■「あんぱん」は、ようやく史実どおりの展開に
4月の放送開始から3カ月。朝ドラこと、折り返し地点に到達したNHK連続テレビ小説「あんぱん」。絵本「アンパンマン」の生みの親・やなせたかし(北村匠海が演じる嵩)と妻・小松暢(今田美桜が演じるのぶ)をモデルとしながらも、「フィクションのドラマオリジナル作品」として描かれるこの作品は、近年の朝ドラにおける重要なトレンドを象徴している。
半年間という長期にわたる朝ドラにおいて、実在のモデルがいる作品の最大のメリットは、中だるみや尻すぼみになるリスクが低く、物語が迷子にならないこと。視聴者が「本当にあった話」として安心して見られることも大きい。「あんぱん」のやなせ、「ゲゲゲの女房」(2010年度上期)の水木しげるのように、有名な漫画家がモデルで、その作品も一般視聴者に親しまれてきたものであれば、なおさらだ。
一方、制作は「史実との兼ね合い」という難題を常に抱えることになる。実在のモデルがいる朝ドラは2014年前期の「花子とアン」(村岡花子がモデル)以降、多くなったが、ここ数年も2023年度上期の「らんまん」(牧野富太郎がモデル)、2024年度の「虎に翼」(三淵嘉子がモデル)、「ブギウギ」(笠置シヅ子がモデル)、そしてこの「あんぱん」と続く中、制作者たちはどのように史実をアレンジしているのだろうか。
■小松暢が新聞社に入るまでの本当の生い立ち
「あんぱん」における最大の史実改変は、主人公たちの出会いを幼なじみ設定に変更したことだ。
『やなせたかし はじまりの物語:最愛の妻 暢さんとの歩み』(高知新聞社)によると、実際のやなせたかしと小松暢の出会いは1946年(昭和21年)5月。中国の戦地から戻ったやなせは、弟の戦死を知り、しばし呆然と過ごした後、廃品回収の仕事をする中、進駐軍の兵舎から持ち帰った雑誌を見て、父と同じ新聞記者を志す。そして、高知新聞社の採用試験を受けたとき、会場にいたのが、やなせより数カ月前に入社し、受付や後片付けを手伝っていた暢だった。
ドラマと同じく実際の暢も再婚だった。子供時代の暢は父母や兄、妹2人と比較的、裕福な暮らしをしていたが、父を6歳のときに亡くし、その後、大阪府立阿倍野高等女学校から高知市の第二高等女学校(ドラマの女子師範ではない)に転校したと見られている。
女学校卒業後は上京し、日本郵船勤務で高知出身の小松総一郎と結婚。仕事の都合で2人は大阪や東京で暮らしたが、総一郎は戦時中に一等機関士として召集され、海軍の船で病気になってしまった。高知市で3年ほど療養、終戦後の1946年に33歳で亡くなり、2人の結婚生活は7年で幕を閉じる。
■夫を亡くした8日後、婦人記者に応募した暢
暢が高知新聞に掲載された「婦人記者募集」の記事を見て、受験に挑んだのは、なんと夫を亡くしたわずか8日後。31人の中から合格者2人に選ばれ、最初は高知市役所の担当となり、進駐軍のジープに乗ってあちこち取材、女性問題や戦争遺族の窮状を報道した後、雑誌の『月刊高知』編集部に異動。そこにやなせが配属され、急接近することになる。
やなせは出会った頃の暢について「中根式速記の名手。ドイツ製一眼レフカメラを持ち、取材では大変役に立った」と語っており、親族は「総一郎さんはハイカラな方でライカのカメラを暢さんに贈ったそうです」と語っている(『やなせたかし はじまりの物語』)。
ドラマではのぶと嵩は小学生時代に出会う幼なじみとして描かれているが、これは明らかな創作である。脚本家の中園ミホはやなせたかし氏と生前に交流があり、「徹底した取材と記憶をもとに脚本の執筆に至る」としながらも、ドラマとしての構成上、この設定を選択した。
■脚本家・中園ミホが、ヒロインを軍国少女設定に?
ドラマではのぶが軍国少女、女子高等師範学校の生徒を経て教師になり、子どもたちに「立派な兵隊さんになること」「お国のために命をかけること」を教えるが、それが間違いだったことに戦争が終わる間際になって気づいて、自分の罪を激しく悔やみ、教師を辞めてしまった。しかし、同書を読むかぎり、暢に軍国少女時代や教師時代はなく、ドラマオリジナルの設定のようだ。
これまで朝ドラでは多くのヒロインが反戦の立ち位置で描かれてきたが、当時の時代性を考えると、むしろ軍国主義に染まっていた人が多かったはず。「あんぱん」では、そうした時代の流れを汲み、なおかつ、やなせの「逆転しない正義はない」という言葉とからめて、のぶというキャラクターを通して、軍国主義に洗脳された大衆が、戦争に加担した者が、戦争の愚かさ・醜さを知り、変化していく様を描くことに成功している。
のぶが「愛国の鑑」と呼ばれたり、「この戦争が終わるときは日本が勝つときです」と攻撃的に言ったりする姿には、一部の視聴者から拒否反応も出たが、中園はインタビューで「現代の人たちが、そういうヒロインを毎朝見てくれるかな、ということに悩み、一行一行迷いながら書いていました」と語っている。
また、嵩とのぶを幼なじみに設定したことにより、猪突猛進型の「はちきん(土佐弁で「男勝り」)」の「のぶ」と臆病で優柔不断な嵩の対比、2人の幾度ものすれ違い、嵩の一途で深い愛と、2人の関係性の変化も生き生きと描き出してきた。
■「虎に翼」でも現代的なテーマを反映した変更が
近年の他の朝ドラではどうだったか。
2024年に高く評価された「虎に翼」(吉田恵里香脚本)では、日本で初めて女性として弁護士、判事、裁判所長を務めた三淵嘉子をモデルに、史実がアレンジされた。前半最大の改変は、主人公・寅子(伊藤沙莉)の父親(岡部たかし)が「共亜事件」という贈収賄事件で逮捕される展開である。この事件のモデルは1934年に実際にあった「帝人事件」と考えられるが、三淵嘉子の父・武藤貞雄は事件当時すでに台湾銀行を退職しており、一連の事件にその名は登場していない。三淵嘉子関連の書籍にも父が帝人事件に関与したという描写は出てこない。
第二の改変は、「選択的夫婦別姓」をテーマとした結婚観の描写だった。
■選択性夫婦別姓について考えさせられる展開
しかし、史実では三淵嘉子は再婚によって三淵姓になった。
実際の三淵嘉子は1941年に武藤家の下宿人で書生だった和田芳夫と結婚、一子をもうけたが、夫は戦病死。その後、1956年に最高裁調査官であった三淵乾太郎と再婚している。三淵乾太郎も前妻を病気で亡くし、1男3女の子持ちだったため、お互いに連れ子がいる状態での再婚だった。
嘉子は、裁判官として対外的にも使ってきた和田姓を変えたくなかったようだが、その当時はほとんどの女性が結婚で夫の姓にしたのと同じように、三淵姓に変更した。そういった史実を70年後の今、「実現すべきだ」という声が多数派になっている選択的夫婦別姓を採り入れてアレンジし、ヒロインの再婚に現代性を持たせた。
■同じ中園脚本の「花子とアン」では不倫をぼかした
『赤毛のアン』の日本語翻訳者である村岡花子の半生を原案とした「花子とアン」は「あんぱん」と同じく中園ミホの脚本。このときは、大胆な史実アレンジが物議を醸した。実際の花子(吉高由里子)とその夫となった英治(鈴木亮平)の恋愛は、昼ドラのようにドロドロだった。家庭のお茶の間で見られる朝ドラの特性上、不倫を肯定的に描くわけにはいかなかったためか、苦肉の策的展開が多く見られた。
実際の花子は福音印刷合資会社の経営者で既婚者でもあった村岡儆三(けいぞう)と出会い、不倫の末、1919年に結婚し、村岡姓となった。「花子とアン」の原案となった『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』(村岡恵理/新潮社)の記述によると、ある日、花子がきれいな百合の花をもらったときには、儆三にも「差し上げたい」と思うのだが、「あなたがお花を持ってお帰りになったら、周りの方々が妙にお思いになりはしないかと考えて、御遠慮して仕舞ひます」と書き綴るなど、不倫関係を示唆する記述が実際の手紙に残されていた。
ドラマでは、花子が英治に告白してから彼が既婚者であることを知る設定に変更され、さらに英治の妻が病気で死ぬ前に「新しい人と一緒に生きていってほしい」と言い残すという不倫の美化、エクスキューズがなされている。
■朝ドラの視聴者、中高年女性への配慮でアレンジ
一方、2010年の「ゲゲゲの女房」は、水木しげるの妻・武良布枝の自伝エッセイを原案とした作品だが、史実アレンジが比較的少ない稀有な例といえる。見合いから5日で結婚という衝撃的なエピソードは史実通りで、貧困時代の描写も原作に忠実に描かれた。
ただし、それでも朝ドラとしての配慮は随所に見られる。極貧生活の厳しさは描かれているものの、夫婦の愛情や家族の絆が前面に押し出され、現実の苦労がやや美化されて描かれている。また、史実では水木しげるはかなり自己中心的で、家事や育児を妻に丸投げし、借金取りの対応も妊娠中の妻に任せるなどの問題行動があったとされるが、ドラマではそうした部分は大幅にマイルドに描かれている。
朝ドラの視聴者層は以前より広がっていると言えるが、それでもやはり40~60代の中高年女性が中心であるのは変わらない。こうした視聴者構造の中で、制作者は歴史に忠実であることと現代的価値観の両立という困難な課題を背負うことになる。朝の時間帯に家族で視聴されることを前提とした番組では、史実に存在する複雑な人間関係や道徳的に問題のある行動は、しばしば簡略化や美化される傾向がある。
■浮気、不倫、DVなどは簡略化し史実を美化
配信での個人視聴が増える今でも、朝ドラには「家族みんなで安心して見られる」ことを求める層が確実にいる。
今ではSNSによる即座の反応や史実検証が行われるため、史実改変に対する視聴者の目も厳しくなっている。一方で、完全に史実通りにすると、現代の価値観にそぐわない部分や、朝ドラの枠組みにふさわしくない内容も含まれてしまう。
■フィクションだと明言した「あんぱん」の勝因
「あんぱん」は、これまでの実在モデルがいる朝ドラの試行錯誤を踏まえ、最初から「フィクション」であることを明確にした上で制作されている。これは一つの解決策といえるだろう。実在モデル朝ドラの変遷を見ると、完全な史実再現でもなく、完全な創作でもない「第三の道」として、史実を骨格としながらドラマとしての面白さを追求する手法が確立されつつある。
重要なのは、史実への敬意を保ちながら、現代の視聴者に響く普遍的なメッセージを込めることである。また、視聴者も「実話ベース」の真意を理解し、史実とドラマの境界線を意識しながら作品を楽しむリテラシーが求められる。
今後の実在モデルの朝ドラにおいて重要なのは、史実改変を「悪」と決めつけるのではなく、どのような改変なら許容されるのか、どこまでなら「実話ベース」として成立するのかという境界線を見極めることだろう。牧野富太郎の重婚疑惑や借金問題、三淵嘉子の複雑な継母関係、村岡花子の不倫――こうした「不都合な真実」をどう扱うかが、制作者に求められる課題と言えるかもしれない。
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田幸 和歌子(たこう・わかこ)
ライター
1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーライターに。ドラマコラム執筆や著名人インタビュー多数。エンタメ、医療、教育の取材も。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など
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(ライター 田幸 和歌子)