう。それほどの大物作家だ。でも僕はずっと難色を示していた。
■「本」と「動画」の相性は最悪
実はこの時、ちょうど先述の『護られなかった者たちへ』が、俳優の佐藤健さんの主演で映画化されるタイミングだった。先方からすれば、今回の打診はそのプロモーションを兼ねてということだろう。
普通にご出演となれば、動画の内容は作品の紹介が中心になることは目に見えていた。もう少し話を膨らませたとしても、先生の他の作品の紹介といったところだろうか。そう考えた時、僕の能力では面白い動画にできる自信はなかった。
僕の持論として、「本(文字媒体)」と「動画」の相性は抜群に悪いというのがある。その理由のひとつが、「情報量の差」だ。

本は、読者が自分のペースで情報を消化できる。自由にページを行き来したり、止まって考えたりもできる。だから長文や複雑な内容を使った細かい説明が可能だ。
しかし動画は、制作者の決めたスピードで情報が流れる。そのため、深い内容を伝えるのは難しく、省略されることが多い。もちろん、ゆっくりしたテンポの動画にする方法もあるが、それだと視聴者が退屈するし、膨大な尺になってしまう。
■10分程度の動画では本の魅力を紹介できない
わかりやすい例を言うと、小説が原作の「映画化」や「ドラマ化」だ。
本と動画の両方に触れたことのある人はわかると思うが、動画の方は登場人物や要素が少なくなっていることが、多々ある。
例えば、僕の大好きな小説に、真山仁さんの『ハゲタカ』という作品がある。バブル崩壊後の日本の金融業界を舞台に、外資系ファンドマネージャーの鷲津政彦が日本企業を次々と買収していく物語だ。
この小説はNHKでドラマ化されたのだが、そこでは登場人物の1人、リン・ハットフォードという女性の存在がほとんど消えていた。小説では鷲津の恋人であり、ビジネスにおいてもパートナー的な役割を果たしていた重要な人物であるにもかかわらずだ。
おそらく、リンの「外資系投資銀行の立場からファンドに対して企業買収のアドバイスを行う、M&Aのルールとして絶対に必要な仕事を担う」という、それだけで莫大な説明が必要になる要素が、ドラマでは描ききれないという理由からだと思う。
ちなみに、要素が削られても、このNHKドラマ版の『ハゲタカ』は本当に素晴らしい作品だ。まだ見ていない人はぜひ見てほしい。NHKオンデマンドで見られる。
要するに、「本」という媒体は、極めて情報の量が多い。その魅力だったり、面白さだったりを、たった10分程度のトーク中心の動画コンテンツで伝えることは、僕の力量では不可能だった。
今でも、『有隣堂しか知らない世界』で本のネタが少ないのは、こうした考えが根底にあるからだ。
■売れっ子作家は24時間、何をしているのか
そういった理由から、中山先生のご出演は本当にありがたいお話ではあるが、誰にも見られない動画コンテンツを世の中に出すのは、関わった全員が不幸になるので、僕はお断りするべきだと考えていた。しかしYouTubeチームの渡邉郁さんが放った一言で、事態は大きく変わる。
「連載10本を抱えている小説家の1日って見たくないですか?」
なるほど。小説家という誰もが知る職業の働き方は、多くの人が興味を持つ話題かもしれない。しかも、中山先生の驚異的な執筆量は59歳の当時でも続いていて、文芸誌などの連載を月に10本ほど抱えているという話だった。明らかに尋常じゃない量の仕事を抱えているとなればなおさら見てみたい。収入だって気になる。
僕の考えは一気に「出演してほしい」に変わった。しかし、気がかりなのが、先述の「事前チェックできません」だ。
おそらく強烈な過密スケジュールであろう働き方。
いかにリアルに表現するかを考えた時、僕の頭には、働いている間、ずっとカメラを回す「密着」しか思い付かなかった。
こんなことを、ミステリーの帝王に「事前チェックできません」という条件でお願いすることはできるのだろうか。
■17時間以上働き、食事はレッドブルだけ
中山先生と打ち合わせをしたのは、2021年9月。打診をいただいてから4カ月が経過していた。それだけの期間、どんな企画にするか、悩んでいたのだ。
結論から言うと、中山先生は快く承知してくれた。ただ「ほぼ寝ないから24時間回しっぱなしになるよ」ということだった。そのためカメラマンは付けず、無人の固定カメラを中山先生の執筆部屋に設置して、ひたすらぶん回すという手法を取った。
数日後。撮影は無事に終わり、映像を確認する。
中山先生は本当に、ほぼ24時間起きていた。執筆時間は17時間15分。残りの時間は読書や映画鑑賞をしていて、仮眠や入浴で部屋にいなかったのは、4時間にも満たなかった。なお、食事は一切摂っておらず、口にしたのはレッドブルだけだった。
よくぞこんな映像を撮らせてくれたものだ。
考えてみてほしい。24時間、ずっと生活の様子を撮られた挙句、「撮ったものは事前チェック無しでYouTubeに流すんでヨロシク」なんていう、こんな勝手なお願いを快く聞き入れてくれたのだ。感謝してもしきれない。
■初対面で「ゴルフばっかりやってる経営者」
この密着映像は、まず15分程度に編集し、それを改めてスタジオに来ていただいた中山先生とブッコローに見てもらい、トークの様子をあわせた形で1本の動画にすることにした。
スタジオでの収録は、密着取材の1週間後だった。編集は想像以上に厳しかった。
カメラは24時間回っていたので、倍速で見直したとしても12時間かかる。そこから使いたいカットを選んでいくわけで、もうどれくらい時間をかけたか覚えていない。
それでもなんとか間に合わせ、中山先生とブッコローがその映像を見ながらトークする収録がスタートした。
収録開始30秒。ブッコローの火の玉ストレートが放たれる。
「作家っていうよりも、ゴルフばっかりやってる経営者の見た目なんですよねェ」
先述の通り、『有隣堂しか知らない世界』では、ブッコローが収録前にゲストと会話することを意識的に避けているので、カメラが回った段階で2人の関係性はゼロ。ほぼ初対面。それでこの発言である。
大作家先生相手に少し萎縮してしまうんじゃないかと危惧していたが、一瞬で裏切られた。さすがだよ、ブッコロー。
■登録者数10万人を突破するきっかけに
この動画は「【どんだけ稼いでるの?】職業作家の1日ルーティン~有隣堂しか知らない世界067 ~」というタイトルで、2021年10月5日に公開した。
巨匠作家のリアルな「寝ない、食べない」を記録した密着動画の反響は凄まじく、著名人がSNSで話題にしてくれたこともあり、いわゆる「バズる」状況になる。
公開から2週間で再生回数は25万回近くに達し、このペースでの伸びはチャンネル登録者数が30万人を超えた現在でもめったにない(現在は164万回再生)。
公開時点でのチャンネル登録者数は8万6000人ほどだったが、そこから一気に増加し、約2週間後の10月19日の正午頃、『有隣堂しか知らない世界』の登録者数は、ついに10万人を突破する。1本目の動画公開から、1年と3カ月あまりを経ての達成だった。

----------

ハヤシ ユタカ
動画クリエイター

都内の映像制作会社に入社後、在京キー局の報道・情報・ドキュメンタリー番組でディレクターとしての経験を積む。2020年に独立し、現在は老舗書店「有隣堂」の公式YouTubeチャンネル『有隣堂しか知らない世界』にて、プロデューサー兼ディレクターを務める。

----------

(動画クリエイター ハヤシ ユタカ)
編集部おすすめ